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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第一幕 河川陣地防御戦
19/202

19

 大陸歴1792年、四ノ月24日は、大地へと降り注ぐ陽光の温かみに、誰もが思わず微睡を覚えるほど陽気な春の日和であった。

 しかし、〈王国〉領東部国境にほど近い交易街ハンザの、市庁舎の一室へと集まった者たちの顔は、天候の陽気さすら跳ねつけるような厳めしさに満ちていた。

 かつては、と言ってもほんの数日前まで、〈王国〉軍東部国境守備隊司令部として使われていた豪奢な建物は現在、〈帝国〉軍第845次遠征軍司令部として徴用されていた。


「叛徒の手勢は、北を流れている、連中がドライ川と呼ぶ川を越えた先で我々を迎え撃つつもりのようです」

 鉄槍を彷彿とさせる人物、マゴメダリ・ダーシュコワ中将がいくらか疲れた顔で報告した。

 偵察隊が持ち帰った情報を整理する為に、昨夜は一睡もしていない。

 与えられた椅子にどっかりと腰を下ろした彼はその感触に、西方の蛮族にしては良いものを使っているなと感心した。

 彼がそう感じたのも当然で、それは〈帝国〉の商会が貴族向けに作っている椅子であった。

 上質な綿がたっぷりと詰められたそこには、元々交易街ハンザの市長の尻が収まっていた。

「その前方、ドライ川渡河点には敵の一部部隊が布陣しております。恐らく、これは我々の足を止める為の遅滞防御部隊でしょう。敵の準備は未だに整っていないと思われます」

「渡河点に布陣している敵の数は」

 ダーシュコワの報告に対して、〈帝国〉遠征軍参謀長、マラート・イヴァノヴィッチ・ダンハイム大佐が尋ねた。

 典型的な〈帝国〉人らしい白い肌に尖った鼻、そして鋭利な双眸の、〈帝国〉本領軍所属を示す赤い軍装に身を包んだ彼の口調は、ダーシュコワとの階級の差を完全に無視していた。

「この街から伸びる街道を進んだ先に、敵一個旅団が布陣している事は確認できています」

 ダーシュコワは、その大佐の態度を気にする風も無く答えた。

 むしろ、彼の方が丁寧な言葉遣いになっている。

 理由は単純であった。

 ダーシュコワは〈帝国〉西方領に領地を持つ子爵家の出であるのに対して、ダンハイムは現在の〈帝国〉で十七家のみが名乗る事を許された侯爵家の当主であるからだった。

 〈王国〉でも軍の階級以上に生家の格が尊重される事が多いのは知っての通りであるが、〈帝国〉はそれ以上の徹底的な貴族主義が蔓延している。

 例えば、少尉任官初日の侯爵家の次男が、男爵家出身の大将を顎で使うなど、軍における階級の上下などは無視される事が日常であった。

 その上、〈帝国〉において侯爵よりも上の爵位を持つ者は、皇帝その人か、その血縁関係にある三つの公爵家以外に存在しない。

 それに、本領貴族は自分たち地方貴族なんぞ及びも付かない選民意識の塊だしなと、ダーシュコワは諦めたように内心で溜息を吐いた。

「捕虜から得た情報によれば、街道は途中で副道に分かれているとの事だが」

 ダンハイムは硬い声で、卓上に広げられた地図を叩いた。

 その質問に、ダーシュコワはやや暗い表情になって答えた。

「ええ。そちらにも敵部隊が存在するようなのですが、その位置や規模は未だ判明していません」

「敵が居るのは分かっているけど、位置と規模が分からない? どういう事だそりゃ」

 彼の報告に、椅子から足を投げ出すようにして座っている男が、砕けた口調で横槍を入れた。〈帝国〉の、どの領軍とも異なる焦げ茶色の軍装を着用している。

 深みのある声には、ダーシュコワを責める響きは無い。

 単純な好奇心から発せられた質問であるようだった。

「ええ、アルメルガー准将。初め、騎兵一個小隊を向かわせたのですが一向に帰って来ず、中隊に後を追わせましたが、そちらも一騎も戻ってくる者が居ない、と言うのが現状です」

