王都の日々 11
大変お待たせしました。
ぼちぼち更新を再開させて行きたいと思います。
教会から下宿へと戻る道中、ヴィルハルトは奇妙な二人組と遭遇した。
「あれ、先輩?」
驚いたように彼を呼びとめたのはエルヴィン・ライカだった。元々の童顔に加えて、軍服ではなく平服を着ているせいで余計に幼く見えてしまう。
どうやら買い物帰りらしく、パンの突き出した編籠を抱えていた。
その彼と一緒に歩いていたのは、レーヴェンザールで見たことのある赤毛の少女だった。
「それに……スピカ中尉まで。随分珍しい取り合わせですね」
果たして、この組み合わせにはどういった意味があるのだろうかと頭を悩ませているヴィルハルトにエルヴィンが目を丸くする。
「いや、物珍しいというのなら、君たちも大概だが」
ヴィルハルトは不可解そうな表情でエルヴィンと赤毛の少女を見比べて尋ねた。
「何故、君たちが一緒にいるんだ?」
「何故、と聞かれましても……」
彼の質問に、エルヴィンは戸惑ったように傍らの少女へ視線を向けた。彼女もまた会話をするような瞳で彼を見つめ返す。妙に通じ合っている様子だった。
「今、自分の実家で一緒に住んでいるんですよ。この子、レーヴェンザールから出てきてから、行くあてもなかったので。」
「そうなのか」
ヴィルハルトは分かったような、分からないような表情で頷いた。赤毛の少女に目をやる。彼女は警戒するようなみせたあとで、それでも「こんにちは」と小さく会釈をした。
「ラウラ・テニエスです」
「ヴィルハルト・シュルツです。よろしく、テニエスさん」
思い出したように自己紹介をした彼女に、ヴィルハルトは丁寧に応じた。
「お二人こそ、どうして?」
二人のなんともぎこちないやり取りが終わった後で、エルヴィンが尋ねた。
「別に。特別な意味はない」
「私は中佐殿のお手伝いを仰せつかっています」
説明するのも面倒そうなヴィルハルトに代わって、カレンが答えた。短く事情を説明する。
新部隊の編制を任されているという話が出ると、エルヴィンは目を輝かせた。
「へえ。じゃあ、スピカ中尉はまた先輩の副官に?」
にやにやと楽しげな笑みを浮かべながら、それはご愁傷様ですねと彼は言った。
「それはまだ分かりませんけど」
曖昧に応じながら、カレンは横目でヴィルハルトの顔色を窺った。しかし、先ほどから黙り込んでいる彼は、途轍もない難問に挑む算学者のような面持ちでエルヴィンとラウラを見比べている。
ちょっとした世間話をしてから、二組は別れた。
「それにしても……」
寄り添うように雑踏へ消えてゆくエルヴィンとラウラの後姿を見送りながら、ヴィルハルトがぽつりと漏らす。
「いったいなぜ、彼女がライカ中尉の家で世話になっているんだ……?」
「何故って……」
どうしてもそれが理解できないというように呟いた彼へ、カレンが何故空は青いのかと問われたような顔になると言った。
「あの二人、レーヴェンザールにいた頃からずっと仲が良かったじゃないのですか」
お気づきじゃなかったんですかと彼女に問われて、ヴィルハルトは途方に暮れた顔で空を仰いだ。
あの二人の雰囲気から、その関係性がどのようなものなのかを察せないほどヴィルハルトは初心でも、無知でもない。
ただ、戦場での出会いがそれを育んだと言うのが彼には俄かに信じ難かったのだ。
彼の信じる限り、戦場が産み出すものは無数の死と悲劇のみでなければいけなかった。
「驚いたわ」
ヴィルハルトたちと別れた後。その言葉通りの表情でラウラが呟いた。
「何が?」
「だって、あの人……レーヴェンザールで会った時とは、まるで別人みたいだったから」
首を傾げて聞き返したエルヴィンは、彼女のその言葉にああと納得したような声を漏らした。
「そりゃ、戦場と王都じゃあ勝手が違うからね。普段はあんなもんだよ。変わらないのはおっかない目つきだけさ」
「貴方は戦場でもずっとその調子だったのに?」
エルヴィンの軽口に、ラウラはくすりと笑って言い返す。
「僕は兵站……事務員みたいなものだったからね。実家で店番しているようなもんさ」
おどけたように答えてから、ふいに彼は真顔になると言った。
「あそこでは、ああする以外に無かったんだよ。先輩は」
月並みな擁護だが、二十万もの敵軍に包囲されてなお部下を戦わせ続けなければならない男の心境など、言葉で説明できるようなものではない。
