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眼前に広がる森から、規則正しく大地を踏みしめる音が響く。
足音を響かせながら森から現れたのは、緑色の軍装に身を包み、整然と隊列を組んだ千名ほどの〈帝国〉軍将兵であった。
「いやはや、何とも。立派なものじゃないか敵は」
望遠筒を片目に当て、森から現れた敵軍を見ていたヴィルハルト・シュルツ少佐は呆れたような、感心したような声を出した。
「流石は、〈帝国〉軍と言ったところだな」
どことなく楽しげな表情を浮かべて、傍らに居たヴェルナー曹長へと振り向く。
「かなりの練度です」
同様に〈帝国〉軍の行軍を観察していたヴェルナーは下士官の目から得た事実を口にした。額には薄っすらと汗が滲んでいる。
「しかし、馬はおらんようです」
「うん。第11旅団の布陣する本街道側へ優先的に回されているのか、それともやはり敵の兵站は、こちらの予想通りに整いきっていないのか……まぁ、どの道、この場所じゃあ騎兵は大して役に立たないからな」
ヴェルナーの言葉に応じつつ、ヴィルハルトは再び望遠筒を覗きこむ。
前進してくる〈帝国〉軍は、出会い頭に敵と接触しても即座に戦闘行動へ移ることの出来る横隊縦列の形をとっていた。
数多の戦争を戦い抜いてきた〈帝国〉軍が編み出し、今日の大陸世界の軍隊で常識となった隊列である。
その総本家である〈帝国〉軍の行進には、一部の隙すら見いだせない。
道が広くなるにつれて、横隊の幅が広がってゆく。
彼らの目指す先、ドライ川上流に架けられた小さな橋の手前へとヴィルハルトは視線を移した。
そこには、無数の板切れが地面から突き出している。
ヴィルハルトの口元に、笑みのようなものが浮かんだ。
「曹長、砲兵たちを抑えておけ。例え、先に敵が砲撃を開始しても俺の命令が無い限りは一発も撃たせるな」
「はっ」
命令を受け取ったヴェルナーは、丘を駆け下りていった。
さて。と、ヴィルハルトは改めて川を挟んで対峙する敵軍と、自軍の陣地を見比べた。
独立捜索第41大隊の、現在の編成と配置は以下のようになっている。
第1中隊(196名。指揮官、オスカー・ウェスト大尉)、予備として陣地後方に待機。
第2中隊(180名。指揮官、エルンスト・ユンカース中尉)、陣地正面右翼。
第3中隊(180名。指揮官、アレクシア・カロリング大尉)、陣地正面左翼。
大隊砲兵中隊(186名。指揮官、デーニッツ中尉)、陣地両翼の丘北側。
大隊本部には大隊長であるヴィルハルト以外、大隊最先任下士官のヴェルナー曹長と二名の伝令兵がいるのみであった。
兵站担当士官であるエルヴィン・ライカ中尉は陣地後方で、予備隊とともに各中隊からの補給要請に備えている。
やるだけの事はやったと、ヴィルハルトは思っている。
後方から伝えられた期日まではあと十日。
倍する敵を相手に、野戦築城でどこまで抵抗できるかは正直分からない。
だが、あの思い付きが上手く行けば、少しは楽になるはずだった。
戦闘を前にしたヴィルハルト・シュルツの心中は、不思議な平穏に満ちていた。
「全部隊、配置に付きました」
「よーし、よし」
前回の作戦から続いて、副官のように扱っている若い中尉からの報告を聞いたワシリー・スヴォ―ロフ大佐は実に満足げであった。
司令部から出撃の命令を受け取ってからというもの、彼は水を得た魚のようだった。
半日もかけずに部隊を再編し、その日の内に交易街ハンザから出発している。
「しかし、何ですかね? あれは」
彼らの目標である対岸に布陣している敵では無く、その前に広がる光景を指して、若い中尉が不思議そうに首を傾げた。
