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ひしゃげた鉄門の上を駆け抜け、遂にレーヴェンザールの城壁内へと突入した緑装に身を包む〈帝国〉西方領軍猟兵たちは、市街南区から中央区へと続く無人の大通りを躍進した。
本来であれば荷物を満載にした交易商人の馬車や市民たちで賑わう通りも、今や人影一つない。
墓標のように建ち並ぶ白石造りの建築群からは人の気配はおろか、生命の息吹さえ感じられなかった。
そうでありながら。
廃墟と呼ぶにはあまりにも清白な、深閑とした街の中を駆けながら、隊の先頭を進む〈帝国〉西方領軍第66猟兵師団第8中隊長のユーリ・ウスチノフ大尉は内心に懸念を抱えていた。
門を突破した直後、事態から取り残されたような〈王国〉兵たちを手際よく屠って以来、敵の姿が全く見当たらないということも勿論だが、それ以上に彼を迷わせていたのはこの戦場であった。
二十年近い軍歴を有するウスチノフは、平野を初めとして山岳、丘陵地帯、渓谷、湿地、凍土、砂漠とおよそ地上のあらゆる地形での戦闘経験ならば掃いて捨てるほど持っている。だが、市街地を、街を戦場とした戦いはこれが初めてであるからだった。
彼の眼には、道の両側に聳える建物たちが恐ろしい存在に見えて仕方がなかった。
この街の建物は、多くが白石を用いて作られた堅牢な石造りのものばかりである。
もしも、敵があの建物の二階部分に籠っていたら? 今、一斉に周り中の窓から銃口が伸びてきたら?
どう対処するべきだろうか。この街には路地も多い。恐らく、相当に入り組んでいるはずだ。土地勘のない我々が咄嗟の事態に陥った時、どう部下を避難させるべきだろうか。
本当ならば、建物の一つひとつをしらみつぶしに制圧してから進みたかったが、それもできない。彼らは言うなれば先遣隊だった。後続のために、できる限り敵陣深くまで入り込み、敵部隊の位置や安全地帯を確保しておかなければならなかった。
結局、浮かんだ疑問のどれ一つに対しても彼は明確な対処法を見つけることができず、ただ進むより他になかった。
これは何も、ウスチノフが無能というわけでもない。
彼がこうした疑念に囚われているのは、現在の大陸世界ではそもそも市街戦そのものに対する意識が希薄であるからという理由があった。
現在の大陸世界軍隊における攻城戦とは即ち、包囲戦であるからだ。
敵が籠る要塞や都市を圧倒的な兵力を持って攻囲し、補給を断ち、その士気を挫くために攻城砲や野砲を使って砲撃を加える。増援が来るよりも先に食料や水、弾薬などを始めとした備蓄軍需物資が尽きれば籠城側は降伏せざるをえなくなるし、そもそもこう言った城塞都市や要塞の司令官には一定期間増援が無かった場合、降伏することが許されていることが多い(特に武装解除なしでの開城を受け入れることは、武人にとって最高の名誉ともされていた)。
よって、攻城側が城内へと踏み込むのは、戦いが全て終わった後のことになる。
こうした場合、市街地で戦闘など起こることがない(無論、指揮官が降伏した後も少数で抵抗を続けた例がないわけでもないが。そして虐殺は戦闘ではない)。
だが、今回の敵は違った。
全周を数十倍の敵軍に攻囲され、一月もの間補給を完全に遮断されておきながら、今なお決死の抵抗を続けている。
その事実に、ウスチノフは空恐ろしささえ覚えた。
或いは敵兵の愛国心、郷土愛がよほど揺るぎの無いものだとしても、これほどまでに兵を戦わせ続けることができるのは、敵指揮官の手腕に他ならないとしか思えないからだった。
物思いにふけっていたウスチノフは、大きな十字路に差し掛かったところで我に返ると部隊の足を一旦止めさせた。
気付けば、突入してきた北門はすでに一区画以上も離れている。
「敵はどこにおるんでしょうな?」
門を突破してからここまで走り通しだったため、やや息の上がっている軍曹が彼に尋ねた。彼はそれに、顎を伝う汗を拭いながら答えた。
「分からん。分からんが、東側があれだけ叩かれているからな、そちらに兵力を集中させているとしてもおかしくはない」
ウスチノフはむしろ、自分を慰めるように言った。無論、自分でもそんな言葉は信じていない。
「だが、気を抜くなよ軍曹。ここからは少し慎重に進もう――」
彼がその言葉を言い切るか否かの瞬間だった。
突然、後方から銃声がしたかと思うと、ウスチノフの足元で石畳の一つが弾けた。
反射的に振り返ると、通り過ぎてきた狭い路地から敵兵がちらりと姿を見せながら、小銃をこちらへ向けていた。
「しまった」
彼は舌打ちをした。やはり、敵が潜んでいたか!
何故、各路地を確認させなかったのかという後悔が押し寄せるが、今は反省している時ではない。
「いかがしますか!?」
軍曹が身を屈めながら叫ぶように尋ねる。
装填を終えたらしい。路地から三人の〈王国〉兵が一斉に飛び出すと、ほぼ同時に射撃した。ぶーんという羽虫の飛ぶような音とともに、弾丸が彼らの脇を通り抜けてゆく。
ウスチノフは一瞬で決断した。
「走れ! ここには遮蔽物がない、あの十字路の、角の建物を盾にしろ!」
言うと、先頭を切って走り出す。
彼が直率してきた一個分隊の部下たちが一斉に続く。再び、敵からの射撃。
ふと、奇妙なことに気が付いた。通りのど真ん中を駆けているウスチノフたちは恰好の的であるはずなのに、誰一人被弾していない。しかし、追い立てるように射撃を続ける敵を背にしていては深く考えている余裕もない。
何、構わない。
ウスチノフは思った。
後続の連中が追いついてくれば、挟撃できる。射撃の規模から判断しても、敵は姿を見せた三名のみか、多くても十名程度だろう。中隊と合流さえできれば――。
そこまで考えたところで、彼は目指していた十字路へと踏み込んだ。そして。
銃弾に追い立てられるように建物の影へと入った彼らの前に、酷く育ちの良さそうな顔をした〈王国〉軍大尉が軍剣を抜き放って立っていた。
その傍らには、歩兵砲が三門とその砲員たち。
ウスチノフは、その〈王国〉軍大尉と一瞬だけ目が合った。〈王国〉軍大尉が軍剣を振り上げた。
それを酷くゆっくりとした刹那の中で眺めながら、彼は思った。
ああ。畜生。俺の軍歴もここまでか。くそ、タイーシャ……
故郷に残してきた、年の離れた妹の名を胸の中で呟いた次の瞬間。
「放て!!」
〈王国〉軍大尉が号令とともに、軍剣を振り下ろす。ほぼ同時に、彼らへ照準を合わせていた三門の歩兵砲が砲弾を吐き出した。導線が短く切られていた三発の榴弾は一拍も置かずに彼らの懐へもぐりこみ、そこで炸裂する。
炸裂の衝撃で、背にしていた建物の一部が瓦解した。崩れ落ちた瓦礫は、一つの肉塊へと変貌したウスチノフ大尉以下、六名の〈帝国〉兵たちを飲み込んでゆく。
最後に、一際大きな壁の一部が重苦しい音を立てて、その上へと落下した。
砕けた白石の山が、彼らの墓標となった。
かなりお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。
短いですが、一月に一度は更新してゆこうと思います。