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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第五幕 〈王国〉軍冬季大攻勢
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〈王国〉軍冬季大攻勢 4

 〈王国〉軍が大規模な行動を起こそうとしていることは当然、〈帝国〉軍の関知するところであった。

「どうやら、敵は大規模な反撃作戦を企画しているようです」

「あら、まあ。それはそれは。願ったり叶ったりね」

 軍団本部施設として接収した旧レーヴェンザール市庁舎の一室で、軍次席参謀から報告を受けた親征軍団長、リゼアベート・ルヴィンスカヤ大将は寝起きの、やや乱れた金髪を手櫛で掻きあげながら快活に笑った。

「できることなら、全軍で来てもらえないかしら。そうすれば、一撃で粉砕できるのに」

 剣呑な言葉を口にしながら、あくびを一つ。豪華な天蓋付きベッドの上で微笑む彼女の今の姿は公爵家令嬢そのものだ。純白のガウンがはだけているのも気にせずにごろりと寝返りを打つ彼女から、次席参謀はそっと目を逸らした。初めの頃こそ、リゼアの扇情的な寝間着姿に狼狽していた彼だが、今ではすっかり慣れたものだ。そもそも貴顕の出であるリゼアには、下々からのそうした視線を意に介するという感覚が存在しないのだが。だからといって、次席参謀は節度ある〈帝国〉男児らしく凝視などしない。

 このところ彼女はあまり司令部に顔を出さず、こうして私室で報告を受けることが多かった。理由は単純。彼女の本分は戦闘指揮であり、部隊の再編や補充、その他諸々の調整といった雑事は参謀の仕事であるからだ。レーヴェンザールを攻略してからこの二月の間。〈帝国〉第三皇子ミハイル・ニコライヴィチ・ロマノフ元帥を総司令官に戴く〈帝国〉第307次親征軍団は同都市を新たな拠点として、隷下部隊の再編、再訓練に勤しんでいる。司令部にいても彼女の仕事は無かった。


「いかが対処しますか」

「先遣部隊はどこだったか」

 次席参謀の問いに、リゼアはついと顎の先を細い指で撫でた。

「本領軍の第三鋭兵師団です。師団長はラノマリノフ中将」

「ああ。あの戦況図に定規をあてていた爺様か」

 実直そうな老将の横顔を思い出しながら、あくびをかみ殺したリゼアはベッドから下りた。手を打ち合わせると、別室に待機していた侍女たちが静々と入室してきて、彼女を着替えさせ始める。

「ラノマリノフ中将は歴戦の将軍です」

 はらりとガウンを脱ぎ捨てたリゼアから顔を逸らしつつ、次席参謀は特に意味もなく言った。視界の外から微かに聞こえてくる衣擦れの音を意識して無視する。

「まあ、敵が仕掛けてくるのであれば適当に遊んでやれば良い。可能なだけ多くの敵部隊を街道内から誘引し、開戦状況を出現させろ。そうだな、軍直轄砲兵も貸してやろう。ただし、こちらの手筈が整うまで街道内には決して踏み入れないこと」

「伝えます」

 次席参謀は彼女の命令を素早く帳面に書きつけた。


「しかし、少し意外な気もしますね」

 一通りの報告と命令の受領を終えた次席参謀はそんな感想を漏らした。

「連中、この冬の間はあの防御陣地に籠って大人しくしているものだとばかり思っていましたから」

 幾度かの強硬的な偵察の結果。敵軍は北街道全域を火制下におく重厚な防御陣地を構築していることが分かっている。隣国との密約によって大河上の船舶部隊を動かすことのできない〈帝国〉軍にとり、大河を渡河する手段はフェルゼン大橋の他にない。であるから、この戦争の当初から北街道の早期制圧は最重要課題であった。

 恐らく、敵もその情報を掴んでいるに違いない。いや、そうでなかったとしても、敵は北街道を死守しようとしただろう。フェルゼン大橋さえ渡ってしまえば、その先には敵の首都まで何一つ遮るもののない平野があるのみ。それは〈帝国〉軍が最も得意とする戦場だ。要するに〈帝国〉軍にとってはフェルゼン大橋さえ奪取することができれば戦争に勝ったも同然であり、〈王国〉軍にとってはフェルゼン大橋こそが最終防衛線なのだ。

 だからこそ、あれだけの物資と人員を投入してまで防御を固めているのだろう。大橋へ通じる道は他にもあるにはあるが、どれも山間の細く小さな道ばかりで大軍が通過できるようなものではない。冬の山越えなど以ての外だ。

 この冬の間、敵はひたすらに防御陣地の構築と強化に努めるだろう、というのが軍団総司令部の予想であった。そこへきて、敵は突然反撃に打ってでようとしている。なんともちぐはぐな話であるように思えた。もちろん、それはリゼアも言っていた通り〈帝国〉軍にとって思いもよらぬ好機であるのだが。わざわざ安全な陣地を捨てて街道から出てきてくれるのなら、こんなにありがたいことはない。

「敵にも色々とあるのでしょう」

 そんな次席参謀の素朴な疑問に、着替えを終えたリゼアは事も無げに応じた。深紅の軍服を身にまとった彼女は、ベッド脇に立てかけてある軍剣へ手を伸ばしながら続ける。

「政治に、軍内部の派閥。まあ、そんなところかしらね。そして、色々とあるのはこちらも同じ」

「ああ、ええ。それはまあ」

 次席参謀は歯に物が詰まったような声で彼女に応じた。

 平野での決戦であれば負けるつもりはさらさらないが、〈帝国〉軍にも問題がないわけではない。特に大きな問題は、消耗した兵の補充が思うように進まないことだ。レーヴェンザールを陥落させるために支払った代償は大きく、攻撃の正面を担当した第44重鋭兵師団の損耗率は実に五割を超えている。あまりの消耗に部隊は名だけを残して解隊され、生き残った将兵たちは別の部隊に組み込まれている有様だった。

