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戦鬼の王国  作者: 高嶺の悪魔
序幕 〈帝国〉軍襲来
1/202

1

 

 ――大陸世界。

 遥か昔。

 たった一つの大陸以外には何処までも続く大海だけが広がっていた頃、世界はそう呼ばれていた。


 その世界は、大陸東過半を支配する巨大軍事国家〈帝国〉と、その軍事力に対抗すべく同盟を結んだ大小三百余りの国々から成る国家連合体〈西方諸王国連合〉により東西に二分されていた。


 大陸の覇権を争う二大勢力の静かな睨み合いが打ち破られたのは、大陸歴1774年の事だった。

 〈西方諸王国連合〉に連なる小国に対する、〈帝国〉軍の突然の侵攻。

 それに呼応した西方諸王国の連合軍による小競り合いは、やがて大陸全土を包み込むほどの戦火へと変じた。

 後に大陸大戦と呼ばれる、大戦争の火蓋が切られたのである。


 そんな、東西ぶつかり合う戦火の中心に、中立を掲げる小さな王国が在った。

 しかし、時は戦乱。

 如何に中立を謳おうとも、大陸全土を巻き込んだ戦禍から逃れる術は、大海の彼方へと去る以外に在り得なかった。

 大陸歴1775年。

 〈西方諸王国連合〉軍との戦が続く〈帝国〉軍が、食糧を求めて〈王国〉領内へと侵攻。

 食糧の現地徴発という名の下の略奪は、戦争の狂気に駆られた兵たちにより〈王国〉南部に悲劇と惨劇を齎した。

 奪われ、焼かれ、殺され、犯され。

 ありとあらゆる非道が日常と化しつつあった当時の大陸に響いた、銃声と悲鳴による阿鼻叫喚の一つ。


 そんな地獄の中を、一人の少年が彷徨っていた。

 歳の頃は十歳前後か。

 どうして、自分がここにいるのか。どうして、〈帝国〉軍がやって来たのか。

 どうして、自分の住んでいた村は焼かれたのか。どうして、みんな殺されたのか。

 その理由の何一つを知ることなく、彼は遠くから銃声と悲鳴が響く中をおぼつかない足取りで歩いていた。

 小さな両腕よりも、もっと小さな赤ん坊を大事そうに抱えながら。

 どうして、自分が赤ん坊を抱いているのかも、やはり少年は分からなかった。


 それが、ヴィルハルト・シュルツの最初の記憶だった。


 ――17年後。

 〈王国〉東部国境付近 東部大演習場


「よろしい。今日はここまでにしておこう」

 なだらかな丘の上に立ったヴィルハルト・シュルツ大尉は、眼下に広がる森へ向けて望遠筒を片目に当てて言った。

 〈王国〉国民の平均から見れば、あまり高いとは言えない背丈と、やや痩せ形の体型を空色を模した〈王国〉軍の軍服が包んでいる。

  彼は懐から刻時計を取り出し、時刻を確認すると、満足げに口元を緩めた。

  緩めると言っても、笑っているようには見えない。

  普段は不満げなへの字を描いている口が、真一文字に引き伸ばされたと表現した方が正しかった。

  目鼻立ちはそれほど悪くないにも関わらず、恨みのある何かを睨みつけるような目つきが相成って、その表情は凶悪な犯罪者が浮かべるそれに近い。


 彼はもう一度望遠筒で丘の麓に広がる森をさっと見回すと、傍らに立つ何もかもが無骨な造りの大男に向き直った。

「どうだろうか、ヴェルナー曹長」

「問題ないと思われます」

 ヴェルナーと呼ばれた、ヴィルハルトよりも一回り近く年上の曹長は、彼よりも頭二つ分高い位置にある、岩を砕いて造られたような顔を上官と同じく満足げに緩めた。

 ただし、彼の場合は上官と違い、誰が見ても笑顔だと分かった。

 彼らの目の前には、〈王国〉領東部の多くがそうであるように、風に靡く程度の高さの草が茂る平原と、野鳥のさえずりが木霊する森が広がっている。

 濃淡の緑に覆われた大地と、突き抜けるような快晴の空。

