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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦
135/202

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「閣下」

 満面に、一仕事終えた満足感のようなものを浮かべながら市庁舎内へ戻ってきたブラウシュタインへ、ヴィルハルトが呼びかけた。その声には咎めるような響きがある。

 理由はもちろん、先ほどの虚飾に塗れた演説の内容についてだった。

 街の放棄を決定したのはブラウシュタインではないし、船舶部隊からの支援を取り付けたのもヴィルハルトではない。

 だが、ブラウシュタインはそのことについてヴィルハルトが何か口にするよりも前に、片手を制するように突き出すと、口の端をにやけさせながら言った。

「政治だよ、少佐。教えてやっただろう。政治とは所詮、詭弁に過ぎず、要は民草どもを気持ちよく騙してやればよいのだと」

 からからと楽しそうな笑い声をあげたブラウシュタインの様子に、ヴィルハルトはそういうものかなと諦めたように肩を竦めた。

 姿勢を正すと、言った。

「では、閣下も脱出のご準備を。申し訳ありませんが、お手持ちになる品は必要最低限のものだけで、」

 その言葉を遮るように、ブラウシュタインが口を挟んだ。

「少佐、少佐」

 聞き分けの悪い子供に言い聞かせるような声を出すと、彼は右手の親指で自らを指し示す。

「あのな、俺は侯爵だ」

 まるで、それがすべての答えだと言わんばかりの一言だった。

 ヴィルハルトはどう受け取ったものか分からず、はぁと曖昧な相槌を返す。

 訳が分かっていない様子の彼を無視して、ブラウシュタインは両腕を広げた。

「侯爵とは貴族だ。そして、貴族とは即ち領主だ。であるならば、己の領地がいよいよこれまでとなったのならば、城を枕に討ち死にして見せるのが領主たる者の務めではないか」

 さも当然のように、彼はそう言い放った。ヴィルハルトは応じる言葉が見つからなかった。

 ブラウシュタインはそんな彼を一瞥し、口を開いた。

「発煙弾の打ち上げは俺がやろう。貴様には一人でも多くの戦力が必要だろう」

「……お聞きになられていたのですか」

「なに。小耳に挟んだだけだ」

 ブラウシュタインは惚けるように言った。広げていた両手を後ろに回す。

「さて、あとのことは貴様らに任せて、俺は部屋に戻るとするか。まだ飲みかけの酒が残っているのでな」

 鼻歌を歌うように言って、彼は尊大そのものの態度で自らの執務室へと向かった。

 ヴィルハルトはその背中に、ただ深々と頭を下げた。


 リゼアベート・ルヴィンスカヤの気紛れと言っても良い理由で与えられた一日は矢のように過ぎていった。

 急場しのぎの脱出計画にはあれこれと手を加えねばならなかったし、脱出前に終わらせておかなければならないことも多かったからだ。

 持ち出せない資料を焼き捨て、敵に鹵獲される恐れのある銃砲は破壊した。

 兵站担当士官のエルヴィンは兵を休ませるついでに、貯蓄してあった食料を大盤振る舞いした。どうせ持ってゆけないのだから、食いきってしまえと言う考えだった。彼らが去ったあとに街を占領するだろう〈帝国〉軍へ、少しでも物資を与えるものかという半ば嫌がらせのような意味もある。

 どうしても欠かせない任務に就いている者以外、ヴィルハルトに許可を求めて酒も許した。無論、度を超えて飲み過ぎることはきつく禁止したが。

 司令室に籠り、報告を受けながらあれこれと指示を出していたヴィルハルトは昼過ぎ頃にケスラーを伴って、教会へと向かった。指揮官としての責務を果たすためだった。


 こうして、瞬く間に一日が終わり、日が傾きかけた頃。

 司令であるヴィルハルトにもようやく二、三刻ばかりの暇が出来た。

 司令部に残っていた者たちにも少し休むように命じると、彼は一人、司令席に腰かけて窓の外を眺めていた。

 朝から降り続けていた雨が上がり、次第に晴れだした空には、雲の切れ間から星々の瞬きが覗いている。

 開け放たれていた窓からは、夏の雨上がり特有の心地よい風が司令室へと吹き込んでいた。ヴィルハルトは椅子から立ち上がり、窓に背中を向けて机の上に腰かけた。

 ちょうど、その時だった。

「失礼します、司令はこちらにいらっしゃいますか」

 控えめに扉が叩かれ、カレンが顔を覗かせた。

「司令?」

 彼女は薄暗い室内に無言で佇むヴィルハルトを見て、問いかけるように呼びかけた。

「ああ」

 ヴィルハルトはカレンの方を見もせずに、心ここにあらずと言った調子で返事をした。

 カレンは静かに室内へと踏み込んだ。扉が閉まる音がやけに大きく響いた。

 ヴィルハルトへ近づいたカレンは、彼の横顔に、この戦いの間一度も浮かんでいなかった表情が浮かんでいることに気が付いた。

 一切の汚濁を洗い流したような、無垢な幼子のような、素直な表情。眉間に刻まれた皺が伸ばされたヴィルハルトの顔は、驚くほど若々しく見えた。

「どうかなさいましたか?」

 尋ねながら、カレンはヴィルハルトの視線を追った。そこにはレーヴェンザールの全体が描かれた、戦術図が張られている。

「考えていた」

 ヴィルハルトはカレンの質問に素直に答えた。

「何をお考えでしたか?」

 彼の態度のせいか、カレンは幼い子供に問いかけるような口調になった。

「明日の作戦についてだ」

「なにか問題が?」

 尋ね返したカレンへ、ヴィルハルトは大きく息を吐きだしながら答えた。

「問題以外に、なにがある。やはり、これは体のいい自殺計画だ。そもそも、我々が囮となって敵の目を引き付けたところで、市民たちの乗る船を〈帝国〉軍が見逃してくれる保障はない」