 その上、本国から送られてくる補充兵の多くが新兵ばかりという思いもよらぬ問題が発生していた。何やら、南のほうでまた少数民族による反乱が起こったらしく、経験豊富な下士官兵たちはそちらに割かれてしまったらしい。〈帝国〉はその成り立ちゆえ、平時でも無数の火種を内部に抱え込んではいるが、よりにもよって今かと次席参謀は頭を抱えたくなった。部隊の再編だけでなく、並行して新兵の教育まで行わねばならないとは。それも作戦行動と並行して、となれば頭が痛いどころの問題ではない。

 正直言って、この冬は戦いたくない。それが次席参謀の本心であった。

 兵站について頭を悩ませるのはもはや軍人の背負う宿命といえるが、元々〈帝国〉軍はその規模に比して補給や輸送といった兵站能力が貧弱な軍隊である。だからこそ食料や油など生存に必須となるものは現地徴発(略奪)することを推奨しているのだが、それにも限界はある。冬の草原のいったいどこに、二十万人の腹を満たすだけの食料が落ちているというのか。輸送部隊は砲弾薬と食料を運ぶだけで手一杯だというのに、冬の寒さを耐え凌ぐための防寒具、薪や油といった燃料まで運ばなければならず、現場は疲弊しきっているという。

 しかし。

「まあ、なんにせよ。敵が何を企もうと、我々がこの冬の間にあの街道を確保することに変わりはない」

 すっかり身支度を整えた軍団司令官はたっぷりの自信とともにそう言い切った。

「それほど急ぐ必要があるのでしょうか。春になってから動き出しても遅くはないのでは」

 次席参謀の発言に、リゼアはふふふと妖艶に微笑んだ。それが、彼女が相手の意見を却下する際の仕草だと次席参謀は最近になって学んでいた。確かに、これほどの美女に微笑みかけられれば、大抵の男は自分の意見が通らなくても気にしない。

「あなた、あの街道周辺の地形図はみた?」

 リゼアは回答の代わりにそう訊いた。

「ええ。はい」

 次席参謀は頷いた。戦場となるであろう場所の地形を確かめるのは参謀として当然だ。

「なら、何か気付かなかった?」

 その問いに、次席参謀は顎に手を合って考え込んだ。何かあっただろうか。あの街道を記した地形図であれば細部に至るまで脳内に刻み込まれている。しかし、山間を抜ける長い隘路という以外、注目すべき特徴は見当たらないように思えた。

 そんな彼の思考を後押しするようにリゼアは続けた。

「春になれば、敵はたった一撃であの街道を通行不能にすることができる。敵がそれに気付いているかどうかは分からないけれど、無視するには少し危険な可能性だと思わない?」

「それはどのような手ですか?」

 思わず聞き返した次席参謀に、リゼアはふふふと笑った。

「それは宿題ね。解けたらいらっしゃい。大佐にしてあげるわ」

「……はあ」

 どこまで本当なのか分からない彼女の言葉に、次席参謀は肩から力を抜いた。


「ところで、我が軍の参謀長は何処にいるのかしら」

 話が一段落したところで、リゼアがふと思い出したようにそう訊いた。彼女としてはただの世間話のつもりだったのだが、次席参謀は返答に困っている様子だった。

「相変わらずです」

 彼は絞り出すように答えた。

 彼の本来の上官である軍参謀長、マラート・イヴァノヴィッチ・ダンハイム少将は滅多に司令部へ顔を出さない。元々、戦争が始まってからも軍の総司令官である〈帝国〉第三皇子ミハイルの世話ばかり焼いて軍務を疎かにしているような男であったから今に始まったことではないのだが。しかし〈帝国〉軍がレーヴェンザールを占領してからの彼の行動は明らかにおかしかった。軍の一部将兵を私兵のように扱って、なにやら街中を捜索させているのだ。ミハイルが現在、狩りの住まいとしている旧レーヴェンザール侯爵邸や市庁舎、教会など。隅から隅までくまなく、古の聖者が眠る石棺すらひっくり返すような勢いだという。

 同僚からの情報によれば、今日は兵士を集めて市外を中心に捜索させているらしい。

「またか。あんな血眼でいったい、何を探しているのやら」

 リゼアが呆れたように息を吐く。軍参謀長として職務を果たせといつしか怒鳴ったこともあるが、ここまで来ると文句の一つも湧いて出てこない。いや、そもそも彼女はダンハイムが参謀長としての仕事をしようがしまいが、大して気にしなかった。参謀長など誰がやっても同じだと考えているからだ。ダンハイムに関しては、軍の行動に支障をきたさない限りにおいて好きにさせておけば良いと思っていた。

「まあ、何にせよ。あの街道を突破する手はずは整っているのだから。後は待ちましょう」

 すっかり割り切っている自分とは違い、悩みの種が尽きない様子の次席参謀にリゼアは気分を切り替えるように微笑みかけた。

「このレーヴェンザールを落とすために、兵たちには随分と無理をさせた。今度はもう少し、手際よくやりましょう」


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