勝利の代価 5
「団長、旅館までの道は確保しました」
カレンを連れて広場へ戻ったヴィルハルトに、現場の指揮を執っていた第四中隊長のハリー・オステルマン大尉が近づいてきてそう報告した。擲弾戦闘団の中では新参だが、有能な将校だった。長く不遇な中尉時代の末、ヴィルハルトによって大尉に取り立てられたことから、彼に対する忠誠心は古参同様に強い。
「連中、降参する気はさらさらのようで。館内に立てこもって徹底抗戦の構えを見せています」
だろうな、とヴィルハルトは頷いた。
「旅館は包囲しています。突っ込みますか」
オステルマンが訊いた。
「他中隊の状況は?」
「第二中隊は団長のご命令通り、北の浜への道を確保に向かいました。第五、七中隊は担当区画の掃討を終え、街の外で警戒待機中。第三中隊はまだ担当区の敵を掃討中。あー、その。少々、手を焼いているようです」
ヴィルハルトは頷いた。第三中隊の指揮官は誰だったか、と前歯の裏を舌でなぞりながら思い返す。
「第三中隊の指揮官はクリストフ・ラッツ中尉です」
彼の様子から何を考えているのかを察したらしいカレンがそっと囁いた。
「レーヴェンザール守備隊からの引き抜きですが、さほど目立つ人物ではなく、少々気弱なところがあります」
付け加えられた説明に、ああ、あの幼い顔立ちの中尉か、とヴィルハルトは思い出した。確かに、他の中隊長を任せている将校たちと比べれば見劣りする能力の持ち主だった。レーヴェンザールでの防衛戦では砲塁を指揮して大層な戦果を挙げたというから中隊を任せてみたのだが。同様の経験が、常に同様の成長を促すというわけではないということか。
「しかし、団長への忠誠は厚いですよ。理由は定かではありませんが、もしもの時、団長を救うためなら我が身を盾にすることも厭わない、という者の一人です」
「そんなヤツが二人も三人もいるのか」
ラッツを擁護するようなカレンの言葉に、ヴィルハルトは顔を顰めて聞き返した。
「はい。きっと、団長が思っていらっしゃるよりも大勢」
「それはなんとも迷惑な」
呆れたように息を吐いてヴィルハルトは軍帽を被りなおす。それから、表情を引き締めた。
「旅館を制圧する。危険だが、放置もできないからな。確か、この旅館の内部構造は……」
言いかけたところで、カレンがさっと紙切れを差し出した。
「記憶を頼りに、間取りを描きだしてみました。一度入っただけなので、正確とは言い難いですが」
うん、と頷いてヴィルハルトは受け取った紙切れに目を落とす。
まず、玄関を入ると旅客を出迎えるためのちょっとした広間がある。そこから奥へ向かうと客室の扉が向かい並ぶ通路があり、突き当りで左右に分かれる。左へ進めば、高級客向けの客棟へ。右へ進めば舞踏場へとそれぞれ繋がっている。自分の記憶ともすり合わせながら確認した限り、大きな間違いはないように思えた。
「突入してきた敵を迎え撃つのであれば、舞踏場で待ち構えますね」
横からヴィルハルトの手元を覗き込んでいたオステルマンの言葉に、ヴィルハルトも頷いた。どちらも高台に建てられてはいるが、高級客用の専用客棟は庭に囲まれている上、使用人などが使う通用口も設けられているため、侵入経路が多く守りには向かない。一方の舞踏場に入るには、客用の通路か、厨房などと繋がる宿の使用人が使うための通路のどちらしかない。
「となると、正面突破するしかないな」
心底嫌そうにヴィルハルトは眉間にしわを寄せる。本当なら、外から擲弾砲でも撃ち込んでしまいたい。制圧するのが難しいというわけではないが、その為に払わねばならない犠牲が惜しかった。だが、それと同じくらい、燃やすには惜しい情報が眠っている可能性も無視できない。
「二か所から突入する。俺は正面から。オステルマン大尉、君は部隊の半分を率いて、高級客棟から舞踏場を目指せ」
「突入の時機は」
「銃声が響いたらだ」
「畏まりました。団長」
