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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第五幕 〈王国〉軍冬季大攻勢
184/202

前後崩壊 4

 頼みの綱である上陸部隊が任務に失敗したことなど知りもせず、〈王国〉第二軍は冬季大攻勢を継続していた。しかし、戦況はもはや覆しようのないほど悪化している。

 〈帝国〉軍直轄砲兵隊による長射程の野砲を使った対砲迫射撃がその契機であった。同時に、第一線のすぐ後ろに控えていた〈帝国〉軍の予備戦力が前進。散々に砲弾で叩かれていた〈王国〉軍先鋒はこの圧力に抗しきれず、隊列は瞬く間に瓦解した。

 第二軍は両翼に展開させていた銃兵旅団を使って崩れた中央の再建を図ったが、友軍砲兵からの支援もなく、さらに〈帝国〉騎兵部隊による突撃が敢行され、突破を許してしまう。〈帝国〉騎兵たちは瞬く間に〈王国〉軍砲兵隊の戦列を蹂躙し、ここに戦いの帰趨は決した。

 それは〈王国〉第二軍の完膚なきまでの敗北であり、そして〈帝国〉軍の当然の勝利であった。


「閣下、もはやこれまでです! 撤退を!」

 敵騎兵が自陣内を我が物顔で疾駆しているのを見た第二軍参謀長が悲鳴に近い声でバッハシュタインに進言した。古今、合戦に敗北した軍を待つ運命はただ一つ。酸鼻極まる虐殺である。散り散りになった部隊は取り囲まれ、敗走を始めた兵は追い立てられ、そのほとんどが生きて帰ることはない。だが、今ならばまだ。両翼の独立銃兵旅団は分断されているとはいえ、まだ戦力を保持している。騎兵に退路を断たれるより先に彼らを後退させることができれば。

 そう焦る参謀長に対して、しかし。

「なぜだ」

 バッハシュタインは半ば茫然した顔で呟いた。

「上陸部隊は、別動隊はどうした。ガーデルマン大佐は何をしている」

「もはや彼らを待っている猶予はありません!」

 戦いが始まってから幾度となく聞かされたそのセリフに、参謀長は叱りつけるような声を出した。

「とにかく。ここまでです。徹底のご命令を! まだ無事な部隊に遅滞戦闘を命じて、我々も後退しなければ」

「遅滞戦闘」

 まるで阿呆のようにバッハシュタインは参謀長の言葉を反芻した。轟音が響き、遅れて衝撃がやってきた。敵の一斉砲撃が前線の部隊へ降り注いだのだった。バッハシュタインは知性の光が失われた瞳をそちらへ向けた。酷い有様だった。もはや、まともに戦闘を行っている部隊など見当たらない。敗北と呼ぶより他にない光景であった。

 バッハシュタインの心の奥底で眠っていたとある装置が作動したのは、その時だった。

 それは彼自身でも驚き、戸惑うような衝動だった。

 この敗戦の責任を取らねばならない。純化された脳内に、そんな考えが過ぎった。

 いわゆる、崇高な精神とかいうやつだった。

「……これより、後衛戦闘の指揮を執る」

 前線から必死の形相で兵たちが後退してくるのを見つめながら、彼は唐突に言った。

 それを聞いた参謀たちの反応は、当然の困惑である。

「だれが、でしょうか?」

「わしだ」

 その答えに参謀長を始めとした部下たちは絶句した。バッハシュタインはそんな彼らの戸惑いを押し流すような力強さで続けた。

「全隷下部隊へ撤退を命じろ。儂は騎兵第21連隊を直卒して、それらが撤退するまでの時間を稼ぐ」

「閣下」

 参謀長が口を挟んだ。上官の正気を問うような声だった。

「失礼ながら、軍司令官自らが撤退戦の指揮を執られる必要はないかと……」

「いいや、わしが執る。執らねばならん」

 バッハシュタインは駄々をこねる幼子のように繰り返した。

 何故、そうせねばならないのか。自分でも分かっていない。ただ、自分は部下たちに勝利を約束してここへ連れてきた。それが達成できぬとなれば、最後にして最大の危険は自分が負うべきではないか。それが責任を果たすということではないか。

 奇妙に澄み切った頭の中で、彼は自信の行いをそう結論した。

 そうだ。惨めな敗者として生きるくらいなら、気高く死のう。

 決心したバッハシュタインの顔に悲壮感はなかった。天界の門が開かれるのを目の当たりにした敬虔な信徒のような清々しさで満ちていた。

 軍司令官に率いられた最後衛部隊はその後、およそ三刻に渡って遅滞防御戦闘を継続した。三刻という時間をどう捉えるか、判断は難しい。結局、全部隊が北街道内に撤退しきるより先に彼らは玉砕したからだった。


