13
「こんなところに居たのか」
答えの出ない自問を弄んでいたヴィルハルトの背中から声が掛けられた。
振り返ると、シュトライヒ少将が立っていた。
ヴィルハルトは急いで紙巻を投げ捨てると、姿勢を正した。敬礼をする。
シュトライヒはぞんざいな答礼を返して、のそのそとヴィルハルトの横へ来た。
「会議は終わりましたか、閣下」
部下に対して必要以上の敬意を求めない性質の人物だと思い、ヴィルハルトはやや砕けた口調で尋ねる。
「貴官にはあれが会議に見えたのか。わしには馬鹿貴族どもが責任の擦り付け合いをして喚いているようにしか見えなかったが」
シュトライヒの率直な言葉に、ヴィルハルトは苦笑する。
どうやらシュトライヒは、素直に思ったことを口にする美徳の持ち主でもあるようだった。
彼は懐から葉巻の入った袋を取り出すと一本を自分で咥え、ヴィルハルトにも薦めた。
有り難く頂いておくことにした。
燐寸を擦り、まずはシュトライヒの葉巻に、次に自分の咥えているものに火を点ける。
紙巻とは比べ物にならない、濃厚な煙と香りが鼻腔に広がる。
「それで」
しばらく、二人して益体もなくぷかぷかと吹かした後で、ヴィルハルトが先に口を開いた。
「どうなりましたか」
「貴官の大隊には砲兵、工兵をそれぞれ一個中隊ずつ増援として送る」
ふっと紫煙を吐き出しながらシュトライヒが答えた。
ヴィルハルトは顔を顰めた。
「有り難いお話ですが、銃兵は?」
「ああ、銃兵は」
シュトライヒは少し言い淀んだ。
「銃兵は第12旅団から一個中隊だ。将校も付けてな」
「第12旅団と言えば、初戦で壊滅したと聞いておりますが。敗残兵ですか」
ヴィルハルトはさらに眉間の皺を深めた。
戦闘の最後の決を決めるのは、砲でも銃でも無い。それらを手にした兵士、人間に他ならない。
その兵士たちに戦う気が無ければ、指揮のしようがない。
そう考えていたヴィルハルトの内心を読んだように、シュトライヒは悪戯っぽく唇を捻じ曲げて言った。
「ほとんどはそうだったが、何も全員がただ逃げまどっていた訳ではないぞ」
シュトライヒは、もはや群青に染まりつつある空に向かい、ふぅと煙を吐き出して続けた。
「一人、中々骨のある奴が居た。あの混乱の中から、中隊一つを丸ごと生還させた奴だ。邪魔にはならんだろう」
彼が最後に付け加えたのは、東部方面軍では有名になりつつあるヴィルハルト・シュルツ大尉の部下の将校に対する態度を知っての言葉だった。
一方で、言われた方のヴィルハルトは困ったような顔になった。
「それは恨まれそうですね」
「何故だ?」
シュトライヒはヴィルハルトの呟きを聞いて、尋ねた。
「苦労して、生きて連れ帰った部下たちを率いて、また死地へと赴かねばならないのですから」
ヴィルハルトの答えを聞いたシュトライヒは、すっかり短くなった葉巻をぽとりと捨てた。火の消えたそれに目を落としている。
どうやら、彼もヴィルハルト同じような気分であるらしかった。
しかし、やがて重々しく口を開く。
「まぁな。そうかもしれん。だが、仕方が無い」
「ええ、仕方がありません」
シュトライヒから視線を外し、宵闇に暮れつつある空を眺めながらヴィルハルトは頷いた。
「今更どうこう言ったところで、命令は達せられました。そして我々は軍人です」
「何とも残念な事にな。まさか、定年間際になって〈帝国〉軍と戦争する事になろうとは思いもよらなかったが」
シュトライヒは憂いの籠った表情でそっと答えた。
すぐに感情をしまい込む。
「しかし、そうだ。まさに貴官の言う通り。命令は達せられてしまった。否応は無い」
断言したシュトライヒの横顔には決意のみが残っていた。
ヴィルハルトはそれを盗み見るようにしてから、彼の言った言葉について考えていた。
確かに。そもそも、なんだって〈帝国〉は攻めてきたのだ。
〈帝国〉とは言え、戦費が有り余っているわけでもあるまいに、なぜこんなちっぽけな国を。
彼らから見れば、軍事力は取るに足らず、資源に恵まれているわけでも無く、これと言った産業も無いこの〈王国〉を手にしたところで、動員した兵と戦費以上のものが手に入るとは思えない。
当然だ。
だからこそ、〈王国〉はこの大陸世界において中立などと言う立場を保ち続けて来られたのだ。
即物的な利益が何もないとすれば、考えられるのは政治か。
戦争もまた政治の延長線上にあり、軍隊はその執行手段だとは知っているが、しかし、それでも理由は見当たらない。
奴らは何を目的に……いや、待て待て。
何を考えているんだ、俺は。
〈帝国〉軍の目的など、分かり切っているじゃないか。
