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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第一幕 河川陣地防御戦

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わー! 済みません!

少し遅れました! ごめんなさい!

「砲撃が止んだ……?」

 右翼陣地で指揮を執り続けている(とは言っても、ここ三日の間はひたすら飛来する敵弾から身を隠すために、壕に籠り続けていただけだったが)エルンスト・ユンカース中尉は、突然訪れた静寂に訝しげな表情を浮かべた。

「どうなっとるんでしょうか」

 いつの間にか隣に来ていた軍曹も、彼と同じような顔をしている。

「砲撃に意味が無いと察したのでしょうか」

「分からん」

 ユンカースは首を横に振ると、面倒そうに腰を持ち上げた。

「嫌な予感がする。軍曹、部下を無暗に持ち場から離させるなよ。砲撃がいつ再開するとも分からん。常に避難経路だけは頭に叩き込ませておけ」

「はい」

 敵陣の様子を確認しようと、ユンカースが壕から踏み出した時だった。

 対岸の、今までよりも遥かに近い距離から一斉に砲声が響いた。

 野砲の一斉射撃のような、重苦しい遠雷のような轟きでは無く、気の抜けたポンッという砲声だった。

「退避!!」

 ユンカースは先に外へ出ていた兵士たちに向かって怒鳴りつけた。

 対岸に、敵の猟兵が隊列を組んでいるのが見える。その背後から、無数の黒い塊が景気よく空に向かって飛び上がっている。

「擲弾砲です!」

 軍曹が砲撃の音から、その正体を言い当てた。


 擲弾砲は、砲と呼ばれこそするが、その見た目はただの鉄で出来た筒にしか見えない。

 砲身である円筒部分と、それを地面に立てて支える為の支柱がくっ付いているだけの簡素な作りであった。

 射撃方法もまた極めて簡略化されており、支柱の付いた円筒を地面に立てかけ、炸薬と火薬を詰めた布を砲身の底へ押し込み、砲弾の口径よりも余裕を持って作られている専用弾を砲口から滑り落とす。これだけで良い。

 この専用弾は、通常の砲弾から矢じりのような突起が突き出した形をしており、先端部が小さく割れていた。ここに火の点いた縄や藁などを挟み込み火種とする。

 火種は燃えるものならば何でも良いが、突起そのものを赤熱させて使用する事も出来た。

 無論、火種さえ如何にか出来れば普通の砲弾であっても射撃は可能である。

 こうした射撃方法、機構の単純さは、安価に大量生産できる上、野砲を扱う砲兵たちのような専門的訓練を必要としない反面、当然それ故の欠点も存在する。

 砲弾が砲腔よりも小さく作られている為、爆轟した火薬から受け取る力に無駄が多く、さらに地面に衝撃を吸収させる為には仰角を大きく取らざるを得ず、射程距離はあらゆる砲の中でも最も短い。

 さらに高く打ち上げられた砲弾は上空で風の影響を受け、弾着精度は極めて悪かった。

 狙って撃つなどという事は到底望めない代物だった。

 しかし、それを置いてなお擲弾砲が多くの大陸世界の軍によって使用されている理由は、何よりもその速射性、それによって実現される制圧力であった。

 野砲のように一度射撃する事に砲身内を掃除する必要も無い擲弾砲は(掃除をしたところで精度には何ら影響がないという事もあるが)、同時間内に全力射撃をした場合、野砲の3、4倍の速度で砲弾を撃ちだす事が可能だった(余りにも連続して射撃した場合、砲身が熱を持ち過ぎ、火薬を押し込んだ途端に砲口から火花だけが飛び出すという問題もまぁ、有るにはあったが)。

 結局のところ、この兵器に求められているものは絶え間ない射撃により敵の行動の自由を奪う事のみであり、弾着精度については一発撃って当たらなければ百発撃てば良いという乱暴なものであった。


