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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第一幕 河川陣地防御戦

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 独立捜索第41大隊が防衛を命じられたドライ川東渡河点の全景を見下ろす事の出来る丘の上に立ったヴィルハルト・シュルツ少佐は、眼下に完成した野戦防御陣地を眺めていた。

 陣地の両翼にある丘の内、より標高の高い、左翼にあたるこの丘に、ヴィルハルトは指揮所を設けていた。

 この場所は同時に、南からやってくる敵に対して、直接観測を受けぬよう丘の北側に砲座を据えた四門の野戦砲の為の観測点でもあった。

 右翼側の丘の裏手にも、同様に四門の野戦砲を配置している。

 前衛となるのは、川縁から20ヤードほどの距離に掘られている二本の塹壕だった。

 橋を渡河してきた敵兵に対して味方の射線が交差するよう、幅の広い八の字を描いている左右の陣地、その中央部は繋がっていない。

 万一に、敵に突破された場合でも、敵の進撃経路を指定し、後方で待ち構える予備隊の下へと誘導する為であった。

 ヴィルハルトはこの陣地を、急場しのぎにしては良く出来ていると満足していた。

 すでに、交易街ハンザからこちらへ向けて連隊規模の〈帝国〉軍部隊が行動を開始したとの情報が齎されている。

 西側の本街道へと布陣している、シュトライヒ少将の独立銃兵第11旅団からの報告であった。

 同時に後方からは友軍の展開完了までの期間が伝えられた。

 彼らが稼ぐべき日数は、本日より12日。

 五ノ月、七日の夕刻までであった。


 ともかく、これからが祖国防衛戦争、その開幕という訳だ。

 ヴィルハルトは内心でそう呟いた。

 陽が落ち始めた春の平原には、涼やかな風が吹いていた。

 ヴィルハルトは懐から、残り数本にまで減ってしまった紙巻を取り出し、火を点けた。

 緩やかな風が紫煙を攫ってゆく中、ゆっくりと香りと味を楽しみながら、時間を掛けて一本を灰にする。

 詰められている煙草の葉は安物ではあるにも関わらず、思いのほか贅沢な気分になった。

 ヴィルハルトの頭にふと、何故自分はこんな事をしているのだろうかという疑問が浮かぶ。

 自殺する前の、心境整理みたいなものか。

 或いはそうかもしれない。

 戦闘を避ける事が出来ない以上、誰も彼もが生きて帰れる保証など無いから。

 そう考えると、気分が沈んだ。

 俺は良い。

 俺は将校で、自ら望んで軍に入った事になっているのだから。

 しかし。

 ヴィルハルトは再び、丘の下へと視線を落とす。

 そこでは多くの兵士たちが、未だ忙しげに動き回っていた。

 彼らを戦闘へと駆り立てる事について想い至るたびに、ヴィルハルトの中には罪悪感のようなものが渦巻くのだった。

 彼は戦争という、国家ぐるみの殺人合戦における最大の被害者は兵士たちであると結論付けていた。

 彼らは国民として、国家と言う不確かな実態しか無いものが押し付けた義務などと呼ばれる、下らない責任の為に、強制的に兵役を追わされているからだった。

 二日前に、自らが手にかけた若い〈帝国〉兵の亡骸が脳裏に浮かんだ。

 恐らく、あの少年もまた同様であろうと想像した。

 焦燥に近い感情が、彼の胸を焼く。

 ヴィルハルトは自らの命に対して、価値を見出してはいなかった。

 17年前に自分が生き残ったのは、たまたまだという確信があったからであった。

 しかし、己以外の命に関してはまったく別の見解を示していた。

 往々にして、自身の生命を粗末に扱う者は、他人の人生も軽んじる事が多いのだが、彼に関して言えば、全くそうでは無かった。

 全ての理由は、他者への博愛、無私による自己犠牲を究極の規範とする教会で育った五年間にあった。

 気付けば、いつの間にか新しい紙巻に火を点けていた。

 慌てて懐を確認する。残り、三本しかなかった。

 溜息を吐く。

 これからは大事に吸わなければ。


「諸君。今朝、後方より我々がこの陣地で稼ぐべき日数が伝えられた。12日間だ。同時に、連隊規模の〈帝国〉軍部隊がこちらへ向けて行動中との情報も届いている」

 大隊本部の天幕へと集まった将校たちを前に、ヴィルハルトは常と変わらず詰まらなそうな、或いはこの世の全てを呪うかのような表情で口を開いた。

 発言の内容を全員が理解したか確かめるように、その顔を見回す。

 オスカー・ウェスト大尉は不機嫌そうであった。つまり、いつも通りの顔だった。

 アレクシア・カロリング大尉は美麗な顔立ちに決意を滲ませている。

 彼女の指揮する第3中隊は、警戒線に最低限の人員のみを残して陣地へと戻らせていた。

 こちらへ向かっている敵の目的が、明らかに戦闘を目的としているのだから、迎え撃つには大隊の全力が集結している必要があるからだった。

 エルヴィン・ライカ中尉はと言えば、鼻歌でも歌い出しそうなほど呑気な表情をしている。

 普段と変わらぬ態度の者は、彼らだけだった。

 他の七名いる大隊の将校たちの顔は様々であった。

