化けもの
「シンディー、聞いたよ。あんた、もう20年も前に旦那さんを亡くしたらしいじゃないか。」
「その噂どこで聞いたの?どうせろくでもないところで聞いたんでしょう?」
「いや~、へへへへ。」
「悪だくみもほどほどにしなさいよ。あなた、まだ若いんだから。付き合う相手ぐらいは考えた方がいいわ。」
どこから噂を嗅ぎ付けたのか。30になるかならないかといった風貌の男性が、私に声をかけてきた。
「いやいや、シンディー。そんなこと言うけどよ、君だってまだ40にはなってないだろう。俺とそう変わらないじゃないか、君だって十分若いよ。」
「はずれ、私ね、実は80歳のおばあさんなの。」
「うっそだぁ~、冗談きついよ。」
冒険者という名の荒くれ者どもを相手に、酒を売っていればこういうことはたまにある。
「あら、本当よ。女は化けるの、たとえ100歳になったって10代の心は捨てられないもの。いつかきっと、誰かに美しいってほめてもらうためにうんと努力するのよ。」
「いやいや、でも80歳はないよ。そりゃいくらなんでも盛りすぎだよ。」
「・・・それじゃ、ゲームをしましょう。」
「ゲーム?」
「えぇ、あなた・・・掌に文字を書いてちょうだい。」
「文字?」
「なんでもいいのよ、なんなら私への愛の言葉を書いてくれてもいいわ。昔の話まで持ち出して、私にこんなことまでさせたんですもの。うんと情熱的な言葉を綴ってくれなきゃいやよ、私。」
「ん、それで、どこがゲームなのかはちとわからんが、乗った。君がもう、僕のことを忘れられなくような言葉を綴ってあげるよ。」
男は私の手の平に、精一杯の愛の言葉を綴った。
「明日の朝、日が昇ったらまた酒場に来てちょうだい、そこでもう一度、この文字を見せてあげるから。」
「それで、朝になると君はおばあさんになっているとでもいうのかい?」
「ええ、そうよ。もし私が今の姿のままだったら、あなたを愛してあげてもいいわ。」
「よし、乗った!」
「その代わり、私がおばあさんになってたら、一つおねがいごとをしてもいいかしら。」
「もちろん、構わねぇよ!ひひひ、しかしシンディーったらまぁ俺と一緒になりたいからってそんなゲームにこじつけてさぁ・・・。」
-朝-
「あ・・・あがががが」
「夕べはどうも。」
「しわくちゃのクソババアだ・・・。」
「クソなんて言葉つけなくてもいいでしょうに…」
「畜生、ふざけやがって!」
「あら、私はふざけているつもりは微塵もなかったのだけれど…それとも何?あなたの方はふざけているつもりだったのかしら?」
「うるせえ!くそ、付き合ってられるか!」
口汚く私を罵る言葉をあふれさせながら、彼は酒場の扉を荒々しく開け放ちながら出て行ってしまった。
――もう私のことなんて忘れてちょうだい。
そうお願いする必要もなかったな、と小さくなる背中を見送って、私はいつもどおりの仕事に戻る。
女は化ける。その通りだ。
いつからかは忘れたし、思い出す必要もないだろうけど、私は「化ける女」になってしまった。
朝は老婆に。夜はは20台後半の見た目になる。
「シンディー君はまた一人可哀想な男性を作ってしまったようだね」
酒場の主人のアレックが顎に蓄えた白ひげを撫でながらシンディーに話しかける
「よくあることと言ってもここまであると嫌になるわね」
「一昨日は若い僧侶だったっけ 教えよりあなたとともに生きたいって聞こえた時は思わず笑いそうになってしまったよ」
「ここらへんで私のそのことについて知らない人は居ないのになぜこうも多いのかしら…」
「それだけ君が魅力的ってことさ」
アレックは軽口を言いながら食器を洗う
アレックとは長い付き合いだ。夫に先立たれ、途方に暮れている私に仕事をくれたのは彼で恩人と言ってもいい。