この国を滅ぼすのだ。
今まで飲み込んできた多くの国々と同様に。
奴らがやって来た理由は分からねど、目的だけは明快だ。
そして、俺はそれに付き合わねばならない。
何とも、まぁ。
事態のあまりの単純明快さに、口元が弛んだ。
自分が馬鹿な事を考えている事を自覚すると、本当に笑いだしそうになった。
への字を描いている唇が、真一文字を通り越して歪んだ。
「どうした」
シュトライヒが訝しげに声を掛けた。
「ああ。いえ」
ヴィルハルトは急いで口元の笑みを消した。
「少し、馬鹿な事を考えていました」
それにシュトライヒは呆れたような、感心したような顔になる。
彼は表情と同じ感情の籠った声で言った。
「大した胆力だな、少佐」
「……自分は、大尉ですが」
ヴィルハルトはぽかんとした表情になり、冗談に真面目な受け答えをかえすような口調で言った。
「大隊長が戦死でもしない限り、大隊を率いるのは少佐だ。だから、君は少佐なのだよ」
「それはつまり、昇進という事でしょうか?」
「つまりも何も、そういう事だ。まぁ、正式な任官では無く、本作戦中に限るという条件付きの、野戦任官だがね。正直、先ほどまでの話合いは連中にそれを認めさせる為、ほとんどの時間を使ってしまった」
「はぁ……」
ヴィルハルトは気の抜けた声で答えた。
いやはや。軍へ入隊して10年。散々な軍歴だった俺が、と思っていた。
士官学校卒業生は少尉任官後、大抵の場合は一年か一年半ほどで中尉へと昇進する。
貴族ならばさらに二、三年。それ以外の者は五年ほどで大尉になる。
だが、ヴィルハルトの場合は、中尉になるのにすら三年を掛けていた。
任官直前に行われた小隊対抗演習で、多くの貴族出身者たちの恨みを買った事が一因だった。残りは彼の人格のせいである。
大尉になる頃には三十を超えるぞと、同期たちからは揶揄されたが、本人もそんなところだろうと予想していたから腹は立たなかった。
だというのに。
戦史資料の編纂と言う退屈極まりない仕事の合間に、思いつくままつらつらと書き上げた駄文が広報紙に乗った途端だった。
大尉昇進と東部方面軍へ転属の辞令が届き、あれよあれよという間に大隊が与えられた。
二年前の事だ。
そして。
戦争が始まって、たったの数日で少佐か。
まぁ、士官学校卒業生は生涯勤め続ければ中佐くらいにまではなれる。
いや、自分の場合は佐官に昇進するまでも無く予備役編入と相成るだろうと開き直っていた。その後は、まぁ、〈王国〉では元軍人と言うのは中々に潰しの効く職業であるから、適当な場所で雇って貰えれば良い。
そんな素敵な人生設計が音を立てて崩れてゆく。
まったく。戦争とは素晴らしい。
「おい、また馬鹿な事を考えているのか」
「あ、いえ」
我に返ったヴィルハルトを、シュトライヒが真面目にせんかという顔で見ていた。
「いえ、余りに話が早く進んで行くもので、どうにも実感が湧かないのです。夢を見ているような気分で」
そう言ったヴィルハルトに、シュトライヒはふんと鼻を鳴らした。
「ならば、夢見心地の内に、他に欲しいものがあったら言っておけ」
「増援は十分です。補給はどうなっていますか」
「食糧、弾薬その他に関しては、必要分を守備隊司令部に申請しろ」
ヴィルハルトは頷いた。
ライカ中尉にでも任せようと考えた。
「参加する兵たちには、通常の手当て以外にも増額をお願いします。特に手足を失った者や死亡した者の遺族には、後々の生活に困らない程度の見舞金か年金の出る勲章を」
「レーヴェンザール戦勲章でもなんでも申請してやる」
シュトライヒはヴィルハルトの要望をあっさりと了承した。
元々、〈王国〉軍は将兵に対する制度にかけて、他の大陸各国の軍よりもよほど手厚かった。
平和が長引いたお陰で、軍を維持する為にそれなりの努力が必要だった。
そもそも戦争が無いので、授与する者はかなり少ないというのも理由の一つであった。
「それだけでいいのか?」
シュトライヒは確認するように尋ねた。
意外というか、やはりというか。
ヴィルハルトが自分について何も口にしなかったのが気になっていた。
「ああ、でしたら……」
言いかけて、ヴィルハルトは逡巡する表情になった。
口にしてよいのだろうかと、迷っているようだった。
「これは、極めて個人的なお願いになるのですが」
決断したように言った。恥じ入っているような小声だった。
「何だ。大佐にでもなりたいのか」
シュトライヒは軽口で答えた。
いえ、とヴィルハルトは首を振った。
小声のままで、彼はあまりにも簡単な願い事を口にした。
シュトライヒは拍子抜けした表情で、二言も無くそれを了承した。