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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦
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 ――その責任を果たすために。

 そうだ。

 〈王国〉軍総司令部の置かれた、夜の正宮二階の一室でアリシアは目を見開いた。その挙動のあまりの唐突さに、舌を回らせ続けていたローゼンバインが思わず口を噤んだ。だが、今の彼女には周囲のことに気を配るほどの余裕すらない。


 私は今まで、一体何をしていたのだろう。

 アリシアは自身の不明を深く恥じた。

 この度の〈帝国〉軍襲来に関し、軍は未だに明確な方針を打ち出せていない? 何を当たり前のことを。そうなっているのは、全軍の指導者たるこの私が何一つ決断を下していないからだ。指導者がまず決断しなければ、君主に従うべき国軍が一体何を決定できるというのだろう。

 彼女は面を上げた。ローゼンバインが驚いたように両眉を持ち上げている。その横では同様に、グライフェンとバッハシュタイン大将が口を半開きにして彼女を見ていた。参謀総長のカイテルのみが、常と変わらぬ表情で珈琲の淹れられた碗を見つめていた。

「どうか、なさいましたか、陛下?」

「いいえ、少し」

 伺うように言ったグライフェンに、ようやく女王としての態度を取り繕えるまでに精神の回復したアリシアは微笑みで応じた。座っていた椅子から立ち上がる。背後に控えていたファルケンハイムは、アリシアの表情を見て固まった。

 それは彼の知らない顔であるからだった。彼女は室内にいる者たちの顔を見回した。皆、長年に渡り国家に対して功績のある者たちばかりである(個人から見た場合は別として。ローゼンバインであっても、軍人として任務に手を抜いたことなどない)。

 かつて、彼女の父は言っていた。

 いずれ、国民主導の世がやってくる。この〈王国〉をその先駆けにしたいのだと。そして、そこにおける君主とは国家を象徴するための規範を示す存在であればよいと。

 だが、今は違う。この〈王国に〉における王権は未だにアリシアの手の中にある。ならば、国家の行く末を。その結末に全責任を負うべきは彼女に他ならない。

 国が存続するにせよ、滅ぶにせよ、それは君主の責任でなければならない。誰一人。どれほどの功臣、忠臣であろうとも。あまつさえ、民にその一端を担わせるなどあってはいけない。

 それが、私の女王としての責任。それならば、私は。

 アリシアは決意した。それは悲壮で、あまりにも雄々しい決心であった。

 あの人が言っていたのは、きっとこういうことに違いない。そう確信し、彼女は口を開いた。

「軍務大臣」

「は……、はっ」

 アリシアの発した、それまでとは比べ物にならぬほど鋭い声に、グライフェンは思わず背筋を引きつらせて応じた。

「現在、予備役の動員はどの程度進んでいるのでしょうか。軍全体で、教えてください」

「ええ、現在までですと、全予備役の約二割が招集に応じています。この内半数の部隊はすでに再訓練を終え中央軍、西部方面軍の隷下に入っており……」

 突然の質問にも関わらず、流石に軍務大臣に就くだけはありすらすらと答えたグライフェンにアリシアは頷いた。眉根を険しい形に保ったまま、ローゼンバインへと顔を向ける。

「ローゼンバイン大将。東部方面軍が構築中の防衛線をより強固にするべく、中央、西部方面軍隷下の即時行動可能な戦力から王都及び西部の防衛に必要な最低限の戦力を残し、すべてをフェルゼン大橋の東、北東部へと展開させてください。予備役部隊は招集、再編が完了次第順次、大河西岸の警戒に当たらせつつ再訓練。また、船舶部隊の一部を常にレーヴェンザールの対岸へ配置しておくように。もしも、かの旧王都から何らかの支援要請があった場合、若しくは現場の指揮官がその必要性を認めた場合には、現場の判断によって武力の行使を許可します。これは、国王命令です」


「へ、陛下……」

 矢継ぎ早に言葉を発するアリシアに、気圧されたようなローゼンバインが口を挟んだ。

「一体、何を……?」

 暫し、彼女は何を尋ねられているのか分からなかった。部屋にいる他の者たちの顔を見回す。グライフェンやバッハシュタイン、ファルケンハイムすら唖然とした表情を浮かべている。熱に浮かされたようになっていたアリシアの頭が急速に冷静さを取り戻した。彼らとの認識の差異に気が付いたのだった。

 彼女は姿勢を正すと、部屋にいる者全員を前にできる入り口の横まで移動した。そして告げた。


「私、アリシア・ギュスタ―ベルク・フォン・ホーエンツェルンは〈王国〉女王としての権限の下、この度の〈帝国〉軍との一連の戦いに対する国家総動員体制への移行を、全〈王国〉国民へと命じます」



 場にいた誰もが息を飲んだ。彼女は構わずに続けた。

「軍へ、私の意向をお伝えします。私は侵攻してきた〈帝国〉へ対する徹底抗戦を望みます。たとえ国土の過半を焦土と化してでも。これは〈王国〉女王としての決定です」

 ああ。言ってしまった。

 アリシアは心の中で思った。

 お父様。これでよろしいのでしょうか。私は……私は、民の血で自らの手を朱く染めてまで。

 だが、後悔は無かった。いや、後悔など許されなかった。

 今口にした言葉は、もしかすれば自分の名を多くの犠牲を出した史上最低の暗君として歴史に刻む一言であったかもしれない。だが、下さずにはいられなかった。このまま、ただ状況に流され、限られた時間を浪費し、国のために何一つの決断も下せずに、国家が滅ぶ様を、ただ手をこまねいて見ていただけの愚かな君主に成り下がるよりは余程潔いはずだ。

