130
レーヴェンザールの外壁と、それを包囲する〈帝国〉軍が本陣を敷くちょうど中間に、その天幕は張られていた。
護衛は双方とも、もっとも信頼のおける部下を一人だけという条件を遵守していることを示すためだろう。
内側から漏れる液灯の灯りによって雨の降る夜の草原にうっすらと浮かび上がる天幕の周囲には衛兵の姿が無かった。
先導してきたアルメルガーに促され、ヴィルハルトは一礼とともに天幕内へと踏み込んだ。
そして。
「待っていたわ、ヴィルハルト・シュルツ少佐」
そこで待っていた女性の、あまりの鮮やかさに彼は言葉を失った。
液灯に灯る炎の揺らめきに合わせて輝く、うねりのある豊かな金髪。無邪気な少女のようでありながら、聡明な女王のようでもある面立ち。そこに輝く、蒼玉の双眸。
〈帝国〉本領軍の紅い制服に包まれた豊満な肢体。
美しいなどという言葉すら陳腐に思えてしまう。
いや、そのような表現をこの完成された女性に当てはめるべきではないと思った。
ならば、なんと評するべきか。
くそ。やはり、俺は学がない。
ヴィルハルトは自分自身を罵るように頭を振った。
女性の方は、彼のそうした態度に目もくれず、戦塵に塗れたヴィルハルトの姿を見て呆れたように声を漏らす。
「よくもまぁ、戦いに戦ったものね、少佐」
見た目を決して裏切ることの無い、凛と弾むようなその声音にヴィルハルトは背筋を伸ばした。室内であるため、深々と腰を折って敬礼する。
「〈王国〉軍少佐、ヴィルハルト・シュルツであります。閣下」
頭を下げつつそう名乗った彼の声は、わずかに擦れていた。彼女は鷹揚に頷くと、彼の後頭部へと言葉を投げかけた。
「〈帝国〉軍大将、リゼアベート・ルヴィンスカヤよ。よろしく、シュルツ少佐。頭を上げなさい」
「は」
ヴィルハルトは頭を上げた。するとリゼアは、天幕内に用意されていた小さな円卓、それを挟むように置かれている椅子の一つに腰を下ろし、彼へ対面の椅子に座るよう手で示した。
「お茶、いかがかしら?」
断りの言葉を口にしつつ腰を下ろしたヴィルハルトへリゼアは訊いた。彼はいただきますと答えた。
リゼアが指を鳴らすと、どうやら天幕の裏で待たせていたらしい女従が茶器の乗った盆を両手に中へと入ってきた。失礼しますと言いながら、ヴィルハルト達の前に紅茶の入った陶磁器の器を置く彼女の手は震えていた。
「この子は軍属ではなく、私の実家からお世話役として連れてきているの」
弁明するようにリゼアが言った。ヴィルハルトはそれに頷いた。
「閣下ほどのお方ともなれば、当然のことでしょう」
護衛は双方とも一人ずつという約束は破っていない、という意味で口にした言葉を読み誤ることなく理解したヴィルハルトへ、リゼアは嬉しそうに口元を綻ばせた。
青い顔をしたままの女従へ、ありがとう、控えていなさいと下がらせる。女従は逃げるように天幕を出て行った。
「安心して。毒なんて入っていないわ。戦場以外の場所で敵を殺めたとあっては、私の〈帝国〉軍将帥としての名誉に傷がつくもの」
そう笑いながら言ったリゼアは、先に自分の紅茶に口を付けた。
ヴィルハルトもそれに倣った。
初めは少し唇を湿らせるつもりで口を付けたのだが、この一月、ぬるんだ水以外の物を口にする機会が無かったせいか、或いは彼女ほどの女性を前にした緊張故か。湯気の立つ紅茶を飲み下すとき、思わず大きく喉が鳴ってしまう。
ヴィルハルトは慌てて茶碗を円卓の上に戻すと口元を拭った。窺うようにリゼアを見ると、彼女は悪戯っぽい瞳で彼を見ていた。口元が、この上もなく楽しそうに緩んでいる。
ヴィルハルトはそれに、自分が酷く無様な存在であるような気分になった。
「さて、少佐」
お互い、一口ずつ紅茶を口にしたところでリゼアは切り出すように口を開いた。
「貴方との戦いに、私は勝ったと思っているのだけど」
それにヴィルハルトは頷いた。
「はい、閣下。自分もそう確信しています」
「では、もうこれ以上無益な殺し合いは終わりにしましょう」
ヴィルハルトの答えを満足そうに聞いた後で、リゼアはそう告げた。
「つまり、降伏しろと」
紅茶の水面に映った自分の顔を眺めながら、ヴィルハルトは静かに言った。
「それが今夜、自分をお呼びいただいた理由でしょうか」
「それが一つ」
リゼアは頷きつつ応じた。円楽に肘を突き、身を乗り出すようにして続ける。
急に近づいた彼女の顔に、ヴィルハルトは仰け反るようにして距離を取った。
「もう一つは、貴方を誘うため」
「誘う?」
リゼアの口から出た言葉に思わず顔を向けたヴィルハルトの目に、彼女の徴発的な視線がぶつかった。ヴィルハルトはすぐに視線を虚空へと逸らした。
彼の反応を愉しむように眺めながら、リゼアはあっさりと言った。
「私の陣営に来る気はなくて?」
せっかくのお盆だけど、書き溜めがないんです・・・
続きは来週月曜日!