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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第五幕 〈王国〉軍冬季大攻勢
182/202

前後崩壊 2

 総攻撃の合図を受け取った第二軍隷下の全部隊は合戦隊形のまま〈帝国〉軍の敷く戦列へと迫った。ざ、ざ、という数万の足音を重ねて、空色の軍団は敵との距離を詰めてゆく。

 これこそが戦の風景だ。

 前線からわずかに半リーグ。戦場全体を見渡せる丘の上に指揮所を構えたバッハシュタインは眼前の光景に満足そうな唸りを漏らした。

 確かに整然と並ぶ将兵たちが銃剣を煌かせながら睨み合う様は壮観な眺めである。或いは、そう感じる感性こそが人類を戦争へと駆り立てるのかもしれない。

「閣下。全軍、展開を完了いたしました」

「よろしい」

 参謀長からの報告に、バッハシュタインは逸る気持ちを抑えるように敢えてゆっくりと頷いた。

「赤色発煙弾を打ち上げてから何刻経った?」

「三刻半といったところです。そろそろ別働隊も渡河を終えた頃でしょう」

 参謀長の返答に、バッハシュタインはますます満足そうな笑みを浮かべる。何故、敵が今日になって突然やる気になったのかは分からないが。ようやくすべてが自分の思い通りに動き出したという気がしていた。そんな高揚感に包まれながら、彼は右手を大きく上へと掲げた。

「頃合いだ。第二軍、前へ」

 握りしめた右の拳を、敵陣へ向けて殴りつけるようにして突き出す。それを見たラッパ手が突撃の音色を吹き鳴らした。バッハシュタインの眼下で一斉に空色の軍団が全身を始める。呼応するように、敵陣でもラッパが吹き鳴らされた。

 そして始まったのは、この戦争が始まって以来初めてとなる正々堂々とした会戦だった。


 旅団戦列の最前列を任されたルントシュテットは、後方でラッパが吹き鳴らされるのを耳にするなり、軍剣を引き抜いた。

「第22連隊、前進!!」

 敵勢へと切先を突きつけて叫ぶ。連隊旗を手にした少尉が隊の列から真っ先に飛び出した。連隊旗を追いかけるようにして、連隊全軍が続く。敵と味方の背後で轟音が連続した。砲兵による突撃支援射撃。たちまち、両軍の隊列へと鉄弾の雨が降り注ぐ。ルントシュテットの率いる第22連隊の隊列も何発か、直撃を受けた。小隊指揮官や下士官たちが即座に後続の者を呼びつけて、その穴を埋めてゆく。敵陣まで七十歩。すでに部隊は小銃の装填は終えている。六十歩。敵もまた前進してきている。彼我の距離は瞬く間に埋まってゆく。

 そして、五十歩。両軍の最前列が互いに、互いの小銃の有効射程内に踏み込んだ。図ったように両軍の前進が停止する。

「第一列、撃てぇっ!!」

 ルントシュテットの号令一下、小銃が一斉に火を噴いた。弾丸とともに吹き出す硝煙であっという間に周囲が見えなくなる。敵もまた発砲を開始した。ルントシュテットの近くで苦悶の呻きが上がり、そこら中で何か柔らかくて重いものが地面に転がる音が聞こえる。そして、ルントシュテットはそれら一切を無視した。

「第二列、前へ! 第一列、次弾装填!」

 轟音と叫び声に負けぬよう、彼は怒鳴った。もはやここに至って彼にできることなど、号令を出し続けることしかない。

「第二列、射撃準備よぉしっ!!」

 すぐ近くで連隊最先任下士官の怒鳴り声が聞こえた。

「撃てっ!!」

 号令とともに、すでに十分以上、音で飽和状態の大気が新たな轟音に震える。ルントシュテットは突然、背後から突き飛ばされたような衝撃に襲われて地面に突っ伏した。慌てて立ち上がる。周囲はもうもうと立ち込める土煙に覆われていた。おかげで部下に無様な姿を見せずに済んだと、彼はほっとした。