 報いは受けよう。

 彼女は死人よりも穏やかな笑みをその顔に湛えながら、自らを見つめる男たちに向き直った。

「では、ひとまずフェルゼン大橋の防衛を第一に考えるということでよろしいでしょうか、陛下」

 誰もが言葉を失っている中であっても、常と変わらぬ冷静さでアリシアへと応じたのは参謀総長、ヨアヒム・フォン・カイテル中将であった。彼は手元の書類に何事かを書きつけながら、さらに尋ねた。アリシアは頷いた。

「予備役の動員は段階的に行います。軍務大臣、動員計画について明日中に概要をまとめておいてください。予算措置については財務大臣と協議の上で、私が決定を下します。幸い、とある商会から融資のお話をいただいています。それでは」

 言い終えたアリシアはさっと身を翻し出口へと向かった。その背中をファルケンハイムが慌てたように追う。

「ど、どちらへ」

「明日、民へ私の決定を伝えます。そのためにエスターライヒと話し合わねばなりません。では、失礼いたします」

 彼女は全てを決定的に言い終えると、ばたりと扉を閉めた。

「さて、閣下方」

 取り残されたように茫然としている三人の大将に、カイテルが無機質な声で呼びかけた。

「陛下からの勅命ですぞ。ここでくつろいでいる時間はないかと」

「総動員? 〈帝国〉軍への徹底抗戦だと?」

 ローゼンバインが憤慨したように唸った。それにカイテルは冷たい目を投げかけた。

「ご不満がおありでしょうか? いずれも、以前閣下が陛下へご進言なさっていたではありませんか」

「そんなことは分かっとる。何故、今更なのだ。まったく……」

 イライラとした調子で彼は腕組みをしながら室内中を歩き回った。そして、ふと思い出したように顔を上げる。

「おい、レーヴェンザールと連絡を付ける手段はあるか」

「はい。伝書鳩があります。と言っても、軍で使用できるのは後3羽ほどしかおりませんが」

「十分だ」

 カイテルからの返答に、ローゼンバインは大柄な体を揺すりながら満足げに頷いた。

「命令文を飛ばせ。レーヴェンザール臨時守備隊司令宛にだ」

「どのような内容で?」

 まったく疑心の籠っていない発音でカイテルは尋ねた。ローゼンバインは口髭を撫でつけながら暫し考え込むと言った。

「レーヴェンザール臨時守備隊総員は、八ノ月が終わるまでの間、同地点にて敵軍を誘引、拘束し、レーヴェンザールを死守するべし」


「今月は未だ、半月近く残っていますが」

「だから何だ、貴様、俺が暦も読めない馬鹿か阿呆に見えるか」

 不機嫌そうなローゼンバインに対して、カイテルは計算式を読み上げるような声で答えた。

「いえ。ただ、現在の“可能な限り”と言う命令を撤回してしまうと、彼らは文字通り、死兵ということになってしまいます。士気が保つでしょうか」

「時間がない。せめて半月は持ってもらわなければ、こちらの準備が整う前に〈帝国〉軍はフェルゼン大橋を目前にしてしまう。貴様が明日までに総動員の態勢を整えられる魔法が使えるというのならば別だがな」

 ローゼンバインは皮肉気に言った。カイテルは実にさっぱりと応じた。

「不可能ですな。半月でも、無理がありますが」

「では、いいから送れ」

 〈王国〉軍総司令官はちり紙を放り捨てるような態度で、約九千名の命の結末を決定した。良心の呵責は無かった。彼は女王から命令を受け、それを遂行するべく策を講じているだけだと信じているからだった。

 軍では命令を発した者だけが、その結果に対する責任を負う。


 翌朝。女王アリシア・フォン・ホーエンツェルンは全国民へ向けた声明を発表した。王宮の正門前に立ち、力強い言葉で徹底抗戦を叫ぶ女王に対し、〈帝国〉との国力の差を嫌と言うほど知る貴族たちは冷ややかな目を向けていた。

 が、民衆はそうではなかった。彼らは女王の言葉に狂喜した。遂に、女王が立ったのだと。

 平民の権利拡大が進む〈王国〉では、国家の問題を自身の問題として考える者が多かった。つまり、彼らは現在、祖国が晒されている苦難を、個人的な問題として捉えていた。

 アリシアが掲げた反撃の狼煙は王宮の前に集まった民衆から口々に伝わり、瞬く間に〈王国〉全土へと広まった。

 段階的な予備役の動員を待たずして現役復帰を求める予備兵たちの声が上がり、普段は閑古鳥が鳴いている軍の新兵募集所には若者が殺到した。無論、全てを受けいれられるだけの態勢は整っていなかった。

 しかし、問題はなかった。第一次の予備役招集から漏れた者や、新兵の選考から外れた者たちは、村々の自警団を中心として組織されていた義勇軍へと参加したからであった。

 予備役を加えた〈王国〉軍の兵力は、平時の15万ほどから45万へと膨れ上がった。ここに義勇軍の17万が付随し、〈王国〉はその建国以来最大数を誇る62万もの将兵を動員することとなった。

 数を揃えたからといって、強大な〈帝国〉軍との間に広がる溝が埋まるわけではもちろんない。だが、〈王国〉は遂にこの史上最悪の悪戦を戦い抜く、その決意を固めたのだった。

続きは来週中になります。

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