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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦
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「いったい、何の用だ少佐。こんな夜遅くに」

 レーヴェンザール市庁舎の中でも、一際贅を凝らした一室へやってきたヴィルハルトに、その部屋の主であるレーヴェンザール侯爵、ユリウス・アイゼナハ・フォン。ブラウシュタインが白々しい声を掛けた。

 馬鈴薯を思わせる輪郭の丸顔は、熟れた林檎のように赤く染まっている。室内には葡萄酒の香りと、酒精の匂いで満ちていた。

 この街が〈帝国〉軍によって包囲されて以来、こうして自らの執務室に籠って酒を飲み続けているこの老人に、ヴィルハルトは一応の礼儀として腰を折ると、感情の欠落した声を出した。

「このような夜更けで、大変恐縮なのですが。お聞きしたいことがございます、閣下」

「戦況は聞いておる。南門が破られ、市街地で戦闘が起きたそうだな。いよいよ、いかんな少佐」

 彼はヴィルハルトの氷塊のような態度も意に介さず、執務机の上に置いていた、葡萄酒で満たされた硝子製の酒杯を持ち上げると言った。

「で、何の用だ」

 よほど酔っているのか、ブラウシュタインの声はやけに上機嫌であった。これまでの人生で溜め込んできた上等な葡萄酒を、毎日浴びるように飲んでいるのだから、それも当然かもしれないが。

