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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第四幕 王都
165/202

王都の日々 13

 その日の午後。

 王都のとある料亭には、エルヴィン・ライカが語るところのそれはそれは恐ろしい上級生三人組が雁首を揃えていた。

「まずは、大いなる武功をあげた同級生の生還をお祝い申し上げるべきなのだろうな」

 茶化すような声でそう言って、リトガー・ルイスバウムは円卓から食前酒の入ったグラスを持ち上げた。

 血色の悪い顔に分厚い眼鏡をかけた彼は、その痩身を仕立ての良い礼服で包んでいる。

 応じるように、彼の左隣に着いたテオドール・クロイツも杯を掴む。

 恰幅の良い体躯を包むのは、上等な生地で誂えた礼服だ。

「まさか、同期から国家の英雄が出るとはな」

「よしてくれ」

 にやにやとした笑みを自分に向ける同期生二人に、ヴィルハルトは照れた様子で宙を仰いだ。彼だけが相も変わらず、空色を模した〈王国〉軍の制服で身を固めていた。


 嬉々として下宿先を飛び出し、そこで待っていた馬車に人攫い同然に押し込まれたヴィルハルトが連れてこられたのは、王都中心街にある料亭だった。

 立地と店構えから察するに、それなりの客にそれなりの料理を出す店なのだろう。

 もっとも、ヴィルハルトは美食などにはとんと縁が無い。たとえ場末の大衆酒場に連れていかれたとしても文句を言うつもりはなかった。

 しかし。それは良いとしても。

 ヴィルハルトは落ち着きなく辺りを見回した。

 広い店内には、白いクロスの敷かれた円卓が幾つも置かれている。三人が通されたのは、その中でも店の中央にあたる席だった。

 いささか目立ち過ぎではないか。

 本人たちにとってはただ同期で集まっているだけだが、その面子が問題だ。

 一人は大商会の御曹司。

 一人はこの国の仄暗い歴史の中で暗躍してきた一族の継嗣。

 そして自分は、今や救国の英雄だのと呼ばれている。

 この三人を知る者が見れば特別な意味をもって見える。

 無論、職務上、言ってはならない事を話すつもりはない。

 それは友情とは別の次元にある事柄だからだ。

 ヴィルハルトやテオドールはもちろん、リトガーに至っては仕事の愚痴を口にすることすらしないだろう。

 だが、それはそれとして。何のとりとめもない会話だったとしても、見ず知らずの人間に聞き耳を立てられるというはあまり良い気分ではないものだ。

 と、そんなヴィルハルトの懸念を察したのか。

「安心しろ」

 そわそわと店内を見回している彼に、テオドールが言った。

「今日は貸し切りだ。店員も必要最低限の人数にしてもらっている。たとえ異教の神々を奉っているなどと零したところで、それがこの店から漏れることはない」

 彼の言葉に、ヴィルハルトはそうかと呆れ混じりに答えて、肩の力を抜いた。

 何もそこまでしなくてもと思う一方で、そういえば、コイツはこういった時に財を惜しむような男ではなかったなと思い出している。

「まあ。その代わり、至れり尽くせりというわけにはいかん。給仕も一人しかいないから、料理を供するのに何事もつつがなくとはいかないだろうしな。シュルツはともかく、舌の肥えたルイスバウムには不満だろうが、文句は言うな」

