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第七話 愚かで優しき王

 雪解け水が出雲の町に春を運び始めた頃、父王は王子の帰りを待たずにこの世を去った。

 その直後、帰還した王子は、しばらくは父の最期を看取れなかったことを悔いていたが、すぐさま気を取り直し、まつりごとに着手し始めた。

 王の不在が長く続けば、国が乱れる恐れがある。

 そのため彼は、一日も早く父王の後を引き継ぎ、国の安泰を守ろうとしていたのだ。


 その日、王子は宇志男うしおの部屋を訪れ、王位継承の儀を執り行う日取りについて、弟に打診していた。

 彼は事を円滑に進めるため、宇志男うしおと水面下で調整した上で、決定事項として大臣達に通達しようとしていたのだ。


「父王は、紫乃しのとの結婚の儀も共に行うようにとおっしゃっておられました」


 儀式を行う日も決まり、話が落ち着いたところで、宇志男うしおは王子から目を逸らしながらそう付け加えた。

 もちろん、心では彼らの結婚など認めたくなかったが、立場上、父王の遺言を王子に伝えない訳にはいかなかった。

 そして、父からの命であれば、王子もそれに従わざるを得ないであろうと思っていた。


「私は、紫乃しのとは結婚しない」


 だが、王子から返ってきた言葉は、彼の予想に大きく反するものだった。

 驚く宇志男うしおの顔を見つめて、王子は少し顔を赤らめ、はにかむような表情を見せた。


「旅の途中、世話になった(やしろ)で妻にした女性がいるんだ。彼女を妃に迎えたいと思っている」


 あまりに意外な展開に、宇志男うしおは言葉を失い、目を丸くして王子を見つめた。


「王位を継げば、私はこの国の王だ。誰も反論すまい。父上といえども、あの世からまで異を唱えては来られないであろうよ」


「……」


紫乃しのにも、いずれ巫女の役目を終えたら、好きな相手と結婚して幸せになって欲しいしな。我々の大切な妹だから」


 優しく微笑みながら、そう言う兄の言葉に、宇志男うしおの両目に涙が溢れ出した。


宇志男うしお?」


 突然、肩を震わせて泣き出した弟のそばに、王子は驚いて近づいてきた。


宇志男うしお様! 紫乃しの様が!」


 その時、紫乃しの付きの年若い侍女が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。

 しかし、室内に王子がいることに気付いた彼女は、慌てて口元を両手で押さえて自分の言葉を遮った。


紫乃しのがどうしたというのだ」


 紫乃しのの名を聞き逃さなかった王子にそう尋ねられ、侍女は救いを求めるように宇志男うしおの顔を見た。

 この侍女は、宇志男うしお紫乃しのの関係を知る、唯一の人物だった。

 王子の問いに答えないなど、侍女の立場では斬り捨てられてもおかしくない行為だ。

 だが、彼女は恐怖に震えながらも、二人の秘密を必死に守ろうと固く口をつぐんでいた。

 そんな侍女の様子を見かねて、宇志男うしおが無言でうなずいて見せると、彼女は恐る恐る話の続きを口にした。


「祈祷中、お倒れになられて……」


 侍女の言葉を最後まで聞かず、宇志男うしおは無意識の内に部屋を飛び出していた。





「子を……宿している?」


 紫乃しのの部屋で、医者が口にした事実に、王子の顔は蒼白になった。

 天幕の中に寝かされた紫乃しのは、青い顔をして静かに眠っていた。

 祈祷中、突然倒れた彼女は、同じ神殿内にあるこの部屋に運ばれたのだ。

 神が降りた巫女が気絶することは珍しいことではない。

 そのため、このことは騒ぎになっておらず、侍女に連れられて王子達が駆けつけた時、室内には紫乃しのの主治医だけがそばに控えていた。

 天幕の隙間から紫乃しのの顔を呆然と見つめ、考えを巡らせていた王子は、ふと、何かを思いだしたかのように、背後にいる宇志男うしおの方を見た。

 そこには、うなだれて肩を震わせている弟の姿があった。

 それを見た王子は、目を閉じて頭を抱え、天を仰いだ。

 弟の様子から、彼は妹を孕ませた男が誰なのかを悟ったのだ。

 もしもそれが事実なら、決してあってはならない、人の道に外れた行為だった。

 しばらく苦悩の表情を浮かべていた王子だったが、次の瞬間、医者の両肩を掴み、温厚な彼には珍しく凄みのある低い声で言った。


「いいか。紫乃しのの腹の子は、私の子だ」


「え……」


 紫乃しのの体の様子から診て、数日前帰還したばかりの王子が、腹の子の父親であるはずはなかった。

 戸惑う医者に顔を近付け、王子は畳み掛けるようにさらに続けた。


「父王からの命により、私は紫乃しのを妻にした。だから、腹の子は私の子だ。少し早産になるかもしれんが、間違いない。妙な噂が広まれば、真っ先にお前を疑い首をはねる。いいな」


