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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦
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 前日以上の火力を投入して行われた〈帝国〉軍の総攻撃はしかし、二日目も決定打を欠いたまま終わらざるを得なかった。引き続き攻撃の最先鋒を勤め上げた〈帝国〉本領軍第44重鋭兵師団の損害は、初日と合わせて実に五割を超えており、部隊名から“重”の呼称が外されている。

 二日に渡る奮闘虚しく、敵城塞都市を落とすことの叶わなかったオストマイヤー中将の落胆振りは語るまでもないだろうが、それ以上に〈帝国〉軍にはこの事実に対して憤慨を露わにしている人物がいた。


 レーヴェンザールより三リーグほど南東に離れた、近くに小川の流れる丘の麓に張られた〈帝国〉親征軍総司令部の天幕群。その中でも、親征軍総司令官にして〈帝国〉第三皇太子たるミハイル・ニコライヴィチ・ロマノフ元帥が役筆を執るために一層豪華な装飾と調度の品々が揃えられている天幕の中には現在、軍の主だった諸将たちが勢揃いしていた。

「ルヴィンスカヤ大将。現在までの敵城塞都市攻略戦に置いて、何かご弁明があるのでは?」

 居並ぶ諸将たちを無視し、丸みのない〈帝国〉語でこの度の親征軍における事実上の総指揮官であるリゼアベート・ルヴィンスカヤ大将へと詰め寄るように口を開いたのは、親征軍参謀長であるマラート・イヴァノヴィッチ・ダンハイムであった。その肩と胸元にはミハイルから贈られたばかりの、真新しい少将の階級章が輝いている。彼はレーヴェンザール攻略に移る以前、〈王国〉の東部で行われた一連の戦いの後に現在の階級へと昇進していた。無論、彼自身の戦果や戦功とは無関係の、言うなればちょっとした勝利を祝うための祝儀のようなものであった。

 〈帝国〉の上級貴族に対する扱いは、〈王国〉のそれとは及びもつかない。ダンハイムのような侯爵家出身者であれば、勝利を得た軍の一端にでも携わっていれば武功を挙げたものと見做されるのだった。

 尖った鉤鼻に、ほっそりとした顎のいかにも〈帝国〉人らしい面立ちを不快そのものに歪めながら、上座に着いたミハイルの正面に座り、左右に諸将たちを従えたリゼアに向かい、ダンハイムはさらに詰問するように言った。

「戦場からの報告を聞く限りでは、この二日間あれほどの大軍を投入しておきながら敵城塞都市を陥落することはな叶わず。これでは、無益に殿下の兵を喪ったばかりであるように思われるのですが」

 〈帝国〉人は自らを鷲や鷹だと評することがよくあるが、まさに今のダンハイムはそれであった。ただし、その様は高貴なる猛禽としての姿よりも、腐肉を漁ろうとしている禿鷹に酷似している。

 一方で、ダンハイムから難詰を受けているように見えるリゼアだが、その表情は明るかった。彼女は、世の美貌を謳われるどの女性よりも自身に満ちた表情と声で、ダンハイムからの言葉に応じてみせた。

「いいえ。まったく、兵は無駄死になどではありません。確かに、当初の想定よりも損害が多くなっているのは事実ではあるけれど。それでもオストマイヤー中将の第44師団の兵力は依然として一万を割っていないし、あと一日だけならば無理も利くでしょう」

 そう言った彼女の態度は、好みではない贈り物を持ってきた男をあしらうようなぞんざいなものだった。彼女の言葉に鼻に皺を寄せたダンハイムが再び口を開くよりも早く、口調を男性のものに切り替えたリゼアは畳みかけるように言った。

「そもそも兵の犠牲が真実無駄になるのは、指揮を執った者がその挺身に報いなかった時だけだ。ところで参謀長、私の方針に意見があるのならば、貴官には何らかの腹案があると思って良いのだろうか」

 語気を強めて言い放った彼女の言葉に、ダンハイムは躊躇うように口を引き結んだ。それを見たリゼアは、ダンハイムを侮蔑するように形の良い眉を顰めさせた。

「代案もなく口を開くなど、参謀のすることではないぞ。仮にも参謀長であるのならば、その程度のことは弁えていたらどうだ、ダンハイム少将。それに、この戦いは徹頭徹尾、私の手の平の上にある。ただの一度も、我が軍の勝利がそこから零れ落ちたことなどない」

