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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第五幕 〈王国〉軍冬季大攻勢
172/202

〈王国〉軍冬季大攻勢 1

 〈王国〉領北東部は多くの山々と大小無数の湖が点在する湖水地帯だ。

 二百年の昔。大陸に吹き荒れていた戦乱の嵐から民を率いてこの地へと辿り着いた国祖ホーエンツェルンは、この地で建国の英雄レーヴェンザールと出会い、ともに幾度となく外敵を退けて遂に独立を勝ち取ったという〈王国〉発祥の地である。実際、山と湖が入り組んだ複雑な地形は自然の要衝そのものであり、また北部の山から産出する良質な白石が今日における〈王国〉の経済的発展を助けたという事実も見過ごすことはできない。


 そうした歴史的経緯に加えて、風光明媚な土地柄と冷涼な気候から〈王国〉の一大観光地としても名高かかった。特に夏場、海沿いや湖畔に整備されている宿場町は避暑を求める人々で溢れかえる。

 だが、冬の訪れとともにその人並みもぱったりと止まる。大海の彼方から吹き寄せてくる寒風に、何もかもが白く凍てついてしまうからだ。同じように海に面している王都では冬でも滅多に雪が降らないというのに、どういうわけか北東部は降雪が多い。山々は深く積もった雪で閉ざされ、湖は極寒の大気の下で凍り付く。氷雪に覆われた山々と凍結した湖という風景もまた趣のあるものではあるが、さりとて極寒の凍土というのは、観光するには過酷に過ぎる場所だ。フェルゼン大橋を渡って大陸の東西へと物品を運ぶ商人たちも、わざわざ冬の厳しい時期を選びはしない。ただでさえ、レーヴェンザールの港が整備されて以降、物流の中心は陸運から水運へと変わりつつあるのだ。よほど物好きな老竜客でも訪れない限り、宿は空き部屋ばかりを抱え込み、住民たちは身の竦むような寒さに耐え忍ぶより他にない。それが北東部の冬だった。


 山々の間を縫うように南東部からフェルゼン大橋を結ぶ北街道のちょうど中間にある、北東部最大の都市、アルぺスホルンもまたそうした例に漏れないはずだった。

 しかし、現在。ここでは例年とは異なる光景が展開されている。

 宿という宿の部屋は埋まり、街道には列を成した人馬が途切れることなく押し寄せている。整然とした足どりで通りを練り歩いているのは当然、観光客や商人ではない。彼らは空色を模した〈王国〉軍の制服に身を包んだ兵士達だった。


 〈王国〉軍冬季大攻勢の実行が総司令部によって決定されたその日。

 王都では反抗作戦の主力となる、〈王国〉第二軍の編制完結式を兼ねた出征式が大々的に執り行われた。編制完結式などといっているが、要するにようやく予備役の動員を終えた西部方面軍が平時編制から戦時編成へと切り替わったというだけの話だった。同時にこの日、中央軍は第一軍、東部方面軍は第三軍として呼称を改められ、これでようやく〈王国〉軍は完全な戦時体制へと移行したことになる。

 何故今さら、そんなことを大々的に喧伝するのかと思うかもしれないが、これは軍の身ならず〈王国〉執政府が望んだことであった。これまで〈帝国〉軍に対して防戦一方(というよりも、敗戦続きの)〈王国〉軍が遂に体制を整えて反撃に転じるのだと、広く国民に知らしめることを狙ったのである。要するに戦意高揚を目的とした政治宣伝以外の何物でもない。当然、民衆もそんなことは知っている。それでいてなお、彼らは差し出された餌に群がる雛鳥のように、軍と執政府が並べ立てた分かりやすい飴玉にむしゃぶりついた。たとえ降ったそばから溶けて消えてしまう淡雪のような希望であったとしても、彼らにはそれに縋りつくより他にないからだ。

 それに実際、第二軍の基幹となった西部時方面軍の諸部隊は訓練も良く、陽光に煌めく銃剣や軍剣を掲げた将兵たちの一糸乱れぬ統率は壮観だった。力強く、大地へ一斉に軍靴を打ち付けて行進する彼らの勇姿は、ほんの一月前に行われたレーヴェンザール守備隊のそれと比べる間でもない。

 彼らならばもしかして。敗戦続きの祖国を救ってくれるのではないか。

 執政府の狙い通り、第二軍を見送る民衆たちは熱っぽく囁き合った。


 こうして民衆たちからの過剰な期待を背負うことになった第二軍将兵は今、アスペルホルンの郊外で寒さに震えていた。


「今日こそは決戦の日である!」


 凍り付くような寒風が山々から吹き降ろす中。整列した将兵の前で、第二軍司令官、ルドガー・フォン・バッハシュタイン大将は声を張り上げた。

「今春より〈帝国〉軍による我が国への侵攻が始まって以来、半年。この間、東領土の防衛を担っていた東部方面軍は敗走を続け、遂には旧王都レーヴェンザールまでもが敵の手に落ち、敵が東部の過半を占領するに至った。だが、今こそ反撃の時が来たのである。第二軍前将兵諸君、我々こそが、その先駆けなのだ!」

 極寒の雪原に死地を求めねばならなくなった哀れな男たちに向かってバッハシュタインは拳を振り上げた。話している内に興奮してきたのか。次第に身振り手振りが大きくなってゆく。

「無論、敵は強大である。だが、何を恐れることがあるだろうか。諸君は我らが〈王国〉軍史上、最大最強の軍である。国土を侵す敵軍をねじ伏せ、その手で故郷を取り戻すのだ!!」

