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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
序幕 〈帝国〉軍襲来
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3

 〈王国〉は建国以来、如何なる国家、陣営にも与しない中立国家であると同時に、如何なる侵略戦争も行わないと法に明記している大陸世界唯一の国家であった。

 これは西方諸国が更なる領土拡大を目指し争っていた中で、戦火を逃れてこの地へと流れついたという国祖ホーエンツェルンが、戦乱によって流された血のあまりの多さを嘆き、“この後、我が民の血が祖国を守る以外の理由で流される事は無い”と宣誓した事から始まった。

 しかし、侵略を行わないからと言って軍隊が不要なわけでは無い。

 むしろ〈王国〉が大陸諸国の中で、中立という立場を守り抜くためには、並みの国家以上の軍備が必要とされた。

 対立する陣営のどちらにも与さないという事は即ち、どちらの味方にもならないという事に他ならないからだった。

 であるからこそ、〈王国〉は中立主義を掲げるとともに、国民皆兵を国是としていた。

 故に〈王国〉は、同等の国力を有する他の国と比べ、比較的大規模な軍事力を有している。


 〈王国〉は大陸北海岸のほぼ中央に位置する。

 国土の北側は大きな湾になっており、〈王国〉領の北西部を大きく削りつつ西側諸国との国境の役割を果たしている。

 対して、東側にはドライゼ山脈と呼ばれる、海から突き出した岩の牙のような山々の連なりが領内の北東部から南東部にかけて弓なりを描いて伸びており、〈王国〉領と〈帝国〉領を隔絶していた。

 湾の中ほどに位置する王都を中心として、ドライゼ山脈の弓なりをなぞるように湾が最も陸地へと進出している先端を結び、細かな点を除けばほぼ楕円の形に〈王国〉南側の国境は引かれていた。

 〈王国〉領は領内のほぼ中心を流れる大河によって、東部と西部に大別される。

 これを更に地理的な特徴別に分類すると、湾岸部である北西部、肥沃な平野の広がる南西部、森によって取り囲まれた大小無数の湖のある北東部、起伏の穏やかな丘陵地帯である南東部の四つに分けられる。

 特に、切り立った岩の山脈が自然の要塞として機能してきたが為に、巨大軍事国家〈帝国〉からの侵攻を阻み、対〈帝国〉軍事同盟である〈西方諸王国連合〉と与する事も無く、今日の〈王国〉が中立を保ち続けてきた最大の要因であった。

 事実としてそれは、国民皆兵による防衛体制以上の理由として、およそ100年にも及ぶ平和を〈王国〉へと齎していた。


 しかし、そんな〈王国〉国民の心中はこのところ平穏とは言い難い状況に在った。

 年明け早々に、このところ体調が思わしくないと噂されていた国王の崩御が告げられると、後の王位を継いだのは未だ成人したばかりの王女であるというのだから、その不安も無理からぬ事である。

 とは言え、王妃は既に他界しており兄弟も居ないのだから、他に選択肢は無かったのだが。


 だが、春の訪れとともに催された新女王の即位式典の盛大さと、美しく年若き女王の堂々たる態度を目にした事により、国民の不安は氷解した。

 大陸国家の殆どが貴族制によって治められている中で、平民の地位向上を図った前王の国政をそのまま引き継ぐ事を女王が明言したのがその最大の理由であったかも知れないが、兎にも角にも、民衆は新たな女王の即位を好意的に受け入れた。

 確かに女王は未だ年若い。至らぬ所があるかも知れぬ。

 ならば、誰かがそれを補って差し上げれば良いのだと、彼らの意見はそのように纏まったらしい。

 その“誰かが”という曖昧かつ無責任な期待が、まったく民衆かれららしいとも言える。


 四ノ月 七日 〈王国〉東部国境沿い


 未だ式典の熱気冷めやらぬ王都より、遥か東。

 巨人によって打ち立てられた巨大な岩壁にも見える〈王国〉領と〈帝国〉領を隔絶するドライゼ山脈には、草木の一本も生えていない。

 しかし、その麓に目を巡らせれば岩山の不毛さからは一変して、広大な原生林が広がっている。

 灰色の山々の何処に水源があるのかは定かではないが、雲を突く峰々の谷間からは白糸のように水が流れおち、麓の森を縫うようにして潤し、やがて収束して〈王国〉領を二分する大河へと注ぎ込んでいた。

