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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第五幕 〈王国〉軍冬季大攻勢
186/202

命の値段 2

「さて。参謀長。しばらくここを任せるぞ」

 第三軍臨時司令部の要員たちが不満と不安を抱えて仕事にとりかかったところで、ヴィルハルトは外套を掴んで立ち上がると言った。

「どちらへ?」

「前線の様子を見てくる」

 聞き返したブラウシュタインに、ヴィルハルトは至極あっさりと応じた。ブラウシュタインは驚いたようだが、伝令や通信の内容から現場の状況を想像するのにはどうしても限界がある。やはり一度、現場の空気に触れておく必要があると思った。いや、そもそもヴィルハルトには後方から指揮を執るつもりなど毛頭なかった。

「第3旅団の司令部がどのあたりか分かるか」

「報告ではグリーゼから南東2リーグほどといっていましたから、恐らくこの集落があるあたりかと」

 戦況図を指さしながらカレンが答えた。彼女が示したのはアスペルホルンから北に5リーグほど行った先にある小さな農村だった。

「除雪されているかは分かりませんが、馬車なら三刻ほどで着きます」

 情報を補足したカレンにヴィルハルトは頷いた。

「その地図の写しをくれ」

「こちらに」

「馬車は用意できるか。いや、まあ、馬でもいいが」

「軍の荷馬車でよければ一台確保してあります」

 まるでヴィルハルトの行動を先読みしたかのようなカレンの手際よさに、ブラウシュタインは舌を巻いた。しかし、当の本人たちはそれで当然といった顔をしている。

 なるほど、と。ブラウシュタインは奇妙な納得をした。忘れていたが、彼女もまたレーヴェンザールを生き残った一人なのだ。臨時司令部に集められた男どもよりも遥かに苛烈な戦闘と修羅場を掻い潜ってきた軍将校に他ならない。

 ただ一つ。レーヴェンザールの彼女と、今の彼女の間には決定的な違いがあった。

「すぐに準備させます」

 いって、カレンは司令部を出ていった。その背中をブラウシュタインは悼むような目で見送った。きっと以前の彼女ならば、義勇兵たちを犠牲にしようとするヴィルハルトに反発しただろう。だが今の彼女はそうしなかった。まるで己の全知全能を戦争に捧げるとでも誓ってしまったかのように。

「なあ、中佐」

「あれは彼女の問題です」

 何かを言いかけたブラウシュタインをヴィルハルトは遮った。私的な会話だからだろうか。言葉遣いは丁寧だった。ヴィルハルトは一瞬、何かを考えるような素振りをして、それからすぐに表情を打ち消すと言った。

「俺が留守の間に何かあれば、第三軍の参謀長として君が判断しろ。では」

「忙しいですな。まだ軍の指揮権を発動してから一日と経っていないのに」

 外套を羽織ってカレンの後を追おうとするヴィルハルトにメッケルの皮肉気な声が掛かる。それにヴィルハルトは無表情な顔で振り向いた。

「何を言っている。これからもっと忙しくなるぞ、作戦参謀。なにせ、戦争はこれからだからな」

 どこまでも平坦な声でそう言って、彼は出ていった。

「……どこまでが正気なんでしょう」

 ぽつりと、誰に問いかけるでもなくノーマンが呟いた。

「何を言っている。とっくに狂っているさ」

 ブラウシュタインが吐き捨てた。

「奴も、奴らも、彼女も俺も、そして君らも。誰も彼もが」


 カレンの確保した馬車に揺られてアスペルホルンを発ったヴィルハルトが第3旅団の指揮所へ到着したのは、その日の日暮れ間際のことであった。カレンの見立て通り、第3旅団はグリーゼにほど近い農村に司令部を置いていた。ヴィルハルトが第三軍の指揮を執っていることは臨時司令部内と一部の者を除いて秘密である。出迎えた将校にはブラウシュタインに命じられて、視察に来たと説明しておいた。

「暗くなってきたからな。今のところ、戦闘は小休止といったところだ」

 第3旅団長のマンネンハイム少将は指揮所として使っている農村の民家の中でヴィルハルトに戦況を説明した。すっかり白く染まった髪を短く刈りこんでいる彼は、軍人などよりもパン屋の親父でもやっている方が似合いそうな温和な表情の人物だった。元からこの家にあったのだろう粗末な木机を挟んで彼と向かい合ったヴィルハルトは、持参した戦況図を取り出すと幾つか、戦況についての質問をした。聞きだした事柄を戦況図に描きこんでゆくと、地図上にはなんとも頭の痛くなる模様が浮かび上がる。

