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「負けただとっ!?」
ワシリー・スヴォ―ロフ大佐率いる〈帝国〉西方領軍第77猟兵連隊からの報告が届けられた交易街ハンザ市庁舎の一室、〈帝国〉遠征軍参謀総長の執務室に、マラート・イヴァノヴィッチ・ダンハイム大佐の悲鳴のような怒号が響いた。
部隊が出撃してから、初めて届いた報告であった。
時間にして、僅か二日にも満たない。
伝えられたのは、隷下二個大隊壊滅という、散々たる有様であった。
「一体、何が、どうすればこのような事態になるのだ!」
報せを届けに来た中尉を、ダンハイムは怒鳴りつけた。
その中尉は完全に委縮しきった様子で、さらに報告を続けた。
「はい、で、ですが、スヴォーロフ大佐は未だ戦意を失っておらず、猟兵一個大隊と砲兵の増援を求めておられます」
「馬鹿者がっ!!」
ダンハイムの罵声に、中尉は全身をビクリとさせた。
「スヴォーロフは直ちに更迭せよ。これほどまでの失態、皇帝陛下へ対する冒涜以外の何物でもない!」
苛々と机を叩き、視界の隅に映った者を弾くように呼んだ。
「次席参謀!」
「は」
「アルメルガーは既に発ったか」
「いえ、出撃準備を終えたばかりで、今はまだ営庭におられますが」
「今すぐに呼んでくるのだ! 目標が変わった!!」
「今更、何だってんだ? 目標が変わったぁ? 俺の旅団はもう、本街道に布陣してる奴らを叩く準備が出来てんだぞ。新しい敵でも出て来たってのか?」
本街道に布陣している〈王国〉軍独立銃兵第11旅団へ攻撃を仕掛ける為に、今まさに進発しようしていた矢先であっただけに、ラミール・アルメルガー准将はその呼び出しに顔を苦くした。
「はぁ、いえ、それが……」
文句たらたらなアルメルガーに、呼び出しの為にやって来た次席参謀が訳を説明してゆくと、彼の顔には自然と野性じみた笑みが浮かびだした。
「成程ね。スヴォーロフの奴をもう叩き返したのか」
それは、失態を犯した友軍の指揮官では無く、その相手をした敵軍の指揮官へ対する、評価の言葉だった。
「それで、俺に行ってこいってか? やれやれ……そんな面倒をしないで、スヴォーロフの言う通りに増援を送ってやればいいんだ」
そんな軍事的に正しい見解を呟きつつも、やはり彼は笑っていた。
彼の人生における、長年の闘争で培われてきたものが呼びかけているのだった。
ようやく、戦争が始まったと。
しかし、初戦を敗退して即座に撤退か。
敵と同じことをやらされるとは。まさに、してやられたりだな。
不敵な笑みを浮かべつつ、彼は内心でそんな事を思った。
その日、〈帝国〉軍は敵に惨敗した第77猟兵連隊へと、撤退を下命した。
代わりに、ドライ川東方渡河点に布陣する敵軍を殲滅するべく、〈帝国〉南方領に属する、トルクス特別自治領軍第1猟兵旅団隷下の一個連隊が出撃した。
作戦地域が非常に狭量である為、それ以上の戦力は不要と判断されたのだった。
すでに出撃準備を整えていた残存部隊については、西方領軍第101鋭兵師団を率いるイグナティワ中将の指揮下へと入り、当初の命令通り本街道沿いに布陣する〈王国〉軍独立銃兵第11旅団の下へと行軍を開始した。
初日をほとんど戦う事無く終えた、〈王国〉軍独立捜索第41大隊はしかし、ゆっくりと息つく暇も与えられていなかった。
大隊長がそれを許さなかったのだった。
塹壕はさらに深く。掩体はさらに厚く。応急的に作られた陣地はさらに手を加えられ、本格的な要塞の体を成してきていた。
大隊長であるヴィルハルト・シュルツ少佐は、その作業を監督する為に陣地内を駆け回り、さらに斥候に出した者たちや、第11旅団から齎される報告など、膨大な情報の処理に明け暮れていたのだが。
「前方の敵が撤退し、新たな敵部隊がこちらを目指している?」
大隊本部の天幕で、ヴィルハルトはポカンとした顔で、報告された内容を繰り返していた。
「ええ、はい。その通りです」
報告している方のエルヴィン・ライカ中尉もまた、どうしたものかと言う表情を浮かべていた。
「第11旅団からの報告では、敵は前回同様、連隊規模だそうです。元々、あちらを攻めるつもりだった部隊の一部を、わざわざこちらへと向けているようです。お陰で、第11旅団は随分と楽になったとか」
