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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第四幕 王都
159/202

王都の日々 7

 クロイツとの再会後、再びブラウシュタイン大佐の下を訪れたヴィルハルトが下宿へと戻った頃には、すっかり日も傾きだしていた。

 玄関をくぐると、すかさずウィンター夫人が出迎える。彼女に礼を言いつつ食堂へ向かうと、そこにはすでに弟の姿があった。

「あ、お帰り。兄さん」

「ああ……」

 当然のように待ち構えていたハルディオに面食らった表情で応じつつ、ヴィルハルトはその向かい側に腰を下ろす。

「何も、毎日来なくてもいいんだぞ」

「気にしないで。今は試験もないし……それに、会える時に会っておかないと、兄さん、今度はいつ帰ってくるのかも分からないし」

 そう言ったのは東部方面軍への配属が決まった時、何も告げることなく姿を消した兄を揶揄しているのか。兄弟の会話を交わしていると、ウィンター夫人が戻ってきた。

「すぐにお食事の支度をしますね」

 含むような笑みを讃えながら言って、彼女は暖炉に近づいた。火に掛けられている鉄なべの蓋を取ると、空腹を刺激する匂いが食堂に広がる。

「今晩は随分と豪勢ですね」

 金杓子を手に取った彼女が、鍋からごろりとした肉の塊を掬いあげたのを見て、ヴィルハルトは思わず唾を飲み込みながら訊いた。腸詰ならばともかく、保存のきかない肉の塊が庶民の食卓に並ぶことは稀である。もちろん、相応に値段も張る。安下宿で出される夕飯としては、破格の振舞いだった。

「ええ。でも、作ったのは私じゃありませんよ」

 それにウィンター夫人は笑いながら答える。

「兄さん、どうせお酒ばっかり飲んでて、ろくなもの食べてないでしょ?」

 どういうことか、という顔になったヴィルハルトへ、ハルディオが肩を竦めながら言った。

 ますます混乱した様子の彼の前に、皿が置かれる。大きな肉の塊を酢や香辛料を使った濃い茶色のソースで煮込んだ、〈王国〉では伝統的な料理だった。野菜も多く入れられており、赤や緑が鮮やかに映えている。

「……お前がつくったのか?」

 無言のまま、何やらウィンター夫人とやり取りしている弟の様子に何かを察して、ヴィルハルトが尋ねた。

「あー、いや、それは……」

 やけに濁った返答が返ってくる。と、その隣でウィンター夫人が堪えきれないとばかりに吹き出した。

「あのお嬢さんを紹介してあげないの?」

「いや、あの子は別にまだ、そういう関係ってわけじゃあ……」

 弾けるように笑いながら言った彼女へ、気恥ずかしそうに応じる弟を見れば、そうした方面に疎いヴィルハルトでも流石に気付く。

「なんだ。恋人がいるのか」

 彼は単刀直入に訊いた。

「いや、その……まあ」

 酷く照れくさそうに、ハルディオは小さく頷いた。ヴィルハルトは大真面目な顔になると、机の上で手を組んだ。

「どちらのお嬢さんだ?」

「ええと……大学院に通ってる子で……」

 詰問染みた兄の質問に、ハルディオは終始、はにかみながら答えた。

 相手は貴族ではないものの、それなりに裕福な家の一人娘であるそうだった。大学院では同じく歴史を専攻しており、たびたび言葉を交わしているうちに親しくなったらしい。

「その内、御挨拶に行かねばな」

「い、いいよ、そんな……」

 どこまでも真剣な面持ちで言った兄を、ハルディオが慌てたように遮る。

「……というか、本当にまだ、そういう関係じゃないから」

 もじもじしながら言う弟を、ウィンター夫人が微笑ましそうに見つめていた。その横顔をちらと見て、ふと、自分も同じような表情が出来ているだろうかとヴィルハルトは思った。

 そっと、唇を指でなぞる。真一文字を描いていたそれを誤魔化すために、彼は銀匙を手に取った。

 相手が貴族ではないにしろ、自分の存在はハルディオとその彼女にとって、それなりの利点になるだろうか。などと、自身の価値について思いを馳せながら、彼は食事に手を付けた。

 肉は柔らかく、噛むほどに口の中でほろほろと崩れ、旨かった。


「僕の話はともかくとして……兄さんこそ、そういう相手はいないの?」

 食事を済ませた所で、ハルディオが逆襲するように切り込んできた。

「いると思うか?」

 意地の悪そうな笑みを浮かべた弟に、ヴィルハルトは呆れたように応じた。

「どうかな。割と近くに、可能性はあるかもよ?」

 言って、ハルディオが妙な視線をウィンター夫人に向ける。

「あ、わ、私! 食後のお茶をご用意しますね……!」

 それに彼女は慌てたように立ち上がった。厨房へ逃げ込んで行く彼女の背中を、ヴィルハルトが不可解そうに目で追っているのを見て、ハルディオが小さく溜息を零す。

「あのね、兄さん。兄さんはもう、中佐でしょ? よく言うじゃないか。中尉には恋人が、大尉には婚約者が、そして少佐には妻がいるべきだって」

「聞いたことが無いぞ、そんな格言は」

「まぁ、男爵が言っているのを聞いただけなんだけど」

「待て。まさか、俺の見合いでも計画しているんじゃないだろうな」

 弟とヴィルハルトがあれこれ言い合っていると、呼び鐘の鳴らされる音が響いた。

「あら……どなたでしょうか」

 厨房から顔を出したウィンター夫人が、そのまま食堂を出て行く。対面ではハルディオが、まだ何か言っている。それに適当な相槌を打っているヴィルハルトの背中へ、戻ってきたウィンター夫人が声を掛けた。

「あの……シュルツさん。お客様です」

「客?」

 何やら沈んだその声にヴィルハルトが、振り向くと彼女の背後には、とび色の髪を短く切り詰めた女性が立っていた。

「夜分に失礼します、中佐殿」

 少年のようなあどけなさが残る翡翠の瞳と目があうなり、彼女が腰を折る。

「……何の用かな、カレン・スピラ中尉」

 酷く迷惑そうな顔で、ヴィルハルトは彼女に応じた。




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