 ダーシュコワは、彼に対して本心からの敬意を持って答えた。

 彼、ラミール・アルメルガー准将は〈帝国〉人では無い。

 もみあげが顎まで伸びている野性的な顔立ちの、褐色の肌を持った、かつて〈帝国〉により併呑された国の人間だった。

 そもそも、彼の准将と言う階級は、〈帝国〉軍における正規の階級では無い。

 〈帝国〉出身で無い軍人にだけ(それも特に優秀な者に対してだけ)与えられる、一種の名誉称号であった。

「成程ね」

 ダーシュコワの説明を聞いたアルメルガーは、楽しげな顔で答えた。

「森という地形障害を有効に活用しているんだろう。騎兵だけじゃ分が悪い」

「はい。現在、歩兵も含めた大隊規模の威力偵察部隊を編成しております。二日もすれば、その規模も知れるでしょう。ただ、あまり広い道では無いので、精々大隊か連隊程度の勢力ではありましょうが」

「いかん。悠長に偵察の報せを待っている時間は無い。既に、作戦は三日の遅れが出ている」

 ダーシュコワの言葉をダンハイムが遮った。

 彼は苛々とした様子で、机を指で叩いた。

「仕方がないでしょう。敵さんが辺りの村から根こそぎ物資を引き揚げちまったせいで、兵站がまったくおっつかないんだから」

 それに、アルメルガーが呆れたように反論した。

 〈帝国〉軍は食糧について、現地徴発を基本とする方針を取っている。

 輸送の負担を減らした分だけ、大部隊でありながら迅速な行動を可能としている。

 今回、その徴発するつもりであった食糧を敵軍が引き上げてしまったせいで、その補給の危うさが浮き彫りになってしまっていたのだった。

 無論、ただちに兵士が飢えるという訳でも無い。 

 だが、先々の事を考えれば、現在彼らが保有している食糧の残りは、食い扶持からすれば何ともわびしいものだった。

「我が師団も、優先的に補給を受けてはいますが……」

 ダーシュコワも消極的に、アルメルガーに同意する。

 彼の場合、その不安はさらに深刻であった。

 腹を空かせるのは人間だけでは無いからだ。〈王国〉軍は飼葉まで燃やしていった。

「少なくとも、本格的な行動はしばらくできませんよ」

 アルメルガーはそう断言した。

 もちろん、既に本国に対して食糧の輸送分を増量するように知らせを送ってはある。

 だが、求めたからと言ってすぐに届くわけでは無い。

 少なくとも次の補給では間に合わないだろう。

 何よりも、彼らが足を止めざるを得ない、さらに頭の痛い問題も存在していた。

「加えて、敵が食糧を持ち去らなかったとしても……」

 ダーシュコワが顔を顰めながら言った、本当に頭が居たそうだった。

「村を見つけるたびに銃弾を撃ち込まれちゃあね」

 アルメルガーが、頭をガシガシと掻きながら、彼の言わんとした事を引き継いだ。

「村人が武装して、その全員が漏れなく戦闘訓練を受けている上に、下手すりゃこの国の正規軍よりも勇敢に戦うなんてのは、正直驚きだ」

「ええ、それはまったく」

 彼らが口にしているのは、〈王国〉軍による避難に応じなかった村々の者たちの事であった。

 彼らの多くはアルメルガーが言った通り、武装して、抵抗していた。

 ただの一国民であろう農民が、自らの故郷を守るために銃を取り、〈帝国〉軍をして驚く様な勇戦を見せている。

 だからこそか。アルメルガーの声には、称賛に近い響きがあった。

 その事に頭を悩ませているダーシュコワにしても、彼らを否定するほど落ちぶれてはいなかった。

 そして、あくまでも彼らの抵抗は勇戦であった。

 善戦でも無ければ、〈帝国〉軍にとっての苦戦でも無い。

「まぁ、イグナティワ中将は上手くやっています。あと三日もすれば周辺12リーグは静かになるでしょう」

 ダーシュコワは確信を持って口にした。

 彼が名を挙げたイグナティワ中将とは、村々の制圧を担当している〈帝国〉西方領軍第101鋭兵師団の師団長だった。

 いくらか神経質そうな、ぎょろついた目の男だが、間違いなく有能である。

 事実、これまでに〈帝国〉軍が農民たちから受けた損害は一個小隊にも満たない。