 第二軍司令官、バッハシュタイン戦死の一報が飛び込んできた時。北街道内で第三軍の指揮を執っていたヴィルハルト・シュルツが漏らした感想は言葉ではなく、舌打ちだった。

「悲壮美にでも酔ったか。馬鹿め」

 戦況図を睨みつけながら吐き捨てた彼の声には、明らかな侮蔑の響きがあった。

「代行」

 それにブラウシュタインが咎めるような声を出した。代行という呼び方は、中佐に過ぎないヴィルハルトを軍司令官と呼ぶべきかどうか迷う者が多かったため暫定的に決められた呼び方である。

「異論があるのか。参謀長」

 ヴィルハルトは顔面を酷薄さで塗りつぶして言った。

「第二軍司令官殿は責任という言葉の意味を履き違えておられたに違いない。責任を負うとは、自ら危険を引き受けるということではない。己の決断の末に生じたあらゆる結果について、その責めを負うという意味だ」

 生前の罪に対して判決を下す地獄の裁判長のような口調で断言してから、彼は苛々としたように机を指で小突きだした。

「いったい誰が、このあと退いてくる第二軍の面倒をみなければならないと思っている」

 呟いたその言葉に、ブラウシュタインは少し驚いた。彼はてっきり、このままヴィルハルトが第二軍を見捨てるだろうと思っていたからだった。それくらいの果断さはある男だ。だからこそ、無茶な言い訳を使ってまで彼に軍の総指揮を任せているのだから。

 しかし、実際のヴィルハルトの思考は真逆である。

 どうにかして第二軍を救わねばならないと彼は本気で考えていた。

 別に敗走してきた将兵に対する憐憫や良心からではない。もっと現実的な問題だった。

 正直にいって、〈王国〉軍にはもう無駄にできる戦力など一兵たりとも残っていないのだ。敗走したとはいえ、第二軍の残存兵力は少なくともまだ三個旅団ほど残っている。これが壊滅するのを、ただ手をこまねいて見ているわけにはいかなかった。

 だが、救うにしても面倒どころではない問題がある。第二軍は総崩れだ。よりにもよって軍司令官が退却の指揮も執らずに、無茶で無意味な後衛戦闘をやらかしたせいだった。それも、本来であればこうした事態の際に混乱を収めるべき軍本部の要員や参謀団まで道ずれにしたというのだから救いがない。第二軍の指揮系統は収拾のつかないほど乱れきっている。傍からみても、誰が全体の指揮を執っているのか分からないのだから、現場の混乱ぶりはここの比ではないはずだった。

「あの、代行」

 通信参謀がおずおずと口を開いたのはその時だった。

「なんだ」

 まだいたのか、というようにブラウシュタインが聞き返した。

「いえ、その。一つ、気になることがありまして。街道の南口に近い砲台の幾つかから、応答がないんです。第1、4,8,11砲台です」

 それを聞いたヴィルハルトの反応は劇的だった。目を見開き、虚空へ視線を彷徨わせると、唐突に机を殴りつける。

「やられた」

 さほど重要な事だとは考えていなかった通信参謀は彼の反応に、びっくりしたように身を竦めた。

「くそ。部隊を北から上陸させたのは、こちらの背後を遮断するためだけではないだろうと思っていたが」

「代行、どうしたのです。いったい、なにが」

「参謀長。ただちにアルぺスホルンより南側にある全砲台へ通達しろ。敵が街道内に浸透している公算大。恐らく猟兵と思われる。標的はこちらの砲兵だ。各砲台は敵襲を受けた場合、応戦せず、速やかに陣地を放棄して後退せよ。ただし、可能であれば砲は破壊する事」

 尋ねるブラウシュタインを遮って、ヴィルハルトは命じた。参謀たちが雷に打たれたような表情を作る。ヴィルハルトは頷いた。

「そうだ。陽動だ。こちらの目がすっかり背後に向いている最中に、敵はゆっくりとこちらの防衛線を破壊していたのだ」

 大部隊による陽動。そして猟兵による浸透突破。どちらも思いついていたのに。

 ヴィルハルトは下唇を嚙み締めた。悔しかった。しかし、不思議と怒りは無かった。苛立ちを感じるには、状況が度を越し過ぎている。

「聞いていたな、通信」

 衝撃から立ち直ったブラウシュタインが素早く命じた。

「あの、通信内容が複雑すぎます。それだと伝えるだけで半刻はかかってしまいます」

「なるほど。それは気が付かなかった」

 通信参謀が技官として口にした意見を、ヴィルハルトは素直に聞き入れた。

「良く教えてくれた。ありがとう。では、こう伝えてくれ。敵が来たら逃げろ」

「送ります」

 礼を言われた通信参謀はすっかり恐縮したように敬礼をした。その些細なやり取りの中に、この場にいる将校たちはどうしてヴィルハルト・シュルツが絶望的な状況下のレーヴェンザールで兵を戦わせ続けることができたのかを理解して、嫉妬にも近い羨望を抱いた。あれほど自然に、部下へ礼を言うことのできる指揮官がこの中に何人いるだろうか。


短くてすみません。

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