凱旋式 2
大変お待たせしました。
本幕から、サブタイトルもつけていこうと思います。
守備隊の隊列は、遂に大通りの終点へと辿り着いた。
王都の中心に当たるその広場は南北の大通りとの合流地点であり、一個連隊が整列してもまだ余裕のある広さがあった。
守備隊の隊列は、東大通りから広場へと進入した。その正面には街の西側、湾に突き出すようにして隆起した丘の上に建つ、王宮へと至る坂道が伸びている。
坂道と広場の間には門があり、普段ならば許可のある者以外を通さぬように警備の近衛騎士が常に目を光らせているのだが、この日は違った。
開け放たれた門の前には、来賓席が用意されていた。大百合の描かれた〈王国〉旗の横断幕が下がる檀上には、〈王国〉執政府と軍部の要人たちが一堂に会している。
さらに、来賓席の前には演台のようなものが置かれていた。
そこへ、一人の人物がゆっくりと登壇した。ヴィルハルトの背後で、兵たちが息を飲むようなどよめきが響く。彼は素早く顔を振り向かせて、それを静かにさせたあとで、まぁ、仕方のない反応ではあるかと思った。
兵の多くは王都へ来ること自体が初めてなのだ。当然、己が仕えている君主の姿を目にしたこともない。
壇上へ上がった女性は、その新雪に喩えられることの多い純白の髪を西風に靡かせつつ、やってきた守備隊将兵を迎え入れるように微笑んでいた。
ヴィルハルトはその前へと進んだ。お互いの表情が読み取れるほどに距離が近づいたところで、彼は顔を壇上へと向けた。そこに立つ女性と目が合う。
その途端、〈王国〉女王、アリシア・フォン・ホーエンツェルンの口元が、待ちわびていたように綻んだ。
「気を付けぇ!!」
足を止めたヴィルハルトの背後で、守備隊最先任曹長のアイザック・ヴェルナーが号令を張り上げた。戦場で飛ばすそれよりも、いくぶん発音が硬いように聞こえるのは、彼もまたこの状況に緊張しているからだろうか。
「女王陛下に、捧げ筒!!」
裂帛の号令に合わせて、一斉に兵たちが銃剣の装着した小銃の切先を天へ掲げた。将校は抜刀すると、刀身を右の頬へ押し付ける。
女王はそれに、胸元に手を当てて軽く腰を折る仕草で応じた。快晴の空を模した色合いの女性用礼装の裾が優雅に揺れる。
彼女の背後でも、来賓席にいた者たちが立ち上がっていた。左側に並ぶ、〈王国〉宰相インゴルト・フォン・エスターライヒを始めとする執政府の要人たちが同様の礼を示している反対では、軍務大臣を筆頭にした〈王国〉軍の重鎮たちが軍隊式の敬礼で応じている。
初め、女王へと視線を据えていたヴィルハルトだったが、彼女の顔が持ち上がるのと同時にその目をあらぬ方向へと彷徨わせた。
来賓席の右手側、一番端に立つ人物と目が合う。東部方面軍司令官、アーバンス・ディックホルスト大将だった。彼はヴィルハルトに向けて、好意的な微笑みを浮かべつつ頷いた。ヴィルハルトは目礼を返した。
ディックホルストの左隣りには西部方面軍司令官、ルドガー・フォン・バッハシュタイン大将が、そしてさらに隣には〈王国〉軍総司令官と中央軍の司令官を兼任する、オットー・フォン・ローゼンバイン大将がいた。
ローゼンバインは、整列している守備隊将兵を睥睨するように見下ろしつつ、その顔を顰めている。いや、彼はその前から、守備隊がこの広場へ姿を見せたその瞬間から、表情を不満そうなものへと染めていた。
理由は単純だった。
守備隊の行進があまりにも無様であるからだった。
当然といえば当然ではある。そもそも、守備隊は巷で囁かれているような、旧王都を防衛するために集められた〈王国〉軍の精鋭中の精鋭などではなく、瓦解した東部防衛線からどうにか逃げ延びてきた敗残兵を中心に、撤退する友軍から取り残された落伍兵や、志願してやってきた義勇兵を寄せ集めただけの集団に過ぎない。
掲げた銃剣や、振り上げた手足がぴったりと揃っているなどと、望めるはずもないのだ。
