〈王国〉軍冬季大攻勢 3
ヴィルハルトが周囲の議論とは全く関係ない思考を弄んでいる間に、ブラウシュタインは次の話題へと話を進めていた。
「ともかく、我々が戦闘に参加する可能性はまったくの未知数です」
ブラウシュタインは自らを説得しているような声で言った。
「第二軍からは要請あるまで手出し無用と伝えられてはいますが、しかし。目の前で戦闘を行っている友軍をただ手をこまねいて見ているというのはどうにもおさまりが悪い」
それに指揮官たちが一斉に同意の唸りを上げる。第二軍司令部からの扱いは気に入らないが、彼らにしてみれば慣れたことでもある。司令官のディックホルストを始めとした第三軍の高級指揮官の中には平民の出身者が多いからだ。貴族出の将校から謂れの無い差別を受けることなどもはや日常茶飯事だった。
そしてまた。たとえ貴族だろうと、血を流して戦っている同胞を見て見ぬ振りができるほど彼は落ちぶれていなかった。それが素直に表現できるかといえば、それはまた違う話だが。
「そこで我が軍は前線で何かが起こった際、即座に対応すべく隷下の一部部隊を即応予備として待機させます。待機場所はアスペルホルン近辺が適当かと」
そう続けたブラウシュタインに対して、異論は上がらなかった。むしろ、指揮官たちは誰がその任務を受け持つのかということに強い興味を示していた。開戦から連戦連敗を続け、辛酸を舐め続けてきた第三軍将兵にとって、たとえどれほど馬鹿らしい作戦でも反撃に打って出る機会を見逃すような真似はできない。
誰だ、その幸運な機会を得ることができるのは。俺だ、俺にやらせてくれ。
指揮官たちはそんな野心と期待に満ちた眼差しをディックホルストに向けた。そんな中、ヴィルハルトだけが天井の染みを数えるような顔つきで虚空を見つめている。自分がここにいる理由がなんとなく分かったからだった。
居並ぶ将官たちからの無言の圧力に、ブラウシュタインは確認するようにディックホルストへ目配せをした。ディックホルストは黙ったまま彼に頷いた。
「即応予備として待機する部隊は、まず現在街道南側の防衛を担当している独立銃兵第12旅団」
これに同じ独立部隊の指揮官たちが悔しそうに呻いた。唯一、この場にいない第12旅団長を指して、運のいい奴めと罵るように激励している。
「次いで、第三師団隷下から砲兵第6連隊」
「あい分かった」
第三師団長のウォレスが応じた。
「最後に、第一から第三擲弾兵大隊」
ブラウシュタインが読み上げると同時に、やっぱりなとヴィルハルトは溜息を吐いた。部屋中の視線が自分に集まるのを感じて、再び虚空を仰ぎ見る。復讐のつもりでちらとディックホルストに横目を向けてみるも、不敵な微笑みで受け流されてしまった。
誰かが即応予備としてそれらの部隊を選んだ理由の説明を求めていた。
「第12旅団は現在の配置から動かす必要がないと判断したからであります。砲兵第6連隊は火力運用に機動力を持たせるため。そして」
「第1及び第2、3擲弾兵大隊は本作戦の間、臨時編成の戦闘団として扱う」
ブラウシュタインの説明にディックホルストが割り込んだ。
「臨時部隊名は“第1”擲弾戦闘団。指揮は当然、そこにいるシュルツ中佐が執る」
司令官の言葉が終わると同時に、その場にいた者たちはいっせいに羨望と嫉妬の入り混じった目をヴィルハルトに向けた。三個大隊を纏めて運用することを、彼らはここで初めて知ったのだろう。その衝撃は大きかった。一人の少将はあからさまに驚いた顔をしている。
ヴィルハルトはそうした視線から逃れようと、あらぬ方向に視線を逸らせた。しかし、不思議なことに彼がこうした特別扱いを受ける度に晒されてきた嫌悪の眼差しを向けてくる者は皆無だった。
恐らくは、ディックホルストが臨時部隊名を告げる際に“第1”と強調して発音したことが大きいのだろうとヴィルハルトは予想した。
第1があるのなら、第2も。活躍によっては第3も。その可能性を切り拓くために、これまで我軍で唯一にして最大の戦果を挙げ続けているヴィルハルト・シュルツを使うことに彼らは疑問を抱かなかったのだ。
先に述べた通り、この場に集まる指揮官の多くが平民出身者だ。今でこそディックホルストの下で旅団や師団を任されている彼らだが、実は連隊長職を経験したことのある者はほとんどいない。大佐時代は各方面軍の司令部付か、或いは軍務省の外局で過ごしてきた者ばかりだった。
それは騎士時代からの伝統を受け継ぐ大陸世界の軍隊ではよくある話だった。
連隊とはかつて、一領主が所有する部隊を指す言葉であった。即ち連隊とは領主の個人的な所有物であり、当然、連隊長はその所有者たる領主、貴族だった。その役職の伝統的価値観が、近代的な軍制の整えられた後も長らく残っているという話である。
