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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第五幕 〈王国〉軍冬季大攻勢
181/202

前後崩壊 1

 周辺各隊から引き抜かれた司令部要員が続々と集まり出した会議室は物々しい沈黙で満ちている。全員、何が起きたのかを知っているからか。その表情は一様に暗い。

「司令官。揃いました」

 最後にやってきた者が恐縮した様子で着席したのを見計らって、ブラウシュタインがヴィルハルトに耳うちした。

「うん」

 ヴィルハルトは頷くと煙草を咥えた。全員の視線が彼に集中する。ブラウシュタインが燐寸を擦って、ヴィルハルトの口元へ近づけた。当然のような顔でヴィルハルトはそれを受けて、紫煙を吐きだす。少々あからさまに過ぎる演出に、幾人かが顔を顰めていた。

「良く集まってくれた」

 事前の打ち合わせ通り、まずはブラウシュタインが口を開いた。

「我が軍の置かれている状況については、すでに諸君も承知していると思う。昨日、第三軍の司令部はグリーゼ北の海岸から上陸した〈帝国〉軍部隊の襲撃を受け、壊滅した。第三軍司令官のアーバンス・ディックホルスト大将の安否は不明だ」

 そこで言葉を切ると、彼は会議室を見渡す。幾人かが不安そうな顔で身を揺すっていた。中には途方に暮れているような者もいる。司令部壊滅について、ブラウシュタインの口から直接聞くことによって、改めて事態の大きさを自覚したのかもしれない。

 十分に自分の言葉が彼らの頭に染み渡ったのを見てとってから、ブラウシュタインは続けた。

「そこで、暫定的ではあるが。この問題が解決するまでの間、軍の総指揮はここにいるヴィルハルト・シュルツ中佐に執ってもらうことになった」

 ヴィルハルトが臨時司令部で指揮を執ることは、この場に集められた者たちには伝えてある。ざわめきは起きなかった。ただ耳の痛くなるような沈黙と、刺すような視線がヴィルハルトに集中した。

「本当に、中佐が軍の指揮を執るのか」

 独り言ちるように言ったのは、頑固そうな顔をした壮年の中佐だった。

「すでに諸君も納得しているはずだ」

 ブラウシュタインが答えた。

「誰が決めたのですか」

 壮年の中佐は静かに訊いた。落ち着いた声ではあるが、詰問するような響きがある。

「私が中佐に頼んだ。これ以上の適任はいないと思っている。まさか、彼の戦歴を知らぬわけではないだろう」

 ブラウシュタインは突っぱねるように応じた。

「この問題が解決するまでといったが、具体的には?」

「ひとまず、北に出現した新たな敵の脅威を取り除き、北街道全域に置ける第三軍の秩序を回復させるまでと考えてもらっていい」

 答えながら、ブラウシュタインは早くも臨時司令部内に不協和音が鳴りだしたことに一抹の不安を憶えていた。無論、これは予想の内である。誰も彼もが納得するような解決策などない。ヴィルハルトが軍の指揮を執ることについて、反発する者が出てくるのも当然と考えていた。そして、それをどうにかする責任が自分にあることも。

 いざとなれば、この中佐を更迭してしまえば良い。そう思った時だった。

「ありがとう、参謀長」

 彼らのやり取りを遮るように、ヴィルハルトが口を開いた。

「参謀長の説明したように、当面の間、第三軍の指揮を預かることになったヴィルハルト・シュルツです。よろしく」

 吸っていた煙草をもみ消した彼は、普段からは想像もつかないような礼儀正しさで挨拶をしてから、何か冗談を言うような口調で続けた。

「見ての通り、若輩者なので不安になるのも仕方がないと思う。もしも自分の指揮に正当性がないと感じたり、重大な誤りがあると気付いたときは遠慮なく意見して欲しい。それからもう一つ。この中に自分よりも指揮官として優れた人物がいれば、自分はいつでも、喜んでこの司令官の椅子を明け渡す」

 傲慢なのか、謙虚なのか分からない発言だった。居並ぶ将校たちは困惑したように顔を見合わせている。ブラウシュタインは小さく息を吐いた。

「中佐」

 叱るような小声を出す。自分より優秀と認めれば誰にでも司令官の立場を譲るというのは潔い言葉に思えるが、軍で、それも戦時における指揮官の発言としては少々無責任だった。

「なんだ。参謀長。好きにやれと言ったのは君だぞ」

 しかし、ヴィルハルトは気にした風もない。実際、自分よりも軍司令官として適当な能力を持った者がいれば彼はその通りにするつもりだった。正当な命令に縛られてこの椅子に座っているのならばともかく、頼まれて受けただけの仕事に執着はなかった。

