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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第五幕 〈王国〉軍冬季大攻勢
185/202

命の値段 1

 通信参謀が部屋を出てゆくのと入れ替わりに、ヴィルハルトはカレンに第一擲弾戦闘団の本部人員を呼んで来いと命じた。

 呼び出された第一擲弾戦闘団の幹部連中は、ヴィルハルトを見て一様に白けた顔を浮かべていた。朝早く、どこかへ呼び出されていった自分たちの指揮官が、次に会ったときには軍の司令官になっていたのだから呆れるのも無理はない。しかし、彼らの顔に困惑は無かった。激戦に次ぐ激戦を戦い抜いてきた彼らにとり、この程度の異常事態は許容範囲内だったのだろう。ヴィルハルトが手短に状況を説明し終える頃には、楽しんでいるような笑みを浮かべている者までいた。

「要するに、前も後ろも崩壊し、我々は孤立したと」

 改めて自分たちの置かれている立場を思い知らされて、司令部の参謀たちが顔を青ざめさせている中。エルヴィン・ライカ大尉が軽口を叩く。

「なんだか、この戦争で我々はいっつもこうですねぇ」

「山に追い詰められるのは我が国建国以来の伝統だからな」

 やれやれと肩を竦めるエルヴィンに、テオドール・クロイツ大尉が鼻を鳴らして応じた。明言こそ避けてはいるものの、国祖ホーエンツェルンによる〈王国〉建国史のことを言っているのだろう。一歩間違えば不敬罪で打ち首になりそうな会話を無視して、ヴィルハルトはアレクシア・カロリング少佐に命じた。

「敵の襲撃部隊から砲兵たちを守る必要がある。カロリング少佐。第一擲弾戦闘団から一個大隊ほどの戦力を抽出して、ここから南にあるバーゼルの街近くの第14砲台へ向かえ。そこで敵を止める」

「私が、ですか」

 命じられたアレクシアは少し驚いた様子で尋ね返した。自分でいいのか、と。

 第一擲弾戦闘団は独立捜索第41大隊を前身として再編された部隊である。幹部を始めとした隊の基幹要員はヴィルハルト子飼いの部下といってもよく、第41大隊は彼が心血を注いで育て上げた部隊だ。当然、その指揮はヴィルハルトが執るものだと誰もが思っていたからだった。

 しかし。

「他に誰がいる。俺はここで軍の指揮を執らねばならない。であれば、部隊に残る中で最も階級の高い君に指揮を任せるのは当然だろう」

 ヴィルハルトは顔を険しくして言った。

「ユンカース大尉もついていけ。残る部隊の面倒はギュンター大尉が見ろ」

 その命令に、エルンスト・ユンカース大尉は大陸一の美女から微笑みかけられたように顔を蕩けさせ、ギュンターは生真面目な顔つきのまま無言で頷きを返す。

「任務は分かっているな。友軍砲兵を護衛し、かつ敵の浸透をそこで食い止めることだ。十中八九、敵は猟兵だろう。軽装だが山での戦いに慣れている連中のはず。すばしこいぞ。気を付けろ」

「いいねぇ」

 ヴィルハルトが任務内容を告げたところで、テオドールがにんまりと笑った。

「ようやく、俺たちも戦争らしい仕事ができるってわけだ」

 破壊的な欲望と野心を隠そうともせず、実に楽しそうに舌なめずりしている彼に、すぐ横でエルヴィンが身を竦ませている。なにか、士官学校時代の嫌な記憶を思い出したのかもしれない。