「別に、俺は美食家というわけではない。それに」

 釘を刺すように言ったテオドールに、リトガーは乾杯の音頭も待たずに手にしていたグラスの中身をぐいっと呷った。食前酒を一息で飲み干すと、満足そうに唸る。

「陽の光というのは偉大だ。太陽が高い位置にあるという、それだけで、どんな安酒も最高の美酒に様変わりする」

 酒臭い息とともに、堕落そのものの言葉を吐き出した彼は少し離れた位置に控えていた老年の給仕を呼びつけると、同じものをもう一杯もって来させた。


「さて。何に乾杯する?」

 二杯目のグラスを受け取ったところで、ルイスバウムが訊いた。

「当然。我らが同期にしてレーヴェンザールの守手大将。救国の英雄であるヴィルハルト・シュルツ中佐の凱旋にだ」

 クロイツが大仰な台詞とともに、杯を掲げる。

「戦に勝ったわけではないけどな。生き残れたのも、運が良かったからだ……いや、むしろ悪かったのか?」

「では、貴様の悪運に」

 禅問答のような言葉を発する同期生を遮って、クロイツが無理やり乾杯の音頭を取った。

 三人が一斉に杯を呷る。

 食前酒は井戸水でほどよく冷やされた林檎酒だった。

 林檎を醸して作るこの酒は、どういうわけか液体の中から気泡が絶えず浮かび上がっている。

 それがぴりぴりとした爽快な舌触りを生み出し、口の中をさっぱりと洗い流す。

 ぷちぷちと弾ける気泡に食道や胃が刺激されて動き出すのが分かった。

 食前に飲む酒としてはまさにうってつけではあるが、ヴィルハルトの好みからすると少し甘すぎる。

 全員が杯を干しきったところで、次の酒は各自好きなものを頼めとテオドールが言ったので、ヴィルハルトは給仕に、次はもう少し強いものをと頼んだ。


 その後、食卓には続々と料理が運び込まれた。

 秋野菜や茸の蒸し焼きと季節の旬菜から始まって、豚腿肉の焜炉焼きや鴨の香草詰め、魚介類をふんだんに使ったスープ、そして薄切りにされた牛肉の炙り焼きなど、給仕が一つひとつ説明を交えて皿を置いていく。

 ヴィルハルトには調理法の違いなど良く分からなかったが、どれも美味かった。

「ところで貴様、碧い水晶亭に部下の兵を泊まらせているだろう」

 ひとしきり飲み食いしたところで、お気に入りの葡萄酒を水晶碗の中で躍らせながらテオドールが言った。

「ああ。そうだが、どこから聞いた」

 ヴィルハルトが訊き返すと、彼は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「宿の女将からだ。あそこは、我が商会とは長い付き合いだからな。そもそも、忘れたのか。誰が貴様にあの宿を紹介してやったのかを」

「そういえば、そうだったな」

 思い出したようにヴィルハルトは頷いた。

 それは士官学校で、二回目の長期休暇に入った時のことだった。

 帰る家などなく、かといって休暇中だけ教会で世話になるのも気が引けて行き場の無かったヴィルハルトに、テオドールが実家を通じて紹介してくれたのがあの青い水晶亭だったのだ。

「迷惑をかけたか」

 真顔で尋ねるヴィルハルトは、テオドールは肩を竦めながら葡萄酒を呷った。

「別に。元々、戦地帰りの荒くれ共に行儀のよさなんて期待しちゃいねえ。それに、女将は英雄たちを世話できると上機嫌だったしな。俺が言いたいのは、なんでその話をまず俺に通さなかったのかってことだ」

