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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第五幕 〈王国〉軍冬季大攻勢

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命の値段 5

 街道内へと進出した〈帝国〉本領軍第3鋭兵師団の先鋒が第一警戒線に籠る義勇軍第7旅団と接触したのは、その日の正午であった。猟兵たちがどこまで仕事を進めているか知る術がないため、〈帝国〉軍の動きが慎重であったこと。積雪の影響で砲兵の展開が思うようにいかず、〈帝国〉軍が得意とする火力戦を行えなかったことなど、幾つかの事情と〈王国〉軍にとっての幸運が重なったということもあるが、多くの者たちの予想とは異なり、義勇軍は思いもよらぬ善戦を見せていた。

「敵は素人のような兵らしいのですが、よほど入念に築城されたらしい陣地に籠っておりまして。第一旅団のコーリスキー少将も攻めあぐねているとのことです」

「陣地。陣地、陣地か」

 師団参謀長からの報告に、ラノマリノフは忌々しそうに繰り返した。

 思えば、この戦争が始まって以来。〈帝国〉軍の足を止めたのはいつだって敵が応急築城した野戦陣地であった。そもそも運動戦に重きを置く〈帝国〉軍では野戦陣地というものがさほど重視されていない。圧倒的な火力と大軍をもって敵を粉砕できる〈帝国〉軍にとって必要ないものだったからだ。そしてまた、大陸世界の軍事を牽引する〈帝国〉軍の戦法は宿敵たる〈西方諸王国連合〉軍を始めとした世界各国の軍も模倣するところである。敵より一門でも多くの火砲を有していたものが戦いに勝利する、というのがこの時代の常識であった。そのため、野戦築城というのはまともな研究も行われてこなかった。

 要するに味方よりも多くの敵を殺傷した方が勝利するという野蛮な思想であり、そこに自軍の損害を抑えるという発想は介在しない。実際、これまでに〈帝国〉軍が戦い打ち破ってきた敵の多くも火力の信奉者たちであった。

 しかし、今回の敵は違った。

 〈王国〉軍は自軍の兵を塹壕に潜ませ、掩体で覆うことで雨あられと降りしきる砲弾を耐え抜いて反撃してくる。数で劣る兵力と砲の消耗を可能な限り抑えつつ、徹底的に持久するつもりなのだろう。〈帝国〉軍と同じ土俵で戦っても勝ち目がないことを良く知っているのかもしれない。その潔さには、ラノマリノフも感心していた。そもそも〈王国〉軍がここまで野戦築城に拘るようになったのは、ヴィルハルト・シュルツが初戦において行った河川陣地防御線に端を欲しているのだが、それは彼の知るところではない。

 そして今や、〈王国〉軍の築城技術はもはや職人芸ともいえた。たとえば、レーヴェンザールでは攻城砲まで用いてありったけの火力を浴びせかけたというのに、砲撃後も敵陣はまるで何事もなかったかのように一個師団全力の突撃を迎え撃ってみせた。

 今度の敵も、それと同等か。或いはそれ以上に準備された強固な陣地に籠っているものとみるべきだろう。たとえ敵が素人の寄せ集めだったとしても、まともな指揮官が一人でもいればただの陣地と掩体の組み合わせによって造られた構造物は要塞に変わる。しかし、そうと分かっていたとしても何ができるわけでもなかった。

「コーリスキーには無理をするなと伝えろ」

 ラノマリノフは言った。

「どの道、我が師団の任務は猟兵どもから敵の目を惹きつけることにある。師団全力が街道に入り込んだだけで敵にとっては十分な脅威だろう。この上で、連中のためにあたら兵を失ってやる必要はない」

「はい、閣下」

 師団参謀長は彼の命令を手にしていた書面にさらさらと書きつけると、それを伝令の兵に渡した。

「しかし、アルメルガー准将は流石に手早いですな。街道に踏み込んでから、まだ一発も敵から砲撃を受けていません。この分ならひょっとして、もう目的は達成しているのでは?」

 参謀長は褒めるように言った。実際、敵砲台が健在であれば、街道内に踏み込んだ途端に第3師団は砲撃で壊滅していただろう。代わりに敵陣への浸透突破が露見したのは確実だが、それでどうなるというものでもない。

「今頃、敵軍は混乱の極みにあるでしょうな」

 わずかに同情するような顔で参謀長は肩を竦めた。北からは上陸部隊が、そして南からは一個師団が同時に襲い掛かってきたのだ。そのうえで、頼りにしていた砲台は沈黙している。もはや街道内に安全はない。自分が敵の立場だったら、などと考えたくもなかった。

「ふん」

 それにラノマリノフは嘲るように鼻を鳴らした。

「躾けられた犬ならともかく、餌欲しさに言うことを聞いているだけの野良犬を褒める気にはならんな」

 彼は吐き捨てた。たとえ彼ほどの人物でも、所詮は〈帝国〉本領貴族だった。個人の思想と人格は決して等価ではないという証左であるかもしれない。酒も煙草も断った清廉潔白な人物や、自らを厳しく律した高潔な人格の持ち主が大量虐殺に手を出した事例は歴史にも散見されるのだから。