だからこそ。今この場にいる平民出身の将官たちは、ヴィルハルトに与えられた戦闘団という新たな編成に注目した。その有効性が明らかになれば、臨時とはいえ三個大隊、連隊とほぼ同等の戦力を持つ部隊を率いる機会が他の平民出身者にも与えられるようになるだろう。つまり、貴族と同じ土俵で実力を示すことができるようになる。その行き着く果ては、伝統を排し、生まれや門地に縛られることのない完全な実力主義の軍隊の誕生。
ディックホルストの言葉から、この場にいた者たちはそんな未来を夢想した。それができるだけの頭をもった者たちが集まっているということでもある。
ヴィルハルトも当然、その程度のことは分かっていた。そのために自分と、自分の部隊が利用されたことも。ディックホルストの遠大な目論見が成功すれば、いずれ〈王国〉軍は大陸世界でも類をみないほど強力な軍隊になるだろうということも理解できる。
それでも、彼は訓練未了の部隊が政治的な道具として扱われるという現実を受け入れるのに多大な努力をしなければならなかった。無論、結局は受け入れるより他に無い。軍隊とはそうしたものだから。だが、納得と了承は違う。ヴィルハルトはその後、しばらく不機嫌だった。何故、この国では軍人が目前の戦争に集中することができないのだろうかと思った。
「気に入らんようだな」
会議終了後、退室しようとするヴィルハルトに誰かが声をかけた。ブラウシュタインだった。
「こうまであからさまに利用されては」
ヴィルハルトはやや声を落として答えた。
「まあ、気持ちは分かる」
同じく利用された者同士な、とブラウシュタインはなんとも言えない笑みを浮かべた。
「だが、閣下の気持ちも分かってもらいたい」
「自分はできれば、政治的なあれこれからは放っておいてもらいたいのですが」
まったく正直な感想を口にしたヴィルハルトへしかし、ブラウシュタインは静かに首を振った。
「何を言っているんだ。君を、というよりも君の部隊を即応予備としてアスペルホルンに配置するのはまったくもって純軍事的な判断だよ。何故なら……」
ブラウシュタインはそこで言葉を切った。しばし考え込むように眉間にしわを寄せてから、やがて腐臭の漂う床下を覗き込むような表情で尋ねる。
「中佐、君は冬季大攻勢とやらが成功すると思うか」
「失敗すると言っているように聞こえます」
茶化すように答えてから、ヴィルハルトは先ほどブラウシュタインが説明していた冬季大攻勢の作戦概要を思い出す。本隊が攻勢に出ると同時に、別動隊が大河を渡河。敵の後方へ上陸し、敵先鋒に挟撃を仕掛ける。この奇襲で敵が混乱した隙を突き、前線を突破。もって戦果拡張を図る、と。なんとも大雑把な作戦だ。
そもそもが、作戦内容に我軍の行動に対する敵の反応について過剰な期待が盛り込まれている点が気に入らない。船舶部隊による水上兵員輸送がどれほどの奇襲効果を持つかはこちらが決めることではないし、それで敵が混乱してくれるという保証もどこにもない。
だが。
「ひとまずは上陸部隊の働きぶりによりますが」
ぼんやりとした口調でヴィルハルトは話し出した。彼の脳が最高速で回転している証だった。
「うまく敵の後方連絡線を叩いて一時的に遮断できれば、まあそれなりの損害を与えることは可能かと。要は引き際です。そこさえ見誤らなければ、それなりに成功はするかもしれません」
そして、それが限界でもある。敵の混乱が落ち着くまでの間に叩けるだけ叩いて、さっさと退散。出来れば、騎兵が出てくるよりも前に。街道内に戻れば敵も深追いはしてこないだろう。
「いかに〈帝国〉軍であろうと、ここまで防御を固められては尋常の手段で突破することは不可能でしょうから」
少なくとも、補給の続く限り第三軍はこの北街道を守り通すだろう。
「君がレーヴェンザールで挙げた最大の戦果だ」
ブラウシュタインが褒めるようにいった。
「しかし。そうだな。引き際さえ見誤らなければ、か」
呟いて、微笑む。
「ええ。そうです」
ヴィルハルトは空になったグラスを覗き込むような顔で応じた。言うまでもなく、彼らの顔面は諦観に満ちていた。
しばし記憶の水底に沈んでいたヴィルハルトの意識が現実に浮上すると、街道を進む第二軍将兵たちの姿は随分と小さくなっていた。ふと隣へ目をやれば、ブラウシュタインが葬列を見送るような表情を浮かべている。
「作戦開始の予定時刻は?」
懐から取り出した煙草を咥えながらヴィルハルトは訊いた。
「三日後の払暁だそうだ」
ブラウシュタインが答える。彼は第二軍と第三軍の調整役としてアスペルホルンに来ていた。本来であれば、軍作戦参謀である彼が司令部を離れるべきではないのだが、彼以上に調整役として適切な人物が第三軍にはいなかったのだ。第二軍の司令部は貴族将校で固められている。階級でも能力でもなく、家の格を考慮しての人選であった。
ヴィルハルトはなんともなしに空を仰いだ。先ほどから随分と冷え込んできている。気象官の予報によれば、夜には雪が降りだすそうだった。いつ降りやむのかは天のみぞ知ると言っていた。
現在、第十一ノ月中旬。
〈王国〉を、或いは〈帝国〉すらも揺るがすことになるその悲劇は、本格的な冬の到来とともに幕を開けた。