そこには、無数の板切れが地面に打ち立てられている。
墓標のようにも見えるそれは、彼らの行く手を遮るように、川に架かる橋に対して半円を描いて広がっていた。
「障害、拒馬のつもりかもしれん」
「ああ」
スヴォーロフの言葉に、中尉は納得したように手を叩いた。
「成程。連中、初戦では我が軍の騎兵に散々やられましたからね。よほど怖いんでしょう」
「俺たちが騎兵だったら、あれでも十分な意味があっただろうが」
スヴォーロフはむしろ、憐れむようであった。
「ええ」
中尉もまた、同じような表情で同意した。
確かに。彼らが騎兵部隊であれば、いくらかの効果は望めただろう。
まずもってあの障害を撤去しなけばならず、当然敵はそうさせまいと阻止砲撃を加える。
結果、騎兵の突進を掛ける前にいくらかの損害が発生する。それを狙っているのだろう。
だが、彼らは騎兵では無い。
猟兵であった。
〈帝国〉軍は、銃兵をその装備から鋭兵と猟兵という二つの区分に分けていた。
当然、戦場で果たすべき役割も異なる。
鋭兵とは、大陸世界一般で戦列歩兵と呼ばれる兵種と何ら変わる事は無い。
整然と隊列を組み、たとえ隣を行く戦友が撃ち殺されたとしても足並みを崩さずに敵へと肉薄し、戦友の亡骸とともに敵陣を踏み越えて行くのが彼らの仕事である。
対して猟兵とは、騎銃以外の装備を持たない軽歩兵を指す。
彼らは隊列を重視せず、軽装による機動力を生かして戦場を駆けまわり、敵陣の最も弱い部分を突いて、その隊列を崩させる事を主任務とする他、その腰の軽さから今回のような遊撃戦などでも優先的に駆り出される事が多かった。
当然、本来の銃兵たちと比べれば射程も火力も劣りはするが、足りない火力は後方からの重厚な砲撃で十分に補いがつく
そして何より、彼らは〈帝国〉軍であった。
その精強さは、他国の銃兵など及ぶべくもない。
騎兵ならば加速しきれない、鋭兵ならば隊列を乱さねばならない、板切れが立ち並ぶ地面であろうと、猟兵にとってみれば穴の開いた網と変わらない。
「この広さでは連隊全力は展開しきれない。第1大隊と連隊砲兵のみを前進させろ」
スヴォーロフの命令に中尉は頷くと、呆れたように呟いた。
「しかし、こちらの偵察隊を手際良く排除していると聞いていたのですが……あれは、何と言うか」
「まぁ、逃げ出さんだけマシだ」
答えたスヴォーロフの声には、失望しているような響きがあった。
彼らは敵の用意した障害物が、自分たちにとって有益であると気付いていた。
「突撃はまだするな。砲兵隊の布陣が完了するまで待たせろ。せっかく、敵が用意してくれた遮蔽物だ。彼らの努力に報いてやるとしよう」
「了解しました」
中尉は敬礼をすると、命令を伝えに各大隊長たちの下へと走っていった。
スヴォーロフは眼前に広がる遮蔽物の群れと、その先に布陣している敵陣を眺めた。
野戦築城か。あんなもので、何処まで抵抗できるつもりなのだろうかと思っていた。
この時代の軍隊、特に〈帝国〉軍は、野戦における陣地というものはあまり重要視されていなかった。
戦いとは開けた場所に大兵力を集めて行われるものであり、陣地とは最低限の安全を確保して、兵を休ませる為のものだと考えられていたからだった。
彼は自分に与えられた命令を思いだした。我軍の障害となる全てを殲滅せよ。
スヴォーロフはその命令を完全に、現実へと変えるつもりだった。
ただし、本命はあくまで、本街道に布陣している敵旅団であった。
こんな小さな橋を確保したところで、大勢に大した影響などない。
さっさと撃ち破り、西側に布陣する敵旅団の後方から襲い掛かり、殲滅する。
それで初めて、自分に与えられた命令を達成できると考えていた。