「押されていますね」

 ヴィルハルトは率直に言った。マンネンハイムも否定しなかった。どうしたものかと困り果てた顔で頭を掻いている。当初、彼はグリーゼの街を包囲するように隷下部隊を展開させようとしていた。当然、敵がそこに籠るものだとばかり思っていたからだ。だが、敵は予想に反して攻撃に打って出た。展開も終わらぬうちに攻撃を受けた第3旅団の一部部隊はやむを得ず後退。それに引きずられる形で主力部隊も停止、或いは後退せざるをえない状況になり、結果、全体として前線はより街道内への押し込まれてしまっている。

「グリーゼの周辺、2リーグに渡る範囲は完全に〈帝国〉軍の占領下に落ちた」

 そう肩を落とすマンネンハイムを尻目に、ヴィルハルトはしばし考え込んだ。

 交通は遮断されているが、第3旅団と同じく第三師団隷下でフェルゼン大橋方面に展開している第6旅団とは腕木通信で連絡が取れているという。どうやら、積極的な攻撃に打って出ている街道側の敵に対して、フェルゼン大橋側に張り付いている敵部隊に動きはないらしい。

「正直、敵が何を考えているのか……」

 マンネンハイムはそういうが、ヴィルハルトにとっては明白であった。ただし、まだそれを口にできるほどの確証がない。

「兵站に問題はありませんか」

「一戦くらいなら思いきり戦えると思う。だが、それ以上となると弾薬がもつかどうか」

 マイネンハイムの返答にヴィルハルトは頷いた。通信は生きているが、後方との補給線が断たれているのだ。その不安は当然だった。

 それからも幾つか、基本的なこと確認してから、ヴィルハルトは立ち上がった。

「ありがとうございました。自分は一旦、司令部へ戻りますが、武器弾薬の補給に関してはひとまず対応できると思います」

「中佐。司令部の、いや。君の考えは」

 立ち去ろうとするヴィルハルトを引き止めるようにマンネンハイムが尋ねる。彼もまた、現在の第三軍の真実を知る一人であった。

「今はなんとも」

 ヴィルハルトは軍帽を被りながら応じると、指揮所を後にした。

「中佐」

 ヴィルハルトが外へ出ると、カレンが待っていた。

「司令部に戻るぞ」

 戦況図を胸元にしまい込み、ヴィルハルトは馬車に乗り込んだ。当然のような顔でバロウズが乗っている。

「なにか分かりましたか?」

 彼の質問にヴィルハルトは答えなかった。軍人でもない彼に状況を理解できているとは思えないし、説明したところで大した意味はないだろうと思ったからだった。代わりに、彼は御者へ声をかけた。

「アスペルホルンに戻る途中、第12旅団と砲兵第6連隊の本部にも寄ってくれ」

 それだけ言うとヴィルハルトは戦況図を覗き込んで黙り込んだ。すべては目まぐるしく動いてゆく。しかし、未だ彼の思考が追いつけぬほどでは無かった。


「敵の狙いはアスペルホルンここだ」

 司令部に戻るなり、開口一番、ヴィルハルトはそういった。

「なぜ、そう言えるのですか」

 メッケルが聞き返した。ぼんやりとした顔をしている。真夜中に戻ってきたヴィルハルトに突然呼び出され、夢の世界から現実へと強制的に帰還させられたばかりだった。

「状況を勘案する限り、そうとしか思えない。恐らくだが、敵は第一撃でこちらの司令部を壊滅させたとは思っていないのだろう」

 考えてみれば、当たり前のことだった。まさか、まともな防備もない宿場町に軍の司令部を置いているなどと誰が考えるだろうか。ましてや戦争中だというのに。

 ヴィルハルトの言葉に、なんとも言えぬ唸りが会議室に満ちた。

「事前の情報を信じるのであれば、海岸から上陸した敵の総数は二万に達するはず。単純に考えて二個師団規模ということになる。これだけの規模を、単なる陽動に使うとは思えない。であれば、敵の狙いはこうだ。一個師団で街道の出入り口を封鎖し、こちらの補給と退路を断つ。そして残る一個師団で街道の北からこちらの司令部を目指して進撃し、街道を確保する。敵から見て、街道内でもっとも司令部の置かれている確率が高いと思われるのは」

