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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦
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 ケスラーとカレンを引き連れたヴィルハルトを血だまりの広場で出迎えたのは、レーヴェンザール臨時守備隊、兵站担当士官のエルヴィン・ライカ中尉であった。

「せんぱ、あ、いえ、司令」

「これは何事だ、ライカ中尉」

 焦ったように口を動かすエルヴィンへ短く尋ねたヴィルハルトの目つきは、どう控えめに見ても悪鬼とそう変わるところが無い。凶悪な目つきのまま、ヴィルハルトは広場をさっと見渡した。広場には忙しなく駆けずり回る療傷兵や軍医に混じって、平民服を着た市民たちが負傷者の介助を行っている。彼が把握している限り、避難勧告をうけてなお街に留まった市民は80名前後だった。どうやら、そのほとんどがこの場に集まっているらしい。その多くは女性であり、心なしか苦痛に呻く男たちの声に笑い声が混じっている。何か、紙で包んだ小袋を配っている一団もあった。受け取っていたのは、普段は部下から鬼だと評されている軍曹だった。彼はだらしのない笑みを浮かべて、嬉しそうに市民から渡された小袋を雑具入れにしまっていた。

「ええと、ですね。これは市民たちが自発的に……」

 そうした光景に、エルヴィンが言い訳をするように口を開いた。しかし、言い終わらぬうちにヴィルハルトがそれを鋭く遮った。

「それは聞いた。ただちに彼らをこの広場から、避難所として指定してある家屋内へと戻らせるのだ」

「ですが……」

 言いよどむエルヴィンにヴィルハルトは不機嫌極まり無い顔を向けた。瞳には殺意に近い感情が揺らいでいる。

「あー……」

 上官のその表情に、エルヴィンは言葉を失ったかのように喉を震わせる。そこに、小袋を配っている一団の一人が近づいてきた。腰元まで伸ばした亜麻色の髪を帯布で纏めた可愛らしい少女であった。

 つり目がちの双眸のせいか、勝気そうな顔をしている少女は進退窮まった様子のエルヴィンと、彼を無言で問い詰めるヴィルハルトの間に割って入るように立つと、微塵も臆することなくヴィルハルトへと片手を差し出した。

「おひとつ如何でしょうか? 少佐」

 彼女の手に握られていたのは、兵たちに配っていたものと同じ紙包みだった。差し出された手から、顔へとヴィルハルトは無言のまま、ぎらつく視線を容赦なく彼女へと向けた。

「これは一体、なんのつもりだろうか。君は」

「ラウラ・テニエスです、少佐」

 ヴィルハルトが何かを言うよりも先に名乗ると、ラウラは包みを押し付けるように彼へと手渡した。

 無視すると話が進みそうにないと悟ったヴィルハルトは、それを酷く億劫そうに受け取った。指先に当たる感触と渡された際にふわりと薫った麦と砂糖の薫りから、どうやら包まれているのは何かの焼き菓子らしいと当たりを付ける。

 だとしても、どうしろと言うのか。

 ヴィルハルトは渡された包みを手の中で弄びつつ、口を開いた。

「質問に答えてもらいたい。これは、一体なんの真似なのだろうか」

 すでに彼に対する用は済んだとばかりに、隣にいたエルヴィンへと同じものを手渡していたライラが顔を向けた。

「なにって、焼き菓子です。私、実家が製粉所を営んでいたのでこういうお菓子作りは得意なんです。少しでも兵士さんたちの労いになればと思って」

 まるで経文を読み上げるかのような声でそう言った彼女だが、その瞳には激情に近いものが浮かんでいる。彼女の生家は数日前、ヴィルハルトの命令によって解体されていた。

「少佐、さんは、お嫌いでしたか? 焼き菓子」

「好き嫌いの話をしているのではない」

 ラウラの言葉に、ヴィルハルトは頭痛を堪えるように眉間を指先で揉んだ。やがて、深いため息を吐く。

「守備隊は、君たちにどのような協力も支援も求めてはいない。それに今は戦闘中だ。市民は直ちに避難所へ」

「求められたからやっているわけではありません」

 やはり、どこまでも突き放すようにラウラは反論した。

「私たちが、そうしたいからしているんです。ここは私たちの街です。私たちの街で、私たちが何かすることに、少佐からの許可が必要でしょうか?」

 ヴィルハルトは喉が詰まったように、吸い込んだ息を喉で止めた。構わず、ラウラは広場にいる女性たちをひとり一人指さしてゆく。

「あそこにいるカミラさんは昔、街の診療所で療傷婦として働いていたことがあります。その隣のベルタさんは港で大衆食堂を開いていて、毎日数百人分の漁師さんにご飯を用意していました。それから、」