 〈王国〉の春らしい、自然の色彩豊かな牧歌的な風景である。

「しかし、今回の演習は随分と基本的な内容に収めましたね」

「基本は大事だ」

 ヴィルハルトはヴェルナーの問いかけに対して、真面目そうに答えた。

「特に今のような時期、〈帝国〉軍が西方領国境線辺りで大規模な演習を行おうとしているような時期に、兵を無駄に疲れさせておくわけにもいかない」

「はぁ」

 ヴェルナーは不満気だった。

 むしろ、何か起こるかも知れない今だからこそ、とでも言いたげだった。

 その態度にヴィルハルトは苦笑した。

 彼は現在の〈王国〉軍にとり、数少ない実戦経験を持つ男だった。

 建国以来、中立主義を取り続けてきた〈王国〉は、二百年ほど前の大陸戦乱期ならばともかく、ここ百年ほどは大陸世界で起こるあらゆる争いから遠ざかって来た。

 結果として〈王国〉軍は17年前の大陸大戦の煽りを受け、南部の一部が〈帝国〉軍による襲撃された際に局地的な反抗を行った以外に、本格的な戦争を全く戦ったことが無かった。

 ヴェルナーは17年前に、新兵として〈帝国〉軍と戦い、今なお軍に残っている数少ない古参だった。

 実戦を経験した者だけが知る、戦いが始まってしまった時点で全ては手遅れであるという戦場の真実を知っている男だった。

 ヴィルハルトもまた、それは真実だろうと理解はしている。

 その為の準備を怠った事は無い。

 具体的に言えば、魔人でさえ裸足で逃げ出すような、人間の可能性の限界を極めんとする地獄の訓練の反復がそれだ。

「君の言いたいことは分かるが、だがまぁ」

 ヴィルハルトは長く付き合った者でしかそうとは分からない笑みを浮かべ、ヴェルナーに言った。

「今頃、王都では国を挙げた盛大な催しが行われているだろうに、何時までも彼らに地べたを這いずっておれとは言えないだろう」

「ああ、それは」

 ヴェルナーはヴィルハルトの言葉に、幾らか表情を緩めた。

「新女王陛下の即位式典ですね。まぁ、確かに目出度い事ではあります」

「うん。そうだな。その間、何も起こらなければ良いが」

 ヴィルハルトは彼から顔を背けながら言った。

 ヴェルナーが心の底から、新たな君主の誕生を祝っているのが分かったからだった。

 どうでも良さそうな顔を見せて、その気分に水を差す事も無いだろうという彼なりの気遣いだった。

「さ。演習は終了だ、曹長。大隊は整列後、装具点検。その後は兵舎まで全員駆け足」

「はっ」

 ヴェルナーは万事了解と敬礼をすると、それまで眺めていた森へ向け走り出した。

 やがて、状況終了を告げる大音声が響き渡り、あちこちの茂みから草のお化けのような連中が姿を現した。

 それらは皆、身体中に木の枝や葉、雑草などを括りつけた人間だった。

 身体を覆うそれらを引きはがすと、その下から出てきたのは薄汚れ、泥だらけになった軍服。

 穏やかな昼下がりの平原に突如として出現した、300名余りの武装した男たち。

 彼らの中には演習が終わった安堵からか、口元に笑みを浮かべている者も居る。

 それを目聡く見つけた軍曹により一喝され、弾かれたように背筋を伸ばして列を組む。

 小隊長や中隊長を務める将校たちの監督の下、装具点検が始まった。

 装具に乱れがあったのだろう兵の幾人かが、悪魔も縮み上がりそうな顔をした軍曹たちに怒鳴り散らされつつ、腕立て伏せをさせられている。

 その全てが終わるまで、ヴィルハルトは丘の上から彼らを睥睨していた。


 独立捜索第41大隊。

 それが、この部隊の名であった。

 〈王国〉軍において、非正規の部隊である事を示す40番台の部隊番号を与えられたこの部隊は、ヴィルハルト・シュルツ大尉の考案した新戦術の実戦における運用と、その有効性を測るために編制された実験部隊である。