「ここ、アスペルホルンだと」

 従兵に淹れさせた珈琲のおかげで目が覚めてきたのか。すっかり話を理解したらしいメッケルが険しい顔で訊いた。それにヴィルハルトは無言で頷く。

「つまり。今回の主攻は北の敵で、南の敵本隊が実は助功である、という意味ですか」

 訊いたのはノーマンだった。年齢にそぐわず張りのあった丸顔はこの一日ですっかりやつれている。兵站参謀という役柄、寝ている暇もなかったのだろう。しょぼくれた目をこすりながら、彼は戦況図を見つめていた。

「いや。この場合、主功、助功といった明確な区別はないと思っていた方がいいだろう。砲台陣地への浸透突破のこともある。一度に南北から襲われれば手の施しようがなくなるという意味で、どちらも主功だと思っていたほうが、気が楽だ」

 とても気楽にはなれそうにない予想を口にしたヴィルハルトへ、ノーマンは「はあ」と応じて額の汗を拭った。他の者たちも不安そうに視線を彷徨わせている。平然としているのはヴィルハルトと、事前にこの話を聞いていたブラウシュタインとカレン、それからメッケルだけだった。

「ともかく。このままでは街道内ですりつぶされるのを待つだけだ」

 椅子の背もたれに深く腰掛けて、ヴィルハルトはあっけらかんとした表情で「困ったものだな」と笑った。まさに野戦指揮官そのものといった態度であった。参謀たちの何人かは本気で彼に心酔しかけたほどだった。

「で、どうするのですか。代行」

 ただ一人、そうした敬意とは無縁であるらしいメッケルが挑発するように訊いた。

「君になにか案はないのか、作戦参謀」

 ヴィルハルトは訊き返した。話をはぐらかしたわけではない。単純な好奇心からの問い返しだった。

「やはり、砲台を使うべきです。多少手間はかかっても、街道内に入り込んだ敵を殲滅するのであれば、それが最善策と思われます。街道内では我々の方が、火力で優越しているのは確かなのだから。フェルゼン大橋側に展開している第6旅団にも協力を扇げば、砲を動かすだけの時間も稼げるはず」

「なるほど」

 ヴィルハルトは柔らかく頷いてから言った。

「時間が無限に使えるということであれば、それでいいかもしれない」

 つまりは、却下だった。

「では、どうするつもりで?」

 悔しそうにメッケルが尋ねた。

「銃兵第12旅団、砲兵第6連隊にはひとまず、このまま前進して第3旅団との合流を急がせる。並行して、第三師団は後退させる」

「確かに銃兵第12旅団と砲兵第6連隊と合流できれば戦力は増しますが。しかし、戦わずして街道の半分を明け渡すのですか」

 賛同しかねるという顔のメッケルに、ヴィルハルトは首を振った。

「明け渡すのではない。敵をこちらの設定した戦場まで誘引するのだ」

 机に身を乗り出したヴィルハルトは戦況図を指でなぞりながら淡々と答えた。

「街道内のどこで戦おうとさしたる違いなどないのでは?」

 不安そうに訊いたのはノーマンだった。

「それに、第3旅団は敵と交戦しつつ退いてくるのですよね? そうすると、合流できたところで砲兵の展開が間に合わないのでは」

 砲兵大尉も不満そうだった。そんな彼らに、ヴィルハルトは含むような笑みを浮かべた。

「これまでのところ、我々は敵に主導権を奪われっぱなしだ。だから、そろそろ返してもらおう。もちろん、第6旅団にも協力してもらう。街道を封鎖している敵部隊へフェルゼン大橋側から攻撃を仕掛けて、動きを拘束してもらう」

 そして、ヴィルハルトは自らの作戦を説明し始める。作戦そのものは簡潔なものだった。

 しかし、話が終わるころには誰もが呆れたように口を半開きにしていた。

「以上だが、何か質問は?」

 ヴィルハルトは静まり返る参謀団に尋ねた。

「一つだけ。質問というよりは、確認なのですが」

 手を挙げたのはメッケルだった。先ほどまでの反抗心が一切感じられない、素直な態度だった。

「あなたはそれを、正気のまま思いついたのですか」

「良く訊かれるが、どうだろう。分からない。以前はそうだと思っていた。しかし、この頃は自信がない。たぶん。俺はもう狂っているのだろう」

 ヴィルハルトは空模様を確かめるような顔で天井を仰ぎながら答えた。

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