 彼女に名を呼ばれた女性たちがゆっくりと集まってくる。レーヴェンザールは城塞都市という以前に、東部最大の都市であったからか、ラウラが紹介してゆく女性たちは誰もが何かしらの職を持つ者ばかりであった。

 それは、貴族でもない限り、女性は家の手伝い以外で働きに出るべきではないと考えられていた一昔前ならばあり得なかっただろう。前王が行った平民の権利向上政策は、職業選択の自由を広めると同時に、社会における女性の役割を大きく変えていた。

「私も毎日、家の仕事の手伝いで麦の大袋を運んでいました。力には、少し自信があります」

 彼女は最後に、そう締めくくった。

 気が付けば、ラウラを中心に、強い決意をその顔に浮かべた女性たちの集団が出来上がった。百を超える、槍の穂先のように鋭い瞳がヴィルハルトへと集中する。彼はそれに、小さく舌打ちを漏らした。隠すつもりもないらしい彼の舌打ちに、視線の鋭さがさらに増した。

「司令――」

 背後に控えていたカレンが何かを伝えるように囁いた。

「ここは私たちの故郷だから。男の人のように戦えなくても、街のために何かしたいと思うことはいけませんか?」

「諸君の気持ちはよく分かった。だが、何度も説明しているように、我々は――」

 縋るような、それでいて押し付けるようなラウラの声に、ヴィルハルトが頷きつつも否定の言葉を口にしようとした時だった。再びの乱入者が、その続きを遮るような大声で割り込んできた。

「良いではないか、少佐」

 ヴィルハルトは背後から聞こえたその声に身体ごと振り向くと、さっと腰を折って敬礼した。

 そこに居たのはレーヴェンザール侯爵、ユリウス・アイゼナハ・フォン・ブラウシュタインだった。彼は贅食で膨れ上がった腹回りの肉をだぶつかせながら、酷く鬱陶しそうに自らの官邸でもあるレーヴェンザール市庁舎へと続く坂道を下りきると言った。

「良いではないか、少佐。市民が自ら、軍に協力したいと言っておるのだ。好きにさせてやれ」

「閣下、しかし」

「少佐。あのな、少佐」

 食い下がるように言ったヴィルハルトを、ブラウシュタインは詰まらなそうな顔で呼んだ。

「あのな、俺はレーヴェンザール侯爵だぞ」

 それが全ての免罪符であるかのように、彼は自らの肥えてたるんだ胸元を指さした。そして、視界に映る何もかもを睥睨するような表情で言った。

「つまり、このレーヴェンザールは俺の領地である。そして、領内にあるすべての物と者は俺のものだ。その俺が好きにさせろと言っているのだ、少佐」

 ブラウシュタインの言葉はあまりにも時代錯誤であった。〈王国〉では貴族による領邦制が絶えて久しい。現在の彼には〈王国〉東部における行政を統括する権限があるのみで、そこに存在する如何なるものにも所有権もありはしない。その東部の半分を〈帝国〉軍に占領されている今となっては、その権限も実体の伴わない肩書だった。

 そもそも“レーヴェンザール”侯爵と街の名を冠して呼ばれているのですら、単なる名誉称号のようなものなのだ。

 眉間の皺をさらに深めたヴィルハルトを無視するように、ブラウシュタインはさらに続けた。

「俺は貴様に、都市の防衛は一任した。だが、ここは俺の街で、こやつらは俺の領民よ。俺が自分のものをどう使おうが、貴様にとやかく言われる筋合いはないわい」

「であるならば、領民の保護を第一に考えるべきなのでは」

 ヴィルハルトは辛うじてそれだけを口にした。それを聞いたブラウシュタインは吹き出すように応じた。

「はん! 安全? 安全な場所など、このレーヴェンザールのどこにあるというのだ? いい加減、言を弄して現実から目を背けるのはやめたらどうだ少佐!」

 大笑いしているブラウシュタインの口からは、葡萄酒の酒精が香っていた。だが、それに気づかない市民たちは彼の言葉に、にわかに勢いづきはじめる。

「それじゃあ、侯爵閣下……!」

「おう、好きにしろ。俺が差し許す。この白珠のみやこを〈帝国〉なんぞにくれてやるわけにはいかん」

 期待に満ちた声を出したラウラに、あくまでも認める気が無いヴィルハルトの横で、ブラウシュタインが尊大に頷いた。周囲にいた女性たちが、わっと歓声を上げる。彼女たちは唇を引き結んでいるヴィルハルトへ復讐を果たしたような流し目を送ると、広場へと散っていった。