 だが、楽しそうな彼の気分は次のヴィルハルトの一言でぶち壊された。

「いや。クロイツ大尉。君はここに残れ」

「な、なに?」

 テオドールは目の前にあった餌を取り上げられた猛犬のような顔で聞き返した。

「どういうことだ。いや、ですか。納得のゆく説明をしてもらいたい」

 わざわざ丁寧に言い直しても、その口調はよくて商売敵を脅す悪徳商人のそれだった。机越しに肩を怒らせて迫るテオドールをみて、ヴィルハルトは小さく溜息を零した。

 分かっていたことだが、面倒なことなのに変わりはない。

「君とライカ大尉には、残って兵站参謀の補佐をしてもらう。人手が足らないのだ」

「へ、兵站……?」

 その命令にテオドールは絶句していた。

「ご実家の大商会で辣腕を振るっていた君なら簡単な仕事だろう」

「あの、何故、自分も一緒なのでしょうか?」

 固まっているテオドールの横で、エルヴィンがおずおずと訊いた。出撃を命じられたユンカースを羨ましそうな目でちらちらと見ている。さほど好戦的とはいえない性格のエルヴィンだが、今回ばかりは敵と殺し合った方がまだマシだと思ったらしい。

 まあ、気持は分かる。

 自分で命じた事ではあるが、珍しくヴィルハルトもエルヴィンに同情した。無論、だからといって一度口にした命令を撤回しようとはしない。

「戦闘中の軍全体の兵站を把握するとなれば、その煩雑さは大隊や連隊の比ではない。クロイツ大尉一人増えたところで焼け石に水だ。だからも、君も手伝え。レーヴェンザールで兵站担当だった君なら、並みの兵站部員より役に立つ」

 すらすらと淀みなく答えられたのは、最初から答えを用意していたからだった。それでもエルヴィンは上官の真意を測りかねているような顔をしている。今の説明が、ただの言い訳に過ぎないと分かったのだろう。

 しかし。テオドール・クロイツという男は出会った頃から破壊衝動と闘争本能の塊が服を着て歩いているような男だった。確かに戦場では役に立つだろう。だが同時に、一度手綱を離してしまえばどこまで走ってしまうか分からない危うさもある。ヴィルハルトは自分ですら使いこなせるかどうかも分からないものを、他人に預けられるほど大胆にはなれなかった。

「その時が来れば、存分に暴れさせてやる。それまでは素直に従ってもらうぞ」

 テオドールに顔を戻したヴィルハルトは、凶暴な圧力に一切臆することなく言い放った。そうして、しばらく睨み合った末。やがて、テオドールが根負けしたように仕方がないと溜息を一つ零した。

「了解しました。兵站参謀を手伝います」

 不貞腐れたようにテオドールが敬礼した。

「兵站参謀はそちらにいるノーマン少佐だ」

 ヴィルハルトはノーマンを手で示した。

「少佐殿」

 テオドールがノーマンを見た。

「あ、ああ。現在、兵站部は備蓄弾薬数の把握を急いでいる。各隊から報告された砲弾薬の残数を集計する作業を手伝ってほしい」

「了解しました」

 徹頭徹尾、不機嫌さを隠そうともせずに応じて、テオドールはエルヴィンの襟首をひっつかむと会議室を出ていった。みながなんとも言えない表情でそれを見送った。

「何をしている、カロリング少佐。時間がない。ただちに任務へ取りかかれ」

「は」

 叱るようなヴィルハルトの声に、アレクシアは洗練された敬礼をしてからユンカースたちを連れて戻ってゆく。これでひとまず、南から浸透突破してくる敵への対処は済んだ。しかし、一息つくのはまだ早い。


「南口に最も近い場所へ展開している部隊は何処だ?」

「少し待ってください」

 言いながら、情報参謀の大尉が通信参謀の置いていった通信録を引っ掻き回した。緊急性の高い報告以外、通信記録を精査して纏めるのは情報参謀の仕事になっていた。そのため、彼だけが司令部で唯一、専用の机と椅子を与えられている。