彼との付き合いは夫の葬式も済んで少しした後、彼がうちに夫の弔いに来た時からだ。
彼は昔、夫の友人だったらしいが私はその時になるまで彼のことを知らなかった。庭にある墓石に彼は花をたむけ拝んだあとすぐ私の方に来て
「シンディー君はこれから行く宛はあるかい?」
そう訊ねた。私は無言で首を振る。すると彼は私へ手を差し伸べた。
「なら、よければ私のところへ来ないか? ちょうど最近1人辞めてしまってね。働き手を探していたところなんだ」
もちろん、無理にとは言わないが。そう最後に付け加えた彼は、そっと微笑んだ。それからだ、私がここで働くようになったのは。
それから彼の店を手伝う内に、知り合いも増えた。客商売という仕事柄、いろいろな人を見てきた。そうして過ごしていくうちに、私も歳をとり、やがて老婆と言える年齢にまでなった。
いつの頃からかは覚えていない。だが、体の衰えを――自分が段々と死に向かっていくと自覚した、その頃だったように思う。突然、〝こう〟なったのだ。ある種の呪いなのか、それとも病気の類なのかは解らない。だが現実に私の身体は、今も若返りを繰り返している。そんな私に彼は最初の内こそとても驚いていたようだったが、こうして受け入れた今となってはよい相談相手になってくれている。
「……私ね、この身体に関してはもう慣れたわ。でもね、〝真実〟を知った男たちが忌むモノを見るような目で見てくるあの視線。あれだけには未だに慣れないの」
「罪な女だね、君は」
「茶化さないで……」
「いや、すまない」
申し訳なさそうに謝る彼に、こちらの方が申し訳ない気持ちになってしまう。どこか重い空気が流れたその時、ふと彼が顔を上げて言った。
「そういえば、風の噂で聞いたんだが。今この町に、旅の薬師がいるそうだよ」
「薬師? 何よ、私の〝これ〟はこの町のどんな医者にだって治せなかったのよ。今更薬師に頼ったところで……」
「それがその薬師はそこらの者とは一味違うらしい。あくまで噂だが、あらゆるものを治す秘薬の作り方を知っているんだとか」
「……なんだか胡散臭い話ね」
「そうだね。まあ今更そんな眉唾物の話に頼るわけにもいかないか。すまない、忘れてくれ」
そう言って、アレックはいつの間にか止まっていた皿洗いへ戻っていった。
「なんでも治す秘薬、ね。」
少し考えてみる、もしかしたら、私は元に戻れるかもしれない。
「でも、きっと無理ね。」
そう、きっと無理だ。だって---
「私は、生きるためにお薬を飲むんじゃないんですものね。」
そう、私がほしいのは”穏やかな死”。
この体になってから、一度だけ、おばあさんの体の時に死んでしまった時もあったけど、夜になったら私はなぜか生き返っていて、そこにはいつもの日々があった。
無為に過ぎていく、残酷なほど穏やかな日々が。
「・・・」
「ねぇ、アレック。」
「・・・ん?どうした?」
「その薬師さん、人の殺し方も知ってるのかしら・・・。」
「さぁね、でも知ってるんじゃあないかなぁ。」
「なんであなたにそんなことがわかるの?」
「ん、簡単だよ。生きることと死ぬことは本来同じものだからね。人を生かせる術を知ってる人なら、人の殺し方だって知ってるさ。」
「あなた、そんな哲学的なことを口にするような人だったかしら。」
「いや、君を見てるとそんなことを考えるようにもなるよ。」
アレックは、続けてこう言った。
「生きてるのに、死ぬことばかり考えてる君を見てれば、ね。」
-夜-
日が沈んだ。
私の体も、変わってしまった。
アレックが、珍しく開店前に声をかけてきた。
「結局、探しに行かなかったんだね。」
「・・・えぇ、おばあさんだもの。町中歩いて探すなんてとてもできないわ。」
「諦めたのかい?」
「・・・いいえ、賭けをしたの。」
「賭け?」
そう、私は賭けをした。
私は賭けには強いのだ。