 もちろん、そのような乱暴な使用法によって作られるのは、酒場の乱痴気騒ぎよりも酷い、轟音の中を鉄片と火花が踊り散らす狂騒である。

 直撃する確率が大海の彼方へ至るよりも低い事を知っていた所で、その狂騒に巻き込まれた方は堪ったものでは無い。

「クソっ、畜生っ! 連中、何のつもりだ!」

 壕の中で耳を塞ぎ、押し寄せる爆風の衝撃に耐えながら、ユンカースはありとあらゆる呪いの言葉を喚いていた。

 いや、もちろん敵の狙いは分かっている。強硬突撃による、我軍陣地の突破を図っているのだろう。

 だが、だとしても何故、野砲を沈黙させた。

 擲弾砲は発明当時こそ、威力や使い勝手に不安が多かったが、今や製鉄技術の向上や、火薬の威力向上により十分に強力な兵器となりつつある。

 だが、所詮は擲弾砲。野砲による一撃に比べれば、その威力はたかが知れている。

 その程度ではこの陣地は打ち崩せないはず……いや、良い。

 もういい。考えても仕方が無い。

 分からない事を考えるよりも、この後どうするべきかを考える方が先だ。

 ……もちろん。今どうするかは決まり切っているが。


 壕の外はもはや地獄よりも酷い有様だった。

 次々に砲弾が落ち、炸裂し、爆散し、大地を滅茶苦茶に打ち据えている。

 そうした中で人間に出来る事と言えば、ただ耐える事のみである。

 ある者は天上に座すという御主に祈りを捧げながら、ある者はただ身を硬くして、爆発の轟音と衝撃によって、鞭のようにしなる大気に打ち据えられる。

 榴弾の欠片や流れ玉を防ぐ為に開口部を可能な限り小さくしている壕の中であったとしても、数百数千の鉄の欠片の内、偶然と言う悪魔の誘いによって飛び込んでくるものだけは拒めない。

