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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦
131/202

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 夕食に誘うような何気なさに満ちた口調で発せられた、突拍子もない申し出にヴィルハルトの顔面がわずかに突っ張った。

「つまり、祖国を裏切れと」

 静かにそう口にしたヴィルハルトへ、リゼアは大した興味もなさそうに頷いた。

「まぁ、そうなるわね」

「しかし、何故、自分などを」

 疑問に満ちた彼の声に、リゼアは円卓に手を叩きつけるように置くと言った。

「あれほどの戦をしておいて、今さら謙遜は辞めなさい」

 彼女はゆっくりと立ち上がり、ヴィルハルトを見下ろすと続けた。

「私が貴方の名を初めて聞いたのは、この国へ来た当初。そこにいる、ラミールの指揮するトルクス自治領軍第一猟兵旅団相手に、見事な遅滞戦闘を行ってみせたという大隊の指揮官として。次に貴方の名前が頭をよぎったのは、私が戦勝の最中にいる時、我が軍総司令官であらせられるミハイル殿下の護衛部隊が襲撃されたと耳にした時。とある砲兵大隊が全滅させられた時には、ラミールが褒めていたわよ、またしても、まんまとしてやられたってね。そして、今」

 彼女は指を伸ばし、それを突きつけるようにヴィルハルトへと向けた。

「貴方は少佐の身でありながら、一城塞都市の防衛を任された。都市の全周を包囲され、補給は断たれ、友軍からの支援は皆無でありながら、我が軍の足を一月半に渡り止めて見せた。ここまでやっておきながら、まだ自分には軍才がないとでも口にする気?」

「自分はたまたま、アルメルガー准将や閣下といった武名高い方々と対陣する機会に恵まれただけです」

 ヴィルハルトは紅茶に口を付けつつ応じた。その声は酷く冷めきっている。

「誰もが与えられた機会を生かせるわけではないのよ、少佐」

 それに、切り捨てるようにリゼアが答えた。

 さて、どうしたものかとヴィルハルトは視線を彼女から外した。

 天幕の隅に、控えるように立っているアルメルガーの表情が目に入った。不敵な笑みを浮かべている。

 成るほど。リゼアが護衛として選んだのは彼だったのかと、ヴィルハルトは気が付いた。

 同時に、その理由についても理解した。

 たとえ敵将であろうとも、軍門に下れば手厚く迎え入れるという生き証人としてリゼアはアルメルガーを護衛に選んだに違いなかった。

 ならば、やはり彼はこの話を知っていたのだろう。

 アルメルガーの対角に立っているヴェルナーは所在なさげであった。ヴィルハルトたちが〈帝国〉語でやり取りしているため、話が読めないのだろう。

 

「ひとまず、大佐。貴方ならば、一個連隊くらい軽々と使いこなしそうだもの。それ以上は、働き次第ね。そうそう、爵位も付けなきゃね……まぁ、順当に言って男爵ってところかしら」