 対して、ヴィルハルトはどこまでも冷淡な口調で応じた。

「本日、守備隊が街へ侵入した〈帝国〉軍と戦闘している際、鳩舎きゅうしゃへ行かれましたね?」

「行った」

 確認するような声のヴィルハルトに、ブラウシュタインは悪びれる様子もなく頷いた。

「そこで閣下は、見張りをしていた兵が制止したにも関わらず、そればかりか、彼を追い出して、残っていた貴重な連絡手段である伝書バトを一羽、王都へ向けて飛ばしたとか」

「屋敷で飼っていた鳩は全部飛ばしてしまってな。何だ、それがどうかしたのか?」

 淡々と尋ねるヴィルハルトへ、至極あっさりとした口調で応じたブラウシュタインはそこで葡萄酒を呷った。飲み干した杯を机の上に戻し、彼は片手の親指で自らを示した。

「あのな、少佐。俺はレーヴェンザール侯爵だ」

 幼い子供にものを教えるような口調だった。

「存じております」

 ヴィルハルトは可能な限り、軍帽を目深に被って答えた。視線を合わせてしまえば、余計な言葉が口をついて出るかもしれないと思ったからだった。

 彼の返答を聞いたブラウシュタインは、背後に控えていた年老いた従者へ空にした酒杯を差し出しながら口を開いた。

「ならば、分かるだろう。この街は俺の物だ。俺の街のものをどう使おうが、俺の勝手ではないか」

 よほど上物であるだろう杯の中身を、まるで安酒を呷るような勢いで飲み干しながら尊大に言い放ったブラウシュタインに、ヴィルハルトは小さく嘆息した。

 この世に生れ出た瞬間からこの地位にあったのだと疑わないその態度に、見張りの兵を責める気にすらならない。

 果たして、自分はいったい何のためにこの酔漢と言葉を交わしているのだろうかとヴィルハルトが疑問に思い始めた頃、ブラウシュタインが思い出したような声を出した。

「ところで少佐、素晴らしい報せが届いておるぞ」

 新たに注がれた葡萄酒に口を付けながら、ブラウシュタインが机の上に放り投げてあった一通の封書を取り上げて、ヴィルハルトへと差し出した。

 それにヴィルハルトの顔が険しくなる。

 ブラウシュタインが差し出したのは、軍が伝書バトによる通信の際に使用する封筒であるからだった。

「閣下」

 ヴィルハルトは呆れた声を出した。

「軍からの命令書を勝手に持ち出さないでください」

「ちょうど、俺が鳩舎を出る時に届いてな。読んでみろ」

 抗議を遮るように、ブラウシュタインが封書を投げた。ヴィルハルトは言葉を切ってそれを受け取った。

「まぁ、読んでみろ」

 取り付く島もないブラウシュタインの態度に、ヴィルハルトは諦めたように封書を開いた。

 伝書バトによって送られる伝文は、鳩の足に付けられた細い筒に入れて届けられるため丸まっている。

 それをするすると伸ばしながら、内容に目を通したヴィルハルトの顔に驚きが浮かんだ。それを見たブラウシュタインはにんまりとした笑みを口元に浮かべていた。


 発 女王 〈王国〉軍元帥 アリシア・ギュスターベルク・フォン・ホーエンツェルン

 一月半にも渡る、レーヴェンザール臨時守備隊の奮戦に敬意を表すとともに、今後、レーヴェンザールの防衛が不可能と判断した場合は、現場指揮官の独断により街の放棄、或いは敵への投降を認めるものとする。

 なお現在、レーヴェンザール西側の岸に船舶部隊が集結しつつあり。同時に、フェルゼン大橋防衛のため、北東部に展開中の東部方面軍の一部がレーヴェンザール方面へ向け、南下中。

 船舶部隊指揮官並びに、東部方面軍司令官であるアーバンス・ディックホルスト大将は貴官が救援を望むのであれば、これに応える用意があり。


「なんとまぁ、我が〈王国〉女王陛下直々のご命令だ。大したものではないか、少佐……いや、そもそも、貴官を守備隊司令として任じたのは女王であったか。まぁいい」

 読み終えたらしいヴィルハルトに、葉巻を咥えたブラウシュタインが煙を吹かしながら、馬鹿にするような声で言った。

 彼には取り合わず、ヴィルハルトは怪訝な顔を浮かべながらもう一度、命令文に目を通した。

 どうにも、話が上手すぎるように思えた。

 それは先日まで守備隊に与えられていた命令を完全に撤回する内容だった。加えて、船舶部隊と東部方面軍から支援を受けられるとまで書かれている。唯一、彼に純粋な喜びを与えたのは東部方面軍の司令官に、ディックホルスト大将が復帰していることだけであった。

 表情に疑問を浮かべたままのヴィルハルトはふと、手にしている命令書を裏返した。自身でもどうしてそのようなことをしたのか分からないが、命令書の裏を見たヴィルハルトは全ての疑問が氷解した顔つきになった。

 裏面の白紙、その隅に「生きて帰れよ」という殴り書きを見つけたからだった。

 奇妙に角ばった、神経質そうなその筆跡を見て、ヴィルハルトの脳裏に景気の悪い顔をした士官学校同期生の顔が浮かんだ。

 肩の力が抜けたような笑みが思わず零れる。そして、すぐになんとも言えない表情に変わった。

 この命令が、女王一人の意思で発せられたわけではないと悟ったからだった。

 交易局第三課が関わっている。

 それがどういう意味であれ、面倒には違いない。

 それにしても、生きて帰れよか。まったく、無理を言ってくれる。

 ヴィルハルトは同期生たちとの奇妙な友情に笑うべきか、呆れるべきか、判断に迷った。

 誤魔化すようにため息を吐くと、酷く胸の内がすっきりとした。そこへブラウシュタインの声が掛かった。

「おい、少佐」

「はい」

 彼はこれまでよりも態度を軟化させて応じた。もはや、伝書バトを使われたことも気にならない。

 そもそも、連絡手段だけ後生大事に取っておいて役に立つような状況ではない。

「この街はもうだめか」

 見せつけるように葡萄酒で満たした酒杯を掲げながら、ブラウシュタインが訊いた。

「はい」

 ヴィルハルトは素直に頷いた。

「で、どうするつもりだ?」

「市民たちを、街から脱出させます」

 間髪入れずに応じたヴィルハルトに、ブラウシュタインは面食らったような表情になる。

「ほぉ? 何故だ」

 ブラウシュタインは不思議そうに尋ねた。

「分からんな。貴官は街に残った市民どもを快く思っていないのではなかったか?」

 それにヴィルハルトは鷹揚に頷いた。

「ええ。それは今も変わりがありません。彼らがいなければ、もう少し楽な道を取ることもできますから。しかし」

 そこで一度言葉を切ったヴィルハルトは、大きく息を吸い込んだ。

 一日中、血生臭い匂いばかり嗅いでいた鼻腔に、ほどよく醸された葡萄酒の芳醇な香りが満ちた。脳内に、自分を庇って死んだ老人の今際の顔が思い浮かぶ。十七年前、自分は何もできなかった、何もしてやれなかったと悔やんで死んでいった彼。

