1.檻の中のお嬢様
私よりもずっとずっとバイオリンの才能のある人が目の前にいる。
その人を守るように私の好きな方がこちらを見ている。
その2人の取り巻きに楽譜通りの演奏でCDみたいと嘲笑われた。数人の同級生がくすくすと笑う。
桜、つまり私の今回のコンクールでのライバルの方がマシなのだそうだ。
「そうね、桜さんの方が素晴らしいと思うわ。………それでよろしくて?」
にっこりと笑って、手元の一位のトロフィーを眺めた。
賞状には私の名前「天上薫子」と書いてある。
仕方ないじゃない。
このコンクールは機械みたいに正確なのが審査員受けがいい。
ライバル、つまり佐藤桜さんの可愛くて機械になりきれないのは今回のように2位止まりだ。
「これ………」
トロフィーと賞状を控えの者に渡した。
「あんたなんか一位なんておかしいって言ってんのよ!」
カッとなった取り巻きの1人が声を荒げる。
「ちょっと、なっちゃんもうやめて」
桜さんが取り巻きを押しとどめようと袖を引いた。
ロビーの隅で話す事ではない。
ロビーにいる方達がチラチラとこちらを見る。
「あら、審査員の方々にそのおっしゃりようは困りましたわね」
意識して小首をかしげて困ったように微笑む。
気が合う意見にこの高飛車な態度はそろそろ苦しい。
私も一位はおかしいと思うわ。
CDでも流しておけばいいのに、って。桜さんの陽だまりのような演奏のほうがいいのに、って。
「お嬢様、お帰りの時刻でございます」
ちょうどいいタイミングで控えの者が車へ誘導してくれる。
私はせいぜい自信たっぷりに見えるように笑った。
「ごきげんよう、皆さん」
私は長い髪を払って、車へ向かった。
+++++
私はどう言い繕ってもお嬢様だ。
お金持ちの家に生まれ、母に似て派手な顔立ちだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「お帰りなさいませ」
帰ると正面玄関を使用人が開け、掃除していたはずの使用人が掃除用具は傍に置いて礼をする。
私は使用人に「ただいま」を言ってはいけない。キリがないからというのもある。
「お嬢様、この時間からはピアノの練習となっております」
控えの者の言葉に、私は軽く頷く。
物心つく前からピアノとバイオリンを習っている。他には日本舞踊と勉強の為の家庭教師。もう少ししたら料理の先生も習うらしい。
これでも、華道と茶道とマナーが減ったのだ。
許婚の花嫁になるには合格だと言われたからだ。
+++++
「もう嫌だ。うんざり。バイオリンの練習だけしたいのに」
ピアノの前で誰も居ないのをいい事に呟いた。
コンクールから帰ってきて、感傷に浸る間もなくピアノの課題を仕上げている。もちろん、バイオリンにはある程度ピアノの技能も必要だけれど。
こんなに好きなのに、私にはバイオリンの才能がない。
ちょっぴり、ほんのちょっぴり好きだった人に嫌われたかもしれない。
ダブルパンチで泣き叫んでベッドをゴロゴロしたい。
でも、そんな暇はない。
コンクールにはワガママで出させて貰ったのだから。
更には好きな高校にも行かせてもらえた。
16歳になったからそろそろ許婚と初顔合わせ。
許婚の光条秋人様は顔は写真で見たっきり、家柄は私の家より少し上くらい。
ピアノを弾く手にどんどん力がこもる。
桜さんが脳裏に浮かんだ。 あんな風に可愛らしい演奏をするにはどうしたらいいのだろう。
バイオリンの練習がしたい。
もっともっと弾きたいの。
もっともっと………。
………。
+++++
次に目を開けた時、自室の天井が見えた。
「どういう事………?」
「ピアノに突っ伏して倒れていたそうだよ」
「えっ」
キョロキョロすると、写真で見たまんまの光条秋人様がいた。 自室の軽く弾く用のアップライトピアノの前に座っている。
「過労だってさ。ごめんね」
秋人様は柔らかく微笑んで頭を下げた。
私は慌ててベッドを下りようとする。
「はじめまして、私は………っ」
「あぶないっ!寝たままでいいから。驚かしてごめん」
下りて礼をしようとしたら点滴のチューブが引っかかった。
秋人様が駆け寄ってきて私を押しとどめベッドに戻した。
落ち着いて見ると私は点滴をされながら寝かされていた。
これでは仕方ない………のだろうか。
「ベッドの上から失礼します。はじめまして、私は天上薫子と申します」
格好がつかないがベッドの上で礼をした。
「はじめまして、僕は光条秋人と申します」
秋人様は礼をした後に何か考え込んだ。
私は落ち着かなくて、秋人様の綺麗で優しげな顔をジッと見る。
「申し訳ありません。天上様とは写真やコンクールで見ていたからか初対面という気がしませんでした」
秋人様の砕けた感じが急に改まる。
あれ、ここは婚約者だから夫になる方は砕けた感じにしても良かったんじゃあ………。
コンクールで見ていたなんて知らなかった。
「婚約者という事で女性の部屋へ入るのを許されたのですが、まずきちんとした席を設けてからですね」
それでは、と秋人様はドアに向かおうとする。
「えっ、あの!お待ちください!」
私の制止に秋人様がしぶしぶと足を止める。
困った顔をしていた。
「本当に言い訳で申し訳ありませんが、あなたのお父様にようやく面会を許可されて浮かれておりました。数々の無礼を働き申し訳ありません」
では、と今度こそ秋人様は出て行った。
私は点滴を引きちぎるわけにもいかず、呆然として見送った。
いつの間にか居て嵐のように去っていった。
優しげなお顔だった。
少し垂れ目ぎみの色白で綺麗な方だった。