30年前、夫を失ったあの日以来、お客さんといろんな賭けをしたものだが、一度も負けていない気がする。
「その薬師さんがね、この酒場に来たら、お願いすることにしたのよ。」
「いや、でもここ冒険者さん用の酒場だからなぁ・・・薬師さんは来るかなぁ・・・?」
「冒険者の人たちって、いつも傷だらけでしょう。薬師さんにとったら大事な商売相手のはずよ、大丈夫、きっと来るわ。」
「あ、あはは・・・いや、正直僕の酒場で別の商売をはじめられると困るんだけど・・・まぁそういうこともあるかな・・・。」
そう言いつつ開店作業に戻っていったアレックを見て、私も開店作業に戻る。どこか高揚したような、熱に浮かされたかのような、妙な気分だった。
しばらくして、酒場を開けた。この酒場はそれなりに人気だと私は自負しているが、果たしてその自信どおり多くの冒険者たちが店に入ってきた。彼らの注文を聞き、酒と料理を出し、くだらない口説き文句を適当にあしらっていく。
一段落したと思ってカウンターの奥に陣取ったところで、また扉が開いて誰かが入ってくる音がした。
妙な男だった。この酒場に入ってくるような冒険者は皆どこかに傷をつけているような荒くれ者ばかりだが、彼はそんな様子は微塵も見られない。着ているローブは旅の疲れは見せても戦いの傷跡は見られず、背には大きな箱を背負い……
――薬師だ。そう私は思った。
やはり私は賭けには強かった。そう思って彼をこちらに招こうと立ち上がったとき、ちょうど彼と目が合った。
彼は私のことを見ると、私がそう誘う前に私の方へやってきた。
「こんばんは、お嬢さん」
私の前の席に座って、彼はそう挨拶した。
「こんばんは、お飲み物は何になさいますか?」
「麦酒を貰えるかな ところでシンディー君は元気にしているかな?」
と気さくに話しかけてくる男性はいかにも私のことを知っているかのような口ぶりで話しかけてくるが私はこの人が誰だか知らない
「朝夜のことがなければ快調と言えるんですけどね 麦酒一杯注文入りましたー」
カウンターのほうからアレックが注文を承ったあかしにこちらに手を振ってくる。
「その朝夜の変化のことなんだがね 君は元に戻りたいかい?」
「…あなたはいったい何者なんですか?」
「ただの老いぼれの薬師じゃよ ところで君はワシのことをまったく覚えておらんのじゃな」
といいながら男は大きな帽子を外した。
話を聞くと彼は私をこのような体にした張本人だという
彼の顔をまじまじと見るうち、私の記憶も蘇ってきた。
あれは確か、店の前の段差で転び、足を怪我した時のことだった。何気ない日常の――ただ、歳を感じさせられるだけの出来事。しかしその頃から私は、私自身の死を意識するようになってきていた。
そして、襲ってくる恐怖。人間である以上、死への恐怖はいつでも、誰にでも付きまとうもの。その時の私がまさにそれだった。
怪我は数日で回復したが、私の恐怖は完全には消えないままだった。そんなある日、私が街へ出ると怪しげな格好に身を包んだ老人が、道端で薬を売っていた。思えばそれが、この男だったのだろう。
「私に何をしたの……!?」
「何、か。ワシは叶えてやっただけじゃよ。君の生きたい、若返りたいという思いをな」
「そんなこと、頼んでないわ……」
「だが、君はそれを願った。ワシには解る。あの時の君は心底恐怖しておった。自分から夫を奪った、死というものにな。ああ、どうしてそんなことまで知ってるかって? ふっふ、ワシとて伊達に長い年月を生きておるわけではない。そういうことなど、造作もないことじゃよ」
ほっほっほ、と、まるで普通の老人のように笑うこの男が、私の目には不気味に映った。
そこへちょうど、アレックが麦酒を持って戻ってきた。そこで思い出す。先ほどの男とアレックとの会話を。