 まぁ、無能であればどれほどの爵位を持っていたとしても、中将はおろか、師団長にもなれない。

 完全な実力主義の社会である〈帝国〉でそれなりの地位を保っているという事は、それに応じた能力を持っているのだった。

 だからこそ、上位の爵位を持つ貴族たちの選民意識がより先鋭化されるわけだが。

 そして、その〈帝国〉という体制の権化でもあるダンハイムは、ダーシュコワの言葉を聞いてなお、首をゆらゆらと振っていた。

「それでは遅いのだ。貴官らは、我らの使命を忘れているのではあるまいな」

「本隊到着までに、叛徒の首都までの道を押さえておくっていう、あれですか? 本気だとしたら、随分と冗談みたいな目標ですが」

 やれやれ、また始まったと軽口を叩いたアルメルガーに、ダンハイムがその猛禽類のような目を向けた。

「口を慎め、蛮族アルメルガー。貴様は陛下のご慈悲により生かされている事を忘れたか」

 アルメルガーが、険しい顔になり口を噤んだ。

「しかし、現実的にその目標を達成するのは難しいかと……」

 ダーシュコワは全てを諦めた心境で進言した。

「〈帝国〉貴族ともあろう者が、そのような言葉を口にすべきでは無い。陛下への侮辱になる」

 さらに眉間の皺を深めたダンハイムの極論を耳にしたダーシュコワは、ただ背筋を伸ばした。

 出会った瞬間から、この〈帝国〉至上主義者に何を言ったところで無駄だと悟っていた。

 数多くの本領貴族を見て来たダーシュコワであるが、ダンハイムの皇帝に対する忠誠はもはや狂信の域にある。

 なにせ、皇帝が「中々に美人である」と評しただけで、自分の妻を差し出した男だ。

「では、どうなさるのですか」

 いくらか口調を正したアルメルガーが、ダンハイムに尋ねた。

「我々が足を止め続けていれば、敵が機を見て反撃に移るかもしれぬ。その場合、我軍の状況次第では面倒な事になりかねん」

 ダンハイムは地図に目を落としながら言った。

「動ける部隊だけで、渡河点に布陣している敵に攻勢をかける。こちらが兵站上の問題を抱えていないと、敵に思わせるのだ。准将、貴官は部隊を率いて街道を進み、敵旅団を叩け」

 ダーシュコワは嘆息した。

 無茶を言っているようで、その実、筋は通っていたからだった。

 つまりは、ダンハイムも皇帝へ狂信するだけの無能では無いのだった。

「東側はどうしますか」

 アルメルガーが、いくらか白けた顔つきで尋ねる。

「無論、そちらにも部隊を送る。敵の規模が不明であるのならば、独力でも対処可能な連隊以上の部隊を向かわせるのだ」

「でしたら、スヴォーロフ大佐の第77猟兵連隊が適任かと」

 ダーシュコワが、そっと提案した。

 彼の部下たちもまた、決して無能では無い。であるのに、こちらが送った偵察部隊を手際よく屠り、情報を漏らしていないとするならば、敵は中々の手練れであろう。

 その相手をさせてやると言えば、あの男の機嫌も良くなるだろうと考えたのだった。

「ああ。あの飛空船部隊の」

 アルメルガーが顎鬚を撫でながら、思い出すように呟く。

 ダンハイムは特に考える様子も見せずに頷いた。

「よろしい。補給は優先的に回すように手配する」

 アルメルガーはそれに、長々と息を吐いてから答えた。

「了解。それじゃ、兵どもの尻でも叩いてきますか」

 どっこいしょと、大袈裟に勢いを付けて立ち上がった彼にダンハイムが続けた。

「どの道、後三日もすれば兵站は整う。そうなれば何の問題も無い。それまでに、街道を綺麗にしておくのだ」

 だったら、あと三日ゆっくりさせろと言いたいダーシュコワとアルメルガーは、ちらりと互いの視線を交差させた。

 どちらともなく、諦めたような息を吐く。アルメルガーは肩を竦めていた。

「行動準備が完成次第、順次出撃してよい。その、スボルフとやらにも伝えておけ」

 話は終わりだとばかりに、ダンハイムは葉巻に火を点けた。

「了解」

「承りました」

 ダーシュコワとアルメルガーは、自分よりも階級が下の参謀長へ向けて敬礼を送った。


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