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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦
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 発煙弾が打ちあがるとともに、ヴィルハルトは軍剣を抜き放っていた。

「レーヴェンザール臨時守備隊総員、前へ」

 発せられた声はむしろ、上機嫌でさえあった。

 彼のすぐ後ろに付いたヴェルナー曹長が、彼の呟きを何倍にも拡声して全軍へと告げる。

 ヴィルハルトは朝の散歩にでも出かけるような軽やかさで、一歩目を踏み出した。

 三千名が一斉にそれに続く。

 地鳴りのような音が、レーヴェンザール東門前の草原を揺すった。

 突如打ち上げられた発煙弾に、レーヴェンザールを囲む塹壕の中で待機していた〈帝国〉軍の将兵たちが何事かと顔を見せた。

 ヴィルハルトたちに気付くと驚いたように目を見開き、口々に警告の声を発する。

 それを合図に、ヴィルハルトは切っ先を彼らへ向けると大声をあげた。

「全軍、続けぇっ!!」

 駆け出す。

 目指すは〈帝国〉軍の敷いた重厚な陣のさらにその先。

 敵本営の脇をすり抜け、今や陽光を浴びて輝くドライゼ山脈の山並み、その麓から広がる広大な森の中へ。

 やはり、何処までも無茶な、無謀と言って良い作戦だったなとヴィルハルトは思った。

 だが、今さら足を止めることはできない。

 彼の号令に応じるように、背後で一斉に蛮声があがった。

 誰も彼もがヴィルハルトの後を追う。その背中を追い続けることだけが、自分たちの生き延びるための唯一の道なのだと信じて。

 そう信じ込ませたのは彼だった。

 ならば、やはり。彼は責任を取らねばならない。 


 もはや陥落寸前のレーヴェンザールへと、最後の鉄槌を振り下ろすために夜明け前から突撃発起線である塹壕内で待機していた〈帝国〉軍第6猟兵師団の将兵たちは、突如として行われた敵の突撃に動揺を露わにしていた。

 まさか、この期に及んで敵が攻勢を仕掛けてくるとは思いもしていなかったこと。そして、どう見ても成功の見込みがないにも関わらず、一心不乱に突き進んでくる敵軍の有様に恐怖に近い感情を抱いたからだった。

「なんのつもりだ」

 レーヴェンザール東側の城壁を囲むように、三重に張られた塹壕線の最後衛で、此方へ向かって駆けてくる敵軍の姿を見た〈帝国〉本領軍第6猟兵師団師団長、ブラドレン・イリエンコフ中将が抱いた感想も、兵たちと同じであった。

