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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
序幕 〈帝国〉軍襲来
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2

「大隊監督官殿」

 ヴェルナー曹長が、ヴィルハルトの下へ装具点検終了を報せにやって来た。

 彼は独立捜索第41大隊の最先任下士官だった。

「ご苦労」

 ヴィルハルトは頷き、丘の下で整列している兵たちの前へ進み出る。

「よろしい。諸君。演習ご苦労だった。兵舎に戻ったら当直の者以外は自由にしてよろしい」

「大隊監督官殿に敬礼!!」

 ヴィルハルトの短い労いの言葉が終わると同時、ヴェルナーが裂帛の号令を掛ける。

 一糸乱れぬ動きで敬礼の動作をした兵に、ヴィルハルトはさっと敬礼を返す。

「それでは、兵舎まで全員駆け足!」

 今回の演習で、およそ二晩に渡り森の中を駆け巡らされた兵士が、悲鳴を噛み殺しながら駆け出した。

 ヴィルハルトは歩調を取って駆けてゆく兵士たちの後ろ姿を暫く眺め、それから自分も駆け出す。

 全員駆け足と言う命令の中の、“全員”の部分には自分も含まれていると考えている彼にとっては当然の行動だったが、後ろから追ってくる(ように見えた)大隊監督官に気付いた兵士たちは、今度こそ悲鳴をあげて足を速めた。

 普段は他の将校、特に貴族出の将校と比べれば遥かに、兵士に対して優しいと言ってもいい気安さで接してくる自分たちの隊長が、いざ訓練や演習となれば悪魔もかくやと言うほどに厳しい一面を持つ人物である事を彼らは心の底から知っていたからだった。


 急に足を速めた兵士たちを見て、どうしたのだろうかと思っているヴィルハルトに一人の中尉が近づいてきた。

「先輩、先輩。もう少しゆっくり走ってやってください。兵が可哀想です」

「兵の前では言葉を選べと言ったはずだが、ライカ中尉」

「二日間、散々虐められたんだから兵は誰も近づいてきやしませんよ」

 エルヴィン・ライカという名の若い中尉は、ヴィルハルトの言葉に悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。

 幾らこの二人が士官学校で先輩後輩の仲であったとはいえ、任官後の、それも上官に対する態度としては褒められたものでは無いのだが彼の年の割に幼く見える顔立ちとほっそりとした体躯に、生まれつき備えられた愛嬌という天賦の才が加わったお陰で、ヴィルハルトも厳しく責める気を失くしていた。

 もっとも、兵士の前ではきちんとした将校らしい態度を保っている限り、ヴィルハルトは例え将校でも、部下の態度に対してあまりうるさく言わない上官でもあったのだが。

「兵が可哀想とは何のことだ?」

 士官学校で妙に懐かれてから、こんな軍の末端も末端の実験部隊に自ら志願してくっ付いてきた後輩に、ヴィルハルトは単純な疑問をぶつける。

 言われた方は、何とも言えない微妙な表情をした後で、呆れたような溜息を吐いた。

「二日も森の中を這いずり回らせた兵を今まさに鞭打っているくせに、何を言ってるんですか」

 それを言うなら自分も同様だったはずだが、エルヴィンは他人事のような口調で言った。

「は?」

「あのですね、先輩。連中、先輩が後ろから追っかけてくるから、逃げてるんですよ。新兵訓練の頃よろしく、追い付かれたら殺されるとでも思ってるんじゃないですかね」

「兵舎までは全員駆け足と伝えたはずだが」

「だとしても、後ろっから大隊長が走ってきたらそう思っても仕方ないでしょう」

「俺は大隊監督官だ」

 ヴィルハルトはさりげなく訂正したが、エルヴィンは無視して言葉を続けた。

「まぁ、少尉連中が特に気張ってますから、先輩に追っかけられなくても大した違いはありませんが。今回の演習でも、みんな、随分と必死でしたよ」

 眉ひとつ動かさずに聞いているヴィルハルトを見て、エルヴィンはクスリと微笑みを浮かべた。

「アイツら、ズタボロにされて大隊うちから放り出される同僚を見てますからね。ああはなりたくないって気持ちと、自分はまだ残っているっていう自負みたいなのがあるんでしょう」