「南口に一番近いのは……」

 やがて、該当部分の通信記録を見つけたらしい情報参謀は困惑したような顔でヴィルハルトに告げた。

「義勇軍、第7旅団です。第一警戒線の塹壕陣地に展開中」

 司令部がざわついた。

「どうしてそんな場所に義勇軍が」

 誰かが罵るように呻いた。

「第7旅団は街道南側の築城作業を担当していたはずだろう」

「混乱に巻き込まれて、展開位置を見誤ったのでは?」

 第7旅団の現在位置について、比較的好意的な解釈をしたのはノーマンだった。

「第7旅団の指揮官は誰だ?」

 ヴィルハルトは訊いた。

「レイク・ロズヴァルド中将です」

 ブラウシュタインが答えた。ヴィルハルトは酷く納得したように頷いた。

「第二軍から協力を強いられたのでは?」

 バッハシュタインあらあり得るとメッケルが毒づく。

「どうかな」

 ヴィルハルトは曖昧な笑みを浮かべて言った。

「ロズヴァルド中将のお人柄は良く知っているつもりだ。もしかすれば、中将の側から協力を申し出たのかもしれない」

 それに何人かの参謀が同意するように唸った。彼らの共通点は戦争が始まる前から東部方面軍にいた者たちだった。ヴィルハルト同様、彼らもロズヴァルドがどんな人物なのかを知り尽くしているのだろう。

「これは重大な軍規違反だ」

 ブラウシュタインが険しい顔で言った。

「義勇軍は有事の際、軍の指揮下に入ると法で明確に……」

「だとしても。今さらどうにもならない」

 ヴィルハルトは他人事のように答えた。彼の心はもはや諦観のその先にあった。

「代わりの部隊を向かわせますか」

 そう提案したのはメッケルだった。

「それだけの余剰戦力が我が軍にあればいいが」

 実際、第三軍は北の敵に対処するだけで手一杯だ。いまさら、もう一つの戦線を抱え込めるだけの余力はない。言外に案を却下されて、メッケルは悔しそうに唸った。代わって、工兵隊から来た少佐が手を上げる。

「退いてきた第二軍に守らせては? 元々、あの警戒線の陣地群は我々が構築したもので、それを後から使わせろと横取りしたのは連中でしょう」

「復讐のつもりか?」

 ヴィルハルトはせせら笑うように聞き返した。決して責めたわけではない。自身の手柄を後からきた連中に横取りされて喜ぶような人間などいない。彼の抱く感情はまったく人として当然のものだろう。ただ、この期に及んで自身の欲望を優先しようとする工兵少佐の人間らしさを嘲笑ったのだった。

「そんなつもりでは」

 当然、そんなヴィルハルトの内心など露と知らない工兵少佐は叱られた子供のようにむっつりと唇を尖らせて黙った。

「では、どうすると。代行には何か考えがおありか?」

 メッケルが挑むようにヴィルハルトへ身を乗り出して訊いた。ヴィルハルトは薄い笑みを浮かべて彼を見返した。その真っ暗な瞳には、冷酷よりもよほど始末に負えない光が宿っている。

