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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第四幕 王都
169/202

第一擲弾戦闘団 2

 その日。ヴィルハルト・シュルツは朝早くに王都を出立し、南に三リーグ行った先にあるグロウラッド練兵場へ、馬の背に揺られながらのんびりと向かっていた。

 彼の後ろには副官であるカレン・スピカ中尉と、昨晩出会ったばかりの拝天教正典史導院からの使者、セドリック・バロウズがそれぞれ騎乗して着いてくる。

 突然の同伴者に当初こそ疑念の目を向けていたカレンだったが、バロウズが教会の神父だと知ってからは教会の儀礼や教義について、興味深そうに質問を重ねている。それにバロウズは温和な声で答えていた。出会ってから間もないにしては、随分と打ち解けた様子であった。


 王都を発ってから、すでに一刻ほど。素晴らしき怠惰の日々が次第に遠のいてゆく。

 カレンとバロウズのやり取りを背中で聞きながら、ヴィルハルトは王都での日々を思い返していた。

 下宿屋を出る際。ウィンター夫人と簡単な別れの挨拶を交わした程度で、出立の見送りはこれといってなかった。

 彼女はヴィルハルトの健康を心配する言葉を口にしてから、続けて言った。

 御武運を、と。

 教会に顔を出した時。エマ院長は言っていた。

 務めを果たしなさい、と。

 オスカー・ウェスト夫人は、彼に懇願した。

 どうか、夫の仇を。と。

 言葉は違えど、彼らから何を言われたのか。ヴィルハルトは誤解していなかった。

 つまり。

 もっと敵を殺せと言われたのだ。


 今や夏が過ぎ、〈王国〉には短い秋がやってこようとしている。

 山や森の多い東部と違い、ここ〈王国〉領西部はなだらかな平野の広がる穀倉地帯だ。

 王都周辺にも肥えた穂を風に靡かせる、黄金の麦畑が広がっている。

 そんな、恐ろしく長閑な風景の中をヴィルハルトは特に急ぐこともなく進んだ。

 やがて、どこまでも続く黄金の連なりの向こうから、重々しい雰囲気の鉄門が現れる。

 グロウラッド練兵場。

 王都周辺における、最大規模の演習場である。

 ヴィルハルトたちの姿が見えるなり、衛兵たちが門から飛び出してきた。

 誰何の声に、ヴィルハルトが騎乗したまま応じる。


「お待ちしておりました、大隊長殿」


 そうこうしていると、兵たちを掻きわけていかつい顔の大男が進み出てきた。

 その顔に、ヴィルハルトが笑みを浮かべる。

「やあ、七日ぶりか。ヴェルナー曹長」

 まるで一年ぶりにあった旧友へ語りかけるように彼は口を開いた。

「時間が惜しい。まず大隊長室に案内してくれ。その後、居る者だけで良いから、将校を全員集めろ」

 そう言って、ヴィルハルトは馬から降りた。いい加減、尻が痛くなっていたのだった。

 地面に足をつけた途端、ヴィルハルトは丸まっていた背筋を伸ばした。

 雰囲気が変わる。

 王都で怠惰な日々を過ごしていた昨日までとは、何もかも違う。

 歴戦の野戦指揮官としての彼が、そこに立っていた。

 その姿に、カレンが小さく憂うような吐息を漏らしたことには、誰も気が付かなかった。


 テオドール・クロイツは、その日朝いちばんでグロウラッド練兵場に着いていた。

 指揮官到着を知らせるヴェルナーの大音声が窓を揺らすと、兵舎にあてがわれた一室でベッドに寝転んでいた彼はおもむろに起き上った。

 部屋の隅に置かれている姿見の前に立ち、礼服姿の己を一瞥する。それは、昨日まで彼の仕事着であった。王宮にも着ていけるような、上等な仕立ての黒い礼服。

 だが。今日からは。

 彼は足元にある箱へ目を落とした。

 そこには、新たに仕立てたばかりの、空色を模した〈王国〉軍の制服が収まっている。

 礼服を脱ぎ捨てた彼は、軍袴を穿き、軍服の上衣に袖を通した。ボタンを全て留め、革帯をきつく締める。階級章がずれていないか、服に乱れが無いかを確認してから、軍剣を腰に吊るす。