「……知っていたのね、貴方」
「……私はただ、見ていられなかっただけだ。あの時の君は、とても怯えていた。なんとかしてやりたいと思い、知り合いだったこの男に頼んだのだ。なんとかしてやってほしい、と。……まさかこのような形になるとは、思っていなかったが」
「ワシはなんとかしてやってほしいと頼まれただけじゃ。その方法までは知らぬよ」
じゃが、と話を切って、男は私に向き直った。
「君が苦しい、ということならばワシは君を救ってやることもできる。君が望む形になるかは、解らぬがな。……さあ、どうする?」
男は怪しく嗤った。
「・・・ゲームをしましょう。」
「ゲーム?」
「えぇ、私の人生で、最後のゲームよ。」
「ふぅむ、わしはゲームは苦手なんじゃがの。まずはルールを聞かせてもらおうかの。」
「私は、あなたの提案を受けるわ。」
「・・・ふむ。」
「あなたの言う通りにして、私が死ねば、私はあなたに望むものを一つだけあげる。」
「・・・お前さんが死ななかった場合はどうなる?私は、何をすればいい?」
「あなたも私と”同じ”になってもらうわ。」
幾拍か、確かに時が止まったような感覚に陥る。
私が言い放った後の数瞬、老人も、アレックも、ピクリとさえ動かなくなった。
そして、その数拍を置いて老人が口を開いた。
「・・・わかった、その賭け、受けよう。」
「決まりね。それで、あなたは一体何が欲しいのかしら。」
「私がほしいものは単純じゃよ。金だ。とにかく、現金か、それとも宝か。君が持っているものの中で一番金になるものを一つくれればいい。」
「・・・わかったわ。」
「ではシンディー、君が死ぬ方法を教えよう。簡単じゃ、朝になったら、私が差し出す薬を一口飲んでくれればいい。」
「あら、それだけでいいの?」
「ああ、ただし、必ず朝飲むのじゃ。朝じゃなければ効かぬ」
「わかったわ、それじゃ、日が昇ったらここに来て。」
-朝-
「おお、見事なもんじゃ、しわくちゃのクソババアじゃな。」
「あなたもクソジジイでしょ。人のことは言えないわ。」
「ほれ、これが薬じゃよ。」
「・・・これを、一口飲めばいいのね?」
「ああ、そうじゃ。」
アレックは、あえてこちらを見ないようにしている。
ようやく、私も死ぬことができるのだろうか。
「・・・では、この薬飲ませてもらうわ。」
その言葉を聞いて老人は静かに笑った。
薬瓶に口をつける。
一口飲んだら、言ってやろう、私は賭けが強いのよ、と。
「・・・。」
しかし、シンディーがその言葉を口にすることはなかった。
「死んだ、確かに死んだのう。」
その言葉を聞き、アレックがシンディーと老人の方に向き直って言った。
「・・・いくら本人が望んでいたことだと言っても・・・これはむごすぎる。せめて、俺は彼女に夫が死んでからの人生を受け止めてもらってから死んで欲しかった・・・。」
その言葉を聞いて、老人は笑いながら言った。
「それは生きてる者のエゴってもんじゃないかね。死人は死人になってからのことは考えぬものじゃ。」
老人は笑いながら去っていく。
シンディーの残した宝を、きっちりその身にまといながら。
やがて、老人は町から少し離れた街道に出た。
そこで、老人は宝を見ながらニンマリとつぶやく。
「いや、しかし中々どうして人生というものはわからんな。若い頃、秘薬の精製に励み、私が手にしたのは人を半死半生の化け物に変えてしまう薬と、その化け物を殺す薬の二つだけ。しかし、見方を返れば秘薬よりもよっぽど役に立つ。」
「死にかけている人間を化け物に変えて、家族から金を。死にたがっている化け物を殺して、当人から金を。こんな薬を所持しているのは私だけなのだから、確実に、大金が2度も入ってくる。さらに挙句の果てには不治の病さえ治す凄腕の薬師と呼ばれる始末・・・。」