「やる気があって結構」

 ヴィルハルトはぞんざいに応じた。


 ヴィルハルトが提案した隊列を組まずに戦場を駆け巡り、小部隊同士が密接な連携を保ちつつ機動するという戦術を実現する為には、兵士の高い練度と士気は当然の事ながら、何よりも彼らを直接指揮する小隊長や中隊長と言った下級将校たちの高い自立性と的確な判断力、そして何があろうと動じない精神力が必須であった。

 もちろん、それらは将校として当然求められる資質ではあるが、ヴィルハルトは軍の水準を遥かに超える高さを彼らに要求した。

 それらを育成する為の手段は残酷だった。

 ヴィルハルトは、兵士たちからは優しい上官との評価を受けている。

 しかし、将校たちから見れば冷酷無慈悲と言う言葉でも表しきれないほど厳しい上官でもあった。

 将校たちは、まるで一寸の狂いもない精密な刻時計であるかのように望まれ、ヴィルハルトが要求した能力を示せない者は容赦なく大隊から放り出された。

 結果、大隊編成時に配属された約30名の将校の内、現在でも残っているのは僅か4名しか居なかった。

 時々、司令部にその存在を思い出されでもしたかのように新たな将校が補充されて来ては、その多くが苛烈な教育方針に付いて行けず脱落するか、能力不足を叩きつけられて放り出されるばかりである。

