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前線から二リーグほど後方。レーヴェンザール全景を見下ろすことのできる丘の上に張られた、〈帝国〉軍本営の天幕には敵城塞都市南への攻城砲使用による強襲突破が成功して以来、前線からの報告を携えた伝令たちが続々と駆け付けていた。
彼らが語るのはいずれも都市に籠る敵軍に対して、〈帝国〉軍が優位を得ることを確信できる内容のものばかりであった。天幕内に籠っていた参謀たちが一斉に、安堵にも似た快哉を口にしている中で、〈帝国〉親征軍軍団長、リゼアベート・ルヴィンスカヤ大将は一人、雨空の下へ出た。
ちょうどその時、敵の反撃が止むとともに前進した軍団直轄砲兵による一斉砲撃が大気を震わせ、敵城塞都市の上空に赤く尾を引く発煙弾が打ち上げられるのを目にした。
丘に立ったリゼアは降り出した雨に打たれながら、この世の全てを睥睨する天空の女神のように戦場を見下ろした。
前線での喧噪も、ここまでは聞こえてこない。戦場はやけに静まりかえって見えた。
曇天の下にあってもなお、その輝きを失わぬ金糸の髪が雨でしっとりと濡れて頬へ張り付いたのを剥がしていると、背後の天幕から次席参謀が出てきて彼女に声を掛けた。
「先ほどの一斉砲撃が最後です。砲兵参謀の話では、この雨が上がるまではしばらく、砲は使えぬとのことです」
なんでもない話題を口にするように言った次席参謀へと、リゼアは無言で頷いた。星々の瞬きをちりばめたような輝きの籠る蒼い瞳を、西方領軍猟兵たちが緑の濁流となって殺到している敵城塞都市南門へと向ける。
その光景に、リゼアはただ一言だけを発した。
「勝った」
短くも、万感の想いが込められた一言であった。
「勝ちましたな」
それを肯定するように、次席参謀は頷いた。
しかし、その後でリゼアはふと、疑うように呟いた。
「……本当に、これで終わりかしら?」
「閣下?」
彼女の言葉に、次席参謀は眉間に皺を寄せて聞き返した。
彼は自らの上官へ寄り添うように傍らへと立つと、その美貌を覗き込む。そこにはどこか気抜けしたような、物足りないといった表情が浮かんでいた。
リゼアは次席参謀の視線に気づくと、内心の本音を隠すようにふわりと微笑んでみせた。
「いや。一月半にも渡り、我が軍を足止めし続けた敵にしては、呆気の無い終幕だと思っているのだ」
「攻城砲弾はあれで打ち止めです。次の補給を待てば、冬に入ってしまいます」
何かを期待している響きに満ちた声の彼女へ、次席参謀はきっぱりとした口調で応じた。
「何より。これで勝てなければ第44師団の奮戦と犠牲が無意味になってしまう」
彼は戒めるような声音でそう付け加えた。
「分かっている」
リゼアは頷いた。
東門、敵城塞都市の正門突破を諦めた〈帝国〉軍は、残された四発の攻城砲弾を使い、確実に侵入経路を確保するべく、何処までも無慈悲な戦術を採用した。
第44重鋭兵師団による、師団全力を挙げた正面攻撃は冥界の門を開くための生贄であった。
凶悪な番犬が差し出された供物を貪っている間に攻城砲を隠密裏に移動させるという、それだけの目的のために、およそ一万の将兵は真夏の草原へ溶けていった。
無論、彼らは損害を最小に抑えるべく努力はした。それでなお、多大な犠牲を支払わねばならなかった理由は単純に、敵の火力集中が異常だったというしかない。
しかし。
だからこそ、リゼアは期待する。
完全に孤立した状況下でありながら、それほどの準備を整えた敵ならば。未だ、なにか策を残しているのではないかと。
そうでなければ、わざわざ全軍の足を止めてまで相手をした意味がなくなってしまう。
そして敵は、彼女の期待に応えてみせた。
「失礼します!」
天幕から、参謀の一人が慌てたように飛び出してきた。
「何事だ」
次席参謀が鋭く訊き返す。
「敵軍の一部が逆襲に移った模様! 規模は不明ですが、小部隊ごとに分かれ、街中で遊撃戦を展開しているとのことです!」
その報告に、レーヴェンザールを見下ろしていたリゼアの瞳に輝きが灯った。
「こちらの損害は?」
答えが待ちきれないとばかりに、彼女は訊いた。参謀は一瞬言い淀み、意を決したようにリゼアへ伝えた。
「確認できているだけで、およそ一個大隊。ただし、突破直後に捜索のため市街に送り込んだ部隊も合わせれば、全体で一個連隊ほどが連絡途絶のままです」
「よろしい!」
リゼアは弾けるように応じた。
「では、これより司令部を前進する」
「閣下……」
さすがに鼻白んだ次席参謀が諫めるような声でリゼアに呼びかけた。
彼女は快活な笑みを浮かべたまま、彼に答えた。
「次席参謀。私はね、勝つなら、完璧に勝ちたいの」
続きは来週、月曜日!