 大気以外の如何なる障害にも阻まれずに疾走してきたそれは、壕内に隠れていた者たちの足や腕に突き刺さり、苦吟の呻きを上げさせた。

 そうした、気が遠くなるような永遠の刹那を幾たびも乗り越え、誰もが忍耐の極限へと達しようとした時、ようやく訪れる静寂。

 半ば諦観に近い面持ちでその責め苦を耐えきった彼らの耳に追い打ちをかけるのは、大勢の男達が上げる蛮声であった。


「中隊長殿!」

 砲撃が終わるとともに、誰より早く外へ飛び出したユンカースに追い付いた軍曹が指示を仰ぐように怒鳴った。

「軍曹、すぐに損害を確認しろ! 動ける者は銃を持って前面に張り付かせろ、すぐに敵が来るぞ!」

「はっ!」

 ユンカースの命令に、彼は迷う事無く応じた。

 手近に居る部下へ次々と指示を飛ばしている。

 流石と言うか、恐るべきというか。

 ユンカースは呆れたように視線を上へ向けた。

 あれだけ叩かれといて、すぐさま行動に移れるとは。

 こいつだって、実戦はこれが初めてだろうに……。

「中隊長殿、砲撃による損害は戦死二名、負傷七名です!」

「全員に装填させろ!」

 軍曹の報告に怒鳴り返すようにして彼は命じた。

 敵猟兵の先頭は、既に川を渡り終えようとしていたからだった。

 息を吹き返した平射砲から撃ちだされた砲弾が、その内の何人かを吹き飛ばした。

 ポツポツと開いた穴は、後を追う者たちによってすぐさま塞がれる。

「装填終わり!」

「目標、前方の敵猟兵! 第2中隊、撃てえ!!」

 報告を聞くなり、ユンカースは間髪入れずに命じた。

 猛然とこちらへ駆けてくる敵へ向かい、軍剣を振り下ろす。

 損害を受けてなお100を下らない銃口から、一斉に火花と白煙、そして銃弾が飛び出して、彼が示した敵を打ち砕く。

 しかし、自ら進んで戦場の狂気に飲まれている彼らは足を止めない。

 目の前で事切れた戦友の以外を踏みしめて、目標へとひたすらに疾駆する。

「第二射、装填!」

 命じつつ、ユンカースは頭の中が急激に冷めて行くを感じていた。

「装填よぉし!」

「撃てぇっ!!」

 二度目の射撃は距離も近かった事もあり、さらに倒れる人数が増えた。

 しかし、敵は止まらない。

 そりゃそうだろうな。

 ユンカースは塹壕の壁に背中を預け、ふっと息を吐いた。

 敵の蛮声がすぐそこまで迫る中で、妙に静まり返った気分だった。

 ユンカースは辺りに居る部下たちを見回すと、冷たく響く声で命じた。

「総員、銃剣装着。白兵戦用意」

 兵士たちの顔に一瞬、絶望的なものが浮かんだ。

「銃剣装着! 急げ!!」

 彼らを打ちのめすような大音声で軍曹が怒鳴りつけた。

 兵士たちが慌てたように小銃を立てると、腰に差していた銃剣を抜き、銃口部分にある着剣装置へと固定する。

 その光景を遠くから眺めている気分のまま、ユンカースは考えていた。

 平射砲が次弾を発射した後だろうな。

「誰も頭を上げるなよ。壕の縁から顔を出した奴を突きあげるか、飛び込んできた敵兵だけを狙え。決して躊躇はするな」

 彼は噛んで含ませるような口調で、兵士たちに言った。

 誰もが顔を強張らせている中、ふとユンカースは軍曹の顔を覗き見た。

 怯えと言う感情が一切感じられないその顔にはしかし、じっとりとした脂が浮いている。

 それを目にした途端、やはりこいつも実践は初めてなんだなとユンカースは思った。

 不思議な事に、彼の胸の中で不安以外にもう一つの感情が、安堵のようなものが広がった。

 彼の目から見て、この大隊は異常であった。

 彼らが、戦争という目の前の現実に対して全く動じる様子も見せずに、ただ当然のように受け入れ、自らが負った責務を果たすためだけに専念しているからであった。

 確かに、軍隊としては理想だろう。

 だが、人としてはどうか。

 目的の為に、敵を殺す事に躊躇いを覚えないようになってしまえば、彼らは本当にただの凶器に成り果ててしまう。

 だからこそ、いざ実際に敵兵を突き殺さねばならなくなったこの状況で、軍曹が示した反応に、ユンカースは将校として不安をとともに、人としての安堵を覚えたのだった。

 自分の考えが矛盾している事はもちろん承知している。

 しかし、彼は全ての条理を投げ捨てて、それでよいのだろうと結論付けた。

 何故なら軍隊の本質とは、矛盾と不条理に他ならないのだから。

 そして彼は今、将校として果たすべき責任があった。

 ユンカースは周囲で銃を構える兵士たちに向けて、確かな声で告げた。

「敵が見えたら、俺が号令を掛ける。良いな。お前らは俺の後に続けば良い」

 彼の声は、優しくすらあった。

「中隊長殿」

 ぽつりと彼を呼んだ軍曹の、彼に向けられた顔には紛れもない敬意に満ちていた。

 ようやく俺も、彼らの指揮官として認められたかなとユンカースは素直に喜んだ。

 部隊に赴任した新たな指揮官が何よりも最初に頭を悩ませるのは、下士官からの信頼を得る事だった。

 彼らからの信頼は即ち、部隊からの信頼であるからだ。

 兵士たちは信頼できない指揮官の命令になど従わない。

 ただし、この中隊に居る兵士たちは元から彼が率いて来た者たちばかりであるから、その問題に関してのみ言えば何の問題も無かった。 

 彼らは地獄の底から自分たちを生還させた上官に対して、無条件の信頼を示している。

 ユンカースにはただ、大隊の新たな一員として認められた嬉しさだけがあった。

 前衛陣地のすぐ後方に配されている三門の平射砲が最後の一斉射撃を行った。

 その轟音を押し返すように、敵の蛮声が押し寄せてくる。

 すぐ近くで、軍靴が地面を蹴りつける音が聞こえた。

 ユンカースは表情を引き締めると、握っている軍剣を構え直した。

 基本的に将校は装具を自費で賄う事になっている為、大して金の無いユンカースが持っている軍剣はありふれた形のサーベルだった。

「来るぞ」

 彼の声に誘われるかのように、塹壕の縁から最初の一人が首を出した。

 〈帝国〉トルクス自治領軍猟兵の、焦げ茶色の制服に身を包んだ壮年の男。

 ユンカースを見つけるなり、訛りの強い〈帝国〉語で何事かを口にしている。

 顔に続いて現れた胸元に縫い止められている階級章から、曹長の位に就いているようだ。

 その階級章目掛けて、ユンカースはサーベルの切っ先を突き出した。

 薄刃造りの彼の軍剣が、その制服を皮膚もろとも突き破り、凶悪な異物の侵入を拒む肋骨に当たって嫌な音を立てる。

 怖気を覚えるような感触に歯を食いしばって耐えながら、ユンカースはさらに突き刺した軍剣に体重を掛けた。

 金属と骨が擦れ合う肌が粟立つ音を響かせながら、切っ先が敵の背中から顔を出した。

 〈帝国〉軍猟兵曹長は目と口を大きく開いた表情のまま、絶命した。

 壕の中へ転げ落ちた彼の身体に足をかけて、強引に刀身を引き抜く。

 そのすぐ後ろから、彼の部下たちが続いてきていた。

 ユンカースは血に濡れた軍剣を構え直すと、叫ぶように命じた。

「突けぇっ!!」

 彼の部下たちは一斉に腹の底から絞り出すような唸り声を上げると、上官に続いた。


続きは2日後。

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