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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第四幕 王都
145/202

レーヴェンザール臨時守備隊解散式 2

 解散を告げた後も、守備隊の将兵たちはすぐに練兵場を去ろうとはしなかった。

 ともに死線を越えてきた戦友との別れを惜しみ、気の合う仲間たちと談笑する者や再会を誓い合って抱き合う者たちで、営庭は賑やかだった。

 ヴィルハルトはその様子を少し離れた位置から、どこか別世界の情景を見ているような瞳で眺めていた。思い出したように懐をまさぐり、紙巻を一本取り出すと口に咥え、燐寸を探す。その鼻先に突然、火の点いた燐寸が差し出された。ヴェルナーだった。


「参加してこなくていいのか?」

 小さく礼を言って紙巻に火を点けたヴィルハルトは、視線を笑い合っている兵士たちへ据えると訊いた。

「しばらくは兵隊の国ともお別れだぞ、曹長」

「娑婆も極楽じゃありませんから」

 茶化すような声のヴィルハルトへ、ヴェルナーは肩を竦めながら切り返した。

「まぁ、何にせよ連中にとっては久々の帰郷です。自分らが混じって水を差すのも悪い気がします」

 さりげなく自分を同類にした彼に、ヴィルハルトがふっと紫煙を吐き出した時だった。


 練兵場の入口、衛門のある方向から、誰かの名を呼ぶ声が営庭に響いた。

 女の声だった。兵士たちのざわめきがぴたりと止む。

 その声に心当たりのあるらしい兵が振り返るのが見えた。彼につられるように、ヴィルハルトもそちらへ目を向ける。

 開かれた衛門の向こうには、若い娘が一人立っていた。娘は握りしめた両手を胸に押し当てるようにして、もう一度、先ほどと同じ名を叫んだ。泣き出しそうな声。けれど、悲しみによるものでは決してない響き。

 振り返った兵が、ふらりとした足取りでその娘に向けて歩き出した。すぐ駆け足になる。最後はほとんど飛び込むような勢いで娘の下へ辿り着くと、躊躇うこともなく彼女の細い身体を抱きしめた。娘もまた、彼を強く抱き返す。


 しん、としていた営庭に、ひゅーという甲高い音が響いた。誰かが口笛を吹いたらしかった。続いて、囃し立てるような歓声がどっとあがる。

 やってきた彼女と、あの兵士がどのような関係であるのか。説明されるまでもないからだった。

 あの若い娘は死地から生還したばかりの恋人を迎えに来たのだ。

 羨望、嫉妬、心からの祝福。様々な想いの籠るやじが二人に向けて飛ばされる。

 しかし、若い二人の世界には届かない。彼らは額を押し付け合いながら、何かを確かめるように互いの頬をくすぐり合っていた。


 そして。現れたのは、この幸運な兵士の恋人だけではなかった。

 彼女の後に続くようにして、続々と王都から練兵場へ人々が押しかけてきた。彼らは皆、生還した将兵の家族や恋人たちだった。

 守備隊将兵の間に一瞬、茫然とした空気が流れる。その次の瞬間には、突撃を命じられたかのようながむしゃらさで我先にと衛門へ向けて駆け出していた。もはや、二度と再会は叶うまいと覚悟したはずの、愛する者たちへ向けて。


 瞬く間に、練兵場の入口は混戦の様相を呈していた。ただし、響いているのは阿鼻叫喚の戦場音楽とは程遠い。

 恋人との再会を果たした二人の、喜びに満ちた声。それを囃し立てる男たち。夫の生還を祝う妻たちの歓声。父を呼ぶ子供たちの無邪気な声。安堵のあまり、その場に崩れ落ちた母の啜り泣き。

 想いの表現法に違いはあるものの、そのどれもが歓びに満ちていた。


 迎えがあったのは兵士たちだけではなかった。

「エルンスト!!」

 人垣をかき分けるようにして、さほど幸福な人生を送ってきたわけでもなさそうな中年の婦人が甲高い声をあげた。彼女が名を呼んだその先には、ユンカース中尉がいた。

「母さん」

 喜びに沸いている兵たちを一歩下がった位置から眺めていた彼は、母の姿に気付くと散歩から帰ってきたような気軽さで片手を上げた。そんな息子の胸元へと、彼女は撃ち出された銃弾のような勢いで飛び込んだ。

「ああ、エルンスト! 無事なのね? 腕はついているわね? 足は?」

 鼻をすすりながら、自分の腕や足を確かめるように何度も擦る母へユンカースは苦笑を浮かべた。

「母さん、落ち着いて。ほら、この通り、無事だよ」

 自分とは対照的な、落ち着いた様子の息子の声に、彼女は堪えきれなくなったように泣き出した。

「あぁ……よかった。よかった……本当に。戦争に行ったなんて、なんて、なんて危ない……無事で帰れたからよかったものの……」

「俺は将校だよ、母さん。これが仕事じゃないか」

 むせび泣き始めた母の背をさすりながら、ユンカースは苦痛に耐えているような表情を浮かべていた。そこへもう一人、少女が近づいてくる。歳の頃は十歳かそこらだった。

「お兄ちゃん」

 少女は母が泣きながら抱きしめているユンカースを見てから、窺うような声を出した。

「アリアナ」

 彼はにこりとした笑みを浮かべると、年の離れた妹の名を呼んだ。

「おかえり、お兄ちゃん」

 名前を呼ばれたアリアナはほっとしたような息を吐いてから、少しちぐはぐな笑みを浮かべた。それから、兄に縋っている母を心配そうに見つめる。妹の視線に気が付いたユンカースは優しく頷いた。

「大丈夫だよ。さ、母さん、ほら。もう大丈夫だから」

 そう、慰めるような声を出した息子へ。

「大丈夫なものですか!!」

 ようやく彼の胸から顔を離した彼女は、噛みつくような大声を出した。

「貴方が戦地にいると知ってから、私は生きた心地がしませんでしたよ! あなたを失うかもしれないなんて、あああ……」

 言って、再び泣き崩れる。ユンカースはどうしたものかと困り果てていた。周りの目が気になって仕方が無かった。部下の前だからというよりも、衆目の面前で大泣きしている母に縋りつかれていると言うのは男子として中々に厳しいものがある。

 アリアナが寄ってきて、母親の腕を優しく撫でていた。

 そんな娘の健気さがさらに心の琴線に触れたのか。嗚咽を漏らしながら、ユンカースの母は息子と一緒に、アリアナの小さな身体も抱きしめた

「あなたたちは、私の宝です。なんにも持ってない私の、唯一、最後に残された大切な、大切な……失うなんて考えられない……だから、お願いだから、いなくなったりしないでね……」

 お父さんのように、と。彼女は懇願するように泣いた。


 母の腕の中でユンカースは空を仰いだ。その表情は苦悩に染まっている。

 恐らく、今の自分の心境は世界中の誰からも共感を得られないだろうなと確信しつつも、無性に戦場が恋しくなっていた。

鋭意、書き溜め中です。しばらく週1更新となります。


続きは来週、月曜!

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