 大隊と名付けられてこそいるが、正規部隊として認められていないが故に、割り振られた人員は正規編成の大隊に比べれば三分の二程度の人数しかいない。

 定数以下の三個歩兵中隊を基幹に、砲兵と工兵の一個分隊が申し訳程度に付随している。

 配属された将校も少なく、まともな大隊本部組織も無ければ大隊長すら居ない。

 部隊の運営を任されているヴィルハルトに与えられた役職は“大隊監督官”なる、何とも権限の曖昧なものであった。

 だとしても、ヴィルハルトには現状に対して不満は無い。

 少なくとも彼に与えられた任務を果たすために必要な最低限は与えられていたし、何よりも望むもの全てが手に入らないのは当然だと考えていた。


 ヴィルハルトが発案した新戦術と言うのは、散兵による浸透戦術、野戦における会戦主義の否定であった。

 降り注ぐ砲火の下、隊列を組んで敵軍を打ち破るよりも、絶え間ない運動によって敵の弱点を突き、後方へと潜り込み、敵司令部を潰してしまえば良いという考えだった。

 当時の大陸世界では、戦争の勝敗とは一点に集中させた大兵力による合戦によって決するものと考えられていたのだから、その常識を真っ向から切り捨てた事になる。

 如何に百年近く、本格的な戦役を経験した事の無い〈王国〉軍の中にあってすら、その意見が異端であったのは言うまでもない。


 しかし、放火の下で兵に隊列を組ませるべきでは無いという彼の意見には、それなりに納得のゆく裏付けもあった。

 〈王国〉が戦乱から遠ざかっていた間に起こった技術革新、つまり銃と砲の登場と、さらなる改良による火力の増大は、まさに爆発的であったからだ。

 それに比例して、戦場における兵士の死傷率もまた増大する。

 小銃の射程距離は伸び続け、砲弾は一撃で数十人の人間を吹き飛ばす。

 これから先も、火力が増大し続ける一方であるのは誰であろうと確信できる事実だった。

 もちろん、そんな事は大陸世界全ての軍人が理解している事だ。

 それでもなお、会戦主義が取られ続けているのには当然、真っ当な理由がある。

 第一に、兵士たちが扱う銃も砲も前装式である事だった。

 つまり、一発ごとに銃口から火薬と弾丸を入れ、込め矢で弾丸と火薬を銃身の奥まで突き入れる必要があるため、どうしても発射速度には限界がある。

 更に、その構造による根幹的な欠陥、天候や状況に左右されて出てしまう不発と言う問題も抱えている。

 そして、最大の理由である2つ目。

 隊列を組まずに命令を伝達し、部隊を動かす術が無いからだ。

 命令が伝達する範囲とは即ち、指揮官の声が届く範囲である。

 そして、兵は命令無く行動することを許されていない。

 これらの問題点が解決されない限り、結局は密集隊形からの一斉射撃、続く銃剣突撃による白兵という戦術の有効性を否定する事は出来なかった。

 何より、火力の増大による兵力の損耗、死傷者の数は、未だに軍が許容できる数字に収まっていた。


 ヴィルハルトもまた、その点については素直に認めている。

 しかし、認めた上でこう提言したのだ。

 では、100年後ならばどうなるだろうか。或いは50年後かも知れないし、10年後かも知れない。

 明日、一撃で大軍を吹き飛ばすような強力な兵器が登場したら? と。

 隊列を組んで前進する事が、自殺行為と等しくなる。

 勿論、そんな曖昧な未来の話を、ヴィルハルト本人も大して気にしていた訳では無かった。

 士官学校資料室で、埃だらけの戦史資料の編纂と言う退屈極まりない仕事の最中に思いついた空想を、暇つぶしと冗談半分で論文の形に纏めてみただけであった。


 当然のように、そんな意見が認められるはずがあるわけなかった。

 しかし、提出された論文は軍が将校向けに発行している機関紙に載せられた。

 まぁ、こんな意見があると一読するぐらいには評価されたのだろうか。

 無論、機関紙を購読している将校たちがそんな論文に熱心に目を通す事も無いだろうが、ヴィルハルトも暇つぶしの成果にしては上々だな、程度に満足していただけだった。


 たまたま、その論文に目を留めたのが物好きな〈王国〉軍大将だったのは、彼にも予見し得ない未来だった。

 その大将によって埃まみれの資料室から東部方面軍に引きずり出され、この名ばかりの大隊が彼に与えられたのは3年前の出来事だった。

 以来、独立捜索第41大隊は来るか来ないかも分からない未来の戦争に備えて、訓練と演習をひたすら繰り返し続けていた。


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