「俺からは以上だ。では、各員の配置を発令する。参謀長」

 言うだけ言うと、ヴィルハルトは再び煙草に火を点けた。今度は自分で燐寸を擦った。元々彼には、人に煙草の火を点けさせるような趣味はない。

 それにブラウシュタインはまったくと言いたげな表情を浮かべてから、再び将校たちへ向き直った。

「それでは各員の配置を発表する。作戦参謀、メッケル中佐。兵站参謀、ノーマン少佐……」

 ブラウシュタインが臨時司令部の人事を発表してゆく間、ヴィルハルトは我関せずといった態度で机に広げられている戦況図を見つめた。そこには臨時司令部を組織するまでの間に把握できた、街道内の状況が書き込まれている。

 新たに判明した事実は三つ。一つはヴィルハルトの予想通り、グリーゼの北にある海岸に〈帝国〉旗を掲げた帆船の大船団が錨を下ろしているのが第三師団の放った偵察隊により確認された事。そして、停泊中の船団からは今もなお、兵士や物資が揚陸され続けているという事。この事から、恐らく敵の規模は一個師団を下らないだろう。

 最後に、先行して上陸した敵部隊の動きだ。グリーゼを急襲した敵部隊は、事前によほど綿密な地形偵察を行ったのか。上陸からたった一晩の間に、街道を封鎖する形で展開しており、北街道からフェルゼン大橋への交通が完全に遮断されていた。これによってフェルゼン大橋の防衛も担当していた第三師団の戦力が分断されてしまい、街道内に残っている纏まった戦力は実質、マイネンハイム少将の率いる銃兵第3旅団だけだった。

 人事発表から引き続き、ブラウシュタインからここまでの状況説明を受けた臨時司令部の要員たちは押し黙った。

「要するに、我々は補給線を断たれ、この街道内に閉じ込められたというわけですか」

 丸顔に浮かぶ汗を拭いながら、余裕とは程遠い声でいったのは兵站参謀に任じられたノーマンという少佐だった。

「だが。街道内は砲兵どもの支配下じゃないのか」

 誰に問うでもなくそう口にしたのは、先ほどブラウシュタインに噛みついていた中佐だった。メッケルという名で、作戦参謀に任じられている。

「敵は北から来たんです。第三軍は南から来る敵に備えていた。砲は全て、その進撃路に対して指向しています」

 言い返したのは砲兵隊から来た少佐だった。

「一度、砲座に据えた重砲というのは動かすだけで一苦労です。動かしたからといって、照準がぴたりと定まるわけでもない。距離と角度を測りなおして、装薬量を計算して」

「もういい。分かった」

 砲兵らしい理論的な反論を、メッケルが苦々しげな顔で遮る。

「つまり、北の敵をどうにかするために砲兵の力は借りられないと」

「軽砲ならすぐに動かせます。ただし、友軍への誤射を恐れなければ、ですが」

 砲兵少佐は淡々と言った。皮肉ではなく、ただ事実を述べているだけといった口調だった。

「それで。指揮官の構想は?」

 遂にメッケルがヴィルハルトへ向いた。挑むような口調だった。指示に納得できねば従わぬといっているような態度だ。

 そんな彼にヴィルハルトは微笑を浮かべた。彼はこうした跳ね返りものが嫌いではない。いや、むしろ。ヴィルハルトは自信に対して批判的な部下を常に求めていた。参謀というと、指揮官の下で作戦を練る者だとばかり思われがちだが、彼らにはその専門性をもって指揮官の誤りを正すという役割もある。自分の命令にただ唯々諾々と従うだけの参謀など必要ない。そうでなくても、指揮官に真っ向から意見することのできる人材は貴重だ。一の批判は時に、百の無責任な称賛よりも役に立つ。恐らく、ブラウシュタインもそうしたことを考えてメッケルを作戦参謀に任じたのだろう。

 ヴィルハルトは静かに机の腕で両手を組んだ。その上に顎を乗せ、いっそ気楽なまでの表情で口を開く。

「第二軍が攻勢作戦を継続している限り、南に気を払う必要がない。そのため街道南側には最低限の部隊だけを残して、我々は北の敵殲滅に集中する。すでに銃兵第12旅団と砲兵第6連隊は第三旅団と合流するため行動中だ。構想と呼ぶには少々漠然としているが、今のところ思いつくのはそれくらいだな。ともかく、情報が少なすぎる。」

 そう言ったヴィルハルトに、メッケルは眉を顰めつつもむっつりと頷いた。今はそれ以上の言葉を望んでも無駄だと分かっているのだろう。そんな彼のしかめっ面をちらと見てから、ヴィルハルトは椅子に深く腰掛けた。

「それからもう一つ。第三軍司令部が壊滅したという情報は、可能な限り一般部隊に対して秘匿する。もちろん、第二軍に対しても。我々がここで軍を指揮しているなどと知られてはならない」