「……閣下」

 喧噪が過ぎ去った後、ヴィルハルトは恨みがましい声を出してブラウシュタインへ言った。

「これは明言していただきたいのですが、彼らをけしかけた責任は……」

 それにブラウシュタインはにやりと笑ってみせる。

「なんだ、俺のせいだと言いたいのか」

 ヴィルハルトは再び口を閉じた。だが、彼の無言は雄弁であった。その顔を見たブラウシュタインは鼻を鳴らした。

「そう思いたいなら、そう思っておけばいいさ。しかし、まだ貴族というものを分かっていないな、少佐」

 ふらりと揺れる足取りで市庁舎への坂を上り始めた彼は、傲岸不遜な笑みの浮かぶ顔だけを振り向かせると言った。

「体面のためならば、何もかもを犠牲にするのが貴族というものなのだ」

 呵々と一笑いしたブラウシュタインは老齢の執事をお供のように引き連れながら去っていった。

「少佐」

 それまで黙っていたカレンが、囁くように彼へ声をかける。ヴィルハルトは振り向いた。彼女の顔にもまた、市民たちが浮かべていたものと同じ笑みが刻まれている。その彼女にヴィルハルトはラウラから受け取った包みを放り投げるように手渡した。受け取ったカレンの表情が固まる。中に包まれていた焼き菓子は粉々に砕けていた。

「事が俺の思い通りに進まず満足げだな、副官。だが、よかろう。市民には自由にさせてやる。ただし、」

 カレンの口元が蔑むように柔らかさを失ったのに満足したヴィルハルトは、その横にいたエルヴィンを睨みつけた。

「兵站担当士官、彼らに食料を供出させろ。手持ち分、全てだ」

 その一言にカレンはおろか、流石のエルヴィンですら表情を失っていた。当然の反応であった。つまり、彼は市民たちが個人的に貯蓄している食料まで、全てを徴発しろと言っているのだった。

「先輩」

 乾いた声を出したエルヴィンに、ヴィルハルトは構うことなく言葉を続ける。

「差し出した食料に応じた、相応の金は支払う。買い上げるのだ。請求先はレーヴェンザール侯爵の名で良い。勝手に認めたからには、せめて金の負担くらいはしてもらわなければ。その後で、一月分の所要量を計算し、再分配しろ。副官も手伝え。いいか? レーヴェンザール全体の一月分、だ」

 ヴィルハルトがそこまで言い終えると、春の陽光を浴びたかのようにエルヴィンの顔が和らいだ。

「先輩」

 ほっとしたような、何かを気遣うような響きで彼はヴィルハルトを呼ぶ。彼はヴィルハルト・シュルツという男が持つ奇妙な一面について忘れかけていた。この上官は限りなく冷徹に振舞うことはできるが、それでいながら、心の底でどこか人間を辞めきれていない。

 エルヴィンは顔を上げた。その頃には、彼の上官は誰も彼もを置き去りにするように歩き去ろうとしていた。

「貴重な糧秣を彼らに好き勝手使われては、保つものも保たなくなる」

「了解しました」

 軍帽を目深に被ったヴィルハルトの捨て台詞に、エルヴィンは背筋を正して敬礼を送った。答礼は返ってこなかったが、彼はそれで満足した。

 司令部への道を戻り始めたヴィルハルトの背中をケスラーが追いかける。ヴィルハルトは、後をついてくる彼を追い払うような口調で命令を口にした。

「副司令、主席士官を呼んで来い。彼が一番、街の者にも詳しいだろう。ギュンター大尉とともに、市民たちを最適な配置に割り振れ。俺は戦闘の指揮を執る。後のことは任せた」

 命令を受けたケスラーはすぐさま、練兵場へと駆けていった。


 周囲から人を払ったヴィルハルトは、傍目から見れば酷く不機嫌そうな足取りでレーヴェンザール市庁舎へと向かう坂道を登っていった。坂の中ほどでふと立ち止まると、目を閉じ、何かを祈るように空を仰いだ。真夏の情け容赦のない陽光が、じりじりと頬を焦がす。

 さてさて。

 ヴィルハルトは思った。口角が吊り上がり、唇が鋭利な三日月の形を描く。

 これで、何もかもが俺の思い通りというわけだ。

続きは水曜日。

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