 震え上がり、口をぱくぱくとさせている医者に背を向けると、王子は今度は宇志男うしおの腕をつかみ、部屋を飛び出した。



 


「なんということを……」


 再び、宇志男うしおの部屋に戻った王子は、相変わらずうなだれて泣いている弟を見て、ため息混じりにつぶやいた。


「お前達は同母兄妹だぞ。これが表沙汰になれば、お前も紫乃しのも無事では済まぬぞ」


紫乃しのに罪はありませぬ! 己の想いを抑えることができなかった私の責任です! どうぞ、罰するならこの私を!」


 腕にすがり、必死に訴えかける弟の顔を見て、兄は再び大きくため息をついた。

 そして、宇志男うしおの肩を力強く握りしめた彼は、真剣なまなざしを弟に向けた。


「いいか、私は紫乃しのを妃にし、腹の子も私の子として育てる。お前が出雲ここにいれば、疑いを抱く者も出てくるやもしれん。だからお前は紫乃しのの腹が目立ち始める前に、ここから去るんだ」


 兄の言葉に、宇志男うしおは震えながら何度も首を左右に振った。

 禁忌を犯して授かった子を、間もなく王となる兄の子として偽るなど、天に逆らうような恐ろしい話であった。

 うろたえる弟の肩を掴んだまま、王子は今度はうなだれるように深く頭を下げた。


「頼む。私は、お前達を失いたくないんだ」





 その夜、宇志男うしおは、紫乃しのの部屋を訪れ、出雲を去ることを告げた。

 王子は紫乃しのの懐妊が世間に知られる前に、弟をこの国から遠ざけようとしていた。

 そのため急遽、属国の目付役として各地を巡回する任務を彼に与えたのだ。

 当初は忌むべき子を王の子と偽ることに、恐れを抱いていた宇志男うしおであったが、紫乃しのの命を救うためでもあると、兄から説得され、思い直した。

 それだけではない。

 改めて考えてみれば、今回の件は彼らが首を差し出せば済むという、単純な話でもなかったのだ。

 王不在の今、このような王家の醜態が明るみになれば、これから王位を継ごうとしている兄の統治にも支障が生じる。

 しかも、巫女である紫乃しのが禁忌を犯したとなれば、民達の信仰心に大きな傷が付くことになるだろう。

 渡来人も多く暮らすこの国において、巫女を通して発せられる神託は、これまで何よりの大儀とされてきた。

 その巫女が民からの信用を失えば、国が乱れることも十分考えられる。

 結局、愛する人と国を守るため、宇志男うしお故郷くにを去る決断をしたのだった。



 別れを告げられた紫乃しのは、宇志男うしおの腕にすがり、激しく泣きじゃくった。


「あなたと生き別れになるくらいなら死んだ方がいい! 王子の妻になんてなれない! 愛しているのはあなただけなのに!」


 捲し立てるようにそう言う紫乃しのの体を、宇志男うしおは強く抱きしめた。

 彼女が王の妃となれば、もう二度と、こうして触れ合うことはおろか、そばに近付く事さえ叶わなくなるだろう。

 この先、彼女の中に芽生えた命をこの手に抱く事も、ましてや、その子に父と名乗る事など許されるはずもない。

 そう思うと、宇志男うしおの両目からも、涙がほとばしった。


「わかってくれ、紫乃しの。この子の命を守るためでもあるんだ……」


 涙混じりにそう言う宇志男うしおの胸に、紫乃しのは頬を寄せ、再び声をあげて泣いた。




 結局、宇志男うしお紫乃しのと言葉を交わしたのは、この夜が最後となった。

 数日後、王子の王位継承の儀と、同時に行われた結婚の儀を見届けた宇志男うしおは、その日のうちに旅立った。

 それから彼は、彼女のことを想ういとまも己に許さぬがごとく、忙しく各地を巡り、出雲配下の国々が抱える問題解決に力を注いだ。

 同時にそれは、自分たちの罪を庇い、世を偽ってまで命を救ってくれた兄王の恩に報いるためでもあった。

 そして、この時の働きぶりにより、彼は諸国の王から信頼を得られるようになったのだ。


 一方、王妃となった紫乃しのは、無事女児を出産し、そののちも巫女を続けているらしかった。

 だが、それを聞いて宇志男うしおは首を傾げた。

 巫女とは、特定の者に心を奪われると、神の声が聞こえなくなるものなのだ。