 現在の第41大隊に居る将校の人数は、まるで激戦を切り抜けてきた後のような少なさだった。


「中には軍を辞めたヤツも居るって話、知ってますか、先輩」

 そう世間話をするかのような口調で話しているエルヴィンは、ヴィルハルトの厳格な選考基準を切り抜けて第2中隊長を任されている。

 大隊編成当初より居る4人の将校の一人だった。

 柔そうな見かけに反して、いざとなれば驚くほど大胆な指揮を執る上に、王都でも中堅に位置する商会の次男坊という出自からか、兵站を任せておけば面倒の無い将校だった。

「今、大隊に居る将校はたったの11人だけ。流石にそろそろ、将校に対する選考基準をちょっとばかり緩めてもいいんじゃ……」

「馬鹿者。この程度の事がこなせなくて何が将校だ」

 並走している二人の後ろから不機嫌そうな声がして、エルヴィンの言葉を遮った。

 ヴィルハルトとエルヴィンは声の主をちらりと振り向き、何とも言えない表情で目を合わせる。

 いつの間にか二人の追い付いてきて居たのは、声と同じく不機嫌そうな顔をした大尉だった。

 厳めしく眉間にしわを寄せたその顔はよく言えば威厳のある、有体に言えば老けて見えた。

「シュルツ、今回は一人だ」

 不機嫌そうな彼、オスカー・ウェスト大尉はヴィルハルトを呼んでそう言った。

 口調は何故か喧嘩腰だった。

「誰だ」

 その態度をあえて気にしないようにしながら、ヴィルハルトは尋ねた。

 ウェストとは士官学校の同期であり、大隊編成時にヴィルハルトが唯一推薦した人物であった。

「この前、大隊に来たばかりの、アルホフとかいう中尉だ」

「何をした」

「森の中で、事もあろうに小隊軍曹の意見を無視して道に迷った挙句、集結時刻に遅れた」

「切れ」

 ヴィルハルトの返事は、“殺せ”の響きに近かった。

「もちろん、下士官と言う存在の有り難さを嫌と言うほどに教え込んだ後で」

 彼はそう付け加えた。

 二人の大尉が何の話を何の話をしているかと言えば、大隊に配属されたある中尉の哀れな未来についてである。

「あのー……お二人とも」

 怒りと言うよりも、殺意が漲っている大尉たちの会話に、エルヴィンが恐る恐ると口を挟んだ。

「一度の失態だけで首を切るというのは、些か厳し過ぎませんか? それに、せっかく補充された将校ですよ?」

「中尉にもなって、軍曹の進言を無視するようなヤツだ。救いようが無い」

 ヴィルハルトが切り捨てるように言い放った。

 それでもエルヴィンは引き下がらない。

「いや、でもですね……流石にこれ以上将校が減ると、大隊運営に支障が」

 哀れな同僚を救おうと鬼のような上官二人に立ち向かう勇気ある男、という図にも見えなくはないが、彼の内心は別にアルホフ中尉に対する同情などは微塵もない。

 将校が一人居なくなると、残された者たちの仕事が増えるのだ。

 主に、軍人になってしまった事を後悔するような、退屈極まりない書類仕事が。

「では、中尉。貴様、作戦中に遅れてくるような奴と一緒に戦争がしたいのか」

 だからこそ、ウェストにじっとりとした目つきで睨みつけられても臆さない。

「それは御免ですが。いえ、そういう事では無くて」

「訓練担当士官は俺だ。貴様は口を挟むな、兵站担当士官」

 遂にウェスト大尉が牙を剥いた。

 ヴィルハルト自身に推薦されただけあり、彼は第1中隊長と訓練担当士官を兼任していた。

「大隊の運営を任されているのは俺だ。支障が出たなら、俺の責任であって君のせいでは無い」

 光の失せた凶悪な目つきのヴィルハルトも、ウェストに同意見のようだった。

「それとも、君は自らに課せられた職務を遂行する自信が無いとでも言うのか、ライカ中尉?」

「あー。いえ。差し出がましい真似をしました。申し訳ありません、シュルツ大尉、ウェスト大尉」

 ヴィルハルトとウェストに、いつの間にか両脇を固められていたエルヴィンはだらだらと冷や汗を流して謝罪した。

 心の中に、士官学校の頃に叩き込まれた、上級生が如何に偉大な存在であるかと言うトラウマが蘇っていた。

 彼の言葉を聞いたウェストはふんと鼻を鳴らした。

「俺はこの世に我慢ならないものが二つある」

 彼は歯ぎしりでもするかのように言った。

「そのうちの一つが無能なヤツだ」

「は、はぁ」

 突然始まったウェストの独白を聞き、エルヴィンは曖昧な返事で答える。

 ヴィルハルトは視線を前に固定して聞いていた。

 次に彼の口から出る言葉を知っていたからだった。

「あともう一つは貴様だ、シュルツ」

 一々言わなくてもいいのにと、ヴィルハルトは内心で溜息を吐く。

 そう。この男、オスカー・ウェストはヴィルハルト・シュルツの事を毛嫌いしていた。

 まぁ士官学校での成績も上々、昇進も出世も約束されていた中央軍から、こんな辺鄙な実験部隊に配属させられれば、その原因となった者を恨むのも仕方が無いだろう。

 それにヴィルハルトは、ウェストの将校としての能力が自分よりも優れているだろうと思っていた。

 小隊だろうと中隊だろうと、任せればその指揮ぶりは見事としか言えない。

 とにかく、人を率いるというのが得意なのだろう。

 やはり、本来ならばこんな場所に居るような男では無い。

 まあ、呼び寄せたのは自分なのだが。

 そう思いながら、ヴィルハルトはやや自虐気味な笑みを浮かべる。

「そもそも貴様は……」

 この三年間、顔を合わせればずっとそうであったように、ウェストの憎まれ口が始まっていた。

 挟まれているエルヴィンは堪ったものじゃないだろう。

 ウェストに気取られないように、ふっと溜息を吐いた。

 しかし、そんなに嫌ならば何時でも司令部に掛け合って中央へ戻してやると何度も言っているのだが。

 何故、そうしないのだろうかという疑念の尽きないヴィルハルトだった。


 ウェストから、言葉に悪意を込める方法には実に様々なやり方があるのだという講義を延々と聞かされていたヴィルハルトも、ようやく兵舎に辿り着いた時にはほっとした。

 ヴィルハルト個人はどれほど嫌われていようと、ウェストを嫌っては居ない。

 理由も理解できる。

 だが、だからと言って罵倒に近い文句を散々聞かされ続けるのが疲れないという訳では無かった。

 演習の評価を告げる指揮官集合の前に、自分の執務室で一息つこうかとヴィルハルトが思っていた時だった。

「あれ、なんでしょうか?」

 兵舎に先に辿り着き、息を整えていた兵の一人がふと空を指して尋ねているのが耳に入った。



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