「……代行?」

 何かを察したらしいメッケルが、正気を問うようにヴィルハルトを呼ぶ。

「まさか」

「仕方がない」

 空っぽの闇の底から響くような声でヴィルハルトは答えた。

「義勇兵第7旅団には、退いてきた味方を収容しきるまでの間、現地点を確保してもらう」

「義勇兵を前線に立たせると?」

 メッケルが怒ったような声を出した。他の参謀たちも、流石にそれは、と顔を顰めている。

「簡単な算術の問題だ」

 机に肘を突いて、組んだ両手の上に顎を乗せながらヴィルハルトは言った。口角がつり上がり、口が三日月のような形に歪む。

「正規兵一人と義勇兵十人なら、どちらが戦力として価値がある?」

「代行、それは……」

 ブラウシュタインが咎めるように口を挟んだ。しかし、ヴィルハルトは止まらない。

「では正規兵十人と義勇兵一人なら?」

 畳みかけるように彼は問う。答えはない。いや、答えは誰もが知っている。ただ、それを口にするのはあまりにも。

「義勇兵を捨て駒にすると?」

 怒りも露わに訊いたのは、メッケルだった。すっかり頭髪が後退して広くなった額に青筋が浮いている。

「違う。損害の増える仕事を義勇兵に任せて、正規兵をひとりでも多く温存するためだ。捨て駒ではない」

「どちらにせよ、義勇兵を見捨てることに変わりはない!」

 メッケルが怒鳴る。

「見捨てる?」

 ヴィルハルトは意味が分からないという顔で彼を見た。

「違う。我々が彼らを見捨てるのではない。彼らが我々を見捨てないのだ。何故か。彼らが義勇兵だからだ。彼らは自らの意思で武器を取り、祖国へ命を捧げると誓ったのだろう? ならば、彼らは喜んでその誓いを果たそうとするだろう」

 自分でも信じていないような、ろくでもない新興宗教の経典を読み上げるようにヴィルハルトは続けた。

「それに今ここで無駄に兵を失うわけにはいかないのだ。勝つにせよ、負けるにせよ、この戦争が続く限りは」

「しかし、しかし……それはあまりにも非情だ」

 受け入れがたいという顔でブラウシュタインが呟いた。

「その通りだ」

 それにヴィルハルトは何をいまさらとでもいうように頷いてみせる。

「もちろん、これ以上に良い策があるのならそちらを採用する。誰か早く思いついてくれ。退いてくる第二軍を救い、義勇軍を安全な後方まで後退させ、かつ、進攻してくるであろう〈帝国〉軍を押し止めるだけの戦力を街道南側へ即座に展開させる方法があるのなら」

 ヴィルハルトは心の底からそれを求めた。しかし、答えはない。誰もが押し黙っている。

 一同を見回して、ヴィルハルトは微笑んだ。地獄の底で魔王と対峙していた方がまだマシだと思えるほどの、ありとあらゆる悪徳に満ちた笑みだった。

「だが、他人の命に値札をつけて売り払うのが我々の仕事だろう。味方は高値で、敵はできるだけ廉価で。おや、良い顔になってきたじゃないか、参謀長。ようこそ、戦争へ。さっそくだが、今の命令を速やかに義勇軍第7旅団へ伝えてくれ」

 今にも吐きそうな顔をしているブラウシュタインに、ヴィルハルトは醜悪な笑みを湛えたまま、友人を自宅へ招き入れるように両手を広げてみせた。

 ヴィルハルトを前に、ブラウシュタインはしばし固まっていた。ここが分岐点だと思った。もしもここで反対の声を上げなければ、自分は幾千幾万回、極刑に処されても償いきれない悪行に手を染めることになるだろう。断るべきだと、自分の中に残る人間性が叫んでいる。

 だが。

「どうした。何をしている」

 悪魔の声が聞こえた。

「急げ。戦争はもう始まっているのだぞ」

 それは抗いようのない強制力のある誘いだった。その場の誰も拒否することはできなかった。のろのろと、そして次第に腹に据えたような顔で、臨時司令部の参謀たちは大量殺人計画の実行に着手し始めた。まさか、敵ではなく味方を殺すための計画を実行する日が来るなどとは思ってもみなかった。最低な気分だった。

 だが、たとえそれがどれほど非情で許されざる行為だったとしても、軍には命令に絶対服従という原則がある。

 そして。ならばまた、彼らが犯す如何なる悪行も、その責任は命令を発した者だけが負うという原則も軍隊には存在する。

 なるほど。詭弁だな。

 どうにかして、己が成そうとしている罪科から逃れようとしていたブラウシュタインだが、溜息とともに思考を打ち切った。 

 所詮、戦争は政治の延長に過ぎない。ならばそれを遂行する軍隊がその種の詭弁に満ちていてもなんら驚くことなどないはずだ。もっと早く気付くべきだった。もう遅い。自分はすでに戦争の権化ともいうべき悪魔と契約してしまった。祖国を滅亡から救う代価として、その悪魔が幾千幾万の流血を求めるのは当然の事だった。


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