 そのため、多くの巫女は結婚して家族を持つと、能力を失い、引退する。

 紫乃しの宇志男うしおと情を交わして以来、霊能力を失い、彼が出雲にまだ居た頃からそのことで悩み、苦しんでいた。

 当然、夫となった兄もその事実を知ったはずだが、おそらく彼女に役割を与え、生き甲斐を持たせようとしたのだろう。

 当時民に伝えられた神託も、兄王が考え、彼女の口から語らせたものであると思われた。




 宇志男うしおが出雲をあとにして八年が過ぎたある日、悲しい知らせが彼のもとへ届いた。

 それは祈祷中、紫乃しのが自ら命を絶ったというものだった。

 仕方がなかったとはいえ、身重の彼女の前から去り、そのまま死に際にさえそばにいてやれなかった。

 愛する者を失った悲しみと後悔に消沈する彼のもとに、帰国して参謀を務めよと、兄王から要請が入った。

 こうして皮肉にも、紫乃しのの死によって彼女との仲を疑われる恐れが無くなり、彼は祖国に帰ることができたのだった。





「……まさか……夕月ゆづきは……」


 宇志男うしおの話を聞き終えた覇夜斗はやとは、やっとのことで言葉を口にした。


「……はい。私と前王の妃との間に生まれた娘です」


 うなだれた宇志男うしおは、絞り出すような弱々しい声で答えた。

 そんな男の姿を唇を震わせて見ていた覇夜斗はやとは、次の瞬間、その場に立ち上がり、腰の剣を抜き放った。

 切っ先を向けられた宇志男うしおは、濡れた瞳で若き王をじっと見つめ、やがて覚悟を決めたようにゆっくりと瞼を閉じた。


「お前が……道ならぬ道へ足を踏み外したばかりに……父は……!」


 父は約束通り、いずれは母を迎えに行くつもりでいたのだ。

 だが、禁忌を犯した兄妹の命を守るため、意に反する結婚をした。

 母の悲しみの元凶が目の前にいるこの男であると思うと、覇夜斗はやとは、全身の血が沸騰するような怒りを覚えた。


「そして、そのために、母は……!!」


 歯ぎしりしながら、覇夜斗はやとは剣を宇志男うしおの頭上高く掲げた。

 結果的に父に捨てられた母は、唯一の心の支えであった息子をもこの男に連れ去られ、絶望の内に海へ身を投げたのだ。

 覇夜斗はやとが握る剣は、怒りに震え、かたかたと乾いた音を立てていた。


「何もかも、お前のせいで……!」


 憎しみに赤く染まる王の双眸に、宇志男うしおは上半身を深く屈めて額を床に擦り付けた。

 直後、刃が風を切る音がして、鉄の剣が大きく振り下ろされた。

 一瞬、己の首が床に転がる様を想像した宇志男うしおは、固く目を閉じた。


 しばらく静かな時間が過ぎ、首が繋がっている事に疑問を抱いた宇志男うしおは、ゆっくりと目を開いた。

 すると、そこには、床に突き刺した剣の柄を握りしめて跪き、全身を震わせている王の姿があった。


「だが、俺も、夕月あいつを初めて目にした時、同じ腹から生まれていなくてよかったと思った……」


「……」


「だから、俺はお前のことを責められない……」


 苦し気に吐き出された覇夜斗はやとの言葉に、宇志男うしおは再び大きく首をうなだれ、肩を震わせた。


「それに、やはり俺は父のことを許せない」


「……」


「父は、お前達の命を救いたい一心だったかもしれん。だが、そのために愛のない結婚をし、我が子の出生を偽ることを余儀なくされた妃は、その後死ぬ以上の苦しみを抱えていたのではないか」


 はっとして顔を上げた宇志男うしおの前で、覇夜斗はやとは床に突き立てた剣を支えに、ゆっくりと立ち上がった。


「霊能力も失い、神託さえも偽ることを強いられた彼女は、罪悪感に耐えきれず、自ら命を断ったのではないのか。……結局、父は誰一人幸せにしていない。妃も、母も、お前も……」


 大きく見開かれた宇志男うしおの瞳から、一気に涙が溢れ出した。

 声を漏らして泣く男に背を向けた覇夜斗はやとは、天井を見上げてそっと瞼を閉じた。


「……だが、母が愛した男が、愚かだが優しい男で救われた」


 そう小さくつぶやき、むせび泣く男を部屋に残し、覇夜斗はやとは謁見の間を後にした。

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