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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦
106/202

106

 旧王都レーヴェンザールが戦火に包まれている最中さなかであっても、その部屋は普段と変わることなく静寂に閉じていた。

 そこは王都の、王宮から北側にある〈王国〉執政府の外局が入る建物群の一つ、王立交易局の地下に設けられた一室であった。地下であるがゆえに窓一つない、液灯の頼りない薄明りだけで照らされている室内に置かれた調度品はどれもが黒く、部屋の薄暗さを助長している。空気さえもしんと黙り込んでいる中、どこかで重い扉の開く音に続いて、革靴が石の床を打つ音が聞こえた。それに、薄闇に沈み込むような漆黒の装いで部屋の中央に置かれた机に着き、手元の書類を読みふけっていた部屋の主がわずかに反応を示した。足音は部屋の出入り口から見て右側の壁から響き、やがて彼の背後へ、そして左側へと移ってゆく。それに主は、身動き一つすることなく耳を澄ませる。正方形に作られた部屋の周囲をぐるりと一周した足音はやがて出入り口の扉の前でぴたりと止んだ。黒衣に身を包んだ部屋の主は静かに、机に置いておいた短銃へと手を伸ばす。扉が数度、奇妙な間隔をあけて叩かれた。

「入れ」

 部屋の主、アドラー・ルイスバウムはそれに暗闇の中へ滑るような声で応じた。部屋の大きさに対して、過剰ではないか思われるほど巨大で分厚い扉がゆっくりと、蝶番を軋ませながら開け放たれた。

「失礼します、局長」

 部屋の外に立っていたのは痩身痩躯にさほど安くもなさそうな、かといって値が張るわけでもなさそうな礼服を着込み、切れ込みのような細い目の上から眼鏡を掛けている男であった。彼はアドラーへ一礼すると、足音も立てずに入室した。手に持っている液灯を、今くぐったばかりの扉の横に引っ掛ける。

「閉めろ」

 アドラーはやってきたばかりの男へ短銃の銃口を突きつけながら、命じるように言った。男は無言のまま扉を閉め、七か所に取り付けられている鍵を一つ残らず施錠してゆく。それを見届けたアドラーは、なおも銃口を逸らすことなく尋ねる。

「つけられてはいないな?」

「念のため、王都を三周ほどしてきました。ええ、途中、怪しまれないためにも何軒か酒場に寄りましたが」

 銃を向けられているというのに、明け透けとした態度でアドラーへそう答えた男は薄暗い室内をぐるりと見回した。扉を除いた四方の壁に設けられた棚に、古ぼけた羊皮紙の束が無造作に突っ込まれているのを見て、やれやれと吐息を漏らす。金塊を戸口の脇に置き捨てているようなものだと思った。

 この羊皮紙に書かれているどれもが、この〈王国〉における国家機密だというのに。

「ここは相変わらずですね、父上」

 アドラー・ルイスバウムの一人息子、リトガー・ルイスバウムは肩を竦めると、やや酒精交じりの息を吐きながらそう言った。

 ここは〈王国〉王立交易局、第三課の局長室。対外諜報を任務とする〈王国〉の極秘機関の中枢、そして〈王国〉暗部の象徴たるルイスバウム家の全てが詰まった、影の牙城であった。


「それで、どのような御用でしょうか」

 常のように軽口にはとりあうつもりが無いらしい父親に、リトガーは単刀直入に尋ねた。それにアドラーはようやく銃口を息子の胸から外した。しかし、その猛禽のような眼光はどう見ても実の息子へ向けられるような鋭利さではない。

 彼は手元にあった書類を一枚掴みあげると、リトガーへと手渡した。受け取ったリトガーは薄明りに照らし出される文字をさっと読みあげた。旧王都、レーヴェンザールに関する資料であった。その顔がわずかに強張る。自分が呼び出された理由、父の意図を読み取ったからだった。

「ヴィルハルト・シュルツ少佐は、確かお前の士官学校時代の同期だったな」

「はい」

 読み終えた資料を机の上に戻しながらリトガーは父の言葉に頷いた。同期生の名が出たことには驚きもない。いや、むしろそれ以外の話で、父が自分を呼び出すわけが無い。そもそもリトガーにとっての父とは、親子というよりも職場の厳しい上司という存在だった。

 よって、その会話はどこまでも無駄がない。

「お前の目から見て、どれほど信頼できる男だ」

 父はやはり単刀直入だった。リトガーは僅かな反抗心のつもりで惚けてみせる。

「それはどういう意味の信頼でしょうか」

「つまり、」

 わざとらしく聞き返した息子に対し、アドラーは影のように立ち上がると宣告を突きつけるように言った。

「たとえ一時的でも、国家の命運を背負うに足る男かどうかと言う意味だ」

 リトガーは目を瞑目した。逃げ道を塞がれたことが理解できたからだった。

 諦めのような感情とともに、胸の中で同期生へ詫びる。

 すまんな、シュルツ。

 そして、彼は決心したように口を開いた。

「まったくの本心から申し上げれば、自分はシュルツ少佐を友人はおろか、部下にも上官にもしたくはありません」

 まさに本心であった。リトガーはあの、この世の何もかもを恨むような目つきの同期生を思い出しながら、吐き捨てるように言った。

 それにアドラーは無表情であった。息子の言葉は、彼の質問に対する答えになっていないからだった。当然、リトガーもそれは分かっている。今、彼が口にしたのは後に続く一言への前置きに過ぎない。

