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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第五幕 〈王国〉軍冬季大攻勢

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203/203

勝利の代価 9

 グリーゼの北にある小山を超えた先は小さな湾になっており、その縁に沿って三日月状の砂浜が広がっている。夏季であれば海水浴を目的とした人々で賑わう保養地であるが、冬になれば地元の者でさえ滅多に訪れない。当然といえば当然で、極寒の潮風が吹き荒ぶ中、降り積もった雪が波飛沫を浴びておろし金のように凍りついた砂浜を散歩したいとは誰も思わないからだ。

 しかし、それも例年ならば、の話である。

 現在、海を越えて上陸した〈帝国〉軍によって占拠された砂浜は軍靴によって凍りつく暇もなく踏み荒らされ、ぬかるんでいた。浜には物資を満載した木箱が積まれ、その周囲で荷物番の兵や、歩哨に立つ兵たちが吹き寄せる寒風に身を震わせている。ちらほらと火も焚かれているが、いずれも小さく暖がとれるほどではない。海からの風と湿った砂のせいで火が育たないのだろう。それでもつま先を融かすくらいはできるらしく、燻る火の周囲に兵らは群がっている。

 湾の中ほどには大型の帆船が七隻停泊していた。整備された港湾ではないため、接岸できないからだろう。波打ち際には、人員の輸送と荷下ろしのために使われたのだと思しき運荷艇が並んでいた。船首を浜へ向けて停泊している各帆船からは、陸地に向かって縄が張られており、土中深くに打ち込まれた杭に縛り付けられている。これは船が沖に流されるのを防ぐためだけではなく、運荷艇に乗った者たちがそれを手繰ることで船と陸地を簡便に行き来するための工夫であるようだった。


 帆船と陸地の間で、数艘かの運荷艇が揺れている。見れば、乗っている兵の手には釣り竿が握られていた。よほど食糧に窮しているらしい。停泊している帆船の両舷からも無数の釣り糸が垂れていた。実際、浜に並んでいる木箱の数は船団の規模からみれば決して多くはない。そのほとんどが武器弾薬などの戦闘用物資だとすれば、燃料や食糧が不足するのも当然だった。

 凍える〈帝国〉兵たちが侘しい食事事情を僅かでも改善しようと涙ぐましい努力を払っている様は、確かに憐れみを覚えはする。けれど、悲惨というほどでは無かった。

 少なくとも、この時点では。

 彼らの運命が急転したのは、静かな真冬の海岸に擲弾砲の発射音が響き渡った時だった。凍てついた大気を斬り裂きながら、灰色の空から飛来した火薬を満載した鉄の塊が停泊中の船団の周囲に水柱を打ち立てる。着弾によって生じた波に煽られて、何艘かの運荷艇が転覆した。帆船からも数人の兵らが極寒の海中へと投げ出される。彼らの多くは落水と同時に心臓を停止させた。辛うじて即死を免れた者もいたが、突然の砲撃に陸も船上も混乱しているのだろう。誰も彼らを引き上げてやるような余裕はないらしく、荒れる波にもみくちゃにされて溺れるか。或いは海水に体温を奪われ尽くして沈んでいった。海中を漂う肉塊となった彼らは、哀れにも自分たちが 糧にしようとしていた魚たちの栄養事情を大いに改善させることとなった。


 二度目の砲撃と同時に、山と海岸を隔てている木立の中から薄汚れた白布を纏った集団が浜へと雪崩れ込んだ。その正体は言うまでもなく、擲弾戦闘団の将兵たちである。グリーゼと海岸の間にある小山の木々の隙間から、ずっと浜の様子を窺っていたのだった。亡霊のような出で立ちの彼らの出現に、未だ砲撃の衝撃からも立ち直れていない(帝国)兵たちは恐慌状態に陥った。自分が何に巻き込まれているのかを理解する前に銃を突き付けられ、抵抗らしいこともできぬまま拘束された者はむしろ幸運だったかもしれない。何故なら、恐怖に駆られ闇雲に発砲する者や、近づく戦闘団将兵に向かい銃剣を付けた小銃を振り回す者は即座に射殺されたし。中には逃走を図って自ら海へ飛び込み凍死した者もいたからだ。


 速やかに浜を制圧した擲弾戦闘団の強襲部隊は波打ち際に沿って展開すると、船団を威嚇するように射撃体勢を整えた。

「クロイツ大尉、浜は完全に制圧しました」

「おーう」

 報告にやってきた軍曹へ軽く手を挙げて応じながら、テオドール・クロイツはのそのそとした足取りで砂浜へと踏み込んだ。波打ち際で待機している部隊の下へ向かう途中、並んでいる木箱の多くが無傷であることににんまりとする。