 リゼアは切り捨てるようにそう言った。そもそも、彼女は兵とともに戦場を進まぬ者を将校などと認めていなかった。安全な後方から指揮を執るなど、兵に対する最大の裏切りであるとさえ考えていた。

 憤然と鼻を鳴らしたリゼアに対してダンハイムはやや顔を俯かせたまま、恨み言のように言葉を紡いだ。

「……小官は先ほど、総司令官たるミハイル元帥閣下へ総攻撃の一時中止を具申したところであります、ルヴィンスカヤ閣下」

 その一言に最も衝撃を受けたのは、リゼアの座る席から右に三つ横に座っていたオストマイヤー中将だった(〈帝国〉軍の将官たちはリゼアを中心にして、右に本両軍、左に西方領軍と分かれて座っていた)。彼は全身を慄かせながら、顔面を蒼白に染めていた。

 その反応は当然ではあった。

 もしもこの場で総攻撃の中止が決定してしまえば彼と、彼の部下の二日間に渡る激闘、その全てが否定されてしまう。そしてどのような軍であっても、多くの兵を失っておきながら任務に失敗した将官が行き着くのは銃殺隊の前だけであった。


 丸々と肉の付いた顔を塩漬けの茄子のように萎びさせている彼を救ったのは親征第二軍の司令官、アドラフスキ大将であった。彼はタカのようなその目を吊り上げると、ダンハイムを睨みつけて言った。

「それでは二日間続けられた、第44師団の力闘が水泡に帰してしまう」

 前置きするように言った後で、彼はさらに続けた。

「敵の敷いた防衛線は確かに堅固だが、もう一日叩けば限界が見えてくるはずだ。そこで総攻撃を一時中止などしたら、敵が陣地を再建する猶予を与えてしまうだけではないか」

 アドラフスキはそこで一度言葉を切ると、娘を誑かすろくでもない男を睨むような目をダンハイムへ向けた。

「そもそも。ミハイル殿下は確かにこの親征軍の総司令官であらせられるが、前線で戦闘指揮を執っておるのはルヴィンスカヤ大将だ。もしも、貴様が参謀長として敵都市の攻略について意見を口にするのであれば、まずもってルヴィンスカヤ大将へとご相談するべきであり、殿下のお気を煩わせるのはその後で良いはずでは?」

 彼の発言に、周囲の将官たちが口々に賛同の唸りを漏らした。

 彼らは戦争が始まってからというもの、軍務よりもミハイル個人を優先してばかりいる軍参謀長に不満を募らせていた。実際、リゼアを実務的に補佐しているのは軍次席参謀一人であるのだから、今さら余計な口出しをするなという気分の者が多いのだった。

 しかし、周囲から孤立してなおダンハイムは怯まなかった。そもそも、彼が後ろ盾とするのは皇帝ただ一人である。

「ではお尋ねするが、明日一日で敵が限界を迎えるだろうと判断する根拠はどこにあるのか」

 彼は鉄棒を弾くような声で、諸将たちに言葉を投げかけた。しかし、応じたのは彼らではなかった。

 リゼアの背後に控えていた参謀団の中から、見事な口髭を蓄えた壮年の砲兵参謀が進み出ると発言の許可を求めた。彼らの言い合いからは身を引いているらしいリゼアの代わりに、アドラフスキが許すように頷いてみせる。砲兵参謀は緊張からか、わずかに上ずった声で話始めた。

「ええ、その。敵軍の、一日における砲弾の使用量を概算しました。確実な砲台数が判明していないので、あくまで概算ですが。我々は敵があの都市におよそ300門の野砲、平射砲をもって布陣しているものと推定しております。昨日、今日の戦闘から、砲一門が行った射撃は、一日当たりおよそ600発。これまで、一会戦当たり200発が基数として考えられてきましたから、敵はその三倍もの量を一日で射耗しているのです。あの都市にどれほどの弾薬が備蓄されているのかは分かりませんが、早々何度も大合戦を戦えるほどとはとても思えません。よって、小官は親征軍砲兵参謀として、敵の弾薬は多く見積もったとしても、あと一日、撃ち続けられるかどうかであると判断いたします」