「……うん」
それでも、ラウラは頷いた。
顔は伏せられている。レーヴェンザールの話題が出るたびに、彼女の顔は翳る。無事に生き残ったとはいえ、生まれ育った故郷を失ったのは確かなのだ。
そして、こうなった彼女の口から次に出る言葉も決まっていた。
「ねえ、エルヴィン。また、戦いにいくの?」
「そりゃあね」
王都に戻って、一緒に暮らすようになってから何度問われたか分からないそれに、彼はいつもと同じ言葉を返した。
「将校だもの」
言い訳のように、そう続ける。
我ながら、なんと白々しいとは思う。戦う理由を他人のせいにするなんて、と。
それでも、彼が将校というのは確かな事実であることに変わりはない。
「それじゃあ、あの人の、新しい部隊に行くの? また、あの人と一緒に戦うの?」
「そうなれればいいけど」
大真面目に眉を顰めて考えながら、エルヴィンは答える。
「どうして」
ラウラが顔をあげた。責めるような顔だった。
彼女の言いたいことはエルヴィンにも分かっている。
どうして、そこまでして。彼の下で戦いたいのか。
彼女は視線だけでそう問いかけている。
「……たぶん、言葉で説明しても分かってもらえる話じゃないと思う」
何かいたたまれなくなって、彼女から顔を背けながらエルヴィンはそう嘘を吐いた。
本心を口にすれば、きっと彼女は呆れ返るか怒り狂うかのどっちかだろう。そう思ったから。
「まあ、そんなに心配しないで」
沈んでしまったラウラの気分を切り替えようと、エルヴィンはわざと明るい声を出した。
「こう見えても、僕だって何度も激戦を潜り抜けてきたんだぜ?」
威張るようにそう胸を張る。
「……うん。そう、よね」
頷くラウラの顔はやはり暗かった。
何度も激戦を潜り抜けてきた。その言葉が不味かったのかもしれない。
〈帝国〉との戦争が始まってから、およそ半年。
ずっと戦地にいた彼らはそう思わないかもしれないが、たった半年だ。
たったそれだけの間に、彼らは何度も激戦を潜り抜けなければならなかった。
はっきり言って、それは異常だ。
そもそも、彼らは本来定数割れの一個大隊に過ぎなかったのだ。
それが開戦初期から連戦を重ね、果ては旧王都レーヴェンザールで敵の全軍を相手に対等に渡り合い、遂には戦局そのものを大きく動かした。
軍人でもないただの民間人、それもたった十七の小娘であるラウラでも、それがどれほどおかしい事なのかは、なんとなく察しが付く。
そして異常の原因を突き詰めてゆけば、自ずと浮かび上がるのがヴィルハルト・シュルツという男の名だった。
「でも。やっぱり。正直、どうして貴方があの人をそこまで信頼できるのか、さっぱり分からないわ」
憂いているような息とともに、ラウラはそう吐き出した。
一度でも戦いに関われば、争いの規模の大小に関係なく、暴力を際限なく拡張させてしまう戦鬼のような男に、どうして命を懸けてまで付き従うのか。
そもそもエルヴィンがヴィルハルト・シュルツに対して好意的な感情を抱いていること自体、彼女には信じられなかった。
「それはまぁ、士官学校での教育の賜物というか。上級生というのは如何に偉大な存在であるのかを教え込まれる機会に度々遭遇したからというか」
「士官学校か……想像もつかないわね」
そもそも、初等教育すら受ける機会の無かったラウラからすれば、学校というのがどんな場所なのか想像すらもつかないのだが。
それでも何かを思い浮かべようと空を仰いだ彼女の隣で、想像しない方がいいよとエルヴィンがぼそりと言った。
「僕が生徒だった頃、当時の士官学校には、それはそれは恐ろしい上級生が三人いてね」
「そのうちの一人が、あの人なの?」
恐ろしい記憶を掘り起こしているような、陰のある笑みを浮かべる彼へラウラが訊いた。
「そう。そして、あとの二人は先輩よりもおっかないよ」
頷いたエルヴィンに、ラウラは嘘でしょうと微笑みかける。
また彼が自分をからかっているのだと思ったのだ。
しかし、彼は真顔だった。
「でもまぁ」
何かに怯えるように我が身を抱きしめながら、エルヴィンは口を開いた。
「その人たちはもう軍を辞めてしまったから。きっともう、二度と会うことはないはずだから……」
自分に言い聞かせるように言いながら、どうしてあの人たちのことを思い出した途端、寒気が止まらないのだろうかとエルヴィンは疑問に思った。
次回更新、しばらくは不定期です!