 そのドライゼ山脈最南端には、岩肌に立てかけられるようにして物見台が組み上げられていた。


「やれやれ。本当に来るんですかねぇ」

 長い年月をかけて岩を掘削し、巨大な木材を何本も組んで造られた物見台の上で、哨戒任務の当直に立っていた兵士の一人がうんざりしたように溜息を吐いた。

 胸に伍長の階級を示す階級章が縫い付けられている。

「おい、真面目にやらんか」

 そのぼやきを聞きつけた分隊指揮官の軍曹が、後ろから叱責を飛ばす。

「しかし、軍曹。〈帝国〉西方領にて、大規模な演習の動き有りと伝えられてからこの五日、地平の向こうまで目を凝らしてますがなぁんにも無しですよ?」

 言って、伍長は西側で朝日に照らされて煌めいている帯に目を向けた。


 それは〈王国〉領を中心から二分する、大河であった。

 流れこそ穏やかではあるが、川幅は最も狭まった地点でも半リーグを下らない。

 大陸の中央部から脈々と流れ続けているその流れは、〈王国〉領の外に出れば〈帝国〉と〈西方諸王国連合〉諸国との国境線としても機能している。

 彼の立つドライゼ山脈南端から大河までの距離は、直線にしておおよそ30リーグ。

 それだけが〈王国〉と〈帝国〉の国境線が平地で接している、唯一の場所である。

 〈王国〉領南西部の〈西方諸王国連合〉諸国との国境線は全てが平地ではあるが、彼らは連合発足時に中心となった四つの大国により纏められた〈自由大陸盟約〉により、自国の安全が脅かされない限りにおいて他国への攻撃は行わない。

 最も、自分たちが国家として認めていないものについては適用範囲外であり、彼らが〈南方辺境域〉と呼ぶ大陸南西部に住まう少数民族たちの土地を“辺境開拓”の名のもとに連合極同士が競うように開拓、先住民にとっては紛れもない侵略、をしているのだが、それは〈王国〉にとって地平の彼方の話である。

 詰まる所、〈王国〉にとっての国境防衛とは、国家開闢以来圧倒的な武力を持って領土拡大を成し遂げてきた〈帝国〉と接する、山脈南端から大河までの30リーグを守り抜く事に他ならなかった。


「敵が見えんからといって、気を緩めるなと言っとるんだ。総司令官もご不在である今、敵に攻め込まれたらどうする」

「〈帝国〉軍が来たら、俺たちは真正面ですよ。総司令官閣下がいらっしゃったからって、何が変わるんですか」

 ばっさりと現実を言い放った伍長の言葉に、軍曹が苦々し気な顔で唸った。

「ああ。それにしても、総司令官閣下は今頃王都かぁ……いいなぁ、俺も行きたかったなぁ。きっと、王立大学院の最新の研究結果のお披露目とかがあったんだろうなぁ……それに、お姫様も見たかったし」

「もう女王陛下だ、馬鹿者」

 退屈を埋め潰すための意味の無い会話を繰り広げながら、国を挙げてのお祝い事の最中だっているのに、なんだって自分はこんな国の外れも外れで突っ立っているんだろう、なんで俺はこんなやる気の無い奴とあと二刻も一緒に居らねばならんのだろうと、それぞれの不満が募っていた時だった。

「あれ、何でしょうか?」

 彼らの横で大真面目に目を凝らしていた二等兵が声を出した。

 ん? と伍長と軍曹が同時に振り向くと、その二等兵は北東の方角を見ていた。

 若い、少年のような二等兵は指でどこかを指していた。

「何処を見てんだお前は」

 彼らが見張るべき国境とは丁度真逆の方を見ている二等兵に、伍長が顔を顰める。

「見とるだけ貴様よりはマシだ」

「で? 何を見つけたって? 報告は明確に、大きな声で、だぞ」

 軍曹の小言を無視した伍長は、日頃から自分が散々言われている言葉を二等兵に向けて言い放った。

 軍曹が頭を痛そうに抱える。

「ええと、その……あれです」

 しかし、少年は自分が見つけた物をどう言葉にしたらよいものか迷い、結局何と言っていいのか分からずに、それを再び指さした。

 彼が突き出した指の先を辿ってゆくと、その先はドライゼ山脈の南端部である。

 その辺の山々は山脈の終点に近いので比較的標高の低いものが連なっているのだが、どうやら二等兵が指しているのはそのさらに上、つまり空だった。

 伍長と軍曹が、彼の指し示す先に目を細めると、晴れた空の青色の中にポツポツと黒い点が浮かんでいるのが見えた。

「鳥の大群じゃないか」

「渡り鳥って季節でも無いでしょう」

 軍曹の意見を否定し、伍長がやぐらから身を乗り出すようにして目を凝らす。

「雲にしては低すぎるし……それに、速い。おい、二等兵。お前、望遠筒持ってるか?」

「あ、はい、あります」

 未だ子供っぽさの抜けきらない二等兵が雑具袋の中をまさぐり、軍から支給されている望遠筒を取り出した。

「貴様、望遠筒すら持ってきていなかったのか」

 呆れ果てたように軍曹が溜息を吐いている。

 内心で帰った後、こいつには修正訓練営庭150週をさせてやると考えていた。

 当の伍長はそんな軍曹の考えを気にする事無く、二等兵から受け取った望遠筒を覗きこむ。

「……」

 望遠筒のレンズによって切り取られ、拡大された景色の先には白い楕円の物体が浮かんでいた。

「どうです? 何か分かりましたか?」

「いや……ちょっと待て」

 二等兵の問いかけに答えつつ、彼はその白い物体の下に何かが吊り下げられている事に気付いた。

「何だありゃ、気球か?」

 肉眼が捉えている物体を観察し、自分の知りうる知識の中で最も近いと思われる物の名称を口にする。

「ききゅうって、なんですか?」

 二等兵が軍曹に尋ねていた。

「ああ、気球か。……前に、王都で見た事があるぞ。軍研究施設だったか、王立大学院がたまにやっとる研究成果の民間展示かは忘れたが……確か、デカい袋の中に詰めた空気を火で温めると空に浮かぶってシロモノだったな」