 ダンハイムが口惜しげに舌打ちを漏らした。対立する将官たちが、一斉に勝利を確信した笑みを浮かべる。

 そこでようやく、リゼアが口を開いた。

「私は軍の指揮権を殿下よりお預かりしているに過ぎない。結局は、すべて殿下がご決断されることなのだから、参謀長がどちらへの意見具申を優先しようともさほど気にしてはいない」

 彼女はダンハイムに対する不快感を露わにしている者たちを宥めるような口調で言った。

 正直、彼女にとって補佐役はダンハイムだろうと、次席参謀だろうと大した問題ではない。むしろ、ここにきて対立が激発してしまうことの方が面倒だと考えていた。

 リゼアは立ち上がると、他の者よりも一段高い場所に腰を下ろしているミハイルへ向けて、深紅の軍服に包まれた豊満な肉体を見せつけるように立った。そして、実に優雅な腰つきで一礼してみせる。

「して、閣下。閣下の御心は? 無論、私を含めた全将兵は、どのような御下知であろうとも閣下に付き従い、必ずや勝利を収めると確約させていただきます


「軍については、ルヴィンスカヤ大将に任せてある」


 ミハイルはこの場における絶対的君臨者として口を開いた。

 そも、彼はダンハイムを含めた下々の諍いなど初めから意に介していない。無論、彼とて諸将が抱く不満について把握している。そうでありながら、驚くべきことかもしれないが、ミハイルはその問題について「何かあれば、一言申せばよい」という程度の認識しか持っていない。天性の政治的才能を持ちながら、しかし彼は同時に皇族でもあるからだった。

 生まれながらに、ただ君臨することを決定づけられた彼らは、配下の者たちが自身の期待を裏切るなどと思いもしない。

「ルヴィンスカヤ大将の好きにせよ。最終的に勝利が得られるのであれば、私は余計な口を挟まぬ」

 すでに決定は下したと言わんばかりの単調な彼の言葉に、リゼアは満面を不敵に綻ばせた。

「五日です」

 彼女は言った。

「あと五日で、あの敵都市を陥落せしめ、賊軍の指揮官を殿下の前に跪かせて御覧にいれましょう」


「よろしかったのですか、閣下」

 ミハイルの天幕から退出したところで、次席参謀が心配するような声をリゼアにかけた。

「あと五日で陥落させるなどと明言してしまって」

 それにリゼアは小首を傾げながら応じた。

「ええ、何か不安が?」

「あーいえ、決して閣下を疑っているわけではないのですが……」

 からかうような笑みのリゼアに、次席参謀が困ったような顔を浮かべた時であった。

「閣下」

 いつの間にやら自分の前に立っていた男に呼びかけられたリゼアは、次席参謀から目を逸らした。その顔が嬉しげに綻ぶ。

「ようやく、着いたのね」

「はい。大変長らくお待たせしてしまい、申しわけございません」

「構わないわ」

 深く頭を下げた彼に、リゼアは上機嫌に応じた。

「私は、一度大命を任せた人物に名誉挽回の機会を差し上げたいと思っているの」

 彼女は頭を下げ続けている彼にそんな言葉をかけると、歌うように尋ねる。

「我が軍が今、敵城塞都市を攻略しようとしているのは聞いているわね?」

「無論でございます」

「では、その都市を防衛する部隊の指揮官が貴方を一度打ち破った人物であることは?」

 男が息を飲むが聞こえた。リゼアの口がますます嬉しそうに引きつる。

「既に一月以上、我々の進軍を阻んでいるその男に、止めを刺す機会が欲しくはないかしら? スヴォーロフ大佐?」

 そう言った彼女に、大陸史上初となる空中機動部隊を任された経験を持つ男が背筋を伸ばして応じた。

「かのならず者に復仇の機会をいただけるならば、このワシリー・スヴォーロフ大佐。必ずやそのご期待に応えて見せましょう」

 彼は復讐の炎を両目に灯しながら、彼は〈帝国〉軍将校として完璧な敬礼をリゼアへと捧げた。

続きは火曜日!

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