エルヴィンの言う通り、前回、手助けはここまでと伝えてきたシュトライヒ少将の第11旅団から情報支援が再開されたのは、それが理由であった。
「敵の行動の訳が分からんな」
ヴィルハルトは気が抜けた声で言った。
エルヴィンも同じことを考えていたようだった。
あれほど執拗に叩いた敵部隊に対して、増援が送られて来るだろう事は予想していたが、既にある部隊を撤退させる意味が分からなかった。
彼らは当然、作戦地域の部隊を運動させやすい場所や障害となる地形、ヴィルハルト達の籠る陣地について、多くの情報を掴んでいるはずだ。
ならば、一々それを申し送りして戦闘部隊を入れ替えるよりも、増援を送ってそのまま戦わせた方が面倒は少ないはずではないだろうか。
「ですが、事実である事に違いはありません」
ヴィルハルトがあれこれと疑って考えていると、エルヴィンが決めつけるように言った。
まぁ、それもそうか。と彼は思い直した。
「ああ、それから、これも第11旅団から届けられた情報なのですが……」
普段通りの、冗談染みた顔つきに戻ったエルヴィンが報告を付け加えた。
「新しくこちらへ向かっている敵部隊は、焦げ茶色の軍装に身を包んでいるそうです」
「……何とも。心躍る情報だな、それは」
ヴィルハルトは言葉とは正反対の表情を浮かべて言った。
「〈帝国〉南方領。トルクス特別自治領軍」
溜息とともに吐き出されたのは、自分たちの下へとやってくるだろう敵の名称であった。
それにエルヴィンが、飴玉を差し出された子供のような表情で続いた。
「そいつも、猟兵だそうです。となれば、指揮官は当然」
「ラミール・アルメルガー准将、亡国の英雄か」
諦観に似た面持ちで、ヴィルハルトはその敵将の名を口にした。
〈帝国〉南方領に存在するトルクス特別自治領とは、皇帝その人の勅許により〈帝国〉の統治を受けることなく、異民族がその自治を認められている唯一の地域であった。
峻険な山々に囲まれた、大陸中南部に存在するそこは、かつては〈帝国〉の一部である特別自治領では無く、一つの王国だった。
七年ほど前に現在の〈王国〉同様、〈帝国〉軍の侵攻を受け、一度滅亡している。
その国が〈帝国〉唯一の、そして〈帝国〉史上初の独立自治権を手にして蘇ったのは、とある英雄の尽力によるものであった。
その英雄の名こそが、ラミール・アルメルガー〈トルクス王国〉軍大佐。
祖国の敗戦が続く最中、戦闘において常に〈帝国〉軍相手に勝利を収め続けた名将であった。
しかし、如何に彼が戦術的勝利を積み重ねようと、すでに戦略面で勝利を収めている〈帝国〉軍を相手に勝利する事は不可能であると悟っていた。
であるからこそ、祖国防衛戦争の最後に全軍の指揮権を与えられた際、彼は独断で〈帝国〉への条件付き降伏を持ちかけた。
皇帝に対して、自らが〈帝国〉軍へと下り、今後〈帝国〉の為に戦う事を誓約する引き換えに、祖国の自治権を認めてほしいと願い出たのだ。
既にアルメルガーという名の敵将を、天才的な軍事指揮官として認めていた〈帝国〉軍上層部からは驚くほど反対が出なかった。
むしろ、叛徒の出自であるが故に自らの地位を絶対に脅かす事の無い、便利使いの出来る駒が手に入ると喜んでいた。
果たして、彼の願いは受け入れられた。
皇帝は自らの名の下で彼らの自治を許し(ただし、自治が許されたのは終戦時に〈帝国〉軍が占領していなかった地域に限定された、実に本来の領土の4分の1ほどであった)、アルメルガーには〈帝国〉軍の階級では大佐相当に当たる准将の称号を与えたのだった。
それから、現在に至るまで。彼が〈帝国〉に献上した国の数は片手では足りない。
昨日の不意打ちでの勝利は、既に敵にも知れ渡っているだろう。
となると、同じ手が二度通用するはずもない。
次からは、あのような戦果が期待できるはずもなかった。
つまり、次からは確実に数の差で負けている敵に対して、真っ当な防衛線をするしかない。
そこに来て、相手は将才誰劣る事無い亡国の英雄。
「まったく、楽しくなってきたな」
伝えられた情報を頭の中で処理していたヴィルハルトは、ぽつりと呟いた。
エルヴィンはそう呟いている上官の顔に、言葉通りの感情が浮かんでいる事を見逃さなかった。
続きは2日後。
何時くらいが一番良いんですかねぇ




