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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
第三幕 城塞都市・レーヴェンザール攻防戦
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お待たせしました。

 苦戦とは一方だけが陥るものではない。苛烈極まる戦場で無謀に近い突撃を繰り返す〈帝国〉兵たちと同様に、レーヴェンザールに籠る〈王国〉軍将兵も一人、また一人と斃れてゆく。

 激化した〈帝国〉軍の砲撃は、着実にその効果を発揮していた。昨日の倍ほどの鉄量によって鞭打たれる東門正面陣地では損害が続出している。たとえ百発一中の砲であろうとも、百門揃えば命中は偶然でもまぐれでもなくなる。そして、砲弾は決して期待を裏切らない。

 着弾。衝撃。生と死が混淆とした刹那。ある者は地面に倒れ伏し、ある者は大地と一体になる。爆風が過ぎ去り、砲火に炙られた地面の上には、とても遺体とは呼べない人間の残骸がごろごろと転がっていた。

 掩体壕や砲塁を繋ぐ交通壕の内部は、飛び散った血や肉片が土と混ざり合い泥状化していた。酷く粘つく泥が足に絡まる中、壕内を這うようにして進む砲弾を抱えた兵や負傷者を引きずる療傷兵たちもまた全身を血に濡らしていた。赤く染まった彼らが蠢く陣地に張り巡らされた塹壕線は、人体を巡る血管に酷似した様相を呈している。まさに死山血河と呼ぶよりない地獄。

 だが、軍務は常に個人の安全や命よりも優先される。

 絶えず死が降り注ぐ中、運ばれてきた砲弾を受け取った砲塁は間断なく砲煙を噴き上げ、爆発のたびに各所であがる絶叫を聞きつけた療傷兵が駆ける。軍に属す者は如何なる危険があろうとも、自らの意思でその責任を放棄することは許されない。


 東側の壁一面が硝子張りになった司令室の窓際に立つ守備隊司令、ヴィルハルト・シュルツ少佐は、東門から響いてくる遠雷のような砲火の唸りに震える街を見下ろしていた。かつて王宮として使用されていたレーヴェンザール市庁舎から突き出した尖塔の最上階にあるその一室からは街の中央区から東門へと至る道、そして黒煙に包まれ、時折雷光のような閃光が瞬いている東門までを見渡すことができた。

「敵が口火を切ってから約6刻。どうにも、〈帝国〉軍はいよいよ本腰を上げたという感じですな。東門正面陣地の被害は昨日の比ではありません」

 後ろ手を組み、街を見下ろしていたヴィルハルトの背中に副司令のアルベルト・ケスラーの声が届いた。ケスラーの声は不機嫌なようでいて、その実、押し殺せぬ不安でわずかに上ずっている。

「現在までの損害は」

 ヴィルハルトはケスラーへ振り替えることなく視線を動かした。その先には、これまで意識して目を向けぬようにしていた中央区の広場があった。豪雨のように降りしきる鉄の雨から救出された者たちが続々と運びこまれ、今や血の池と見分けがつかない有様になっている。

「現在までで、およそ千名です。被害を受けた砲台へ市街に待機させていた部隊を投入して再建を図っておりますが、なにぶん敵の砲火が激しく。復旧は難航しています」

 ヴィルハルトの質問にケスラーが答えた。ヴィルハルトは小さく頷いた。白い街並みの中に赤い絵の具をぼとりと垂らしたようなその場所に目を据えつつ、口を開く。

「敵は相変わらずか」

「はい。正面に展開している敵は遮二無二突撃を繰り返しているようです。これまでのところ、危険なほど接近されてはいませんが」

 ケスラーはそこで口を噤んだ。頬の内側を舐るように、舌をもごもごと動かしている。副司令のその様子に、見かねたらしい副官のカレン・スピラ中尉が口を挟んだ。

「兵站担当士官からのご報告によると、砲弾薬の残数から見て、この規模の攻勢に耐えきれるのは後一度か、二度だと」

 そう告げたカレンの声には、復讐するような響きがあった。いや、実際に彼女は仇敵の首筋へ切っ先を突きつけているような表情をしていた。言葉は上官に対する礼節に満ちていながら、含まれている本心はどこまでも明白である。

 さぁ。貴方がこの一月で積み上げてきた何もかもが瓦解してゆく。一体、どうするの?