 その視線の先で、敵の先頭が一つ目の塹壕戦にぶつかるのが見えた。混乱と戸惑いによって指揮系統が麻痺していたせいか、瞬く間に最初の防衛線が破られてしまう。

「いかん! 何をしておる! 応戦させよ!」

 蛙のような横に幅広い顔に焦った表情を浮かべ、イリエンコフは命令を飛ばした。

 それも当然で、彼らのすぐ背後には〈帝国〉軍総司令部の天幕群があるからだった。

 昨日、すでに勝敗は決したとして、この遠征軍の総指揮官であるリゼアベート・ルヴィンスカヤ大将が司令部をそこまで前進させていたのだった。

「奴らを総司令部に近づけさせるな!!」

 急いで駆け出した伝令の背中を怒鳴りつけた後、イリエンコフはふうと息を吐いた。

 動揺が収まってみれば、大したことではないと気付いたからだった。

 所詮は、最後の悪足掻き。なにができる。

 そう考えた彼の横を、馬に乗った何者かが通り過ぎていった。馬上にいる人物は本両軍の紅い制服ではなく、西方領軍の所属を表す緑装に身を包んでいる。

「誰だ、あれは?」

 訝しむような目で、駆けてゆく人物の背中を睨んだイリエンコフに、近くにいた師団参謀長が応じた。

「ちらと見ただけですが、恐らくワシリー・スヴォーロフ大佐かと」

「ふん? ああ、あの先遣隊指揮官だったとかいう男か。確か、失態を犯したとかで謹慎中ではなかったか?」

 参謀長が口にした名を、記憶の端に見つけたイリエンコフは鼻を鳴らして応じた。

「ええ、敵の遅滞防御部隊と戦い、わずか一刻も経たぬうちに部隊の半数を失って惨敗したとかで……その時の敵指揮官が、なんとこの城塞都市に籠る敵軍を指揮している人物だとか。それで、ルヴィンスカヤ大将が雪辱を晴らす機会を与えんと呼び付けたそうです」

 それを聞いたイリエンコフはなるほどねと、また鼻を鳴らした。

「いかがしますか?」

 参謀長は馬から降りて、塹壕を跨いでゆくスヴォーロフの背中を示しながら訊いた。

「今さら止められんだろう。ま、好きにさせてやれ」

 どうでも良さそうに応じた後で、イリエンコフは後ろを振り向いた。

 総司令部の天幕から、参謀たちが顔を覗かせている。彼らは一様に、驚きとも呆れとも付かぬ表情で敵の取った行動を眺めていた。

 その中には、リゼアベート・ルヴィンスカヤの姿もあった。

 どういうわけか。彼女の顔にはまるで、恋に焦がれる乙女のような切実さが浮かんでいるように見えた。


 ほとんど抵抗も受けることなく、二つの塹壕線を突破した守備隊の躍進は三つ目の塹壕線に差し掛かるところで停止した。

 流石に混乱から立ち直った敵が射撃体勢を整えていたからだった。

 ぶんぶんと羽虫の飛び交うような音とともに、周囲を弾丸が飛び過ぎてゆく。背後で何人もの悲鳴と絶叫が上がった。

 だが、ヴィルハルトは足を止めない。止めてはならない。

 もしもここで立ち止まれば、前から後ろから敵に殺到されて押しつぶされてしまう。

 そうなれば、皆殺しになる以外にない。

 唯一の希望は走り続けること。

 幸い、敵からの射撃はそれほど激しいものではなかった。恐らく、突撃してきた守備隊と入り乱れた味方への誤射を恐れているのだろう。

 なおも駆けるヴィルハルトの前方から、〈帝国〉猟兵が十名ほど指揮官に率いられて塹壕から飛び出してきた。いずれの小銃にも銃剣がつけられている。

 しかし、ヴィルハルトは走る勢いを殺さなかった。軍剣を振り上げ、がむしゃらに大声をあげる。

 敵の一人が怯んだように銃剣をわずかに上へ向けたのを、ヴィルハルトは見逃さなかった。その兵の持つ小銃を軍剣で大きく上へ弾くと、懐に潜り込み、刀身をその柔らかい腹に突き立てた。

 彼の両刃造りの軍剣は頑丈だが、切れ味は鈍い。刀身は周りの肉を押し潰すように突き刺さった。

 敵兵が絶叫をあげた。

 構わず、ヴィルハルトは軍剣を乱暴に引き抜いた。裂けた腹部から血と臓物を零れさせている敵兵を押し退けるように突き飛ばす。倒した敵兵を踏みつけて、ヴィルハルトは敵中を突破した。

 両脇に居た敵兵はヴェルナーがあっという間に殴り倒していた。

 背後から荒く、甘い息遣いが聞こえた。副官のカレン・スピラ中尉だった。

 頑なに着いてゆくと言って聞かない彼女へ、ヴィルハルトは自分の傍から離れるなと命じてあった。

 どうやら、彼女はまだその命令に従えているらしい。

 どこまで従い続けられるかは分からないが。

 だとしても、速度を緩めるつもりなどなかった。

 ヴィルハルトは最後の塹壕線に向けて疾駆した。

 〈帝国〉西方領軍の緑装に身を包んだ大男が、怒りの唸りとともに彼の行く手を遮ったのはその時だった。

続きは二日後。

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