その程度のことはもちろん、ローゼンバインでも理解はしている。
しかし、分かってはいても気に入らないものは気に入らない。
文官たちの何名かが、彼らの無様な行進をむしろ、その切り抜けてきた戦いの激しさを偲ばせるものだと好意的に受け入れていることも気に入らなかった(もちろん、何よりも気に入らないのは部隊の正面に立っている指揮官が平民出身だという事実であるが)。
だとしても、すでに女王が守備隊からの礼を受けてしまっている以上、ここで真っ向からその点を指摘するわけにもいかない。
ローゼンバインは不満そうに鼻を鳴らすと、空模様を気にするように天を仰いだ。
嫌になるほどの晴天であった。
演台に立った女王は、整列した守備隊将兵へ穏やかな微笑みを浮かべつつ、静かに口を開いた。
「ヴィルハルト・シュルツ中佐。そして、レーヴェンザール臨時守備隊の将兵の皆さん。この度の戦いは、本当にお疲れさまでした。この国の、全ての民を代表して心からの感謝を。貴方がたの奮闘無くして、〈王国〉は今日、この日を迎えることはできなかったでしょう」
そう言った彼女は、感謝を示すように檀上で小さく頭を下げた。
来賓席にわずかな動揺が走る。たとえ感謝を表すためであろうと、王位に就く者が自ら、臣下へ頭を下げるなどあってはならない。
真っ先に行動に移したのはエスターライヒだった。彼は静かに足を踏み出すと、女王の下へ向かおうとした。しかし、その足を女王御付の筆頭騎士であるレオハルト・ファルケンハイムがわずかな身動きで押し止めた。
彼は女王から、たとえ何者であろうとも決して演説の邪魔をさせるなという命令を受けているのだった。
彼の瞳に浮かぶ、強い意志の光を見て取ったエスターライヒは諦めたように肩を落とすのと同時に、演壇では女王が顔を上げていた。
「そして同時に、そこで失われた数多くの命にも深い哀悼を示すとともに、彼らの御霊が楽園で永遠の平穏を得られるように祈りましょう」
そこで彼女は言葉を切った。まっすぐに視線を上げて、整列した守備隊将兵を、詰めかけている市民たちをゆっくりと見回して、息を吸い込む。
そして。
「しかし、私は戦い続けることを望みます」
彼女は毅然とした声で告げた。
さほど大きくはないその声はしかし、王都中に響き渡っているような力強さがあった。
「戦争の悲惨さを知らぬわけではありません。戦い、傷つき、そして斃れていった者たちを悼みもしましょう。けれど、決して、臆することも退くこともしようとは思いません。何故ならば、戦い続けることのみが戦場で散った将兵への最大の慰霊であり、そして今、この国に生きる我々の義務であると信じるからです」
女王は背筋を伸ばした。誰の目から見ても分かる、強い決意の表れたその顔を万民へと向けて、もう一度同じ言葉を口にする。
「私は戦い続けることを望みます」
春の到来を告げる、大地の女神のように慈悲深く。断頭台の刃を落とす、処刑人のように冷然と、彼女は言った。
「我が〈王国〉は決して、〈帝国〉に膝を屈したりはしないと確信するが故に」
暫しの静寂が王都を包み込んだ。
女王の決意を後押しするように湾から一陣の西風が吹き寄よせて、彼女の白い髪を揺らした。
やがて、集まっていた民衆の間から「女王陛下万歳」と口ずさむ声が響きだした。ささやかに始まったそれは瞬く間に数を増し、遂には王都全体を揺るがす大合唱へと膨れ上がる。
人々の合唱に応じるように、来賓席にいた者たちが女王の立つ演壇の前へと進み出て、膝を折った。
壮麗な白き都の中心に立った年若き女王は、臣下から礼を贈られつつ毅然と顔を上げた。
街中に、女王を称える斉唱が木霊する。
それは古い神話の一幕のような光景だった。各人が如何なる想いを胸に秘めていたとしても、今、この瞬間、〈王国〉は一つであった。
続きは今しばらくお待ちを・・・