「ですが」

 彼は、あらゆる幸福とは空想の産物に過ぎないのだと知る者の顔で言った。

「軍将校としての見地から言えば、彼にほど戦場で隣の部隊を率いていてもらいたいと思わせる人物を他に知りません」

「それは、お前個人の意見か」

 恐らくは息子が口にすることのできる、最大級の賛辞であろう言葉を聞いたアドラーは確かめるように尋ねた。父からの質問に、リトガーはとどめを付け加えるように言った。

「シュルツ少佐がそう思わせるに足る人物であることは、今現在、レーヴェンザールで証明し続けているかと」

 まさにその通りであった。そもそも圧倒的な敵軍に全周を攻囲されていながら、

「よろしい」

 その一言にアドラーはようやく頷いた。リトガーは肩から急激に力が抜けてゆく感覚に襲われた。これであの捻くれた、目つきの悪い同期はたとえ生きて還ったとしても、この国の政治に巻き込まれることが決定した瞬間であるからだった。複雑怪奇なようでいて、驚くほど単純な一面を持つヴィルハルト・シュルツという男がそのようなことを歓迎するとはとても思えない。

 だが、すでに車輪は回りだしてしまった。そして、それは坂道を転げ落ちているに過ぎない。いずれ勢いがなくなるか、何もかもが砕けて散ってしまうまで止まることはない。

 酷く憂鬱な気分を抱いているリトガーをよそに、アドラーは手元の書類を手早く纏めながら口を動かしていた。

「現在、軍情報部に探りを入れている。軍務省、参謀本部、中央、西部方面軍の司令部。お前はそこから得た情報をもとに、軍の諸部隊へと働きかけるのだ」

「……どのようにでしょうか」

「レーヴェンザールを支援するのだ。さしあたり、船舶部隊の幾つかに手の者を潜り込ませてある。彼らを使え」

 何を当然のことをとばかりに言った父に、リトガーは細い目をさらに細めた。それはそうだろうなと思ったからだった。しかし、どうしても自分たちの後ろめたい策謀に同期を巻き込むのは気が引ける。

「何故、です」

 負け惜しみのように彼は言った。アドラーはそんな息子の態度にも、苛立ち一つ見せずに応じる。

「ディックホルスト大将に今退場されては困る。できることなら彼を東部方面軍の司令官として復帰させるか、最悪でも軍から退役させられることのないようにする。陛下のご決心が決まり次第、即時行動可能なよう諸部隊へと働きかけておく必要がある。でなければ、すべてが手遅れになる」

 簡単な算術の問題を解いてゆくような口ぶりで話していたアドラーは、そこで一度言葉を切った。まとめた書類を机の隅に追いやりながら、息子の顔へ視線を送る。そこに浮かんでいるあらゆる感情は無視して、彼は続けた。

「そして、シュルツ少佐には何としても生きて還ってもらう必要がある」

「英雄にするために」

 リトガーは父の思考を先読みして相槌を打った。アドラーはそれに頷いた。

「そうだ。今、この国には英雄が必要だ。それも生きた英雄が。でなければ国民の戦意が持たない。国家が最も尊ぶのは死した英雄だが、国民が喜ぶのは生きた英雄だからだ。彼らに分かりやすい偶像を用意してやる必要がある」

「なぜ、自分らがそこまでするのでしょうか」

「決まっている」

 アドラーは下らない冗談を分析するような、冷徹な声で答えた。

「〈王国〉を存続させるのだ。それこそが〈王国〉の国家開闢以来、我がルイスバウム家が受け継いできた使命に他ならない」

 国家。国家か。

 リトガーは思った。

 国家とは何だろうか。それは人間一人の一生を台無しにするほど、価値があるものなのか。

 いや、分かっている。そもそも人の一生に価値などない。あらゆる動物はただ、種の保存と言うそれだけのために産まれ、生き、そして死ぬのだ。その虚無に耐えられないからこそ、人は社会という幻想を作り上げた。個人から切り離された集団幻想はやがて肥大化し、国家という怪物を産んだ。

 結果、人間は怪物を肥え太らせるための家畜に成り果てた。軍隊とは即ち、怪物の晩餐に捧げられる供物に他ならない。

 なぁ、シュルツ。

 リトガーは心の中で、激戦地にある友人へ呼びかけた。

 貴様、戦場そこにいた方が幸せかもな。クロイツの奴が言っていたように。

 彼は王都へ帰着した日に友人と交わした、とある会話の続きを思い出していた。

続きは水曜日。

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