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大変お待たせしました。
〈帝国〉軍が放った四発の攻城砲弾は、レーヴェンザール南門を支える城壁の上部を穿った。悪夢にうなされている巨人が歯軋りをしているような音とともに、砕かれた白い城壁の一部と跳ね橋式の巨大な鉄門が落ちてゆく。乱暴に堀の上へと叩きつけられた鉄門は中央部がいくらか歪み、その表面に刻まれていた美麗な彫刻の数々が使い捨てられた鼻紙のようにくしゃくしゃになる。
だが、それでなお、橋としての機能は健在だった。舞い上がった粉塵と土煙を切り裂くように、南門周囲を囲んでいた〈帝国〉西方領軍将兵たちが城壁内へと突入してゆく。
混乱に満ちた喧噪。吶喊の蛮声。悲鳴。銃声。遂に白い都の城壁は破られ、その街中で戦場音楽が響きだす。
レーヴェンザール守備隊司令のヴィルハルト・シュルツ少佐は、街全体を震撼させた破壊の轟音を司令室ではなく、市街中央広場で聞いていた。
「司令、今の砲声は……」
負傷兵の様子を見るヴィルハルトに付き添っていた副官のカレン・スピラ中尉が、白磁器のように色を失った顔で囁くように言った。彼は答えなかった。天を仰ぐ。見上げた空は、彼の胸の内を映したかのような曇天であった。
「司令!!」
レーヴェンザール市庁舎へと続く坂道を伝令の兵が駆け下りてくる。報告は聞くまでもないが、ヴィルハルトは彼が仕事を果たすまで待った。彼の前へとやってきた伝令兵は、肩を大きく上下させながら言った。
「〈帝国〉軍が南門へ向け、攻城砲を使用した模様! すでに敵部隊の一部が城壁内へと侵入しています!」
一呼吸で良い終えた兵に、ヴィルハルトは柔らかく頷いた。
「ご苦労。申し訳ないが、もう一仕事してもらう。市庁舎に待機している連中を呼んできてくれ」
「はっ」
兵は敬礼を送ると、来た道を引き返していった。ヴィルハルトは表情を一変させると、少し離れた位置にいたアルベルト・ケスラー少佐を怒鳴りつけるように呼んだ。
「副司令!!」
先ほどの轟音で放心したように立ち尽くしていたケスラーが飛び起きるように反応した。
「司令」
「君は、すぐに司令部へと戻れ。各隊の伝令を統括し、必要な指示を送れ」
「司令はどうなさるのです」
「俺は付近に待機中の部隊を率いて南区へ向かう」
「危険ですが」
ケスラーが諫めるように言った。
「危険?」
ヴィルハルトは言葉の意味が分からないという顔で首を傾げた。
「だから、なんだというのだ。今の一撃で兵が動揺している。士気を維持するためにも、指揮官である俺自身が前に立つ必要がある」
彼は当然のようにそう口にし、今度はカレンへ顔を向ける。
「副官、君は予備隊に中央広場に集まるように伝えろ。彼らのいるレーヴェンザール衛兵隊の練兵場は、南区の外れ。このままでは〈帝国〉軍の侵攻経路にかち合ってしまう。彼らは後方予備として待機だ」
ヴィルハルトは手短に命じた。付け焼刃の訓練を終えたばかりの義勇兵が〈帝国〉軍とぶつかってしまえば、碌なことにならないだろうというのは誰でも予想できる事実であった。カレンは反論もなく了承した。
そこへ、軍剣を引っ掴んだ守備隊主席士官のエミール・ギュンター大尉が市庁舎から駆けてくるのが見えた。よほど慌てて司令部を飛び出してきたらしい彼へ、ヴィルハルトは大声で命じる。
「主席士官! 君の考案した都市防衛計画に採点の時間だ! 南区の部隊を掌握した後、同第二区に防衛線を構築! 急げ!!」
「貴方から随分と手直しを喰らいましたがね!」
ギュンターはすれ違いざまに恨み言を言うように応じると、立ち止まることなく去っていった。ヴィルハルトは自分の傍から動こうとしないカレンとケスラーを睨みつける。
「何をしている? 俺はすでに命令を達したと思うが」
怨嗟を音に変えたような彼の唸り声に、彼らは慌てて駆けだした。
二人と入れ替わりに、先ほど呼びに行かせた、市庁舎待機中だった部隊がヴェルナー曹長に引きずられるように、こちらへ向かってくるのが見えた。
「お待たせしました、司令。司令部予備隊、総員306名。欠員はありません」
彼の前にやってきたヴェルナーは、兵たちを整列させると踵を打ち鳴らして報告した。ヴィルハルトはそれには応じず、無言で煙草を咥えた。ヴェルナーがさっと燐寸を取り出して火を点ける。
「ああ、随分待ったな」
煙を吹かしながら、ヴィルハルトは口の端を捻じ曲げて言った。整列した兵たちの顔を見回す。司令部予備はヴィルハルト自身が選抜した兵たちだけで編成してあった。下士官と兵の半数以上が、独立捜索第41大隊から彼とともに戦ってきた者たちだけあって、南門を突破されたこの事態に対しても動揺は見られない。
ヴィルハルトは満足そうに微笑むと、紫煙を吐き出しながら口を開いた。
「諸君、ようやく戦争だ。身体はなまっておらんだろうな?」
「全員、この時を待ちわびておりました」
焦れたようにヴェルナーが答えた。早く命令を寄こせということらしい。ヴィルハルトはさっと表情を切り替えた。
「南門を敵に突破された。主席士官が先行して防衛の指揮を執っているが、あの数の敵を相手にいつまでも凌ぎきれるわけではない。幾ら事前に構築した防御拠点に籠ろうともな。よって」
ふぅと大きく煙を吐き出し、彼は言った。
「これより我々は防衛ではなく、逆襲を開始する。旧王都に踏み込んだ侵略者を誰一人として生きて還すな」
命じると、彼は煙草を投げ捨てた。両刃造りの、武骨な軍剣を引き抜くと歩き出した。銃剣が装着された小銃を掲げる300名の兵がそれに続く。戦意と狂気を押し込めた静かな行進。
先頭を行くヴィルハルト・シュルツの表情は、子羊を前にした地獄の悪鬼に酷似していた。
次回更新は、四月中旬ごろになるかと。
しばらくの間お待ちください。