 再び、姿見へ目をやった。軍服姿の自分が見つめ返してくる。

 はあ、と。熱い息が口から漏れた。

 テオドール・クロイツは、軍隊は大嫌いだが、軍服は好きだった。

 これを着ている時だけは、誰に恥じることもなく暴力の化身であれるから。

 猛獣が牙をむくような、獰猛な笑みがその顔に浮かぶ。

 こうして彼の、やることがあり、成すことがあり、平穏で、刺激的で、素晴らしく、そして糞つまらない日々が終わった。


 グロウラッド練兵場に立っている兵舎の一棟。

 大きな長机の置かれた会議室に、第一擲弾戦闘団の幹部たちが数名集まっていた。

「なんだ。随分と眠そうだな、ライカ大尉」

 欠伸を漏らしたエルヴィン・ライカを見て、エルンスト・ユンカースがからかうような声を出した。

「もしかして、あの赤毛のお嬢さんに眠らせてもらえなかったとか?」

「それはいつもの事さ」

 真新しい大尉の階級章を付けたエルヴィンが肩を竦めながら応じる。それは羨ましいことで、と。さして羨んだふうもなく返したユンカースの胸元にもまた、同じく大尉の階級章が輝いていた。

 彼らと机を挟んだ席には、エミール・ギュンター大尉が静かに座っている。

 そこへ、扉を蹴破るような勢いでヴィルハルトが入ってきた。

「指揮官のヴィルハルト・シュルツ中佐だ。今、着任した。見たことのない顔があるな。端の席から順に官姓名を名乗れ。見知っている者は必要ない」

 カレンとヴェルナーを伴って現れた彼は、前置きもせずにそう口にした。

 独立捜索第41大隊の頃から彼に付き従ってきた少尉(今は中尉に昇進した)二名は、特に驚いたふうもなくそれを受け入れたが、新入りの少尉や中尉たちはその態度に呆気にとられていた。

 そんな彼らを、ヴィルハルトは凶悪な目つきでねめつけた。

 一番端の席に座っていた少尉が、悲鳴のような声を漏らしながら慌てて立ち上がる。

「ゴトフリート・プランク少尉であります! この度、少尉に任じられたばかりで、武勇の誉れ高いシュルツ中佐殿の部隊に配属されたことはこの上なく――」

「俺は官姓名のみを言えといった。それ以外の言葉を口にするな」

 早口でまくし立てる育ちの良さそうな少尉を、ヴィルハルトは血も凍りそうな声で遮った。

 プランク少尉は何度か口をぱくぱくとさせたあと、申し訳ありませんでしたと腰を下ろした。続く将校たちは彼の失敗を見ていたからか、余計なことは口にしなかったため、自己紹介はすぐに終わった。

「団本部の各担当を発令する」

 そう言って、ヴィルハルトはカレンから紙の束を受け取った。

「エルヴィン・ライカ中尉、兵站担当。エミール・ギュンター大尉、作戦担当。エルンスト・ユンカース大尉、大隊主席士官。分かっていると思うが、我が隊は三個大隊を纏めて運用する。よって、各隊に各担当士官は置かない。指揮と運用は、全て団本部が統括する」