 それに、胸の内で反論した。

 いいえ。

 いいえ、貴方がたは、俺を生かしてくれた。彷徨っていた俺と弟を見つけ出し、生かしてくれた。

 もう十分なのはこちらの方だ。

 オラフ・クレーマンの冥福を祈るように胸の内で呟いた彼は、経典を暗唱するような声で告げた。

「市民の生命、および財産を守ることもまた、我々軍人が背負うべき責務の一つですから」

「なるほどな」

 それにブラウシュタインは納得したように頷いた。

「〈王国〉軍入隊の宣誓は、文言が変わったのだったか。俺が若いころは国主陛下に忠誠を誓うだけだったのだが……まぁ、いい」

 彼はそう呟いた後で、あっさりと答えた。

「よろしい。ここまでよくやった、少佐。緑色発煙弾を打ち上げると、対岸に控えている船舶部隊が貴様らの脱出を支援する。だが、数はそう多くない。使い方を考えろ」

「……どういうことでしょうか?」

 街を放棄するというのに、むしろ満足そうな声でそう言ったブラウシュタインにヴィルハルトは疑うような声で聞き返した。

 女王からの命令書には支援に応える用意があるとはあったが、ブラウシュタインが口にした、緑色発煙弾を打ち上げるなどと言う具体的な指示は書かれていなかったからだ。

 それに、ブラウシュタインは小馬鹿にするように鼻を鳴らすと言った。

「俺は侯爵だぞ? この旧王都であるレーヴェンザールを見捨てた、あの恥知らずどもよりもよほど頼りになる友人を王都に持っておる」

「はぁ……」

 あの恥知らずどもとは、ロズヴァルドとトゥムラーの両中将のことだろうか。

 では、伝書バトを勝手に飛ばしたのはその約束を取り付けるためだったということか。それにしても、半ば無理やり自分を都市防衛の指揮官に任じたにしては、都市を放棄する段階になってからの諦めが早すぎるように思えた。

 そこまで考えたところで、ブラウシュタインと目が合った。酔いに冒された瞳の中には、からかうような光がある。

 それにヴィルハルトはハッとなった。嫌そうな顔になると言った。

「初めから、都市を防衛しきるつもりはなかったと」

 拗ねたような声音で尋ねる彼に、ブラウシュタインは従者に次の一杯を注がせながら応じた。

「必要だったのだ」

 彼はさも当然のように言うと続けた。

「このレーヴェンザールには我が〈王国〉の歴史が詰まっておる。それを、血の一滴も流さずに敵に明け渡したとなれば俺の、いや、この国そのものの威信が揺らぐ。それだけは避けねばならん。抵抗の意思があることを示す必要があった。まぁ、一度総攻撃を受ければあっけなく陥落するかもしれんと思っていたが」

 呵々と笑った彼は一旦言葉を切り、葡萄酒で舌を湿らせるとさらに続ける。

「そもそも。それは軍も同様であったはずだ。旧王都の防衛を放棄し、戦わずして〈帝国〉軍の手に落としたとなれば、この先いったい、誰が軍を信用するというのだ? ここでの戦いは終わるが、戦争は終わりではない。ならば、軍から人心が離れるような真似は出来ぬと、王都の連中は考えているはずだ」

 だから、貴様は少佐の身でありながらこの城塞都市レーヴェンザールを一手に握ったのだと言って彼は笑った。

「……為政者の詭弁にしか聞こえませんね」

 絞り出すような声で言ったヴィルハルトに、ブラウシュタインは楽しそうな声で応じた。

「そうとも。所詮、政治など詭弁に過ぎぬ。要は巧く嘘をついて、民草どもを気持ちよく騙してやれば良いのだ」


日の昇る前はセーフとする。

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