 それに応じた彼女の上官の声は、その何もかもを裏切ったものだった。

「それは随分と嬉しい報せだ」

 喉の奥を低く震わせながら、ヴィルハルトは言った。

「少なくとも、後一度は防ぎきれると見たわけだ。兵站担当士官は」

 彼の口調には、誰が聞いてもそうとしかとれないほどの清々しさが満ちていた。カレンが嫌悪に顔を歪めた。硝子越しに映る彼の表情が、その声を裏切っていないことに気付いたからだった。

「だがまぁ、どうかな。これまでのところ、我々が被った損害よりも敵に強いた流血の方が多いはず。となると、そろそろ手を変えてくる頃合いだろう」

「しかし、敵が総攻撃に移ってからまだ二日目ですが」

 確信に満ちた声で言ったヴィルハルトへ疑問を投じたのはケスラーだった。彼は先ほど言いよどんだ言葉の続きを口にした。

「確かに、これまでのところは司令の仰る通り、被害は敵のほうが多いでしょう。ですが、このような戦い方を続ければ、いずれどうなるか。それを思いつかぬ〈帝国〉軍でもないでしょう。未だ、彼我の戦力は二十倍もの開きがあるのです


「うん」

 それにヴィルハルトは酷く素直に頷いた。だが、ケスラーの言葉を認めてなお、彼の表情は疑念に冒されていない。ヴィルハルトは聖典に名を残す、高名な予言者の如き口調で断言した。

「だとしても、だ。副司令。我々が相手にしているのは〈帝国〉軍の並みの将帥ではない。“辺領征伐姫”、リゼアベート・ルヴィンスカヤ大将ならば、必ず何か策を講じているはずだ。力押し一辺倒というこの戦い方は、どうにもあの姫将軍らしくない」

「先日からそう仰っていますが、司令には何か予測がおありなのですか? 次に敵が打ってくる一手について」

 カレンが恨みがましい目つきを彼の背中に向けながら尋ねた。それに。

「まったく分からない」

 ヴィルハルトは酷く弾んだ声音で答えた。

「なにかを忘れているような気がするが、しかしそれが何なのか分からない。重大な見落としなのか、些細な物忘れなのか。ルヴィンスカヤ大将が打つ、次の一手か。さて、それは一体どのようなものか」

「では、どうするのです」

 弄ばれた男の背中を一突きするような声でカレンが再び質問した。

「どうもしない」

 相変わらず軽やかな口調で応じた、ヴィルハルトの無責任な返答にカレンは毒気を抜かれたように眉を潜めた。

「司令……?」

 彼女の口から発せられたのは、正気を尋ねる声であった。ヴィルハルトはそれを無視した。崩された東門、黒煙が噴き上げるその場所の向こうにいる敵を見通すように目を細めると、口角をつり上げて続けた。

「いや、どうにもできない。今の我々ができることなど、敵の攻勢に耐える以外に何もない。我々は完全に包囲されていて、補給は絶え、友軍からの支援はどうやら望むべくもない」

 この場にいる誰もが今さら教えられるまでもない現状を語る彼の、硝子窓に映る表情はこの上なく楽しげであった。

「彼我の戦力差は隔絶しており、城壁から出戦して解囲を試みるのはあまりにも虚しい。分かり切っていたことだ。一月も前から。だが、我々は命令を受けた。そして、その命令が撤回されぬ限りここで死ぬだろう」

 そこでようやくヴィルハルトは室内へと振り返った。それまでの楽しげな表情とは一変した、きつい視線をカレンへと向ける。

「副官、これは君も了承していたことのはずだ。それは一月前からではなく、その戒衣に袖を通したその日から、ずっと。でなければ、軍将校としてあまりにも不見識極まる。残念だが、そのような者を部下として扱えるほど俺は有能ではない」

