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5.「婚約者の伴奏」と「婚約者の笑顔の威力」

 放課後、練習室Eを借りて秋人さんと練習をした。


 「冬」はソロで頑張るつもりだった。

 だけれど、当然の事ながらピアノの伴奏が加わると厚みも増すし私の負担も軽減する。

 そして何といっても、


「秋人さん、伴奏お上手なのね」


 弾き終わってバイオリンから弓を下ろし、秋人さんを振り返る。


「ありがとう。薫子さんが完璧だから引きずられてそう聞こえるだけじゃないかな」


 秋人さんはそう控えめにピアノ越しに微笑んだ。

 何というか、すごく演奏しやすい伴奏だった。

 テンポも楽譜の解釈も私と合っている。

 試しに合わせて見ただけなのに練習もしないで合うとはどういう事だろう。


「お願いなんですけれど、秋人さんだけで何か弾いてくださらない?」

「敬語はやめてくれないかな?」

「あっ………ええと、お願い弾いて?」


 秋人さんの演奏への興味で一杯になった私は手を合わせてお願いする。


「えっ、ううん………。僕だけだとそんなうまくないから薫子さんに失望されたら嫌なんだけれど………」


 少し赤くなって照れる秋人さんは渋々ながらもクライスラーの「愛の喜び」をピアノパートだけ弾く。

 軽やかな旋律を秋人さんのしなやかな長い指が紡ぎだす。

 その音色は明るく愛らしく、私の好きな曲で中学の時のコンクールで発表していた。

 その軽やかな音色を聞きながら、自惚れだけれど不思議な感覚がしていた。

 本当に自惚れだったら恥ずかしいのだけれど。


 最後まで聞き終わって拍手をする。


「あの、自惚れだったらごめんなさい。あの………」


 何だか言い出し辛くて切り出すのを躊躇うと、


「ごめん」


 と秋人さんが真っ赤になって顔を両手で隠した。


「やっぱりばれてしまうよね。うん………薫子さんが弾いていると思って弾いてたのが」


 秋人さんが最大限に照れているのに釣られて、私も何だか顔が熱くなってくる。


 私がコンクールで弾いたテンポ、解釈や曲の強弱、何もかもをフォローして伴奏しているようだった。

 あの時、コンクールで伴奏してくれていたのがピアノの先生ではなく秋人さんだったらもっと素晴らしい仕上がりだったかもしれない。

 そう思える演奏だった。


「ありがとう」


 短い時間だけれど、音楽を通して秋人さんが私の事を考えてくれているのが伝わってきた。

 私は心を込めてお礼を言った。

 秋人さんだって私と同じかそれ以上に将来に向けて勉強や習い事が忙しいだろう。

 そんな中、私の事をきちんと考えてくれている。

 私はそう思えていた。

私は失礼にも家が決めた許婚とだけ考えていたのに。


「………ごめん。自分の演奏だとそこまで上手くできないから、がっかりされたくなくて。ちゃんとやるよ」


 少し時間を置いてから、気を取り直したように秋人さんが鍵盤に手を置く。

 バラバラの旋律に思える左右の手の動きから一つの旋律に重なり浮かび上がる旋律。

 ショパンの「別れの曲」が危なげなく奏でられる。

 ……先ほどまでとは別人のようにそつなくミスが無いだけの演奏だった。


 曲が終わる。

 拍手をする私をチラリと秋人さんが見た。

 心の動きを悟られないように、無難に微笑んだつもりだった。

 が、秋人さんが小さくため息を吐く。


「と、いうことかな。僕は薫子さんのバイオリンを思い描かないとこんな実力です」

「ごめんなさい」

「謝らないで。だから僕に伴奏は任せてね。家の事で一緒に練習できない時もあるかもだけれど」


 秋人さんが任せて、と軽く自分の胸を叩く。


「ありがとう。音楽祭に受かったら一緒に出てくれる?」

「もちろん。それは絶対に調整するよ」


 和やかに笑いあうと、そろそろ練習室の使用時間は終わりだった。

 


 軽くもう一回「冬」を通して合わせてから、楽器を片付けて練習室を出る。


 鍵をかけ、さてとと振り返ると、そこには佐藤桜さんと河合菜月さんと桜さんのピアノの伴奏者の方が通りかかった。


「あら、お疲れ様ですわ」


 桜さんと菜月さんと目が合ってしまったので声をかける。

 二人も練習帰りだろう。


「ふーん、昭和の夫婦って仲良いのね」

「なっちゃん!」


 菜月さんの言葉に桜さんが咎めるような声を出す。


 菜月さんの中で、私と秋人さんの名前は「昭和の夫婦」になってしまったようだ。

 昭和なんて体感的には知らないと思うのだが、「古い」的なイメージを表現した言葉だろうか。

 何にせよ、あまり良いイメージで言っている訳ではないのは間違いなさそうだった。


「いつも桜にライバル意識燃やしちゃって桜に勝てるわけないでしょう」


 私の胸に菜月さんの言葉が刺さる。

 確かに私が一方的にライバル視しているだけだ。

 情感豊かに弾く桜さんには勝てないかもしれない。

 私は顔が強張るのを感じた。


「菜月!」


 桜さんのピアノの伴奏者の方も慌てたように菜月さんの腕を引く。


「そうかー」


 そんな不穏な空気を裂くように、横に並んでいた秋人さんが暢気な声を出す。

 にっこり、と笑って一歩前に出た。

 品の良さそうな優しそうな笑顔は美しいのだけれど、私には逆に怖い。

 何だか秋人さんの気配にただならぬものを感じた。


「桜さんは薫子さんのライバルなんだね」

「え………」


 桜さんが秋人さんの確認に驚いたような顔をする。

 二人が見つめあった。


「僕の奥さんをよろしくね。桜さん」


 秋人さんが蕩けるように甘い優しい笑顔を桜さんに向ける。

 私は秋人さんの「僕の奥さん」という言葉に唖然として棒立ちになる。

 桜さんと秋人さん以外は呆然として二人を見守った。


「は、は………い」


 ややあって桜さんが頬を染めながら秋人さんに返事をした。

 目が潤んできらめきいつもの倍くらい桜さんが可愛い。


 ………えっと? そんなに秋人さんの笑顔が良かったのだろうか。


「ちょっと、桜?」

「え、桜?」


 菜月さんと桜さんの横に立っていた男の方(桜さんの伴奏者の方)が桜さんの腕を引っ張るも反応が無い。

 桜さんはぼんやりと潤んだ瞳で秋人さんを見つめていた。

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