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陽の高さが頂点を越えてなお、レーヴェンザール東門正面陣地は〈帝国〉軍の猛烈な攻勢に粘り強く耐え抜いていた。いや、耐え抜いているどころではない。強大な〈帝国〉軍砲兵たちの砲撃に晒されているにも関わらず、打ち崩された城壁の隙間からは絶え間なく砲火が吹き上がり、その火力は微塵も衰えた様子を見せていない。〈帝国〉本領軍第44重鋭兵師団全力の、一万に達する男たちによる決死の猛攻。それは噴火を繰り返す火山に舞い落ちる、真夏の雪よりも容易く溶けてゆく。
周囲を巡っていた城壁が瓦礫となった今もなお、レーヴェンザールは盤石な岩山の如く、攻勢を強める〈帝国〉軍の突撃を跳ね返し続けていた。
「いけませんな」
部隊の後方から、本日三度目の突撃が弾き返されたのを目にした第44師団参謀長が眉を顰めながら言った。
「これでは、兵をただ死なせているだけです」
「口を慎め、参謀長」
参謀長の苦々しさに満ちた呟きに罵るような唸りで答えたのは、師団長のオストマイヤー中将だった。参謀長は自らの上官を仰ぎ見るように、視線をそちらへずらした。大兵肥満の肉体を深紅の制服で包んだ師団長は、血走った目で戦場を睨みつけている。
「閣下」
「無意味ではない。敵も消耗しておる」
参謀長が何を口にしようとしたのかが分かっているオストマイヤーは、先回りするようにそう言った。
「しかし、」
「意味があるのだ、彼らの死には」
縋るような参謀長を跳ねのけるように、オストマイヤーは冷厳たる口調で告げた。
「あれだけの砲撃を続けるには、後方からの絶え間ない補給が必要になるはずだ。そしてこの一月、我々はあの都市に籠る敵勢への補給を完全に遮断していた。どれほど砲弾薬の備蓄があろうとも、いずれは枯渇する。火力を失った要塞など砂上の楼閣と同じ。なればこそ、彼らの流している血には意味がある」
そこには決めつけるような響きがあった。流血こそが、勝利を得るための代価であるのだと信じ込もうとしているようだった。
いや。事実、オストマイヤーは戦場で血を流し、果てて逝った兵の死が真実無意味になるのは、指揮官がその献身に報いぬ時であると盲信していた。そして自らの命すら差し出した兵の献身に応える方法は、勝利を勝ち取る以外に存在しない。
ならば、その為にオストマイヤーは何事も躊躇わない。何より、彼らは昨日、軍の事実上の総司令官であるリゼアベート・ルヴィンスカヤ大将から委細構わず攻撃を続行せよ、という命令を下されていた。
ならば、全てを打ち砕くか、討ち果たされるその時まで、ただ前進あるのみ。
オストマイヤーはあらゆる理性の反抗をはねつけるように歯を食いしばった。もはや、彼には引き下がるべき後方などどこにもないのだと気が付いた。
「参謀長、師団砲兵をさらに前進させろ。敵を圧迫し、対処能力を飽和させるのだ」
その言葉を耳にした参謀長は、諦観に近い面持ちでオストマイヤーへと一礼した。命令を伝えるために伝令兵を呼ぼうとする。その背中に師団長からのさらなる一言が届いた。
「砲兵隊に合わせ、この司令部も前進する。参謀どもにも、そう伝えろ」
それに、彼は引きつった笑みのようなものを浮かべながら、オストマイヤーへと振り返った。
「彼らが了承するでしょうか、参謀は、」
「なんだ。戦うのが仕事じゃないとでも言うのならば構わん、そのような者は置いていけ。お前だけついてくれば良い」
「……承りました、閣下。お付き合いさせていただきます」
参謀長は、この世に抱く全ての執着を投げ捨てるような声でそう応じた。同時に思い出している。
勇猛果敢、悪く言えば猪突猛進のこの将軍に、どうして兵がついてくるのか。17年前の大陸大戦で、部隊の全滅と引き換えに勝利をつかみ取った時もそうだったように。オストマイヤーはあらゆる危険に兵を立ち向かわせながら、決して自分自身をその例外にしないからであった。
司令部が前進したことを受け、第44師団の将兵たちは自らの運命を悟った。
であるにも関わらず、彼らは一歩として退かなかった。総攻撃開始からわずか二日目、すでに師団全体の半数近くの損害を出してなお、師団長が示した運命を彼らは了承したのだった。その戦いぶりはオストマイヤーの戦意が燃え移ったかのように、悲壮とは真逆の境地にあった。
後の話になるが、第44師団はその激闘ぶりによって、皇帝の名の下に“突撃”の称号を名乗る勅許が与えられた。同時に、指揮を執った師団長を称え、“オストマイヤー突撃章”なる勲章も新たに設けられることとなる。後年、それは〈帝国〉軍人にとって、危険なことこの上ない任務にも躊躇わず従事した者へ送られる、最高の栄誉となった。
かくして悲劇は名誉によって虚飾され、さらなる悲劇を生み続ける。それは、いずれ大地が七つに裂けたその後も変わることはないだろう。
遅れました。
次回は、すみません。来週中には。