 軍曹が顎を掻きながら記憶を辿り、どうにも大雑把過ぎる説明をした。

「空に浮かぶんですかぁ」

 二等兵は信じられないと言った風に呟いた。

 その二人を無視して、伍長は望遠筒を覗き続けていた。

 彼は軍曹よりも正確に、気球の原理を知っていた。

 元々、そうした理工識学への興味が人並み以上だった彼は、下手をすれば王立大学院にも行ける程の頭脳の持ち主であったのだが、残念ながら高等教育機関へ息子を通わせられるような地位も財産もある家に生まれつかなかった。

 仕方なしに、王立大学院以外でもそうした研究の行われている場所、つまり軍に志願した。

 義務兵役期間を終えた後も、不良伍長として軍に居座り続けていたのだった。

「今の所は、浮かぶだけのものだったはずだけどな。浮かんだ後は風に流されて何処へ行くか分かったもんじゃないから、ロープで地面と繋いで、まぁ、文字通りの高みの見物をするためぐらいにしか使えない。軍でも何年か前に取り上げられて、偵察や弾着観測に使用できないか研究されてるが……まぁ、なんにせよ、まだまだ研究段階の筈だ」

「はぁ……お前は相変わらず、その手の話だけには強いな」

 その熱意を少しでも普段の勤務に向けてくれれば、と半ば諦めたように軍曹が漏らす。

 伍長は静かな興奮に包まれていた。

 彼らが今、目にしている“それ”は明らかに浮かんでいるだけのものでは無かった。

 むしろ、徐々に近づいてきているように思えた。

 その証拠に、伍長の覗く望遠筒の風景に映るそれは先ほどよりも明確にその形を見て取れる。

 白い楕円の下に吊るされているものは木製らしく、どうやら、船に近い形をしている。

 両側には風車の羽根車のようなものがくっ付いており、回転していた。

 自然の産物ではありえない不合理さと、異物感。

 人の手によって造られた事は間違いない。

「そう言えば……」

 それを見た伍長の脳裏に、聞きかじった断片的な情報が再生される。

「気球に、翼を付けてみたらどうかって話があった……もちろん、鳥みたいなのじゃなくて、そう、帆船の帆みたく風を受けたり、バカでかいオールで空気を漕いでみたらとか」

「それで、空が飛べるんですか?」

「いや、さっき言ったろ。まだまだ研究段階だって。今は十分な高さまで浮かばないし、帆を付けるにしたって結局風任せだ。オールで漕いで空が飛べりゃあ、ガレー船乗りはみんな生きて天主に会えてら」

「はぁ……」

 少年は少し残念そうだった。

 しかし、彼は伍長の言う言葉が現実と矛盾している事に気付いた。

「でも、じゃあ……あれは何ですか?」

 自分が見つけたものを指して、尋ねる。

 今や、空に浮かぶそれはドライゼ山脈の南端部で最も標高の低い山の上を通過しようとしていた。

 伍長はその質問に答える事が出来ない。

 気球は研究段階の筈である。

 いや、それに類するあらゆる空飛ぶ発明の数々は、未だに机の上で理論をあれこれ言っているだけの段階だと言っていい。

 なのに、自分の目は気球のようなものを見ていて、それはこちらへ近づいてくる。

 空を“飛んで”いる。

「未来の技術だ」

 伍長はぽつりと呟いた。

 そうだ。あれの事は気球船と呼ぶのはどうだろうか。うん、中々いいかも知れない・

 ……いや、待て。

 近づいてくる?


 未知の技術に出会った興奮と混乱から、ようやく彼の頭が立ち直り始めた。

 同時に、頭の中が恐ろしいほどに冷え切っていく。

 あれは〈帝国〉領からやってきている。

 白い巨大な風船、もはや、それが見間違いで無いと確信できる程に近づいてきている、の一部に複数の彩色による紋様が描かれている事に気が付く。

 金で縁取られた盾。面の左右がそれぞれ緑と藍に彩られ、下部はくすんだ焦げ茶で塗りつぶされている。その中心には白銀の剣に絡みつく、双頭の赤い龍。

 それは。

「て、」

 伍長の喉から、掠れた音が漏れた。

 気付けば気球船は全部で五隻。

 それらが岩壁のようなドライゼ山脈に穿たれた、唯一の穴隙を潜り抜け、〈王国〉領南東部の空を飛行している。

「え? 何ですか?」

 ようやく声を出した伍長をせっつくように、二等兵が尋ねる。

 その横で、軍曹がお決まりのセリフを口にしようとしている。

「報告は明確に、大きな」

 軍曹がそれを言い終わらない内に、彼は明確に、大きな声で報告した。

「〈帝国〉軍だ!!」



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