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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦
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 通りで響き始めた銃声に背を向けて、カレンは先を急いだ。

 しかし、市街南区は住民が増えるにつれて建て増しされていった家が多く、路地が複雑に入り組んでいるために中々思うように進めない。長らく、この街に置かれていた東部方面軍司令部に勤務していたとは言え、カレンはこの街の出身ではない。路地の一つひとつまで記憶しているわけではなかった。その上、背の高い建物も多く、方向感覚さえ曖昧になってしまう。

 時間とともに焦りばかりが大きくなってゆく中、カレンが幾つ目かの曲がり角に差し掛かった時だった。

「なあ、隊に戻らなくていいのかよ」

 隣接する路地のどれかから、誰かの声が聞こえてカレンは身を固くした。その声が〈帝国〉語を話しているからだった。

「迷っちまったんだから仕方ねえだろ」

 それに、また別の声がやはり〈帝国〉語で応じた。

 市街へ侵入した〈帝国〉兵に違いなかった。どうやら部隊とはぐれ、迷っているらしい。

「迷ったって……お前があの時、路地に入ろうぜなんて言い出さなければ」

「うるせえな。じゃあ、あそこであのまま敵弾喰らってくたばってればよかったっていうのか? あのぼんくら小隊長みたいに」

 〈帝国〉兵たちの会話を聞きながら、カレンは息を潜めた。声はカレンのいる路地と直角に交差している道の先から聞こえていた。このままでは鉢合わせになってしまう。

 カレンはどうするべきかを素早く考えた。自身の装具を確認する。彼女は銃の類を持っていなかった。一応、将校であるから軍剣を腰に吊ってはいるが、カレンのそれは小さな片刃造りの短剣だ。とてもではないが、まともに武装している敵と渡り合えるような代物ではなかった。

 一瞬、どこかの建物へ逃げ込もうかとも考えたが、扉を開け閉めする音を聞きつけられてしまう危険があった。

 なら、やはりこのまま静かに移動し、物陰に身を潜めてやり過ごすしかない。

 そう判断したカレンは、震え出しそうになる足をどうにか動かすと、後ずさりするように後ろ向きのまま歩き出した。振り返ってしまえば、走り出したい欲求に抗えそうにないからだった。

 そこへ、銃声が響いた。通りで再び、銃撃戦が始まったらしい。それに〈帝国〉兵たちの足音が止まった。

「おい、銃声だ。撃ち合ってるってことは、この音の方に行けば友軍と合流できるぞ」

 どこかほっとしたような響きのある声に、もう一つの声が馬鹿にしたように答えた。

「ああ? 撃ち合ってる中に突っ込むのか? 正気か、お前? 放っておけよ。このまま戦いが終わるまで、この辺でのんびりと迷ってようぜ」

「お前なぁ……」

 やる気のない声と、呆れた声の会話を聞きながら、カレンはまた一歩後ろへ足を下げる。その足のかかとが、なにか硬いものにぶつかった。決して大きくはないが、他の音に紛れるほどでもない音ががたりと鳴った。

 カレンは反射的に足元へ顔を向けた。細い路地の端に、小さな木箱が置かれていた。

 しまったと思った時にはもう遅かった。

「誰だ!!」

 鋭い〈帝国〉語が路地に響いた。不吉な鉄の音がそれに続く。

火蓋を閉じた音だろう。

前装式の小銃を戦闘の合間や、ちょっとした移動のために持ち運ぶ際は、暴発を防ぎ、敵を発見次第、速やかに射撃準備を完了させるため、装填だけを済ませ、点火用の炸薬を抜いておくことが多い。

恐怖と緊張によって硬直したカレンの頭が、そのことに気付いた頃には、曲がり角の向こうから二人の〈帝国〉兵が姿を見せた。どちらも小銃を構えており、銃口の先には銃剣が装着されていた。