 盛大に白いもやを吐きだしながら、バッハシュタインの演説は続く。

 それを聞く将兵たちの反応は淡白なものだった。多くの者が早く終わって欲しいと思っているのは顔を見れば一目瞭然だ。だが、熱に浮かされた様子のバッハシュタインには彼らのことなど目にも入らない。


「故郷を取り戻せ、ね」

 その様子を、隊列の遥か後方から眺めていたヴィルハルト・シュルツの横で、エルヴィン・ライカ大尉が冷めた声を出した。

「連中はほとんど西部の出身ですよ。大河を挟んだ向こう岸に思い入れなんてあるはずない。なにせ、対岸なんて見えないんだから」

「最近流行ってる、レーヴェンザール侯爵最後の言葉とかいう歌から引用したんだろ」

 応じたのはエルンスト・ユンカース大尉だ。他にもテオドール・クロイツ大尉やアレクシア・カロリング少佐を始め、ヴィルハルトの周囲には第一擲弾戦闘団の主だった将校たちが揃っていた。

 彼らが見つめる先で、ようやくバッハシュタインの指揮官訓示、というよりも演説が終わった。「〈王国〉万歳、女王陛下万歳」の唱和が終わると号令がかかり、隊列が一斉にヴィルハルトたちのほうへ向く。バッハシュタインが全軍行進開始を命じた。各級指揮官たちが指示を飛ばし、下士官たちがそれを何倍にも拡声して兵たちに伝える。行進ラッパが吹き鳴らされて、この場にはいない部隊にも行進開始の命令が伝達されると街道中がにわかに騒がしくなった。灰色の空の下、青い空色の軍服に身を包んだ軍団は一種の厳かさとともに行進を開始した。

 行進を始めた将兵たちの邪魔にならぬよう、ヴィルハルトたちは道の端に寄った。続々と通り過ぎる隊列を見送っていると、その内の幾人かがヴィルハルトたちの存在に気付いたようだった。顔を顰める将校。気にした風な素振りも見せないが、確実にこちらへ視線を送っている下士官。驚いたように目を丸くする兵卒。概ね、彼らの反応はその三つだった。

 そしてヴィルハルトはその全てを無視した。


「……何と言いますか。大したものですね」

 街道を進む第二軍将兵たちを眺めていたアレクシアが、ぽつりとそう漏らした。ヴィルハルトが彼女の視線を追うと、その先には兵が隊列を崩さないように監督しながら談笑している将校たちの姿がある。

「彼らにとってはこれが初の実戦でしょうに。ずいぶんと落ち着いている」

 感心しているような、憂いているような声だった。仮にもこれから、大陸最強最精鋭の名をほしいままにする〈帝国〉軍と一戦交えようというのに、第二軍の将兵たちからはそうした気負いが感じられない。むしろ、一種の余裕にも似た自信に満ちているように見えた。

「その理由は、先ほどバッハシュタイン閣下が仰っていたではないか」

 ヴィルハルトは何処までも他人事のように、アレクシアの疑問に答えてやった。

「我々東部方面軍改め第三軍がこれまで敗戦続きなのは、奇襲を受けた混乱から立ち直るのが遅すぎたからだと。ならば、準備万端に整えた自分たちがそう易々と負けるはずがない。彼らはそう思っているのだろうさ」

「それは楽観が過ぎるというものでは」

 彼の言葉に、生真面目なアクレシアは顔を顰めさせた。

「兵に関していえば、楽観的なのはいい事だ」

 むしろ、良い傾向だといえる。ヴィルハルトはやはり他人事のようにそう言った。


 事実。これから戦場に臨もうという兵が楽観的なのは軍にとってむしろ好ましい事である。どのような場合であれ、死地に向かう兵士達には希望が必要だからだ。生還の望みがない戦場へ突撃しようなどと考える人間はいない。そして、そんな士気の低い兵たちを強制的に戦わせたところでほとんど意味はない。たとえまやかしに過ぎないとしても、ある程度の希望を兵に抱かせることができないようでは、軍は軍足りえないともいえる。

 しかし、これはあくまでも兵に限った話だ。彼らを指揮すべき将校が同じ幻想に囚われていた場合はまったく話が変わる。そもそも〈王国〉軍は緒戦から戦い続けてきた東部方面軍を除けば、ほとんどが実戦経験のない将兵ばかりだ。勝利への自信と戦場での現実はまったく異なるということを理解している者がどれほどいるだろうか。

 たとえば、戦慣れした〈帝国〉軍将兵は我軍の勝利を決して疑わない。でありながら、戦場に立てば敵が何であれ、誰であれ、一切の油断を捨てる。戦争そのものに勝つのは当然として、それは前線で戦う兵たちにとって関係のない事柄だと知っているからだ。戦場ではほんの些細な不幸一つで容易く死ぬ。華々しい勝利の裏で、いったいどれほどの中隊が全滅しているか。その現実を〈帝国〉軍将兵は身をもって学んできた。

 ヴィルハルトは唐突にレーヴェンザールを思い出した。あそこで死んだ一万人の〈帝国〉軍将兵は、最期の最後まで我軍の勝利を疑わなかったに違いない。

 では、自分が指揮した兵たちはどうだったのだろうか。そんな疑問が頭を過ぎり、かき消すようにヴィルハルトは空を仰いだ。厚い灰色の雲が立ち込める空からは、いまにも雪が降ってきそうだった。


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