「それじゃ、まるっきり連隊じゃないですか」

 茶化すように口を挟んだのはやはりエルヴィンだった。

 上官に対するものとは思えないその気楽な態度に、新顔たちが恐る恐るといった目を向けていた。

「大隊だ。少なくとも書類上は」

「つまり、実際は違うと」

「当然だ」

「ところで、一番重要な役職が空席のままですが」

 窺うようにエルヴィンが尋ねる。

 彼の言わんとしたことを察したヴィルハルトはそれに答えた。

「訓練運用担当には、新たに着任する将校を充てる」

「へえ」

 エルヴィンが驚いたような声を出した。

「歴戦の勇士がそろい踏みの我が隊に、新しい訓練担当士官ですか? いったい、どこの馬の骨が……」


「ほう?」


 会議室の扉が、ぎぎぎと不穏な音をたてながら開いたのはその時だった。


「随分と偉そうな口を叩けるようになったのだが? ライカ下級生徒?」

 猛獣の唸りのような声と共に、全身から殺意を振り撒きながら入ってきたのは、テオドール・クロイツであった。

「く、く、く……クロイツ、上級生徒殿……」

 彼を見たエルヴィンが絶句する。

 傍目からみても尋常ではない彼の怯えように、誰だ、とユンカースとギュンターは顔を見合わせた。

「ん? どうした、ライカ下級生徒? 続きを口にしてみたらどうだ? どこの馬の骨が、なんだって?」

 ガタガタと震えているエルヴィンに、テオドールが剣呑に詰め寄る。

「あ、いや、それは……ええっと、ですねえ……」

 懸命に活路を見出そうと口を開いたエルヴィンは、テオドールの胸元に光る階級章に気付いた。その顔に、反意が甦る。

「ごほん」

 彼はそう咳払いをすると言った。

「クロイツ大尉殿。自分らはもう同じ大尉いなわけでありまして。そういった高圧的な物言いや、命令口調は辞めていただきたい」

「殺すぞ」

 一言で一蹴されてしまった。

「先輩!」

 エルヴィンがヴィルハルトに泣きつく。

「俺に振るな」

 もう一人の上級生徒は面倒そうに応じた。

「兵はともかく、将校は再教育中に殺してもいいんだよな、連隊長殿?」

 エルヴィンから視線を話すこともなく、テオドールが訊く。

「事故は起こすなよ」

 ヴィルハルトは短く答えた。それに、エルヴィンの顔が死体よりも蒼白に染まる。

「それから、俺は連隊長ではない」

「そうですか。連隊長殿」

 訂正するヴィルハルトに、テオドールは小馬鹿にしたような声でそう応じた。

 それから、彼は他の者たちへ向き直った。

「聞いての通り、本日から当部隊に訓練運用担当士官として着任した、テオドール・クロイツ大尉である。連隊長殿とは士官学校の同期であるから、その人柄についてあれこれと教えていただく必要はない。この目つき以上に内面が捩じくれておるのは重々承知しているからな」

「クロイツというと、クロイツ商会の?」

 さっさと自己紹介を済ませたテオドールに尋ねたのはギュンターだった。

「次期頭取だ」

 テオドールは頷いて続けた。

「さっさと〈帝国〉軍を蹴散らさんと、俺様の輝かしい未来が路頭に迷うハメになる。よって、諸君にはこれまで以上の奮闘を期待するものである」

「……これじゃいったい、誰が指揮官なんだか」

 まるで将軍のようにそう締めくくったテオドールに、エルヴィンが呟いた。

「なにか言ったか、兵站担当」

「いえ、何も」

 聞き返されて、エルヴィンは背筋をぴんと伸ばして答えた。

「よろしい。俺は部隊の訓練計画とその実施について、連隊長殿から一任されている。連隊長殿からは早急に部隊を実戦参加可能な水準まで引き上げよと命じられた。そこで、さっそくだが兵站担当。明日までに実包一万発、かき集めて俺の下にもってこい」

「無茶苦茶だ!!」


「訓練担当の、今の要求はともかくとして。ひとまず、兵は走らせておけ」

「集まっているのは新兵ばかりです」

 ヴェルナーがさっと口を挟んだ。

「余計な癖がついていなくていい。大隊に元々居た者たちは?」

「揃っております。一人残らず」

「全員、軍曹に昇進しているだろうな」

「確かに」

 ヴィルハルトは頷いた。

「訓練担当と作戦担当は、このあと大隊長室に来い。そこで訓練方針を詰める。明日以降、東部方面軍から引き抜いた兵たちも到着するだろう。彼らを中心にして部隊を組み上げる。将校も着任してくるだろうが、半分はふるい落とすつもりでかかれ」

「それじゃあ、戦争に行く前に部隊が半壊しちまいますよ……」

 エルヴィンが溜息を吐いたが、ヴィルハルトは聞く耳も持たなかった。

「どうせ、半分は戦場で死ぬのだ」

 そう言って、話し合いは終わりだとばかりに会議室を出ていこうとした。その後を追うようにテオドールとギュンターが続く。

「あの、大隊長、自分たちは?」

 去り際のヴィルハルトの背中に、なんの役割も命じられなかった少尉や中尉達が戸惑ったように声を掛けた。

 ヴィルハルトは彼らを無視するようにエルヴィンとユンカースへ顔を向けた。

「兵站担当、筆記や算術が得意な奴がいれば使ってやれ。その他は主席士官に任せる」

 言って、今度こそ彼は出ていってしまった。

あけましておめでとうございます。

今年も一年、どうぞお付き合いください(終わらせる気なし

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