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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第五幕 〈王国〉軍冬季大攻勢
183/202

前後崩壊 3

 第二軍特別上陸部隊を乗せた〈王国〉軍船舶部隊の兵員輸送船団は、対岸に赤色発煙弾が打ち上げられるのを認めると直ちに行動を開始した。

「降雪もない、ちょうどいい風も吹いている。流れに乗れば、対岸まで半刻もかからないでしょう」

 葉巻を横咥えにした厳つい顔の船舶部隊指揮官の言葉に、千六百名からなる特別上陸部隊を率いるユフス・フォン・ガーデルマン大佐は頷いた。甲板上では船舶兵たちが忙しなく動き回っている。

「ようやく活躍の機会が回ってきたんだ! 気張れよ、船乗りども!」

 船乗りらしい威勢の良さで兵どもをどやしつける船舶部隊指揮官を横目に、ガーデルマンは甲板の端によって大河の東岸へと目を凝らした。大河はまったく巨大であり、今は水平線がどこまでも続いているように見えるだけだった。帆が風を受けて大きく膨らんだ。船は初めゆっくりと、そして徐々に速度を上げて大河を進みだす。やがて、水平線の向こうから朝もやに包まれた陸地の影が見え始めた。途端、船の速度が一気に上がる。

「流れに乗りました。最大船速です」

 船舶部隊指揮官の報告に、ガーデルマンは甲板から身を乗り出すようにして対岸を観察した。彼の言う通り、陸地がみるみると近づいてくる。ガーデルマンは逸る気持ちを抑えるのに相当な努力をしなければならなかった。

 〈王国〉軍史上初、いや、或いは大陸世界の軍事史上初となる渡河上陸作戦。敵は自分たちが大河を渡って後方へと殴り込んでくるなど、予想もしていないだろう。つまり、冬季大攻勢の成否は自分たちの双肩にかかっているのだという自負がガーデルマンの胸中に溢れかえる。

 そんな重要な部隊の指揮官を任されたことについて、ガーデルマンは疑問を抱かない。つまりは、自分が西部方面軍で最高の野戦指揮官だと認められたということに違いないから。

「対岸まで距離1000!」

 メインマストの上から、見張りの船舶兵が大声で報告した。

「接舷までおよそ、十分です!」

「特別上陸隊、上陸準備!」

 ガーデルマンは甲板に整列している部隊へ振り向くと命じた。彼が率いる特別上陸部隊は三個銃兵大隊を基幹とした銃兵第27連隊を主力に、一個騎兵中隊、一個騎兵砲中隊が付随した打撃力と機動力を重視した特別な編制をとっている。第二軍主力との合流まで独力で戦闘し、敵後方を攪乱するためだ。

「距離、500!」

 再び見張りが叫んだ。もう接舷まで数寸もないだろう。この作戦を成功させれば、自分は一気に栄達の道を駆けあがる。そんな確信に満ちた指揮官の雰囲気にあてられて、部下たちまでムッとするような熱気を放ちだす。誰も彼もが、栄光に炙られていた。それは船舶部隊の将兵たちも例外ではない。これまで、直接戦況に寄与することのなかった彼らにとって、この作戦の成功とはすなわち船舶部隊の未来を確約せしめるものであったからだ。

「上陸後、全部隊は速やかに突撃隊形へと展開せよ」

 ガーデルマンは逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと低い声で命じた。もう岸はすぐそこだった。上陸地点に選ばれたのは、川岸が切り立った崖のようになっている場所だ。水面からの高さがちょうど帆船の甲板とほぼ同じで、そこでならば上陸用の小舟を出さずとも甲板から渡し板を使って直接上陸することができる。ガーデルマンはその場所を確認すると、さらに内陸へと目を向けた。上陸から速やかに戦闘態勢へ移るため、指揮官として地形を把握しておかねばならない。上陸地点からまっすぐ進んだ先には、なだらかな丘が連なっていた。ちょうど良いから、まずは銃兵部隊をあの稜線に張りつけよう。そう思った時だった。

 大河に沿うようにして走る丘の稜線に、奇妙なものが見えた。黒い点がぽつぽつと、等間隔に並んでいる。それにまとわりつく赤い小虫のようなものがみえて、ガーデルマンは懐から望遠筒を取り出した。果たして、赤い虫の正体は〈帝国〉兵であり、黒い影の正体は短砲身の野砲であった。

 なぜ、あんなところに〈帝国〉軍が?