「よしよし、良いぞ。少しばかり砲弾を奢り過ぎかと思ったが、これだけあれば釣りがくる。ま、開けてみるまで何が入っているかは分からんが」

 嬉しそうに揉み手をしている上官に、彼を呼びに来た軍曹はやや冷めた顔を作る。そんな彼をテオドールは睨みつけた。

「何だ、軍曹。何かあるか」

「はい。いいえ、何もありません」

「ふん。どうせ俺が商売人臭いとでも思っとるんだろう」

 軍隊の型にはまった返しをする軍曹に、テオドールは憤然と鼻を鳴らす。

「あのな。お前らは分からんかもしれんが、戦争をするにはそりゃあ金がかかるんだぞ。お前らが戦場でばかすか撃ちまくる銃弾が一発、幾らするか知っているか?」

「はぁ。いえ」

「だろう。いいか。戦いには勝敗と同様、損得ってもんがある。勝って損することもあれば、負けて得することだってあるわけだ。我らが連隊長殿はそこらのぼんくらどもよりは、その手の計算もできる方だがな。だからこれまで、お前らは銃弾に困らずに済んだわけだ。しかしながら、やることなすこと派手過ぎる。この先、レーヴェンザールのような大戦おおいくさを何度もするとなれば、軍の資金なんぞあっという間に底をついちまう。だからな、要塞を吹き飛ばすような派手な戦がしたけりゃ、その分、大いに儲ける必要があるわけだ」

「なるほど」

 本当にそうなのだろうか、という疑問を胸の奥にしまい込んで軍曹は頷いた。正直、商売の話など彼には分からない。しかし、撃てる銃弾は多ければ多いほど良いということだけは確かだ。

「さぁて、それでは。大いに儲けるとしようじゃないか」

 軍曹への講釈を終えたところで、テオドールは両手をぱんと打ち合わせた。表情が商売人の顔から、軍人のそれへと変わる。視線の先で、三度目の砲撃によって生じた水柱がゆっくりと短くなってゆく。敵船は可能な限り拿捕。撃沈は最後の手段だと、砲兵たちには言い聞かせてあるため、今のところ沈んだ船はない。それでも、効果は十分だろう。そもそも大型の帆船というのはそう簡単に動かせるような代物ではない。帆を張り、錨を引き上げるといった出船準備だけでも数十人の人手を必要とするのだ。停泊しているところへ砲で照準を付けられた時点で、彼らにできる選択は二つ。即ち、素直に降伏して船を明け渡すか。最後まで抵抗して、船と命運を共にするかである。


「軍曹、敵船に降伏を呼びかけろ」

 砲撃が止んだところで、テオドールはそう命じた。

「はっ」

 軍曹が命令を実行するため、駆け出そうとした時だった。

「敵船に動きあり!」

 射撃体勢をとっている兵の一人からの報告だった。見れば、確かに敵船が一隻、動きだしている。予想よりも早い。どうやら、錨を繋ぐ策を切ったらしい。同様に、陸との間に張られていた縄も切ったようだ。後に続こうと思ったのだろうか。隣に停泊していたもう一隻も動き出す。テオドールは思わず、舌打ちをした。何故なら、それは彼が思うところの賢明さとは対極の発想だったからだ。

 可能な限り拿捕。撃沈は最終手というヴィルハルトからの命令には続きがあった。決して、一隻も取り逃すなというものである。砲兵たちはその命令に忠実に従った。すぐさま、初めに動き出した帆船に擲弾の雨が降り注いだ。油でも積んでいたのだろうか。砲弾が船上で炸裂したかと思えば、ぱっと明るくなり、次の瞬間には甲板が火の海になっていた。消え入りそうなか細い悲鳴とともに、船から小さな火の玉が海に落ちてゆく。続いて動き出した一隻にも容赦なく砲撃が加えられた。炎上こそしなかったものの、喫水に直撃弾を受け、見る間もなく海に沈んで行く。

 これが決定打となったのか。敵船の中で一つの動きがあった。船首から長い棒のようなものが伸びる。その先端には白い布が括りつけられていた。一隻、また一隻とそれに続く。全船が白旗を挙げるのに、それほど時間はかからなかった。


 結局、この敵船団強襲作戦で第一擲弾戦闘団は全七隻の〈帝国〉軍大型帆船の内、二隻を撃沈。五隻を拿捕。将校を含む七十八名の敵を捕虜とした。これは第一擲弾戦闘団発足以来初の戦果であり、そしてまた今回の戦争において〈王国〉軍が挙げた戦果としては(敵に与えた損害の大きさではなく、獲得したものの価値の高さという意味で)最大のものの一つとなった。

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― 新着の感想 ―
待ってました。テオドール初選果?ですかね? ふとしたきっかけで仲間がゴロゴロと脱落していく名作ですが、テオドールにはらしさをこれからも発揮していってほしいものです。
投稿ありがとうございます。楽しく読ませて頂いています。 帝国は補給に関しては足りないところが多いんですかね?最初の話の方に現地調達を基本としていると書かれていましたし、今回のも釣りしてますし、木箱の…
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