122
「司令。どこへ行かれたのかと、肝が冷えました」
ヴィルハルトを見るなり、駆け寄ってきたヴェルナーは不満そうであった。言葉こそ上官の身を案じているように聞こえるが、その声には部隊を放って何をしていたと叱る響きがある。
「ごめんなさい、曹長。私が道に迷ったりなんかするから……」
そのヴェルナーへ、ヴィルハルトよりも先にカレンが口を開いた。なにがあったのかは言わない。
ヴィルハルトはともかく、カレンまで血に濡れていることに気付いたヴェルナーはなんとも言えない表情を浮かべた。
「守備隊最先任曹長。状況は?」
二人の間を引き裂くように、ヴィルハルトが尋ねた。
すべての質問をはねつけるような声だった。
「すでに第二区まで侵入されています。防御部隊が応戦していますが、やはり取りこぼしが多いようです」
ヴェルナーの報告に、ヴィルハルトは頷いた。
「迎撃準備を整える時間もなかったからな」
「危険を承知で、壁の上に兵を数名上げました。南門の向こうは敵で埋め尽くされているそうです。どれだけ少なく見積もっても、敵が投入している戦力は一個師団を下らないかと」
それを聞いたヴィルハルトは、先ほどのアレクシアとのやり取りを思い出しながら考えた。
さてさて。これから先、どうやって道徳を守って戦うというのだろうか。守るべきものは他に、幾らでもあるというのに。
「よろしい。副官」
彼はカレンを呼んだ。
「はい」
ようやく精神の均衡を取り戻しつつあった彼の副官は素早く応じた。
「本部へ戻ったら、赤色発煙弾を打ち上げるように副司令へ伝えろ。東門防衛隊を退かせるのだ。こうなった以上、あの場所を固守しても無駄だからな。急げ。気象士官からの報告では、間もなく雨が降り出すとのことだ」
ヴィルハルトはレーヴェンザールの上空を覆う、灰色の雲を仰ぎながらそう命じた。
「司令」
そこへ、アレクシアが硬い声を出した。
「なんだ」
「練度に問題がないと判断した予備隊の一部を、防御部隊と合流させたいのですが」
確執を隠そうともしない口調で彼女はそう言った。ヴィルハルトは少し考えてから、好きにしろと答えた。
「お待たせしました、せんぱ……司令」
去っていったアレクシア達と入れ違いになる形で、呼びに行かせていたエルヴィン・ライカ中尉がやってきた。
「何をしていた」
「いえ、少しばかり説得に時間が掛かりまして」
そう答えたエルヴィンに、ヴィルハルトは何を言っているのだという顔を向けた。すぐにまぁ良いかと思いなおす。
「何をするのか分かっているな?」
「防御部隊が防衛線を完成させるまでの間、我々は遊撃隊として敵の背側へ回り込み、侵入した〈帝国〉軍を混乱させます」
素早く応じたエルヴィンにヴィルハルトは頷いた。
このところ、すっかり事務仕事ばかりを任せていたとは言え、彼もまた第41大隊での三年間を生き残ってきた将校であった。
「司令部予備隊から一個小隊を率いて行け。ヴェルナー曹長、君もだ。残りは俺が直率する。いいか、敵を発見した場合、正面切っての殴り合いは避けろ。背後、或いは側面から襲い掛かり、打撃を与えた後に速やかに離脱するのだ。互いの位置を常に把握しつつ、決して一点に留まるな。動き続け、反撃の規模を敵に悟られないようにしろ」
彼の命令にエルヴィンとヴェルナーはほぼ同時に頷いた。
「一月以上続いた敵の重攻囲下。補給は断たれ、友軍からの支援は一切なし。遂には籠っていた城壁も打ち崩され、敵が雪崩れ込む……やれやれ」
待たせている兵たちの下へ向かう途中、ぼやくようにエルヴィンが呟いていた。
「なんだ。今さら泣き言か、ライカ中尉」
ヴィルハルトが馬鹿にしたように尋ねた。彼は肩を竦めると、冗談めいた態度で応じた。
「まさか。大隊に居た頃の演習の方が、倍は厳しかったですよ」
それを聞いたヴェルナーが鼻を鳴らした。笑っているのだった。
気の滅入るような曇天の下、何処までも絶望的な状況下でありながら。彼らはまるで生来の殺人鬼が初めてその居場所を得たような朗らかな笑みを湛え、戦場へと向かった。
続きは来週、月曜日!