 彼が付け加えた命令に反論する者はいなかった。現実として軍司令部が壊滅したなどと知れば、兵たちの士気がもたないからだ。特に第三軍将兵の中には平民出身でありながら軍大将にまで上り詰めたディックホルストを信奉している者が多い。悪戯に真実を公表することが必ずしも最良の結果を産むとは限らない。多くの人間は現実よりも空想を心地良く感じるものだから。

 はてさて。これからどうなることやら。

 言うだけ言った後で、ヴィルハルトは他人事のようにそう考えた。

 しかし。ともかくこれで俺は一軍をこの手に握ったことになる。後々面倒に巻き込まれるのは必定だが、今はその心配も脇に置いておこう。何せ、これから戦争なのだから。

 そう。戦争。戦争だ。なんと素晴らしい。これ以上の面倒が、いったいこの世のどこにあるだろうか。

「さて、諸君。なんとも面倒な状況だが、まあなってしまったものは仕方がない。それに掛かっているのは精々、兵と自分たちの命くらいだ。気楽に行こうじゃないか。なんとも残念なことに、我々は軍人なのだ」

 第三軍臨時司令官は、いっそ朗らかなまでの顔でそう告げた。これから待ち受けているであろう、何もかもが楽しみで仕方無かった。


 臨時司令官部で指揮権を発動したヴィルハルトはまず、通信の手間を省くためと、銃兵第12旅団が抜けた穴を埋めるため周辺に分散している各隊を主要な町や村に集結させた。

 第三軍が整備した通信網は大したもので、臨時司令部は一刻もかからぬうちに街道内の全般状況を把握することができていた。その結果、分かったのは第三軍が置かれている状況は予想していた最悪よりも一つか二つ、悪いということだった。

「第三旅団が攻撃を受けています」

 アスペルホルンに設置されている通信塔の技官だったというだけで軍通信参謀の重責を背負わされている運の悪い中尉がそう報告した。

「どういうことだ、具体的にどうなっている」

「わ、分かりません。通信では、攻撃を受け、現在交戦中としか」

 メッケルからきつい口調で問いただされ、若い中尉は泣きそうになっていた。

「発信先はどこだ」

「第17通信塔からです」

 ヴィルハルトは地図上で第17通信塔の位置を探した。グリーゼから南へ2リーグほどの場所にある通信塔だった。となると、旅団司令部はそのあたりなのだろう。もう少し詳しい情報が欲しいところだが、アスペルホルンと第17通信塔は間に三つの通信塔を経由する必要があるため、あまり長い文を送ろうとすると却って時間がかかってしまう。伝令が到着するまでは、途切れ途切れに届く短い通信文から事態を推測するより他にない。腕木通信は確かに便利だが、それが限界だった。

「第12旅団と砲兵第6連隊の進捗は?」

「どちらも積雪の影響で遅れています」

 ブラウシュタインが答えた。ヴィルハルトはしばし考え込んだ。何故、敵は第3旅団へ攻撃を仕掛けたのか。その理由が分からない。フェルゼン大橋と街道の交通を遮断し、こちらの補給線を断つことだけが目的ではなかったらしいとは分かった。

 やはり情報が乏し過ぎる。いや。そもそも後方から戦場の全てを把握しようというのがまず無理な話なのだ。

「ともかく、急がせろ。周辺の各村からありったけの馬車を徴発してでも」

 結局、ヴィルハルトに言えるのはそんなことだけだった。

 と、そこへ。会議室の扉が乱暴に開かれた。

「し、失礼します!」

 入ってきたのは酷く慌てた様子の若い兵だった。

「なんだ、どうした」

 それに通信参謀が尋ねた。どうやら、彼の部下であるらしい。兵は上官の姿を認めると、ごくりと生唾を飲み込んでから一息に報告した。

「第8通信塔からの連絡です! 第二軍が潰走しています!」

 司令部がしんと静まりかえる。ヴィルハルトは天にも昇る気分になった。問題が次々と浮上してくるのは戦場の常と知ってはいるが、それにしたってここまで始末に負えない戦場は他にないだろう。

「なんだかこう、楽しくなってきたな。参謀長」

 本当に楽しそうな顔でヴィルハルトは言った。けれど、決して自棄では無かった。

「ええ、その」

「まったくです」

 返答に詰まるブラウシュタインに代わって答えたのはカレンだった。彼女の反応に驚いたのはブラウシュタインだけではない。ヴィルハルトも笑みを消して彼女を見た。

「どうなさいましたか、軍司令官殿。さ、早く次のご命令を」

 促すカレンの声はどこまでも丁寧で、無機質だった。

「我々は何としても、この街道を守りきらねばならないのです。この雪に覆われた山々の全てを敵の鮮血で染め上げて」

 ヴィルハルトであれば、それができるとでもいうように。彼女は確信めいた口調でそう言った。


遅くなりました。短くてすみません。

本年もよろしくおねがいします。

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