「第三列、前へ! 第二列は再装填!」

 ルントシュテットは指揮を続けた。どこもかしこも騒音、轟音で満ちている。振動する大気が絶え間なく腹の底を揺さぶっていた。不思議と恐怖はない。興奮だけがあった。これこそが、軍人の本懐だ。彼は叫び出しそうになった。無論、節度ある貴族将校としてそのような衝動は理性で抑え込む。と、いつまで立っても射撃準備完了の報告がない。

「射撃準備はどうした、連隊最先任!」

 ルントシュテットはそこにいるはずの最先任下士官を怒鳴りつけた。しかし、返答は帰ってこない。訝しんだ彼は背後へ振り返った。ドライゼ山脈のある方向から、地上で始まった乱痴気騒ぎを叱りつけるような冷たい風が吹き寄せて土煙りを払ってゆく。

「最先任っ……!?」

 そこに見知った顔の曹長はいなかった。あったのは黒く焼け焦げた地面と、そこに穿たれた穴。そして、てらてらと赤くぬめる肉の塊だけだった。

「22連隊? 22連隊、何処におる!? 連隊最先任! 連隊主席士官! どこだ!?」

 ルントシュテットは必死になって部下の姿を探した。どうしてはぐれてしまったのか、まったく分からなかった。そうこうしている内に、敵が来る。連隊を集結させなければ。陣形を維持し、敵陣を打ち破る。すべきことは明白だ。だというのに。

「第22連隊、集合! 22連隊――!!」

 虚しい彼の叫びは、新たに響いた轟音によってかき消された。


「……閣下。第二旅団先鋒はほぼ壊滅です」

 眼下の惨劇を目の当たりにした第二軍参謀長が、慄いたようにバッハシュタインへと報告した。それから、ほとんど意味もなく刻時計を取り出して盤面を確かめる。戦闘開始から、まだ半刻と経っていないどころか、突撃も行われていない。にも関わらず、目の前の平野では既に敵味方合わせて一千以上の命が消費されていた。たったこれだけの短時間に、これほどの殺戮を実現させる力を人類は手にしていたのかと今さらのように恐ろしくなった。

 殺戮を実行しているのは敵味方の砲兵たちが半狂乱になって撃ちまくっている砲弾の仕業だった。ここにきてようやく参謀長は、大陸世界の各国軍が最新の軍事研究で決戦主義を否定し始めている理由を知った。戦列歩兵戦術の限界。これだけの砲撃の中、兵を一列に並べて戦わせるなど無謀に過ぎる。

「参謀長。予備の第4旅団に準備をさせろ」

 戦争の狂気にあてられて、半ば以上茫然自失としていた参謀長の耳にバッハシュタインの淀みない命令が届いた。

「しかし、閣下」

 兵にあの砲火の中を行けというのか。上官の正気を確かめようとした参謀長は、バッハシュタインが蟻の群れを観察する少年のような目で戦場を睥睨していることに気付いた。もしも他者の生命への無関心が将帥たるの資質であるとすれば、彼は間違いなくその器であった。

「独立銃兵第8、10旅団にも戦闘準備をさせろ。準備完成次第、左右両翼から第2旅団の側面を援護させる」

「それでは予備兵力がほとんど残りませんが」

「出し惜しみはしない」

 バッハシュタインは清々しいほどの明快さで答えた。

「なんだ、怖気づいているのか。参謀長。確かに我が軍の被害は相当だが、敵の損害もまた大きい。今は耐えて、上陸部隊の到着を待つのだ。彼らが来れば、あの敵を前後から挟み撃ちにできる。敵の陣形さえ崩せば、それで決着だ」

 恐るべきことに、バッハシュタインはまったく正気のまま百年前と同じ戦争を戦おうとしていた。それも、発達した火砲を使って。確かに、上陸部隊との挟撃が成功すればこの場での勝ち目も出てくるだろう。

 ただし。

 参謀長は一人、思った。

 それは敵が、こちらと同じくらい正気であった場合だけだ。


「このやり方も、もう終わりだな」

 後方の高台から戦闘を見守っていた〈帝国〉本領軍第3鋭兵師団長、ラノマリノフ中将は嘆息するようにそう零した。このやり方、というのは言うまでもなく密集隊形による戦列歩兵戦術の事であった。

