勝利の代価 7
「ぬっ!?」
コワスニコフが驚きの唸りを漏らす。ヴィルハルトも同じ気分だった。何故、自分がまだ生きているのか分からない。ただ、高速で迫りつつあった死が、さらに高速な何かによって弾かれたらしいということは分かる。そんな魔術染みたことをやってのけたのは果たして。
ヴィルハルトの前に影が立ちあがった。いや、それは黒い修道服を着た男の背中だった。ヴィルハルトの知る限り、ここでそんな恰好をしている人間は一人しかいない。
バロウズだった。ヴィルハルトを庇うように敵将の前に立ちふさがった彼は、敵将に対して正中線を隠すよう半身に構えた。左手を例の奇妙に刀身の反りかえった剣の柄に添え、右手は遊ばせている。
「遅れて申し訳ありません。中佐殿」
敵から視線を外すことなく、バロウズが背中越しに詫びる。その声音は相も変わらず穏やかだが、僅かに息が上がっていた。どうやら、先ほどの自分を呼ぶ声は彼のものだったらしいとヴィルハルトは気付いた。
「間に合って良かった。オステルマン大尉のおかげですね」
傍らに倒れ伏すオステルマンの遺体にそっと目を落とし、バロウズは短い祈りの聖句を口の中で紡ぐ。
「貴様、何者だ」
そこへ、コワスニコフの突き刺すような声が響いた。
「その服、教会の神父か? 何故、聖職者がこんな場所にいる」
「ああ、これは失礼。お初にお目にかかります。私はセドリック・バロウズ。ご明察の通り、拝天教会の信徒であります。諸般の事情から、こちらのシュルツ中佐が指揮されている部隊に従軍司祭として帯同させていただいている者です」
臨戦態勢の敵将に臆することなく、バロウズは右手を左の胸に当てると軽く頭を下げた。聖職者としての正式な作法であり、軍人であれば敬礼にあたる礼の所作である。
「従軍司祭? 何だそれは」
小骨を吐きだすような声でコワスニコフは応じた。
「何故、神父が従軍などする必要がある」
敵将の疑問はもっともだとヴィルハルトも思った。
「必要かどうかはともかく。それなりに需要はあるかと」
よろしければ、貴方の部下の冥福も祈らせていただけますか。と、丁寧な態度でバロウズが申し出る。コワスニコフは渋面を作ってこれを断った。こんな得体のしれない男に祈られなどしたら、部下の魂が冥途に迷うと思ったのかもしれない。バロウズはそうですか、と残念そうに応じ、それからさっぱり表情を切り替えた。
「まあ、従軍司祭というのは単なる方便です。実際は、シュルツ中佐殿の身辺警護を仰せつかっておりまして」
「聖職者が軍人の身辺警護?」
「はい。教義の如く、お守りせよと」
どこまで本気なのか分からないバロウズに、コワスニコフは若干、気圧されているようだった。目の前にいる存在がどういうもので、何を目的としているのか。見当がつかないのだろう。それはそうだ。なにせ、ヴィルハルトをしてそうなのだから。しかし、どうやらヴィルハルトを守るという言葉だけは真実のようだった。でなければ、ここで割り込んでくるような真似ができるわけがない。
「なので、剣を収めて頂けると助かります。私も無益な殺生はしたくありませんので」
「儂も聖職者を斬る趣味はない」
穏やかでありながらも大胆不敵な物言いのバロウズに対し、コワスニコフは苦い表情を浮べた。敵軍の将兵であればともかく、聖職者を殺すことには躊躇いがあるようだった。
「だが。退かぬとあらば、致し方ない。すまんが、儂は相手が誰であれ、手心を加えられるような器用な男ではないぞ」
何処か自分に言い聞かせるように言って、彼は両の手で握った軍剣を肩に担ぐようにして構えた。目が据わっている。本気で、バロウズを斬り殺すつもりなのだろう。一撃を以って敵を防御ごと粉砕することに重きをおいた、〈帝国〉流撃剣術。その威力は先ほど、目の当たりにしたばかりだ。
「バロウズ君」
ヴィルハルトはため息を吐くように彼の背中へ声をかけた。余計なことをするなと言うつもりだった。いくら剣の腕に自信があろうとも、彼は所詮、聖職者だ。片や相手は正規の剣法を習得し、それを歴戦で磨き上げてきた歴戦の猛将。それも、ヴィルハルトがこれまでの戦場で相まみえた誰よりも腕の立つ剣士だ。ここが稽古場であるのならともかく、殺し合いではどちらに分があるかは明白だった。どうしてそこまでして自分を守ろうとするのか。皆目見当もつかない。それに、ヴィルハルトは部下の命については責任を負えても、敵か味方かすら定かではない相手の命など負いたくもなかった。