 途方に暮れている者、不安げな者、挑むような顔つきの者、忘れている何かを必死に思い出そうとしているような顔の者。

「つまり、我々はこれから12日間の間、ここで少なくとも連隊規模の敵を相手取らなければならない」

 その場に居た者たちが、思い思いの唸りを漏らした。

「こっちは一個大隊、あっちは連隊ですか。まともにぶつかれば、一刻待たずに全員討ち死にですね」

 誰もが現実に対して真剣に頭を悩ませている中で、エルヴィンが茶化すような声を出した。

「その為の野戦築城だ。あの工兵ども、応急にしては良い仕事をしていった。陣地に大隊全力で籠れば、連隊が相手だろうと十分に耐え凌ぐ事は可能だ」

 ウェストが叱るような口調で言った後、ヴィルハルトへと顔を向けた。

 短く尋ねる。

「敵の到着予定時刻は?」

「明後日の昼頃には、最初の銃声が響いていると思う」

 簡単な算術の問題に答えるような表情でヴィルハルトが答えた。

「配置を発令する。第2中隊、右翼防御線。第3中隊は左翼。第1中隊は予備として後方で待機。なお、ライカ中尉には兵站担当士官としての任務に専念してもらう為、第2中隊長から解任する。後任は新たに当大隊へと赴任してきたユンカース中尉だ。中尉、何かあるか?」

 ヴィルハルトが名指しした、エルンスト・ユンカース中尉は〈帝国〉軍の奇襲により壊滅した独立銃兵第12旅団の生き残りである。

 常に何かに思い悩んでいるような顔つきの、あまり感情を見せない人物だった。

「率いて来た兵をそのまま指揮して良いのならば、特には」

 ユンカースはそう、短く答えた。

 大隊は彼の連れて来た銃兵中隊を受け入れた事により、正規編成と何ら変わる事の無い戦力を得ていた。

 ヴィルハルトは彼の率いて来た一個中隊の人員をほとんど入れ替えなかった。

 代わりに、元々の第2中隊を解体して各中隊へと人員を振り分けた。

 その方が良いと判断したからだった。

「ありがとう、中尉」

 ユンカースの言葉に頷いたヴィルハルトは、エルヴィンへと顔を向ける。

 説明しろと、顎をしゃくった。

「正面陣地には、守備隊司令部からかっぱら……融通して頂いた平射砲を三門ずつ配備させています。使用に関しては各中隊長のご判断にお任せします。それから、これは砲兵中隊も同様ですが、予備の弾薬に関してはあまり気にされなくて結構です」

 エルヴィンがそう言うと、砲兵中隊長であるデーニッツ中尉が嬉しそうに歯を剥きだした。

「相変わらず、君の手回しには抜けが無いな」

 アレクシアは呆れたような声を出した。

「ともかく、準備は整えた」

 無駄話をするなと、彼女を睨みつけた後でヴィルハルトは再び、彼らを見回した。

「作戦も練った。が、俺の考えを説明する前に、諸君からも意見を募りたい」

 その言葉に、場の全員が訝しむような顔をした。

 彼らを無視して、ヴィルハルトは続ける。

「ここでの戦いは所詮、時間稼ぎ以上の意味を持たない。つまり、我々がどれほど努力したところで、この戦争を終わらせる事が出来る訳では無い」

「むしろ、方面軍主力と合流した後が本番でしょうね」

 ヴィルハルトの言葉を継いだのは、ユンカースだった。

 深く案じる顔つきになっている。

「特に我々は、12日間の徹底抗戦の後に主力と合流すれば、休む間も無い」

 彼の言った事に、ヴィルハルトは深く頷いた。

「そうだ。だからこそ、出来る限りの苦労はしたくない」

 ヴィルハルトの発言に、一同の肩から一斉に力が抜けた。

「誰か、そんな戦い方を思いついた者は居ないか。特に、俺が楽できるような」

「随分な将軍ぶりだな」

 嫌そうな顔を浮かべた、ウェストが吐き捨てるように言った。

「そうでもないだろう。俺が楽できるという事は、ひいては君たちも、何より兵はもっと楽できるという事だ」

「虫のいい話ですね」

 エルヴィンが言った。

 ヴィルハルトはにべも無かった。

「俺は案が無いかと聞いたのだ。君の感想を聞きたかったわけでは無い」

 憤然として居並ぶ者の顔を睨みつける。

 アレクシアが顎に手を当てて考え込んでいた。

「カロリング大尉、何か意見があるか」

 ヴィルハルトの声には、何処か縋るような響きがあった。

 呼びかけられたアレクシアは背筋を伸ばした。

「いえ。ここまで入念な陣地構築をした後では……残るは、地形の徹底活用くらいでしょうか」

 彼女は端正な顔立ちを苦しげに歪ませて答えた。

 自分の口にしている内容が、大して意味のあるものでは無い事を自覚しているからだった。

 彼女の自己嫌悪に付き合っている暇はないと、ヴィルハルトはウェストへと向いた。

 何かを期待するように、彼を見つめる。

 しかし、ウェストはむっつりと腕組みをしたまま瞑目している。

 他の者たちも同様に、何の意見も無いようだった。

 ヴィルハルトの顔に一瞬、絶望がよぎった。

 すぐに表情が戻る。

「……では、大隊長の構想を説明する」

 ふっと息をついて、顔を上げた彼の顔には新しい悪戯を思いついた少年のような笑みが浮かんでいた。

 話が終わるころには、誰もが呆れたような顔になっていた。

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