応じるが早いか。オステルマンが旅館を回り込んで客棟へと向かう。入れ替わりに、何処かの隊から寄こされたらしい伝令兵の対応をしていたカレンが戻ってきた。
「偵察小隊のクロイツ大尉からです。敵砲兵隊を無力化。擲弾砲四門と小型の野砲二門を接収したとのことです。偵察小隊は現在、占領した敵砲兵陣地にて待機中」
「よろしい」
ヴィルハルトは頷いた。内心、テオドールまで暴走しなくて良かったと安心している。
「館内に突入する。副官、君は下がっていろ」
「はい。団長」
カレンは素直に従った。こちらももう大丈夫そうだな、とヴィルハルトは小銃を持ち上げる。周囲の兵に装填を命じつつ、自らの小銃にも弾を込める。兵たちと共に突っ込むつもりだったし、そうするのが当然だと思っていた。しかし、いざ彼が旅館の正面入り口へ近づこうとしたところで、それを押し退けるように大柄の軍曹が割り込んできた。
「ここは酷い宿ですな、団長。団長がお着きになったというのに、出迎えの一つもありません」
なんのつもりかと睨みつけたヴィルハルトにひるむことなく、その軍曹は言う。顎鬚ともみあげの境がほとんど分からない、熊のような大男だった。第41大隊からの古参ではない。いつの間にか、名も知らぬ部下が増えたものだとヴィルハルトは思った。
「将校殿を迎える礼儀がなっとりませんな。きっと、中も酷いもんでしょう。火鉢も焚いてなければ、片付けも済んでいないに違いありません。なので、ここはひとつ、自分らが先に入って、団長殿を迎える準備を万端、整えて参ります」
真面目腐った顔で続ける軍曹の周りに、彼の分隊員らしき兵たちが集まってくる。
「申し訳ありませんが、団長殿はもう少し凍えていてください」
兵たちを従えて、軍曹がにやりと笑った。居並ぶ兵たちも一様にニヤニヤとした笑みを浮かべている。ここにきてようやく、ヴィルハルトはこれが彼らからの好意であることに気付いた。
「分かっていると思うが」
「分かっております」
口を開いたヴィルハルトを制するように、軍曹が応じた。まったく遊びの無い表情だった。旅館の中で待ち構えている敵は当然、出入り口に照準を付けているだろう。それが分かっていてなお、彼らは自分たちが先に突入すると言っているのだ。望んでも得難いものだとは分かっている。だが、ヴィルハルトは素直に喜べなかった。今の会話をカレンに聞かれなくて良かったと思った。
「軍曹。君の名は?」
「ヤークトです」
「憶えておこう」
彼なりの感謝の表現だった。ヤークトはにかりと笑って頷いた。厳つい人相からは想像できぬほど、人付きのする笑顔だった。
ヤークトの合図で彼の部下たちが旅館の正面扉の両脇に張りついた。準備完了を知らせる兵たちからの視線を受け、ヤークトがヴィルハルトに振り向いた。
「行けます」
「ああ」
小銃を握りしめて、ヴィルハルトは頷く。突入の号令だけは自分で出した。それが指揮官たるの責務だと思ったからだった。
勢いよく、ヤークトが扉を蹴破った。途端に、建物の奥からけたたましい発砲音が響く。ヤークトの全身から血が噴き出し、斃れた。間髪入れずに、彼の部下たちが射撃しつつ館内へと踏み込む。無論、横たわる上官の身体は決して踏まぬようにしている。
ヴィルハルトもすぐ後に続いた。敵は旅館の玄関広間に置かれていた机や椅子を積み上げて即席の防弾壁を作り、その影から射撃している。貴族も泊まることのある高級宿だけあり、いずれの調度品も名のある職人の手によるものなのだろう、見事な拵えのものばかりだ。しかし、それもヴィルハルトたちの応射を受けて見るも無残に砕けて、あっという間に高価な廃材の山へと成り果てる。だが、遮蔽物としての機能は失っていない。豪華な調度品たちは本来の機能と価値を失う代わりに、〈帝国〉兵たちに再装填のための貴重な時間を与えた。