「何故、そこで貴様が出てくる」

 そう首を捻るヴィルハルトに、テオドールがふんぞり返りながら答える。

「もっといい宿なら、幾らでも融通してやった。あそこも別に悪い宿じゃないが、三十人の大所帯が泊まるには小さすぎる。あの宿の一等客室は十部屋しかないんだぞ」

 仕方ないから、階級順に詰め込んだがな。

 そういって不機嫌そうにそっぽを向いた彼に感謝すべきか、謝罪すべきか、ヴィルハルトは迷った。

 士官学校での三年間を同室で過ごしたからこそ分かる。

 テオドールがこういった態度をとる際は大抵、照れているか本気で不機嫌なのかのどちらかだ。そして今回は恐らく、前者だろう。

 善人ぶった自身の振舞いが恥ずかしくて堪らないのかもしれない。

 でありながら、わざわざその話題を口にした意味は。

 テオドールは今、「もっといい宿なら幾らでも融通してやった」と言った。

 紹介ではなく、融通だ。金をとる気はないという意味だった。

 そして恐らく、今回もそうなのだろう。

 つまり、今の会話は青い水晶亭における支払いは全て自分が持つから、金の心配はするなという報告なのだ。

 そういえば、あの長期休暇の時も宿を退去する際に金を請求されなかったなと、ヴィルハルトは思い出した。

「……次からは頼ることにしよう」

 たっぷり時間をかけて悩んでから、ヴィルハルトはそんな言葉で詫びた。

「要らん。次回があったとして、その頃には俺も貴様の部下になっている。そして貴様の部下は当然、俺様の部下でもある。自分の部下の面倒くらい、自分で見られる」

 テオドールは跳ねのけるような声音で、そう応じた。


「楽しそうだな、お二人さん」

 付き合い始めてから翌日の恋人たちを見守るような顔で二人を見ていたリトガーが言った。

 供される料理にもほとんど手を付けずに酒ばかり飲んでいるせいで、その声はすでにほどよく酩酊している。

「じゃあ、ついでにもう一つ楽しい話題を提供してやろうか」

「なんだ」

 彼の申し出に、テオドールが鬱陶しそうに顔を顰めた。

 この男のいう楽しい話題というのが、本当に楽しかった記憶など皆無だからだ。

 どうせ、ろくでもない陰謀の話でもされて、巻き込まれるに違いない。

 そう確信できるからこそ、ヴィルハルトは我関せずといった風を装いながら水晶碗の中身に集中した。

 老給仕がヴィルハルトの好みに合わせて持ってきてくれたものだ。

 ガーヴァンサルートの十八年。

 西方諸王国連合に広く流通している蒸留酒であると説明された。

 先ほど飲んだガッセラの三十二年よりも味は若いが、そのぶん酒精が強く前面に押し出されている。

 ガッセラよりも味の奥深さは劣るが、雑味も少なく、ヴィルハルトの舌には合った。

 まあ。広く流通しているということは要するに、安酒ということなのだが。

「冬季反抗計画、知っているか?」

 それを喉に滑り込ませていると、リトガーがそんな言葉を口にした。

「噂だけなら」

 テオドールが答えて、ヴィルハルトも頷いた。

 そんな二人に、リトガーはあっさりと告げた。

「噂じゃなくなった」

 もそもそと余りものに手を伸ばしていた二人の動きがぴたりと止まる。

「良いのか。俺たちにそんなことを教えて」

 いくらか声を潜めながら、テオドールが言った。

「構わん。どうせ、すぐに国中に知れ渡ることだからな」

 あっけらかんとした口調で応じて、リトガーは詳しい説明を始めた。

「言い出したのは西部方面軍のバッハシュタイン大将だ。それをローゼンバインが支持して、腰ぎんちゃくの軍務大臣に命じて作戦計画を立案させてる。ディックホルスト大将は当然、最後まで反対していたが、あの人は今、東部で指揮を執っているからな。不在時を狙われたわけだ」

 そこで酒を舐めて、舌を湿らせると彼は続けた。

「作戦には東部方面軍と、西部方面軍の主力部隊が動員される。中央軍は王都防衛を理由に、一部部隊を増援に送るほか、主力は動かさない。とはいっても、東部方面軍はこれまで、フェルゼン大橋防衛のために陣地構築を急いできた。今さら、野戦軍のように戦えというのは無理がある。つまり、この作戦で実際に戦うことになるのは西部方面軍の主力というわけだ」