 それは氷柱のように鋭い声であった。ケスラーは思わず身震いをしていた。ヴィルハルトの言葉は、決してカレンに対してだけ向けられたものではないからだった。

「……それでは、何のために司令は、」

 カレンが小さな唇から絞り出すような声を出し、すぐに黙り込んだ。その先に続く言葉は、問いただすまでもないからであった。彼女自身、ヴィルハルトと同様の理由からこの死地にあるのだ。

 それは驚くほど明快で、単純な理由だった。

 彼らが軍人だからという、この上なく無残な現実。たとえ、生還の望みがなくとも任務に背くことは許されない。

 ヴィルハルトが敢えて回りくどい言い回しにしたのは、或いは彼なりの気遣いであったのかもしれない。

 旧王都レーヴェンザールはいまや、彼らに与えられた巨大な墓標に他ならないのだ。


 カレンとケスラーは知らずのうちに、自らの着用している空色を模した軍服、その胸元に目を落としていた。そこには〈王国〉の国章である白い一枚の羽根と、それを囲むように開いた大百合の花が描かれている。己が忠誠を捧げるべき国家の象徴。死を命じられてなお、尽くすべきとされる存在。しかし、国家とは果たして何であるのだろうか。

 これまで国というものに漠然とした忠誠を掲げてきた彼らには、その答えを見出すことができなかった。


 黙り込んだ二人を尻目に、ヴィルハルトは再び窓の外へと目をやった。ちょうど、広場へと新たな負傷者が運び込まれてきた。療傷兵が二名がかりで担ぎ上げているその兵の真っ赤に染まった両足は、太ももから下が無かった。

 投げ出されるように石畳の上へ寝かされた兵に駆け寄る影があった。軍服を着ていないため、療傷兵ではなかった。そして、軍医でもなかった。負傷兵の下へ駆け寄ったのは〈王国〉国民の一般女性に幅広く着用されている、白い布服と緑地に赤と黒の格子柄が入った平民服姿の女性であった。

 ヴィルハルトの顔が険しく曇った。紛れもなく、それはレーヴェンザールに残った市民たちの一人に違いないからであった。彼は市民に対してどのような支援や協力も許してはいない。部下が何らかの手助けを市民に要求することも固く禁じていた。

「あれは? 誰が許可した?」

 怒りすら孕んだ彼の声に、カレンは静かにその背後へと近寄るとその視線の先を追った。ヴィルハルトの見ているものを発見し、驚いたように目を見張る。

 ヴィルハルトは刃こぼれしてぎらついた刃のような視線を彼女へと向けると命じた。

「副官、広場へ行って確認してこい。もしも、場の責任者が俺の命令を反故にしていた場合は……」

 彼は永久凍土に埋葬された悪魔のように歯を食いしばると、腰元に吊った軍剣の束へと手を置いた。それにカレンは、挑むように背筋を伸ばして一礼すると司令室から飛ぶように出ていった。


 ほどなくして、報告を携えたカレンが戻ってきた。

「どうやら、市民たちが自発的に行動を起こしているようです。場を監督している軍医、および兵の誰一人として司令からのご命令に反してはおりません。むしろ、彼らも困惑しているようです。市民たちは、彼らが駄目だと言っても聞かないようです」

 それを聞いたヴィルハルトは無言で歩き出した。

「司令、どちらへ」

 ケスラーが慌てたように立ち上がり、彼の後を追う。

「決まっている。広場へ行き、事の次第を俺自身で確かめてくるのだ」

「司令、彼らは……」

 執務机の上から取り上げた軍帽を頭に乗せたヴィルハルトへとカレンが言った。

「分かっている」

 彼女を制するように、ヴィルハルトは吐き捨てた。彼の表情を見たカレンは一瞬、戸惑いを憶えた。

 ヴィルハルト・シュルツは、何かを悔しがるようにその顔を歪めていた。

遅れたぶん頑張ったので、続きは明日!

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