 刹那、ガーデルマンの脳裏を占めたのはそんな疑問だった。ほとんど同時に、丘の稜線上に並んだ砲の一つが白煙を噴き上げる。

「なんだっ!?」

 突如響き渡った轟音に、船舶部隊指揮官が驚きの声を上げた。一拍遅れて、ガーデルマンたちが乗る船の舳先近くで大きな水柱が立ち上がる。

「砲撃されています!!」

 マスト上の船舶兵が絶叫しながら岸を指さした。その先でいくつかの砲が一斉に火を噴き上げる。

「いかん! 舵を切れ!」

 ひゅー、という無数の風切り音に、船舶部隊指揮官は焦ったように指示を出す。

「面舵ですか、取り舵ですか!?」

 それに操舵輪を握っていた大尉が怒鳴り返す。階級に対する敬意を求めているような状況ではなかった。

「どちらでもいい! とにかく目一杯だ!」

 船舶部隊指揮官が叫ぶ。

「駄目だ! このまま接舷しろ!!」

 彼らが進路を変えようとしていることに気付いたガーデルマンが二人の間に割り込んだ。操舵輪を握る大尉は困惑した表情を浮かべ、船舶部隊指揮官は唖然とした顔を彼に向ける。

「何を言ってるんですか、このままじゃ」

「このまま上陸する! 任務を放棄することなどできない!」

 言い合っている間にも、砲弾の群れはどんどん近づいてくる。いや、正確には自分たちから近づいてゆく。速度のついた船は今さらの進路変更など受け付けない。そこら中に水柱が乱立した。震える船体に、舞い上がった水しぶきが土砂降りのように降り注ぐ。不幸なことにガーデルマンたちのすぐ横を行く僚船に直撃弾があった。べきべきと嫌な音を立てて、舳先から沈みだす。大きく傾斜した船体から、船員や上陸部隊の兵たちが悲鳴を上げながら転げ落ちていく。落水と同時に心臓が止まった者は、或いは幸運だったかもしれない。冬。それも氷点下の大河の水に抱かれて溺死するよりは。

「こちらも撃ち返せないのか!?」

 ずぶぬれになりながら、ガーデルマンは怒鳴った。

「砲なんぞ積んでおりません!!」

 船舶部隊指揮官の反論に、ガーデルマンは絶句した。そこへ、先ほどよりさらに多くの砲声が響く。敵が効力射に移ったのだろう。すぐ近くの空中で、砲弾の一つが破裂した。

「榴散弾だ!!」

 誰かが叫んだ。しかし、それももう遅かった。一発の榴散弾が甲板直上で破裂した。砲弾内部に詰め込まれていた無数の散弾が雨あられと降り注ぎ、帆が裂かれ、策具が切れ、そして人が飛び散る。火薬から引火したのだろう。裂けた帆の一部に火が点いた。油のたっぷりと染み込んだ麻布は冗談のような速度で燃え広がった。ガーデルマンもまた、幾つかの破片を浴びて負傷した。

「くそ、くそ。くそっ!!」

 何度も毒づいてから、彼はこの責任を取らせようと船舶部隊指揮官の姿を探した。戦場に充満している黒煙が目に染みる。そこら中から悲鳴と苦悶の呻きが聞こえた。

「船舶指揮官! 船舶指揮官はどこへ行った!?」

 ガーデルマンはすぐ近くで茫然としている船舶兵を怒鳴りつけた。すると、その兵は恐る恐るといった動きでガーデルマンの背後を指さした。振り返る。血の海だった。その中に何か、赤黒い物体が転がっている。良く見ると、砕けた船舶部隊指揮官の顔面の一部だった。

 反射的にガーデルマンは嘔吐した。同時に船体が大きく揺れた。どうやら、もう一発直撃を食らったらしい。

「退艦! 総員、退艦!! もう沈むぞ!!」

 まだ生き残っていた操舵手の大尉がそう叫んでいた。足元からごぼごぼと水音が聞こえてくる。船体に空いた穴から、凄まじい勢いで浸水している音だった。

 そこからはあっという間だった。船体が真っ二つに折れて、ガーデルマンは大河へと投げだされた。落水と同時に心臓が止まる。それでも奇妙なことに、ガーデルマンにはまだ意識があった。