一斉射撃の轟音とともに、ヴィルハルトの前をゆく兵の頭が弾ける。返り血を浴びつつもヴィルハルトはひるまなかった。大きな机の天板を盾にしている敵の隠れ方が甘い。雑に狙いをつけて引き金を絞った。当たったかどうかは分からない。確認するより先に、倒された机の影に滑り込んだ。ひとまずは遮蔽物を得たことになる。が、一息吐いている暇はない。一人の兵が追いついてきたので、押せと命じた。兵とともに、分厚い机の天板に体重をかけて、勢いよく押し込む。天板の向こうから、驚いたような声が聞こえた。裏側に敵がいたらしい。構わず、ヴィルハルトたちは机を壁際まで押し進めた。このままでは押し潰されると思ったのか、堪らず敵が机の影から飛び出してくる。ヴィルハルトは反射的に、銃剣のついた小銃を突き出した。しかし、敵の太ももを軽く掠っただけで傷らしい傷を負わせることはできなかった。敵は一目散に旅館の奥に続く通路へ退却してゆく。後を追うべきか、と一瞬迷ったヴィルハルトだったが、このころになると後続組が続々と館内へ雪崩れ込んでおり、もはや自分が戦闘に参加している余裕もなくなってきた。玄関広間でごった返している兵たちに館内をくまなく捜索するように指示を出す。客室を一つひとつ確かめながら進むのはじれったい作業だが、一人でも見逃して背後から襲撃される危険を思うと疎かにはできない。狭い館内では兵数の多寡も余り意味がないのだからなおさらだった。無論、人数と勢いで押し込むことはできる。だが、それは犠牲ありきの戦い方であり、ヴィルハルトの好みではなかった。
「団長」
通路の突き当たりまで辿り着いたところで、オステルマンが待っていた。
「損害は」
「戦死二名、負傷七名です」
彼の報告にヴィルハルトは頷く。やはり、正面玄関の方が守りは堅かったようだ。ここへ来るまで、ヴィルハルトは既に七人を死なせている。その最初の一人の名前だけはしっかり憶えていた。
「それと、捕虜を一名救出しました」
「誰だ」
「第三師団長のウォレス中将です」
オステルマンが口にしたのは、ヴィルハルトも一度だけ顔を会わせた事のある相手だった。どうやら高級将校故に、他の捕虜とは別にされていたらしい。囚われていた将官を助け出したとなれば大きな戦果だが。
「閣下は今、どちらに?」
「酷く憔悴されていたので、拘束を解いた後、護衛を着けて部屋で休んでいただいています」
「それでいい」
窺うような目つきのオステルマンにヴィルハルトは頷く。
「正直、今は構っている暇がない」
将官への敬意など欠片もない言い様だが、本心だった。そして、今さらそんなことを気にするような者は彼の部下に誰一人としていない。
「やはり、敵は舞踏場で待ち構えているようですね」
オステルマンが表情を引き締めて、舞踏場へと続く通路を見た。
「だろうな」
ヴィルハルトは心底嫌そうな顔で首肯する。実際、敵が待ち構えていると分かっているところへ突入するなど嫌で堪らなかった。どうせなら擲弾砲でも撃ち込んで、旅館ごと焼き払ってしまいたいというのが本音だった。それでも危険を冒してまで突入したのは別に、ウォレス中将のような高級将校の捕虜が囚われている可能性について考慮したわけではまったくない。焼いてしまうには惜しい情報が、ここにあるからだ。それはもしかすれば、この戦争の帰趨を変えるかもしれないほどに重要でありながら。恐らく、現時点でその価値を理解できている者は、敵にも味方にもほとんどいない。
そして。ヴィルハルトは敢えて、そのことを誰にも説明しなかった。何故か。磨けば光る宝玉の原石も、磨かれなければただの石と大差ない。ならば、誰もが路傍の石くれと思い見過ごしているこのうちに買い叩く。それがやり手の商人というものだ。そうヴィルハルトに教えたのはテオドールだった。彼にしてみれば、友人に商売人の手口の一つを紹介してみせただけのつもりだったのだろう。まさか、その友人がそれを戦争へと持ち込み、情報戦における戦術へと昇華させるとは思いもよらなかったに違いない。