「確かに。そうかもしれません」

 師団参謀長も同意するように頷いた。

 分かりきっていたことではあるが、やはり近年の火力の増大は著しい。〈帝国〉軍は今回の戦争でそのことを思い知らされていた。

 元々、〈帝国〉軍ではこの戦争の開戦当初から兵の損耗率の高さが問題となっていた。作戦指導に問題があるのではないかと、中央から視察が入ったこともあったほどだ。その結果判明したのは、近代的な火器を装備した敵に対する戦列歩兵(〈帝国〉軍では鋭兵と呼ばれる)戦術の限界だった。砲弾の威力のみならず、連射性も向上した現在の火砲の相手では、戦列を敷いた歩兵など脆弱に過ぎたのだ。戦列歩兵戦術の限界は以前から囁かれてきたことではあったが、〈帝国〉軍はここにきて遂に現実の問題として直面することになった。

 何故、今さらこのようなことになったかといえば。そもそも十七年前の大陸大戦以降、〈帝国〉軍が戦ってきた主な相手は常に旧式の装備しか持たない敵ばかりだった。要するに技術的に対等な相手との戦闘経験が圧倒的に不足していたのだ。

 なるほど。軍部の長老どもが事あるごとの口にする「大陸大戦の頃に比べれば、この程度」という言葉はある意味で真実だったのかもしれないと参謀長は思った。

「だがまあ。どの道、わしにはこのやり方しかできんからな」

 参謀長の横で、ラノマリノフが開き直るような言葉とともに溜息を吐いた。その目は無数の死が散らばっている戦場へと向けられている。どうにかしたいが、彼にはどうにもできなかった。ラノマリノフは鋭兵将校として十五の歳から軍に身を捧げてきた。若い頃に受けた教育、培ってきた常識というものは並大抵の努力では拭い去ることができない。自分が悲しいほど昔気質な軍人なのだなと改めて思い知った。だとして、彼には若い者たちのように柔軟な発想もできなければ〈帝国〉六元帥のような芸術的策謀を弄ぶこともできない。

 近年の技術向上による火器の威力増大。ある筋からの情報では、連発可能な小銃の研究開発も進んでいるという話もある。そんなものが実用化されたならば、いずれ鋭兵たちも猟兵のように散開して戦うようになるのだろう。いや、そうなればもはや鋭兵、猟兵の区別などなくなる。歩兵という言葉そのものが散兵を指す概念になるかもしれない。

 いずれ来るであろう戦場の未来を憂慮している間にも、戦闘は続く。すでに両軍とも、第一線の部隊はほぼ壊滅の様相を呈していた。

「敵は予備隊を展開させるつもりのようです」

 戦場を眺めていた参謀長が言った。

「では、こちらも予備を出せ」

 短いやり取りの後で、命令が伝達され予備隊が行動を開始する。かっちりと隊列を組んだ鋭兵たちが前進する様は、なんと見事なものか。

「今日は勝てますな」

 参謀長が励ますようにラノマリノフへ笑いかけた。

「この戦が終われば、わしは退役だ」

 礼を述べるようにラノマリノフは応じた。もしかすればこの一戦は、自分の長い軍歴を締めくくるための餞なのかもしれない。そう思った。それに最近、新しい戦術も覚えた。

 戦列歩兵の限界が示されたといっても、それに対して〈帝国〉軍が無策なわけではない。

「軍直轄砲兵はどうなっとる」

「展開を完了しています」

 ラノマリノフは頷いた。

「では。対砲迫射撃を要請」

「はっ」

「終わったら、騎兵だ」

「はい」

 それで終わり、とでもいうように言い切ったラノマリノフに、軍参謀長は恭しく一礼をした。この一戦は歴史に戦術歩兵戦術の限界を示したかもしれないが、それは決して〈帝国〉軍の限界を示したことにはならない。夥しい死者の山を築きあげながらも、彼らは当然の勝利を疑っていなかった。

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