 何故。どうしてこんなことに。何故〈帝国〉軍が大河の岸を見張っているのだ。奇襲計画は完璧だったはずなのに。どこかで情報が漏れていたのか。

 無数の疑問を抱きながら、彼は暗い大河の底へ飲み込まれていった。


「直撃です。敵艦、二隻目を撃沈」

 大河東岸に展開していた〈帝国〉軍砲兵隊の観測手は、覗き込んでいた望遠筒から目を離すと指揮官にそう報告した。

「二隻は炎上中、残る三隻は逃げるようです」

 敵情を観察していた彼はそこで不思議そうに首を捻る。

「あの、連中はいったい、何しに来たんでしょうか?」

「分からん」

 応じた指揮官の大尉もまた、訝しそうな表情を浮かべていた。

「強行接舷しようとしていたように思えます。陸戦隊でも乗せていたのでは?」

「艦砲による事前砲撃も無しにか?」

 砲長からの意見に、大尉は困惑した顔で聞き返す。

 突如として押し寄せた、敵の船舶部隊のものと思われる大型帆船七隻。偵察にしては規模が大きすぎるが、かといって砲撃してくるわけでもなく。起きたことを素直に認めるのであれば、ただやみくもに突っ込んできただけという印象が強い。

 砲兵大尉はしばらく考え込んでから、やがて全てを投げだしたように両手の平を上に向けて肩を竦めた。自身の常識とはかけ離れた行動をする者の思考など推し量ることはできない。

「まあ、何にせよ久々に沿岸砲兵としての仕事をしましたね。いや、もしかしたら初めてかも」

 軍曹の軽口に、大尉はそうかもなと苦笑した。

「あの燃えてるのはどうしますか?」

 考えるのは上官たちの仕事だと割り切ったのか。観測手が大河上で炎上している二隻の船を指して訊いた。

「そうだな……」

 砲兵大尉は燃えてる船を見つめた。一瞬の思考の末、決断を下す。

「放っておいてもそのうち沈むだろうが……せっかくだ。射撃訓練ついでに沈めておこう」

「了解です」

 指揮官の言葉に、砲兵たちが素早く射撃準備を完成させた。

「よーし。では、目標、炎上中の敵艦。打ち方始め!!」

 砲兵大尉がさっと軍剣を振るう。それに合わせて、彼の指揮下にある四門の火砲が一斉に火を噴いた。砲弾は炎上している敵帆船の喫水線めがけて飛んでゆき、致命的な破壊をもたらした。残された二隻の船は燃えながら沈んでゆく。恐らくは、大勢の命とともに。

「全弾、直撃です」

 観測手が報告した。見れば分かることだったので、砲兵大尉は特に言葉を返さなかった。

「朝飯にするか」

 指揮官の一言に、部下たちは敵艦を撃沈した時以上の歓声を上げた。


 この出来事は、大河を挟んで睨み合う〈帝国〉と西方諸国における軍事的常識と、大河の両岸を領土に持つ(持っていた)〈王国〉における軍事的認識の決定的な齟齬が原因だった。

 〈帝国〉では、そして当然〈西方諸王国連合〉でも、長大な大河の沿岸防衛こそが国防の最前線と認識されている。大して、〈王国〉ではこれまで大河の沿岸を防衛する必要などなかった。そして戦争が始まってからも、敵が船舶部隊を動かせないということから大河の防衛、それに関する戦術の研究などはほとんど無視されてきた。だからこそ、船舶部隊を使った戦力輸送、渡河上陸作戦を奇策だと思い込んでしまったわけだが、〈帝国〉や〈西方諸王国連合〉では船舶部隊を用いた戦術など半世紀も前に研究されつくしている。敵前上陸のための艦砲による上陸支援射撃、そしてそれに対する沿岸防御はもはや疑問符もつかぬ常識だった。

 要するに〈帝国〉軍は当然の警戒をしていただけであり、〈王国〉軍は恐るべき無知と杜撰な作戦計画、そして上層部の無能によって精鋭千六百名の半数近くをほぼ無意味に失うという、冗談のような悲劇を引き起こしてしまったのだった。

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