つまり、彼にとって目の前に布陣している大隊などは、最初から眼中になかったのだった。
緑装の〈帝国〉軍猟兵たちが板切れの合間を縫って前進してくる様を、ヴィルハルトは息をつめて観察していた。
その後ろから敵の砲兵隊まで前進してきたのは誤算であったが、願っても無い希望が叶ったようなものだった。
対岸で緑の前進が停止する。
やはり。敵は木材の乱立が終わる地点を突撃発起線に設定したようだ。
重い砲を引き摺る砲兵たちがその後を追う。
ヴィルハルトはちらりと後ろを振り返った。
こちらの砲兵は既に射撃準備を完成している。
伝令兵は走り出さんばかりの体勢で彼の命令を待っていた。
もう少し、もう少しだ。
ヴィルハルトは、自身も逸る気持ちを抑えつけながら待っていた。
〈帝国〉軍の砲口が仰角を取り始め、ぴたりと止まる。
射撃準備を完成させたようだった。
今だ。対峙する両軍の、指揮官たちの思考が重なった。
「よーし! 砲、放て!!」
スヴォーロフが殴りつけるように命令を発した。
傍らの喇叭手が思い切り息を吸い込むと、口金に唇を押し付ける。
大きく広げられた喇叭の口から、甲高い音が飛び出した。
「全砲門、撃ち方始め」
〈帝国〉軍指揮官とは対照的に、〈王国〉軍指揮官は静かにその時を告げていた。
大隊長の口から命令が発せられた事を聞き取った伝令兵が、弾かれたように駆けた。
丘の上から待機している砲兵たちへ向かい、緑の布を大きく振る。
その合図は導火線のように伝わり、〈帝国〉軍よりもはやく点火した。
ヴィルハルトの背後から腹部を圧迫する、質量を伴った轟音が連続した。
吐き出された十二の鉄の塊が大気を切り裂きながら自らの頭上を飛び越えて、対岸へと吸い込まれていくのが見えた。
そして。
瞬間。全ての音が消えた。
否、人の耳が許容する事の出来る音量を遥かに超えた爆音が、長閑な川辺を包み込んだのだった。
対岸に炎と爆風が巻き上がり、土砂と木片、そしてその上に居た者たちが宙に舞った。
もうもうと立ち上る爆発の余韻を、穏やかな西風が攫って行った後に残ったのは、抉られた地面と粉々になった木々の残骸、そして散らばった人間の四肢。
「……」
爆発とその効果を見届けたヴィルハルトは、放心しているような顔になっていた。
もちろん、砲撃や爆発の衝撃で精神を圧迫されたためでは無い。
彼は無言のまま、その必要が無いにも関わらず、ひっそりと指揮所に設けられている退避壕へと潜り込んだ。
「…………」
薄暗い壕内で、無言のままに腰を下ろす。
そして。
「く、くく、くふふ、ふふふふ……」
腹の底から込み上げてきたものが、喉から溢れ出した。
駄目だと、頭の片隅に残る冷静な部分が怒鳴っている。
笑ってはいけない。こんなところを、誰かに見られたら……。
分かっている。分かっているんだ。
彼は自らの心に反論した。
しかし。
「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……っ」
堪え切れなかった。
彼の喉からは引きつった笑いが漏れ続け、全身は震えていた。
楽しかった。
面白くて堪らなかった。
自分が望んだように敵が動き、自らが考えた策に嵌っていく様を見る事が、嬉しくて仕方が無かった。
敵の損害はどれくらいだろうか。
少なくとも一個大隊は、まともに動けないはずだ。
会敵から僅かな時間で、敵は一個大隊を喪失。
こちらの損害は皆無。信じられない戦果だった。
震える身体を抱きしめるようにして、溢れる笑いを無理矢理抑えようと努力した。
ヒっと嗚咽のような音が、引きつった喉から出た。
暗い壕の中に、魔女が啜り泣くような笑い声が反響している。
ヴィルハルトはしばらくの間、そうして笑い続けていた。