「作戦決行の期日は?」

 聞いたのはヴィルハルトだった。

「早くて二月後。十の月下旬か、遅くても十一の月初旬ごろになるだろう」

「それは……」

 驚いたようにヴィルハルトが目を見開いた。リトガーは頷いた。

「そうだ。お前が敵総司令官から聞き出してきた、〈帝国〉軍の最後の増援が到着するという時期だ」

「まて。そんな話は知らんぞ、俺は」

 口を挟んだテオドールを、リトガーは無視した。

「大方、〈帝国〉軍は増援の到着とともに軍を再編、ないし部隊の振り分けを行うはずだ。その隙を突く、というのがこの作戦のお題目だな」

「本当の狙いは違うのか」

 尋ねたヴィルハルトが純粋な疑問を顔に浮かべていることに、リトガーは深いため息を吐いた。

 本当にこいつは。良く分からないところで純粋と言うか。なんと言うか。

 呆れたようにリトガーは思った。

 ヴィルハルト・シュルツの人格は捻じれている。捻じれきっている。

 それは同期として、友人としても認めざるを得ない事実だ。

 だが同時に。

 軍人としての彼はこの上なく潔癖だと言える。

 政治からは距離を取り、ただ与えられた任務のみを淡々とこなす。

 そこに疑問を抱かない。

 それはある意味で、理想的な軍人であり、同時に酷く危うい。

 何故ならば、軍事とは所詮、政治の延長線上にあるのだから。

「本当に分からんのか」

 酒臭い息を吐きだしながら、リトガーが訊いた。

 ヴィルハルトは相変わらず良く分かっていない様子だった。

「つまりな」

 彼は酒を一口飲んでから、救国の英雄に成り果ててしまった友人に教えた。

「バッハシュタインも、ローゼンバインも。この戦の主導権を取り戻したいのだ」

「主導権など、最初からないぞ」

 まったくの軍事的知見から、ヴィルハルトが言い返す。

「違うよ。〈帝国〉軍からじゃない」

 リトガーは小石を蹴とばすような声でそれに応じた。横を見ると、テオドールはもう彼の言わんとしていることを理解したようだ。

「貴様からだ、シュルツ」

 リトガーはヴィルハルトに指を突きつけた。

「いや、正確に言えば、貴様とディックホルスト大将からだな。要するに戦争を主導する立場を、平民から取りもどしたいのだ。あの大貴族どもは。だからこそ、冬季大反抗などという馬鹿げた妄想を実現させようとしているのだ」

 彼が言い切ると、ヴィルハルトは何か考え込むように手にしていた水晶碗を見つめた。

「なんだ。貴様は反対なのか、ルイスバウム」

 横からテオドールが訊いた。

「当たり前だ」

 リトガーは一々頼むのも面倒なので瓶ごと持って来させた酒を乱暴に注ぎながら答える。

「負けたらどうする。シュルツがレーヴェンザールで粘ってくれたおかげで、我が軍はようやく戦力を建て直すことができた。だが、今ここで貴重な正規兵を消耗してしまえば、残るのは訓練不足の予備兵と新兵、それに義勇兵だけだ。おい、シュルツ」

 彼は酒杯を持った手をヴィルハルトに突き出した。

「貴様なら、義勇兵がどれだけ扱い辛いのか分かるだろう」

「……まぁな」

 突然の質問に、ヴィルハルトは曖昧な言葉で応じた。

「そもそも、義勇兵になるのはまともに兵役も経験したことのない連中ばかりなのだ。それを指揮するのは即席の指揮官教育を受けただけの学生やら、予備役から呼び戻されたばかりの中尉ばかり。義勇軍などと大層な名を冠してはいるが、とてもまともな戦力とは呼べん。それを――」

「だが。命令が発令された以上、我々は従わねばならない」

 くどくどと管を巻くリトガーを、ヴィルハルトの静かな声が遮った。

「たとえどれほど馬鹿げた戦であろうとも。一旦命じられたのならば、我々は征かねばならない。たとえこの国の全土を、同胞の血で赤く染めようとも」

 穏やかともいえるその口調に、リトガーは顔をあげた。

 ヴィルハルトはまるで激戦地を夢見るようにうっとりとした視線で宙を見つめていた。

 その顔に、リトガーは一気に酔いが醒めるのを感じた。助けを求めるように横を見る。

 しかし、そこにいた同期生もまた同じようなものだった。実に楽しげな顔で、舌なめずりをしている。

 今さら、生命の尊さについて説いたところで手遅れだろう友人二人を前にして、リトガーは一人、深く深く溜息を吐いた。


 二人と散々に飲み明かしたヴィルハルトが下宿先に戻ったのは、夜半も過ぎた頃合いだった。

 彼の帰りを待っていたのか。そんな遅い時間までウィンター夫人は起きていた。

 出迎えた彼女から、今夜もハルディオが来ていたと知らされる。

「とても残念そうにしていましたよ」

 そう言ったウィンター夫人に、普段のヴィルハルトなら罪悪感を抱くところだが、今は程々をとうに越した酔いに脳内も足元もふらついている。

「弟さん、しばらく顔を出せないそうです」

 そう伝えられても、ただ無感動に頷くだけだった。



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