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〈帝国〉軍の総攻撃は昨日に増して激しかった。
〈帝国〉親征第一軍団長、事実上の〈帝国〉軍総司令官たるリゼアベート・ルヴィンスカヤ大将は突撃支援射撃を行うにあたり、その任に就く〈帝国〉本領軍第44重鋭兵師団の師団砲兵隊に加え、軍直轄砲兵の一部も推進させて射撃に参加させていた。
早朝に一発目の砲弾が打ち出されてから3刻ほど。彼らが攻撃目標とするレーヴェンザール東門は火砕流にでも飲まれたかのように、粉塵と爆発に包まれ続けていた。
真昼の流星群よろしく降り注ぐ鉄弾の雨に打たれている〈王国〉軍ほどではないだろうが、突撃発起線の塹壕に籠り、突撃の機会を待つ耐えがたい時間の束縛から第44重鋭兵師団が解放されたのは正午、第12刻のことであった。砲火の絶えぬ砲兵陣地から、赤色の発煙弾が快晴の空へと打ち上げられた。白く、巨大な重量感のある夏の雲へと向かいまっすぐに昇ってゆく、赤い尾を引く閃光を指し示すように軍剣を抜き放った第44師団、第二旅団長が大音声で突撃命令を下した。瞬く間に大地が狂気の蛮声で満ちる。彼らは戦友の遺骸で埋まるレーヴェンザール眼前の地面を踏破し、そこに籠る敵を打ち砕くべく突撃を開始した。どのような戦場であろうとも、常と変わらぬ蛮勇に満ちた〈帝国〉軍の総攻撃。
だが、昨日とは違うことがある。鋭兵たちが突撃を開始してもなお、砲撃の手が緩まぬことだった。その命令を下した第44師団長、オストマイヤー中将の兵を危険に晒すだろう決断を批判すべきか、その果断さを称賛するべきかは判断に迷う。砲火の手を緩めなければ、確かに敵の反撃を最低限に抑えて兵を肉薄させられるだろう。だが、同時に友軍の砲弾がその兵の頭上に落ちてくる機会も同様に増す。結局、オストマイヤーが勇猛果敢な猛将としての称賛を引き続き身に浴びることとなるか、あたら兵を失った無能な指揮官として晩年を閑職の椅子を温めて過ごすことになるかは、この作戦の成否にかかっていた。
ただし、彼が冷酷非情であるかどうかと言う議論は不要だった。戦争という大事を前に、兵の運命はあまりにも些事に過ぎる。そもそも戦術とは一つの例外もなく、冷酷非情を前提に置いて設計された大量殺人の計画書であるのだから。
第44師団の将兵たちは、砲弾に鞭打たれた哀れな廃墟にしか見えない惨状のレーヴェンザール東門跡へと向け雪崩れ込んだ。金糸によって縁取りのされた、深紅の装衣。掲げられる無数の銃剣。砲声すら霞むほどの、蛮勇に満ちた雄たけび。
その瞬間まで、彼らは確かに皇帝の軍隊として何一つ恥じぬことのない兵たちであった。
「来た、来た。やっと来やがった」
薄暗い指揮壕の中で〈王国〉軍レーヴェンザール臨時守備隊、東門正面陣地指揮官、エルンスト・ユンカース中尉は期待に震える胸を抑えつけるように、低くそう呟いた。周囲には未だ雨あられと鉄塊が降り注ぎ、大気は硝煙の香りで汚れきっているにも関わらず、彼はその一切を無視するように望遠筒を右目に押し当てて、怒涛のように押し寄せる〈帝国〉軍将兵を観察している。
「いいか、まだ撃つなよ。まだまだ、もう少し」
三刻もの間続けられた砲撃は、彼の精神から恐怖と理性をも吹き飛ばしていた。囁くような小声で周囲の部下たちに指示を出す彼は舌なめずりをしながら、生娘を前にした悪漢のように口元を捻じれさせている。今の彼にはもはや後悔も苦悩も、罪悪感もない。ただ、敵を虐殺したいという衝動のみが彼の心を埋め尽くしていた。その前では、部下はおろか、自身の生死すら問題では無かった。
「もう少し、もう少し……」
歯の隙間に何かが詰まっているような、もどかしそうな声を出しながら、ユンカースは拡大された敵の足元を注意深く観察している。指揮壕などとは言っても、彼が下せる判断はただ一つ。陣地全体に射撃開始を知らせる、第一射の火蓋を切ることのみだった。誤射は許されない。最大の効果を発揮させる絶好の機会まで辛抱強く待たねばならない。
昨日の戦いからそのまま放置されている戦友の亡骸を踏みしめて殺到する〈帝国〉兵の先頭が、ようやく彼の待ち望んだ位置を踏みしめた。散々に引っ掻き回されたせいでいくらか分かりにくくなっているが、他の場所よりも少し窪んでいるそこを踏んだ敵兵が一瞬足を縺れさせる。指揮壕に配された三門の中口径野砲、その標定痕。
「撃てぇ!!」
瞬間。ユンカースは肺に溜まる淀んだ空気を全て吐き出すような勢いで号令を発した。
三門の野砲が一斉に火を吐き出す。分厚い鉄板を叩き割ったような鋭い残響を残して、三発の砲弾が風を切りながら敵兵に向かって飛んでゆく。一拍の間すら置かず、敵隊列の先頭で爆発が起こる。炸薬の詰まった砲弾が一瞬胎動し、炎と煙の中から無数の子弾が生まれ、砕け散った母体の破片と混じり合いながら世へと解き放たれる。物言わぬ残酷な鉄の赤子に変わり、血塗れで産声を上げるのは周囲の〈帝国〉兵たちだった。この世に生まれ落ちたことを後悔するような、痛みによる絶叫、悲鳴。
指揮壕からの射撃を受け、〈帝国〉軍の砲撃に耐え抜いた砲塁群が一斉に火を噴いた。あれほどの砲撃を受けたにも関わらず、その火力は些かも衰えた様子が無かった。
それを受けても第44師団は立ち止まらない。撤退も、後退も命じられない限り、彼らは死の産声が乱響する凄惨な分娩台へと上がるより他にない。彼らは身を包む深紅の軍服をさらなる赤色に染めあげながら、死体へと生まれ変わっていった。
続きは水曜日