しかし。
「ご安心を。中佐殿にはもう傷一つ負わせはしません」
バロウズが横顔だけを振り向かせて言った。その口元には微笑みさえ浮かんでいる。ヴィルハルトは黙るより他に無かった。もはや自信のあるなしではなく、正気を疑った方が良いのかもしれないと思った。もっとも、聖職者の正気など疑うまでもないが。
説得を諦めたヴィルハルトの前で、バロウズとコワスニコフが対峙する。
「抜け」
油断なく剣を構えたまま、コワスニコフが鋭く言った。
「こちらから抜くわけにはいきません」
やんわりとした声でバロウズが応じた。
「貴様、儂を侮辱するか。剣も構えていない相手に斬りかかるような、卑怯な男だと」
コワスニコフが獣のように唸る。その怒気をまともに浴びたというのに、バロウズにはまるで気圧された様子がない。
「そんなつもりは全く。単に流派の違いです。閣下は〈帝国〉流撃剣術の使い手とお見受けします。こちらの流派名をお教えすることはできないのですが、ともかく。これが私の流派の構えなのです」
「ほう……」
彼の返答に、コワスニコフは目を細めた。
「抜かせてみせろ、というわけか」
こめかみに青筋を浮べて、コワスニコフが笑う。剣を握る手がギリギリと音を立てた。ヴィルハルトには、敵将の二の腕が倍にも膨れ上がったように思えた。コワスニコフがじりじりとバロウズににじり寄る。しかし、バロウズは動かない。コワスニコフも動きを止めた。間合いに入ったのだろう。睨み合う両者をどこか冷めた目で眺めながら、ヴィルハルトはそっと腰に差した短銃へと手を伸ばした。バロウズが斬り殺されたら、間髪入れずに抜くつもりだった。コワスニコフの腕前からすれば、それでも良くて相打ちかもしれないが。
向かい合う両社は微動だにしない。まるで、そこだけ世界から切り離されてしまったかのように。二人の間にある空間だけ時間が止まっているようだった。
実際は、一呼吸分の永遠を経て、コワスニコフが仕掛けた。魔人の咆哮のような掛け声とともに、重く、肉厚の刀身が山すらも両断するような勢いで振り下ろされる。次の瞬間。コワスニコフとバロウズの間に閃光が二度、煌いた。一度目の閃光は剣を握るコワスニコフの両手首を切断した。そして、その傷口から血が噴き出すよりも早く、二度目の閃光がコワスニコフの首を刎ねる。その閃光がバロウズの振るった剣の軌跡だったのだとヴィルハルトが理解した頃には、既にコワスニコフは斃れ、バロウズの剣は鞘に収まっていた。余りにも呆気の無い決着だった。
「言ったでしょう。これでも結構、使える方だと」
振り返ったバロウズが、ヴィルハルトに微笑みかける。そこでようやく、ヴィルハルトは自分が馬鹿面を晒していることに気付いた。
「ああ。どうやら、そのようだ」
抜きかけた短銃から手を離し、周囲に目をやる。指揮官が討ち取られたことを知った〈帝国〉軍の幹部たちは唖然としていた。一対一の戦いで、コワスニコフが破られるなど夢想だにしていなかったのだろう。だが、流石は歴戦の〈帝国〉軍将校というべきか。彼らはすぐに現実を受け入れた。
そして、その後に彼らがとった行動は、まさに〈帝国〉軍船舶部隊将校らしいといえるだろう。つまりは、戦闘を再開させたのだった。殺された上官の弔い合戦のつもりなのか。それとも単に、好敵手との戦いで死ぬを事を望んだのか。彼らの多くはバロウズにその切先を向けた。だが、コワスニコフが討ち取られた際、僅かに見せた隙は致命的であった。この間に態勢を立て直し、逆襲の準備を整えていた戦闘団の兵らに阻まれ、バロウズの下へ辿り着けた者はいなかった。個人の技量に秀でる敵に対し、戦闘団の将兵は徹底した集団戦術を以ってあたった。そう言葉にすれば立派に聞こえるかもしれない。たとえ、その実際が一人を数人で取り囲み、一斉に銃剣で突くというものであったとしても。そして、それが卑怯だと誹るような正気を残している者など、一人も残っていなかった。
いつも投降遅れてすみません。
せっかく感想を頂いているのに、返信できなくてすみません。感想は全部読んでます。寝る前に読みながらニヤニヤしてたりします。気持ち悪くてすみません。
頑張って生きてます。生きてる限り、書こうと思ってます。これからもよろしくお願いします。
ウス。