 カレンはその言葉に目を見開いた。ヴィルハルトが口にしていることは、弱音以外の何物でもないからだった。

「なにかもっと別に、他に良い方法がないだろうか」

 彼が虚空に投げかけた一言に、カレンは答えることができなかった。

 ヴィルハルトも別に、返答を求めていたわけではないのだろう。

 彼はこの世のどこも見ていないような目つきを浮かべながら戦況図を眺め、独白するように言葉を続けていた。

「いっそ、本当に敵の司令部へ強襲を仕掛けてみるか……いや、だめだ。ルヴィンスカヤ大将を討ち取る意味は確かに大きい。大きいが、あの軍の総司令官はあくまでも〈帝国〉第三皇太子、ミハイル・ニコライヴィチ・ロマノフだ。彼が健在な限り、配下の将を何人討ち取ろうが軍そのものは揺らがない。逆に〈帝国〉軍を本気にさせてしまうかもしれない。それでは駄目なのだ。この戦争を、敗北以外の結果で終わらせるためには〈帝国〉軍を最後まで本気にさせてはならないのだ。我々など、その気になればいつでも殲滅できるのだと思わせておかねばならない……その慢心にこそ、つけこむ隙がある」

 彼の口にした内容に、カレンは絶句した。

 この人は。

 この人はいったい、この戦争のどこまで先を見ているのだろう。

 今、彼は言った。

 この戦争に、敗北以外の結末で終わらせるためにはと。

 果たして、それはどのような方法なのだろうか。

 カレンには想像もつかない。

 この一月半、特に最後の数日間。カレンはその肌で、〈帝国〉軍というこの大陸世界最大最強の軍隊の凄まじさを思い知った。

 そして理解した。戦っている敵が如何に強大なのかを。

 しかし、彼は。ヴィルハルト・シュルツはそれを知ってなお、何とかしようとしている。

 カレンの胸に、確かな確信が浮かんだ。

 この人を死なせてはならない。

「司令」

 カレンはヴィルハルトを呼んだ。自分で思った以上に、強い口調になっていた。

 ヴィルハルトはそこでようやく、彼女を見た。

 まるで、いま初めてカレンの存在に気が付いたような顔だった。すぐにいつものような、不機嫌そうな表情に戻ると口を開いた。

「副官、君は明日、市民たちと同じ船に乗って脱出しろ。軍服は着るな。適当な平民服を見繕って、」

 それをカレンは、毅然とした声で遮った。

「いえ、最後までお供させていただきます」

 ヴィルハルトは顔を顰めた。構わず、カレンは言葉を続ける。

「私は貴方の副官です。ならば、私には任務の都合上、貴方から離れることはできない」

「では、君を解任する。カレン・スピラ中尉」

 ヴィルハルトが切り捨てるような声で言った。

「私は任務の続行を希望します」

 カレンはそれを突っぱねた。

「何故だ」

 カレンの頑なな態度に、ヴィルハルトは困り果てたような顔を浮かべた。

「君が戦死でもしようものなら、ディックホルスト大将に顔向けができない」

「ここで貴方を見捨てた私を、養父ちちは娘と認めないでしょう」

 ヴィルハルトは不機嫌そうに首を振った。

「分からないな、まったく」

 家族という繋がりがどのようなものなのかを知らない彼でも、カレンの言葉は違うと分かる。ディックホルストはカレンが生きて戻ることを望んでいるはずだ。

 だと言うのに、彼女はヴィルハルトとともに地獄への旅路を望んでいる。

 いや。彼女だけではない。

 瞼をきつく閉じたヴィルハルトは、こめかみを揉んだ。

 エルヴィンも、ユンカースも、ケスラーも。アレクシアすら、彼が発案した脱出計画に異論を唱えなかった。

 それが彼には分からない。

「何故、こんな馬鹿げた命令に誰も彼もが従うのだ」

 そう、吐き出すようにヴィルハルトが呟いたところで、開けっ放しだった窓の外から陽気な笑い声が響いてきた。

 エルヴィンが酒を許していたから、ほろ酔いの兵たちが騒いでいるのだろう。

 下手くそな、がなり立てるような声で歌う合唱が聞こえた。明日、死ぬより他にない絶望的な戦場へ赴くにしては、明るすぎる歌声だった。

 ヴィルハルトと同じものを耳にしたカレンが、形の良い唇を柔らかく緩めると言った。

「それは、貴方がお命じになったからですよ。兵は信じています。貴方に従えば、生き残れると」

 彼女がその言葉に秘めた想いを、ヴィルハルト・シュルツはまったく理解しなかった。

「なるほど。つまり、愚か者は俺一人ということか」

 彼は生まれてきたことを後悔するようにそう言った。

続きは金曜日

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