「女ぁ……?」

 カレンへと銃口を向けている〈帝国〉兵の一人、ひょろりとした痩せ型の男が気の抜けた声を出した。最初に聞こえたのは、どうやらこちらの声のようだった。

「おい、ただの女じゃねぇぞ」

 その横で、もう一人が口を開いた。こちらは兵としては、些か腹が膨れすぎていた。

「へへ、おい、見ろよ。中尉殿だぜ」

「この国じゃ、女も将校になれるのか」

 銃剣の切っ先でカレンの制服に縫い付けられた階級章を突くように指し示した小太りの男に、痩せた兵が感心したような口調で答えた。

「なぁ、戦闘が終わるまでのちょっとした楽しみが思いついたんだが」

「お前、何考えてるんだ」

 太った兵が不埒な笑みを浮かべながら言った言葉に、痩せた兵が眉を寄せながら尋ねた。

「ちょうどいいじゃねぇか。俺達の新しい中隊長、あのくそ使えねえ中尉のせいで色々と鬱憤が溜まってたんだ」

 舌なめずりしながらに言った彼は、品定めするような視線をカレンへ向ける。

「それに見ろよ、ちっと若いが、なかなかの上玉だぜ」

「っ!!」

 卑猥ささえも感じられる男の表情に、カレンは咄嗟に軍剣を引き抜いた。必死の形相で短剣を握りしめる彼女に、太った〈帝国〉兵が笑い声をあげる。

「なんだぁ、そりゃ? 果物用かなんかか?」

 ニタニタとした笑みを浮かべながら、彼は銃口をカレンから逸らした。横にいる痩せた兵も同様に小銃を下ろす。いつの間にか、その顔にも薄気味の悪い笑みが張り付いていた。

 今だ。

 警戒を解いた〈帝国〉兵に、カレンは背中を向けた。

「あ、おい、待ちやがれ!!」

 太った兵の怒号が響いた。嫌悪感に突き動かされ、カレンはさらに足を速める。男たちが追ってきていた。

 不味いと思った時、ふと先にある民家の戸がわずかに開いているのを見つけた。滑り込むように中へ入る。

「おっと!」

しかし、扉が閉まるより先に小銃の銃身が隙間へ挟み込まれてしまう。突き出された銃剣の切っ先が、わずかにカレンの腕を裂いた。

「あっ!」

「へへぇ、いい声じゃねえか」

 鋭い痛みに、思わず声を上げたカレンの耳に男の下卑た声が響く。唇を噛み締めたカレンは、扉を閉めようと全身に力を込めた。その抵抗を奪うように銃口から突然、閃光が奔った。男が発砲したのだった。

 吹き出した硝煙に喉と鼻を襲われ、カレンは思わず咳きこんだ。その隙を突いて、二人の〈帝国〉兵が家の中へ雪崩れ込む。

「諦めろよ、中尉殿。どうせこの街も、この国も、もう俺たちのもんなんだ」

 太った兵がカレンの細い肩を掴み、冷たい床の上へ投げ出しながら言った。

「この……仮にも大陸世界最強最精鋭と謳われる〈帝国〉軍の一員でありながら……恥を知りなさい、貴方たち……!」

 涙目になったカレンが、硝煙でがさついた喉を無理やり震わせた。それに、〈帝国〉兵は奇妙な表情を浮かべる。

「ああ……? 名誉がどうのこうのってやつか? ふざけんじゃねぇ。俺達はただの農奴だ。皇帝陛下にとっちゃあ、ただの使い捨ての兵隊だ。たまにはご褒美の一つでもなけりゃ、誰がこんなクソ遠い国まで銃をひいこら担いで来るかよ」

 馬鹿にしたような声で言いながら、男は腰帯に手を伸ばす。カレンは手にしていた短剣を構えなおした。

「おっと」

 その手首を、痩せた兵が捻り上げた。カレンの手から短剣が落ちる。床に落ちたそれを、痩せた兵が蹴った。短剣は冷たい金属音を立てながら、部屋の影へと滑っていった。

「まぁ諦めなって、お嬢さん。これも戦争なんだよ」

 そう言った男に答えたのは、カレンではなかった。

「――まさに。これが戦争だ」

 静かな声。地の底から響くような、憎悪に満ちたその声とともに、カレンの目の前で痩せた〈帝国〉兵の頭部が吹き飛んだ。

 後頭部に銃弾を撃ち込まれ、脳漿をまき散らして倒れた男の向こう側には、硝煙が立ち昇る短銃を手にしたヴィルハルト・シュルツが立っていた。

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