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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
序幕 〈帝国〉軍襲来
12/202

12

 陽が沈む。

 夕焼けに照らされる交易街ハンザの市庁舎の中庭で、ヴィルハルト・シュルツは一人、紙巻を咥えたまま佇んでいた。

 口からぷかぷかと上がる紫煙が、ゆっくりと茜色の空に溶けてゆく。

 残陽の光が庭の中心に造られた池の水面に乱反射し、手入れの行き届いた樹木を照らす様は何処か幻想的であった。

 しかし、ヴィルハルトの脳内はまったく現実的な思考によって埋め尽くされている。


 あの後。後退計画の詳細については守備隊の者たちだけで話し合うと言われ、会議室からは追い出されてしまった。

 最後衛での戦闘任務を命じられた自分をその話し合いから外すというのは、果たしてどういう了見なのだろうかと憤る程、彼は現実が見えていないわけでは無かった。

 ここ数日の出来事を一つ一つ脳裏で再生し、その時に自分の取った判断と行動を評点してみれば、何もかもが間違いだったとすぐに分かる。

 自分を好いている者が誰も居ない国境守備隊司令部に顔を出せばどうなるか、予測できてもおかしくないものを。

 今まで人生を思い返してみても、そうだった。

 自分が目立つと人からは疎まれ、蔑まれ、或いは嫌われるという事をよく知っている。

 士官学校でもそうだったな。

 彼は、どうでも良い事を思い出した。


「おい、シュルツ、てめぇ、いい加減にしろよ」

 士官学校の学生宿舎から、学舎へと至る道の途中だった。

 ヴィルハルトは突然、すれ違った同期生から肩を掴まれていた。

「何をだろうか、ラインドルフ生徒。ともかく、手を離してくれ。他の目がある」

 心底面倒くさそうに、ヴィルハルトは答えた。

 辺りを見ると、何人かの下級生徒たちが驚いたように立ち止まりこちらを見ていた。

 同期生の者たちは呆れたような顔で、さっさと立ち去ってゆく。

「なぁおい、シュルツ。お前、何度同じことを言ったら分かるんだ?」

「はぁ」

「いいか、俺が前に来たら、お前の方から敬礼しろと何度も教えてきたよな? あ?」

「何度も言うように、自分たちは同期なのだから、そう言った必要は無いと思うんだが」

「はぁ? 必要ない? いいや、大有りだね」

 ラインドルフは大柄な肉体を誇示するように胸を張って言った。

「いいか。俺は男爵家の次男だ。で、貴様は?」

 ヴィルハルトは何度目になるか分からない溜息を吐いてから答える。

「両親が居ないので、どこの生まれかは分からない。ただまぁ、多分南部の農村の何処かだろう」

「そうだ。つまり貴様はただの平民で、その上、孤児だ。どうだ、これで分かったか?」

 士官学校の生徒は全員が平等であると規則で定められている。

 つまり、ここでは平民も貴族も関係ないのだが、時にそれを勘違いしている者が多いのが実情だった。

 中でも、ラインドルフという同期生の勘違いは盛大であった。

 ヴィルハルトは堪らず、失笑を漏らす。

 それにラインドルフが激高した。ヴィルハルトの胸ぐらを掴み、何か罵声のようなものを浴びせかける。

「何をしておるか!!」

 そこへ、ラインドルフの声を掻き消すような本物の怒声が響いた。

 あっとした顔になったラインドルフが、急いでヴィルハルトの胸ぐらから手を離す。

 解放されたヴィルハルトが彼の見ている方へ顔を向けると、助教の軍曹を引きつれた教官が自分たちの方へとやってくるところだった。

「貴様らはラインドルフ生徒と、シュルツ生徒だな。最上級生にもなって、校内での私闘が禁止されている事も知らんとは言わせんぞ?」

 教官は彼らの前に立ち、怒鳴りつけた。

 生徒の二人は直立不動の態勢を取り、その怒声を受ける。

 ラインドルフがまっすぐ前方へと視線を向けているのに対して、ヴィルハルトは顔を動かさずに可能な限り視線をあらぬ方向へと送っていた。