 ヴィルハルトの沈黙を了承と受けったのか、リゼアは話を続けていた。

 〈帝国〉軍か。

 楽しそうに話すリゼアを眺めながら、ヴィルハルトは思った。

 どんなものだろうか。どうやら彼女は、寝返った反徒を大佐として迎え入れるつもりらしい。

 〈帝国〉軍大佐、か。この生まれすら不確かな俺が、大陸世界最強最精鋭と名高い〈帝国〉軍で連隊を率いる。

 それは、夢のような話だった。

 しかし、いや、そうであるが故か。

 彼は何事も疑わずにはいられない男だった。

「失礼ですが、閣下。それほど自分を優遇していただける理由が分かりません。〈帝国〉軍には、自分よりも余程優秀な将校が揃っていると思うのですが」

 ヴィルハルトは、美しい敵司令官に尋ねた。

 正直に言えば、二言もなく頷いてしまいたい気持ちがないわけではない。

 いや、リゼアほどの女性に求められているという事実だけで、断れる男が果たしてこの世の何処にいるのだろうか。

 それでも。

「貴方より優秀な者がどれだけいるかという議論は置いておくとしても、まぁ、確かにそうね」

 淡々としたヴィルハルトの口調に、リゼアは水を差されたような顔で再び席に着いた。

 足を組み、紅茶の入った碗の縁を細い指先で弾きながら彼女はヴィルハルトの質問に答えた。

「でも、彼らは皇帝陛下の臣下であって、私のではない」

「それはどういった意味でしょうか?」

 彼女の答えに、ヴィルハルトは怪訝そうに顔を曇らせると聞き返す。

「そう、そうね」

リゼアはそれに、少し顔を俯かせると何かを確かめるように小さく呟いた後で、顔を上げた。

「貴方には教えてもいいかもしれない」

 彼女は不敵な笑みを浮かべると、宣誓するように答えた。

「私は、この大陸が欲しい」

 再び、すっと腰を上げる。ヴィルハルトの目がゆっくりと上がってゆく彼女の相貌に釘付けになっていた。

 液灯の灯りに照らされる彼女の頬はわずかに上気して、得も言われぬ魅力があった。

「意味がお分かりかしら、少佐? 私は、この大陸を統一するのは皇帝陛下ではなく、自分自身でありたいと言っているの」

 彼女が口にしているのは、壮大に過ぎる野望であった。

 だが、あまりにも自信に満ちた彼女の声に、ヴィルハルトは驚きよりもむしろ、納得に近い感情を抱いていた。

「女が抱くような野望ではないかしら?」

 付け加えるように彼女は訊いた。ヴィルハルトはただ首を横に振った。

「並みの将帥がそれを口にしたのであれば、そう思ったでしょう。しかし、閣下ならば。その大望を抱いて然るべき才智と実力があると、自分は確信できます」

 その返答に、リゼアは満面の笑みを浮かべた。

「それじゃあ」

「ですが」

 彼女の嬉しそうな声を遮るように、ヴィルハルトは口を開いた。

「まことに失礼ながら、お申し出についてはお断りさせていただきたく存じます」

「……それは、何故かしら?」

 彼の言葉に、唐突に醒めた表情へと変わったリゼアが静かに尋ねた。蒼い瞳には彼を非難するような光があった。

「この国は、すでに滅んだも同然でしょう? そんなにも滅びゆく祖国が愛おしいというのならば、なおさら私の軍門に下るべきよ。平定した後、この国の扱いが少しでも良いものになるよう働きかけてあげてもいい。例えば、ラミールの祖国トルクスのように自治権を認めるとか。もちろん、王族や大貴族の粛清は免れようもないけれど、貴方には関係のない話でしょう?」

 説得するように言うリゼアへ、ヴィルハルトはやはり首を振りながら答えた。

「いえ、違うのです。そういうことではないのです」

「では、いったい何?」

 リゼアは詰め寄った。彼女の甘い体臭から逃げるようにヴィルハルトは顔を背けると、どこか遠くを見るような目つきになった。

「……貴女方が攻めてきたおかげで、我が国における、およそ百年ぶりの戦争がはじまりました。そして十中八九、我々は負けるでしょう。もしも勝つか、或いはどうにかして敗北という結末から逃れたとしても、その頃に遺されているだろう負債を思えば、いつまでこの国が保つのかもわからない」

「そこまで分かっていて、何故? 意地だとでもいうつもり?」

 詰まらなそうにリゼアが口を挟んだ。

「いいえ、意地などでもありません。つまり……自分が申し上げたいのは……ああ、申し訳ないのですが、貴族方のような流暢な言葉遣いは出来かねます」

「貴族であると言うことが、必ずしも知性的であることの証明とは限らないのよ」

「ええ、それに関しては身に染みております」

 反論するように言ったリゼアへ、ヴィルハルトは薄い笑みを浮かべつつ応じた。

 再び、どこかを眺めるような顔になる。

 彼の脳裏には、今までに失った者たちの顔が次々に浮かんでは消えてゆく。

 オスカー・ウェスト。ライナー・シュトライヒ。デーニッツ、ウォーレン。自分の命令によって命を落とした兵たち。自分を庇って死んでいった、あの老人。

 胸の内に湧きあがるすべての感情を胸の内に沈めて、彼は口を開いた。

「つまり、勝とうが負けようが自分たちの進退は極まっているのです。そうでありながら、我々は総力戦をするより他にない」

 リゼアは頷いた。

「なんともひどい話ね。だからこそ、貴方は」

「だからこそ、自分は」

 口を開きかけた彼女を遮って、ヴィルハルトは強い口調で言った。

「もはや、何もかもに遠慮をする必要がないのです。閣下。何もかもに」

 そう言った彼の瞳には、狂気と憎悪が沈殿していた。

それを見たリゼアは絶句した。同時に、彼が何故一月半もの間、自分たちを足止めし続けられたのかを理解した。

「お前は……」

 リゼアの声に、ヴィルハルトはこの世にあるありとあらゆる忌まわしいものを凝り固めたような笑みを浮かべて応じた。

「正気を問いますか? ええ、きっと自分はすでに狂っているのでしょう」

 それを聞いたリゼアは嘆息した。

「つまり、なにがあっても申し出を受けるつもりはないと」

 いじけたような声で彼女は言った。ヴィルハルトは清々しいほどに邪悪な表情で頷いた。

「はい。それに、自分にはまだ任務が残っております」

「余力があるようには思えないけれど」

「だとしても」

 彼は立ち上がった。

「お話は以上でよろしいでしょうか? では、退席のお許しを」

「最後に一つだけ」

 諦めきれないといった様子でリゼアは言った。

「何をするつもりなのか知らないけれど、必ず生き残ってね。私は生まれてこの方、欲しいと思ったものを諦めたことがないの」

「全力を尽くします」

 ヴィルハルトは丁寧に頭を下げた。リゼアに背を向け、控えていたヴェルナーへ行くぞと手で示すと歩き出す。

 その背中にリゼアの声が掛かった。

「二月後に、我が軍は最後の増援を予定してる。三万に過ぎない増援だけれど、それでこの国はお終い。それだけは、私の名の下に確約してあげる」

 彼女の声はまるで独白のようだった。ヴィルハルトは顔だけを振り向かせて、リゼアの顔を見た。彼女は手にした陶磁器を見つめていたが、やがて最後の一押しとばかりに彼へ告げた。

「明日一日、考える時間をあげる。明後日の朝までに武装解除していたならば命は取らない。もちろん、貴方の部下も。ようく、考えなさい」

 それにヴィルハルトは身体ごと振り向くと、深々と腰を折った。

「お心遣い、痛み入ります」

今週もここまで(たぶん)。

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