「妙だな」

 〈王国〉軍が街道内に設置した砲兵陣地襲撃の実行部隊、トルクス自治領軍第1猟兵旅団を率いるラミール・アルメルガー准将は制圧したばかりの敵陣で一人呟いた。

「どうしました、将軍?」

 いまだ湯気が立ち昇る敵兵の遺体を見下ろしながら、何やら物思いに耽っている様子の指揮官に副官のアリー・ケマル大尉が声をかけた。

「前回もそうだったが、撤退の思いきりが良すぎると思わねえか」

 アルメルガーは陣地中央に備え付けられている二門の重砲を手で示しながら答えた。ご丁寧にも、発射機が叩き壊されている。修理すれば使えないこともないだろうが、残念ながらこの隊には整備の知識を持った兵も道具もなかった。

「敵に感づかれたと?」

 顔面を険しくしたケマルの質問に、アルメルガーは頷いた。

「その可能性があると思っていた方がいいだろうな」

「となると、砲はどうしますか。爆破しますか」

 爆薬を背負わせている兵を探しながら、ケマルが訊いた。

 せっかく制圧した陣地だが、占拠できるだけの兵力は連れてきていない。隠密作戦であるからだ。もしも敵が戻ってきて、砲を修理すればせっかく命懸けでここまで浸透してきた意味がなくなってしまう。ならばいっそ、破壊した方が良いだろうと判断したのだろう。

 だが、アルメルガーはそれに首を振った。

「目立つことはやめておこう」

 どの道、彼らに与えられた任務は敵砲兵陣地の襲撃と制圧であって、占領することではない。この場所の無力化がたとえ一時的なものであれ、自分たちは任務を果たしているはずだ。そう自分を納得させて、アルメルガーは軍剣を鞘に納めた。

「敵に居場所がバレて困るのは俺たちだからな」

 言いながら、アルメルガーは今回の戦闘での損害を尋ねた。一名戦死だとケマルが答えた。アルメルガーは溜息を吐いた。

 砲兵の白兵戦闘能力が皆無に等しいとはいえ、彼らもまた自衛用の武器を持っている。短銃からの散発的な射撃とはいえ、弾丸というのは放たれた数に比例してこの世に悲劇を産み落とすものだ。第1猟兵旅団はこの任務で、これまでに十二名の犠牲を出していた。これで十三人目ということになる。内訳は戦死二名。そして重傷十名である。もっとも、重傷者は後送することもできず、雪山の中に捨て置かざるを得なかったのだから、その内訳に意味がるようには思えなかった。


「ともかく、これまで以上に慎重に行動する必要がある」

 ケマルへ言い聞かせながら、アルメルガーは羽織っている外套に付いている頭巾を被った。彼もケマルも、そして兵たちもみな、真っ白い外套で身体をすっぽりと覆っている。防寒のためではない。トルクス自治領軍の所属を示す焦げ茶色の軍服が、雪山では目立ち過ぎるからだった。

 〈帝国〉軍の将校たちはこうした偽装を蛮族の戦い方だと見下すが、アルメルガーは気にしていない。周囲の環境に合わせた色の衣服を身に着けることで敵から発見されにくくなる上、交戦の際も被弾する確率が低くなることを彼は実戦で学んできた。

 それに彼の経験則を裏付けるように〈帝国〉軍では、緑地における戦闘において赤色の軍服を着る本領軍よりも、緑色の制服を着た西方領軍の死傷率が低く抑えられているという統計が存在した。いずれ、彼らを嘲笑う者たちもこの合理性に気付くだろう。そうなれば、世界中の軍隊で偽装が取り入れられるはずだとアルメルガーは考えていた。

 もっとも、伝統を墨守する〈帝国〉軍やその他の国の軍将兵たちも今のところ、雨が降ろうが雪が降ろうが、それこそ敵弾の振り注ぐ最中であっても自らの所属を隠そうなどとは夢にも思っていないようだが。そんな彼らが現実を受け入れるまでには今少し。幾万、幾十万、或いは幾千万の兵士の犠牲が必要になるだろう。

 だからといって彼らに同情する気などアルメルガーたちにはさらさらないのだが。

「別の隊が心配だな。次の合流地点はどこだ?」

「二つ山を越えた先です」

 懐から地図を引っ張り出したケマルが答えた。アルメルガーは頷いた。

「急ごう」

 長年の戦闘経験が頭の中で警鐘を鳴らし始めていた。だとしても、彼らは進むしかない。

「はい」

 それにケマルも続いた。軍曹を呼びつけて戦死者から弾薬を回収しておくことも忘れない。彼の横顔には戦争が始まった頃の初々しさはもう無い。彼は知ってしまったからだった。

 祖国が〈帝国〉によって滅ぼされた後も、なぜ彼らの故郷が自治権を有しているのかを。それはこの雪山に転がっている十二人の同胞のように、無数の同胞たちが命を持って皇帝にその代価を支払ってきたからだと。この戦争を通して、ケマルはそれを言葉ではなく現実として理解した。

 謂れなき責務であり、謂れなき債務である。だが、彼らは支払いを続けなければならない。彼らは敗者であるから。

 恐らくはトルクス兵最後の一人。その血の最後の一滴が大地に染み込むその時まで支払いは続くのだろう。だが、そうと分かっていても彼らは民族としての独立した自治権を手放すつもりなどない。戦友の亡骸を山と積み上げ、そこから流れ出す涙と血の河を渡り、いつの日か必ず、敗戦の鎖から一族を解き放ってみせる。彼らにとり、〈帝国〉の興隆も〈王国〉の衰亡も関係ない。ただ、一族のためだけに彼らは戦っていた。

 後の世で、歴代の〈帝国〉皇帝に仕えた如何なる兵よりも勇猛であったと語られるトルクス兵の、それが真実であった。

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