「何をしていた」

 教官の問いに答えたのはラインドルフだった。

「はい! 〈王国〉軍将校として、非常時における国家防衛の構想について討論しておりました! 少し、討論に力が入り過ぎて思わず」

「胸ぐらを掴んだというのか」

 とんでもない嘘であったが、ヴィルハルトは何の反応も見せなかった。

 生徒は教官の前で自発的な行動を取る事は許されていない。

 教官はラインドルフに頷いて見せた。

「討論一つにかける姿勢は評価する。だが、貴様らはこの栄えある王立士官学校、その最上級生である。むやみに人前で口調を荒げる事の無きよう、厳重に注意する」

「はい! 申し訳ありませんでした、教官殿!」

 教官はラインドルフにそれ以上、なにも言わなかった。

 彼がこの三年間を勘違いし続けられたのは、教官たちのこういった態度に原因があった。

 詰まる所、彼ら教官もまた世俗における家柄を軍の階級以上に扱う者が少なくないのだった。

 ヴィルハルトへと視線を移す。

「シュルツ生徒」

 名前を呼ばれて、明後日の方を見ていたヴィルハルトは嫌そうに目を教官へと向けた。

 何が起こるのかは分かり切っていたので、奥歯を噛みしめた。

 教官が手を振り上げてヴィルハルトの頬を張った。

 彼は微動もせずに、それに耐えた。

「教官を睨むな。これは指導である」

「はい。申し訳ありませんでした、教官殿。ご指導有り難くあります」

 そう答えたヴィルハルトの口の中に、鉄の味が広がった。どうやら切れたらしい。

 出来れば、殴られない目つきの作り方も教えてほしいと思った。

 努力して緩めようとすると、途端に締まりのない目つきへと変わってしまうのだった。

 貴様、教官を馬鹿にしておるのかと入校当初に怒鳴られた事を覚えている。

「間もなく始業だ。生徒は速やかに教室へと移動せよ」

「「はい」」

 二人の生徒は喉が痛くなるほどの大声で返事をした。

 教官が去ってゆく。

 その後で、ラインドルフが殴られたヴィルハルトの顔を勝ち誇ったように見てから、歩き去って行く。

 ヴィルハルトは溜息をついて、制服のポケットを探った。

 この顔で教室に行くわけには行かなかった。身嗜みを整えねばならない。

 ハンカチを半分ほど、ポケットから引き出した時だった。

「シュルツ生徒殿、これを」

 そっと声が掛けられ、濡れたハンカチが差し出された。

 顔を上げる。

 先ほどの教官と一緒に居た助教だった。

 士官学校の助教たちは、軍に仕えて長い下士官たちから選抜されている。

 士官学校の生徒は下士官兵の最上位と位置付けられている為、彼らの態度はまさに上官に対してものであった。

 だからと言って、彼らが生徒に対して優しいわけでは無い。

 野外での戦闘教練の際には、ともすれば教官以上に恐ろしい存在であった。

 彼らは将来、自分たちの上官になるであろう生徒たちの中から無能を排除する事こそが己の使命だと信じているからだった。

「ありがとう。助教」

「いえ」

 ヴィルハルトがお礼を言うと、助教は何か言いたげな顔をした。

 遮るように、ヴィルハルトが先に口を開いた。

「今度の野外教練も楽しみにしているよ、助教」

 助教は不意を突かれたような顔をした後で、にやりと笑って見せた。

「ええ。どうぞ、楽しみにしていてください。生徒殿のご期待を裏切る事は無いよう致しますので」

「いいな。夜も眠れなくなりそうだ」

「失礼します」

 助教は教官の去っていった方へ足早に向かって行った。

 受け取ったハンカチは、良く冷えていた。


 余り楽しかった訳ではないが、かといって悪い事ばかりだった訳でも無い思い出からヴィルハルトは現実へと帰還した。

 そう言えば、どうして助教たちが自分には甘かったのか。

 その理由だけは最後まで分からなかった。

 結局の所、今も昔も俺は自分に与えられた役割を演じているだけなのだが。

 

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